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神依る巫女の反逆 水穂国事変  作者: 白瀬あお
五章 まこと神を分かつもの
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三.

 たし、たし、とやわらかいもので額を叩かれ、ハルはわれに返った。


 心臓がまだ嫌な音を立てている。ハルは深呼吸を繰り返した。浅かった息が徐々に深くなるにつれ、平静さも戻ってくる。


 頭が水瓶を乗せられたかのごとく重い。


 しかもじんわりとあたたかい。この感触には覚えがある。たし、たし。


「……フユ、どいてくれ。重い。お前、いつのまに戻ってきたんだ? 由良も一緒か?」


 頭に手をやると、フユはハルが捕まえる前に素早く飛び降りた。ハルの額を叩いたのは、フユの前足らしい。

 フユへの質問の答えは、別の方向から返ってきた。


「由良様ももう戻ると思いますわ。フユは、由良様の帰りが近くなると一足先に屋敷に戻ってくるのです。ハル様もお疲れでしょう。敷物を持ってきましたので、横になられてはいかがですか?」


 襖戸が開き、たおやかな声がハルの意識を現実に引き寄せる。


「少し、ぼうっとしていただけだ。大事ない」


 絢乃がハルの座った場所の前に敷物を広げると、フユが駆けていった。ハルのための寝床でさっさと丸くなるとは、肝の太い猫である。


「いくら呼んでも白目を剥いたままで返事がないから、焦ったんだぞ」


 豆が絢乃に続いて部屋に入ってくる。


「豆。……私は、生きているのか」


 ハルは周囲を見回した。炉も祭場もない。代わりにあるのは、見慣れた造りの部屋だ。

 調度品は神護りの詰所とほぼおなじでも、どれもよく見れば繊細な彫り物を施されている。

 遠坂の、絢乃たちが暮らす離れであるようだった。


「あれくらいで死ぬかよ。右手の火傷やけどだけじゃないか。しばらくひりつくだろうけど、かかさまが手当てしたからすぐ治るって」

「すみません、勝手ながらハル様がお持ちだった薬草を使わせてもらいました。痕は残らないとは思うのですが。痛みはいかがですか?」


 気遣わしげな声を受け、ハルは包帯の巻かれた右手を持ちあげた。薬草の独特な匂いが鼻をつく。


「問題ない。手当て、助かった。礼を言う」


 神事からはおよそ二日が経っている。包帯がなくとも差し障りはないほどに回復していた。

 卜占の神事でハルは炎に手を入れ、手に火傷を負った。


 燃え盛る炎に手を入れたつもりが、実際の炉の火はごく小さかったのと、熱さにはっとしてすぐに身を引いたのがさいわいし、傷は軽度ですんだ。


 絢乃の介抱のおかげでもある。拳を開いたり閉じたりするたび、皮膚が引っ張られる痛みに顔が歪むけれども。しかしそれよりも、両手を突っこんだせいで組紐が焼けてしまったのが残念であった。


「良峰たちはどうしてる」

「それが――」


 と絢乃が言いかけたとき、敷物の上で丸くなっていたフユが跳ね起き、襖戸の隙間から飛びだした。

 ハルも腰を上げたが、入ってきた人物とぶつかりそうになり、うしろへたたらを踏んだ。


「あれ、ハル。どっか行くの?」

「……お前こそ、どこへ行っていたんだ」


 由良だった。

 腕の中で、捕まったフユが目を怒らせて暴れるが、気にする風でもない。


「ちょっとした散歩だよ。ただいま。それより、どうしたのその手」


 普段どおりののんびりした口調に、脱力してしまう。気を取り直してハルは答えようとしたが、豆のほうが早かった。


「由良、ごめん。頼まれたとおりにハルを見張ってたけど、まさか火に手を突っこむとは思わなくてさ」

「見張りだと?」

「放っておくと無茶するでしょ」


 豆がハルについてこようと食い下がったのは、だからだったのか。由良たちは、いつのまにそんな話をしていたのか。


「不可抗力だったんだ。炉の火のなかに女が見えて、鬼みたいな顔で矢を構えるからとっさに」


 ハルは、翌朝に発つと言われてから卜占を行うに至った流れまで、由良たちに話して聞かせた。

 

「普通は矢を構えられたら、恐怖で固まるか避けるかじゃないの? なんで手を突っこむほうにいくわけ?」

「止めてやりたかったんだ」

「あのね。相手は幻でしょ。自分がどうなるか考えなかったの」


 由良が大げさにため息をつく。変なことをしたつもりはなかったのだが。


「したことをねちねち言うな」

「ねちねちって、あのね」


 呆れまじりに言いかけた由良を、豆が遮った。


「由良はハルが心配なんだって。あ、心配具合では、おれのほうが上な!」

「そうなのか、由良。すまない。豆もすまなかったな」

「いや、俺は別に心配じゃないけどね?」

「なんだ。そうなのか。豆、まぎらわしいぞ」


 ふわりとよい匂いがしそうな控えめな笑いが聞こえてきて、ハルたちがそちらを見ると、絢乃が口元を押さえて笑っている。


「ふしぎですね。鎮めの巫女様という存在はもっと、こう……ひとのことわりを超えたかただと思っていました。こんなに可愛らしいかただなんて」

「ハルはフユと本気で小豆を取り合うような子ですよ、絢乃」

「まあ」


 目がまんまるだ。どうも本気で感心しているらしい。


「あと馬の扱いが雑だったぞ。完全に馬がハルの奴婢ぬひだった」

「まあ、まあ」

「お前たち……。ひとつくらいは私を褒めたらどうだ?」

「褒め……そうだな、殺しても死なない、とか?」


 由良と豆が顔を見合わせて噴きだす。絢乃も「ふふ」と品よく笑顔を見せる。

口を尖らせたハルも、肩の力が抜けた。占の神事での出来事に緊張した心も、ほっとゆるむ思いがする。


「お前たちは、互いに心を預け合っているのだな。由良が守りたがるのも、もっともだ。……よい光景だな」


 鼻の奥がつんとした。


「なに言ってんの?」

「いいものを見せてもらったと思っただけではないか」


 由良が残念なものを見る目を向けるので、ハルはむっとした。しみじみしたところだというのに。


「あのさ。ハルも、『よい光景』の一部なんだけど?」

「……私が?」

「そ。なに傍観者ぼうかんしゃを気取ってんの」


 ぽん、と頭に由良の手が置かれる。


 とっさに言葉が見つからず、ハルはもごもごと口を動かした。一時は諦めかけた、ひとの営みとの自然な交わり。


(私も、交われたのか?)


 頭に置かれた手から、あたたかいものが流れこんでくる。


 胸の内がむず痒い。甘い痺れをともなうような、くすぐったさが湧いてくる。

 こんな感情は知らなかった。


「……殺されても死にたくないな」


 ハルはそう言うのがやっとだったが、由良は満足そうに笑ってうなずいた。

 




 由良は卜占の結果を知りたがった。

 しかし、実のところハルも肝心の占がどのように終わったのかを知らない。首をかしげたハルの代わりに答えたのは絢乃である。


 気まずそうに。


「占に使用した骨は、ひびの形を見るどころか、炭と化してぽろぽろと崩れてしまったんですって。だからその……主様は、なんの意思もお示しにならなかったと聞いております」


 ハルは驚かなかった。予感があったのである。


 もしも、荒ぶる神がハルを曲島に戻すのであれば、とうに戻したはずなのだ。それこそ、名波の山越えをする前に山崩れを起こす――いや、もっと前、神続きの道を消すだけで事足りた。しかし現実には、ハルは神護りの陣中までたどり着いている。


 だから、少なくとも「すぐに戻るが吉」という結果は出ないだろうと考えていた。しかしハルが得意顔をできたのは、つかのまだった。

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