一.
ハルたちは、水穂宮を正面に見る外門からではなく、日が昇る方向にちなんで昇門と名付けられた門から都に入ることにした。
昇門は間口が三間、奥行きも三間の、外門よりはこぢんまりとした門である。ひとの往来も少なく、ひっそりした佇まいだ。
その門もほかの多くの建物と同様、瓦はほぼ吹き飛ばされて見当たらない。勇壮な柱も、倒れるか、ひび割れて傾くかといった有様である。鮮やかだっただろう丹塗りの外観は、うら寂れた印象だけを残していた。地面はまだ倒木や折れた枝葉、藁などが散乱したままだ。
ハルと豆は、工夫たちによる瓦礫の除去作業を横目にしつつ昇門をくぐった。
「由良たちはどこへ寄るんだ?」
「さあ。小豆を買い足すか、由良のことだからふらふらするだけだと思うぞ」
由良は昇門が視界の端に入るころ、ハルに馬を代わるように言い、監視役の神護りとふたりでどこかへ行ってしまったのである。
『また私を騙そうとしてるなら、殴る』
『すぐ武力に訴えようとしないの。これ以上、騙す理由がないでしょ』
『わかってる。言ってみただけだ。これからはお前を信じると決めてる』
由良は不意を突かれたような顔をしたが、すぐに笑って懐から取りだした小刀をハルに返した。あとで合流すると言い残して。
「一緒にいくと言ったわりに、いいかげんなやつだ」
ハルは手綱をゆるめ、馬を歩かせる。小路から大路に出ると、大根や蕪、葱といった野菜を竹籠いっぱいに背負って歩く者が追い抜いていった。米や雑穀の詰まった俵を手押し車で運ぶ者もいる。
いずれも歩くそばから道行く人々に声をかけられ、その場で売買の交渉が始まる。
「生きていかねばならんからとはいえ、逞しいものだな」
市の機能が損なわれたために、簡易的にそういった形で人々は必要なものを手に入れているようだった。ハルたちはしばし眺めてから、遠坂の屋敷へ足を向ける。
遠坂の屋敷も、さっそく築地塀の修理が始まっていた。そこここで、崩れた塀から飛びでた骨組みを直し、練った泥をつき込む作業が行われる。
「お帰りなさいませ」
ハルたちの戻りを見た者があらかじめ知らせていたのか、屋敷の門をくぐると良峰自らが迎えに出る。ハルたちは馬から降りた。
「由良と話しましたか」
「ああ、お前が豆を寄越してくれたおかげでな。由良ももうすぐ――ん?」
返事をしかけた矢先に袖を強く引っ張られ、ハルはたたらを踏む。豆と目が合う。
訴えかけるような視線の意味を考える前に、良峰が感情を抑制した声でうながした。
「お疲れのところ恐縮ですが、あなた様にお話が」
「わかった、行こう」
「おれもいく」
ふたたびハルの袖を引いた豆を、良峰が鋭く遮った。
「豆、そなたは母屋へ。絢乃が待っている。ところで、お前たちにつけた護衛はどうした?」
「さあ。おれ、知らねえし。さぼってんじゃねえの」
ついていくのを拒否されて不服そうな豆の頭をひと撫でして、ハルは良峰のあとに続いた。
良峰はハルを遠坂の屋敷ではなく、水穂宮へいざなった。
都の内でも水穂宮にごく近い一等地を与えられている遠坂家からは、水穂宮へは徒歩でさほどかからずに着く。
大門をくぐると、こちらはすでに地面の瓦礫は取り払われていた。なぎ倒された木々も撤去され、職人が祭庭や正殿の復旧に忙しくするのが遠目にもわかる。良峰はそちらではなく、大門の右手を突き当たりまで進んだ。
「神護りの詰所でございます」
嵐の前までは築地塀だっただろう囲いで覆われた詰所を、ハルは良峰に続いて南から入る。内側は、いくつかの殿舎に分かれていた。そのひとつの軒らしきものをくぐる。急ごしらえにしては、詰所も業務が行える程度には建て直されていた。敷地内にも工夫があちらこちらで作業をしている。
嵐で水を吸った板張りの外縁(いつ床が抜けるかと、ハルは実のところひやひやした)を奥まで進む。
見計らったように内側から襖戸が開けられ、薄墨の袍に黒絹の冠をした男が床に額づいた。
「お初にお目にかかります、神護副の瀬良にございます」
遠坂家の三男は、わずかに垂れた目とふっくらとした口元がつやっぽい印象の男だった。由良とは二歳差だと聞いたが、あでやかな笑みはねっとりして見える。良峰が剛なら、瀬良は柔というところだろうか。
「本来は、神護長である父も揃って挨拶すべきところですが、失礼をお許しください。本人も無念に思っていることでしょう」
瀬良に勧められ、ハルは部屋に足を踏み入れた。
板を張った部屋には間仕切り用の衝立と燈台、そして几。嵐のあとで調達したのだろうか。
几の上には、巻子がいくつも広げられたままだった。日々の務めはここで行われるのだろう。
瀬良はひとりで、ハルたちの訪れを待っていたようだった。彼らの父は気を病んでいると聞いたのを思い出す。
「私からも、お父上の快癒を祈ろう」
「ありがとうございます」
瀬良が姿勢を正した隣に良峰が腰を下ろす。ハルも向かいに座った。
「さっそくですが、あなた様には明朝出発いただきます。道中はこの瀬良を同行させます。なにかありましたらどうぞ瀬良に申しつけください」
良峰の低い声に合わせて、瀬良が床に手をついて深々と礼をする。
予想された話題ではあったが、聞いていたものと細部が違う。ハルは眉を寄せた。
「待て。出発は、次の新月に間に合うようにという話だったはずだ。島まで五日かかるとしても、まだ日がある。そもそも、私は島には帰らない」
「なにをおっしゃいます。話が違う。……もしや、由良にそそのかされましたか」
「まさか。由良は関係ない。ただ思い直しただけだ」
由良が、巫女と荒ぶる神を分かつ可能性に気づかせてくれたのはたしかだが、決めたのはあくまでもハルの意思によってである。
「ご自身の立場を今一度お考えください。あなた様が水穂国に留まることによって起きる厄災ははかりしれないのです。どうぞ、これ以上我々を苦しめないでください」
「そしてお前たちが私を苦しめるのは、受け容れろと?」
「あなた様にとっても、曲島で心穏やかに過ごされるのが最善なのです」
「聞いてくれ、私とて今の状況をよしとするわけじゃない。私は」
パン、と手を打つ乾いた音にハルははっとした。
瀬良だ。色っぽい顔をますます色っぽくして言う。
「鎮めの巫女様、兄さんも。こうしてはいかがでしょう? ……占を行うのです。鎮めの巫女様がいつ出発するのがよいか、主様のお声をいただくのがいちばんではありませんか?」
あるいは、帰らぬのがいいか。ハルは内心でつけ加える。
島で過ごすあいだも、卜占は折に触れて経験した。
この国の神事は、すべて神護りによって執り仕切られている。その数は、祈年祭や新嘗祭といった大祭から、日々の祭礼まで含めると年間で優に千を超える。
そのほとんどは水穂宮からの遙拝式として執り行われ、命を帯びた神護りだけが、荒ぶる神への神饌を捧げにやってくる。
ハルはその神護りの前で卜占を行うのである。それらは主に、作物の豊凶を占うものだったが。
「ふむ。明日発つのが主様のお考えに反していれば、道中でなにが起こるかわからんものな」
ハルも同意する。良峰だけがまだ渋っていた。
「卜占こそが主様のご意思に反していたら? 先日の祈年祭の二の舞は御免です」
良峰の頭には、大嵐のあとで民が話していた噂があるのだろう。神事を水穂宮で行ったために、荒ぶる神の怒りを買った――という。良峰は、それがただの噂だと誰よりも承知しているはずだが、神経質なたちだからか無視できないらしい。占を執り行った結果、惨事がもたらされる可能性を危惧している。
「しかし兄さん。民は救済を求めております。先日の大嵐の復興祈願を兼ねればよいのです。その姿勢を見せるだけでも、民の気が休まると僕は思いますよ。神楽のやり直しをするのもよいですね」
「舞は断る。占だけだ」




