五.
ハルたちは、往きの倍の速さで遠坂の屋敷に引き返した。
ハルが監視役の神護りの馬に同乗するのは変わらない。だが豆の乗ってきた馬の手綱は今、豆のうしろで由良が握っている。ハルは、半身先で馬を駆けさせる由良の背を驚きをもって眺める。
ひとりが気楽だと零した由良が、一緒にいくと申し出たのは意外だった。
(それもこれも、豆のためか)
なんであれ心強い。
なにしろ、荒ぶる神とこの身を分かつといっても、手がかりがまったくないのである。
由良が豆を抱え直して手綱を引く。由良たちの馬が速度をゆるめ、ハルたちに並んだ。由良も馬を扱うのがうまい。
「さっきの話を受けて、俺なりに鎮めの巫女について考え直してみた。そうしたら妙なことに気づいたんだよね。ハルが鎮めの巫女になる前、国が荒れた話を思い出して」
巫女を差しだす番であった夜分の州が、巫女を出さなかったという一件である。
荒ぶる神の怒りを受けて、およそ十年にわたり国が荒れた。民は疲弊し、大君の美原平定の野望は後戻りを余儀なくされた。神護りの引責についても聞いたところだ。
「その話を聞いて、なにかおかしいと思わなかった?」
思わせぶりな由良の口調にハルは首をかしげ、さらにしばらく思考をめぐらせて、あっ、と叫んだ。
「代替わりしなかったなら、主様は前代の巫女亡きあと、どこにあられたんだろうな」
ハルが曲島を逃げだすきっかけとなった神護りの言葉は、たしか。
「神護りは私に、鎮めの巫女としての力が弱まっていると言った。次の巫女を選ぶ時期がきた風な言いかただった。ということは、巫女の死期は予想がつくのではないか。前代が死ぬ前に、次代の巫女は決まってるんじゃないのか」
そうすれば前の巫女の死とともに、荒ぶる神は遅滞なく次の巫女の体に依ることが可能だ。災厄も防げる。
「そう。主様のよりましとなる巫女は決まってたはずだ。ところで、ハルはどんな娘が巫女に選ばれるか知ってる?」
「いや、私は不勉強でな。五つの州の持ち回りで決まるとしか知らん」
自分がどうやって選ばれたのかも覚えがない。少々ばつの悪い思いでハルが言うと、由良がさらに速度を落として馬をハルたちに寄せた。
「巫女にはその州の、成人になる前の生娘から選ばれるんだよ」
「それだけなのか? 候補は多そうだ」
ハルは拍子抜けした。子であれば誰でもいいと言われたようなものである。
「ね? だから代わりを出そうと思えば難しくない。けれど実際には、最初に決まった娘が巫女にならないまま、代わりの巫女も選ばれなかった」
「たしかに奇妙だな。荒ぶる神が巫女に依るものであれば、一刻も早く代わりを立てなければならないだろうに」
国に厄災がもたらされるならなおさら、輪番だのと言っていられないだろう。国じゅうから巫女になれる娘を探すはずである。しかしそうはならなかった。
荒ぶる神は巫女に依らないままで、十年以上も在り続けた。
「だから問題は、鎮めの巫女に決まった夜分の娘になにがあったかだ」
「逃げたのか?」
「逃げたなら神護りが総出で追っただろうから、違うと思う」
ハルのときのように。
「では、そこに主様を退ける手がかりがあるかもしれないのだな」
「そういうこと。聡いね」
由良がよくできました、とばかり馬の速度をふたたび上げる。
都の外は、いまだ荒れた土地が広がっている。水穂国全体が厄災に見舞われた十年を経たのち、都は優先して復興されたが、この辺りは手つかずなのだろう。
途中、ハルたちは何度か集落らしきものを通り抜けたが、いずれも住人は死んだか、あるいはすでに家を捨てて移動したかのようで、ひとの気配はまるでなかった。被害の少なかったという君代たちの村とは様相がまるで異なる。
それでも通り抜けるハルは、そこに萌えるような緑の芽吹く予感を覚えていた。ここにも、遅くはあっても春がやってくる。人々が戻る日もいつか来るだろう。
(そうだろう? 主様。私たちだって、別個のものとしてうまくやっていける日は来るだろう?)
手綱を握る監視役をせっつき、ハルも由良に追いつく。
「戻ったら、私はまず良峰に島に戻るのをやめると告げる」
由良がちらと監視役の男に目をやった。
「告げたとたん、拘束されたらどうするわけ? 良峰兄がどう出るかわからない以上、ハルは慎重に動いたほうがいい。と、俺が言うのもどうかと思うけど」
ハルの接した良峰は生真面目で神経質で、陰でこそこそと義弟の排除を目論む卑劣さには首をかしげる部分があるのだが、ハルとしても由良の言いたいことはわかる。
わかるが。
「良峰なら、私と主様を分かつ方法もなにか知ってるかもしれん」
「それはそうかもしれない……けど、なにをされるかわからない」
「由良、私はこれでもまだ神依りだ」
先日の大嵐を経験したあとでは、良峰もそう簡単にはハルに手を出せないだろう。万が一、由良の心配が現実になっても、反撃はできるはずだ。ハルには、由良に教わった護身術もある。
「そうだ、私から取りあげた小刀を返してくれ」
「ああ、そうだったね。馬を下りたら返すよ。でも、ハルの腕じゃな……」
「む。いざとなったら、私には主様がついている」
荒ぶる神を退けたいと言いながら、こういうときだけ都合よくその力を持ちだすのは、複雑な気分ではあるが。由良の表情をほぐすにはこの際、しかたない。
由良もそのことに気づいたのか、喉の奥で笑い声を立てた。
「はは、それを脅しに使うのは、ありかもね。――わかった。いいよ」
ふむ、とハルは一考して、うしろをふり向く。
「おい、監視役。手綱を寄越せ」
ひっ、と男が情けない声を上げるのをものともせず、ハルは強引に馬を止めさせ、前後を交代させた。
隣であっけにとられて馬を止めた由良にかまわず、手綱を奪い取る。
「良峰と腹を割って話す。それから、巫女になるはずだった娘について情報を集める。そこからだな」
ハルは手綱を勢いよく引く。
ハルの内の荒ぶる神に恐れをなしたのか、馬が悲壮ないななきとともに駆けだした。
疾風に、胸の上まで伸びた髪がなびく。
乾いた風や濃い緑の匂い、大地の匂い。馬の、生き物の匂い。それらにまじって立ちのぼるのは、徐々に近づくひとの営みの匂い。
ハルはそれらを深く吸いこみ、由良の前に出ると一気に馬を駆けさせた。




