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神依る巫女の反逆 水穂国事変  作者: 白瀬あお
五章 まこと神を分かつもの
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二.

 ハルは即答した。瓦礫の散乱した祭庭、身内の死に泣く子ども、腐臭の漂う大路――それらが頭を過ぎる。繰り返さないとは断言できない。


 卜占だけであれば、舞とは違い荒ぶる神が力を奮うことはない。


「兄さん、いかがですか?」

「……しかたあるまい」


 さっそく、神事の用意が慌ただしく始められる。

 荒ぶる神が帰らないと言えば、神護りも反対できないだろう。よしんばすぐの出発を求められても、ハルと神護りのあいだで議論が平行線をたどるよりはいい。


 ハルとて、荒ぶる神の神意を故意に曲げる気はない。占は正しく行う。それが、長く巫女として生きてきた矜持きょうじでもある。


(ただ……出た結果に従うかは、別問題だ)


 だがハルには、ある予感があった。





 手皿を空に向ければ、星屑が手に収まりきれないほど落ちてきそうな、その日の夜。

 瓦礫と化した舞殿が撤去された水穂宮の祭庭に、急ごしらえの祭場が出現した。


 白砂の庭に毛氈もうせんを敷き、四方に青竹を立て、注連縄しめなわを巡らせたものである。外側には、篝火が焚かれている。

 祭場の正面にしつらえた白木しらきの台には、ありとあらゆる供物が並べられていた。一方、祭場の中心には、神木しんぼくたきぎにした炉が、赤々と炎をあげている。


 ハルは宮の敷地にある禊場みそぎばにて禊を行った。聞けば、神護りたちも神事の際にはその神聖な小川で禊を行うのだという。


 その後、新しい白衣と朱色の袴に身を通した。最後にこの衣装を着てから、まだひと月程度だというのに、ずいぶん久々に感じる。


(遠くまで来たものだな)


 ハルはくつを履いて拝殿の前に立つと、手を合わせ己の内の荒ぶる神に向けて頭を下げた。


「主様、どうか私の内からお出になってはくれまいか」


 腹の底はしん、と静かだ。

 だが、そこに存在するのは誰に教わらずともわかる。

 それがハルにとっての普通だったから。


「主様。主様にとって鎮めの巫女とはなんなのだ?」


 当然ながら、いらえはない。


 ハルは息を吸った。

 斎主となる神護りの幾人かが、卜占に使う牡鹿おじかの肩骨を高坏たかつきに載せてしずしずと詰所からやってくる。


 拝殿の左右は、それぞれ神護りが横並びに列をなしていた。少しの乱れも許されないとばかり、息すらひそめるのが伝わってくる。


 背後にも一列、同様に神護りがハルを見守っている。こちらは背に短弓と矢筒を背負っている。荒ぶる神が脅威を発した場合に備えたものと思われた。しかしこちらは、いずれも腰がひけていた。


 皮肉なものだと思う。ハルは荒ぶる神から逃れるべくもがく途中だが、その荒ぶる神のおかげで身を守られているのもまた事実なのだ。


「とをかみえみため とうかみえみため とふかみえみため 祓いたまひ清めたまふ――」


 神護りが祝詞のりとを朗々《ろうろう》とみあげる。

 祝詞は、荒ぶる神を称え、その意志を示していただくべく、これから占卜を執り行うと続けられていく。


 荒ぶる神は、いつであれば曲島に戻ってもよいと思うか。戻らぬほうがよいのか。


「鎮めの巫女様、これを」


 炉の前に立つハルに、斎主の良峰が占卜に使う骨を高坏ごとうやうやしく差しだす。ハルは無言で骨だけを両手で受けとり、炉の前に戻る。


 ハルが炉の火であぶり始めれば、やがて荒ぶる神がハルの内で目を覚ますのが、わずかな脈動で感じとれた。どくり、と。


 腹の底から体の芯を通って、指先へ。手にした骨へ。冷気に身を浸したときのような震えが発生して、末端に伝わる。


 火がぜ、耳に音が弾け、白かった骨が黒ずみ――。


 ――と。


 そのとき。


 炉の炎がハルの頭の高さまで躍りあがった。


「……!」


 ハルは骨を手にしたままあとずさる。

 炎の中に、誰かの姿が浮かびあがった。


 若い女だ。


 菫か、と思ったが違う。

 歳のころは、ハルより一、二歳下くらい。中央で分けた髪が腰まで流れ、山吹やまぶき色の小袖に若葉を思わせる帯が、瑞々《みずみず》しさを添える。


 しかしその表情に血の気はなかった。顔の作りは愛嬌あいきょうがあると言えるが、炎の向こうでも震えているのがわかる。


 女は腕に、上質な絹の布の包みを抱えていた。ちょうど両腕に収まるくらいの大きさだろうか。中身までは見えない。


 女はこちらを見てしきりに叫ぶが、声は聞きとれない。


「なんだ?」


 ハルは身を乗りだした。女は今にも涙の零れそうな顔でかぶりを振り、包みをぐっと深く抱えこむ。


 直後、薄墨の袖から覗く男の手が包みを取りあげる。

 高い悲鳴が炎をつんざいた。


「おいっ! どうした!」


 ハルが炎に向かって叫ぶと、神護りたちに動揺が走った。祭場がざわつくのが、意識の片端に引っかかった。どうやら、彼らには炎に映ったものが見えないらしい。


 しかしハルのただならぬ声は、先日の嵐に続く異常事態をたやすく想像させた。

 神護りたちが震撼しんかんした。

 しかし神事は始まってしまった。神の意はすでに、あらわれた。何者にも、もはや手出しできない。爆ぜた火の粉がハルの髪の先に移る。特有の焦げた匂いが漂ったが、ハルは気づかなかった。


 そのあいだも、火の中では男のものと思われる太い腕が、女を羽交い締めにする。

 男の姿はハルからは見えなかった。声なく泣き叫ぶ女の様子しか、映しだされない。


 女がもがき、しゃにむに手を伸ばす。だが包みにはあと一歩届かない。女はその場にくずおれた。

 滑らかな頬に滂沱ぼうだの涙が伝い落ちる。羽交い締めにした腕は、どこかに消えていた。

 女は呆然となにもない宙空を見つめた。その目にはいっさいの光がなかった。すべての生きる意味をなくしたとばかり、空っぽの目。


(なにがあった?)


 まざまざと目にしているのに、声すら届かないのがもどかしい。ハルはぐっと胸元をかき合わせた。


 ところがである。


 ハルが見守る向こうで、やがて女の目がゆっくりと、異様な輝きを帯び始めたではないか。爛々《らんらん》と、今にも燃えあがりそうに。

 女はなにかに飛びつくと、猛然となにかを奪いとった。なにを取ったのかと目を凝らすまでもなく。


 女の構えた弓が、寸分の狂いもなくハルの左胸を狙っていた。


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