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神依る巫女の反逆 水穂国事変  作者: 白瀬あお
四章 主導権をわが手に
23/41

四.

 そうしながら、怪我を見せろとハルがせっつくと、由良がしぶしぶ浅葱あさぎ色の袍を脱ぎ背中をさらした。


「祈年祭で私を庇ったのはお前だろう。なぜだ? 神依りが死ぬのはまずいと思ったか」


 豆と一緒に、由良の背を薬草で手当てしながら尋ねる。由良の背には、柱を背に打ちつけたためだろう青痣あおあざのほかにも、無数の切り傷があった。それらはいずれも古傷ではあったが、ハルは眉をひそめる。

 と、由良が「うーん」と考えるそぶりを見せた。


「なんでだろうね?」

「真面目に答えろ」

「……あ、わかった。女子供は泣かせたくないでしょ? だからだよ」


 しれっと言う。やっぱり食えない男だ。


「さっき泣いたが。もう一度泣いてやろうか」

「はは、勘弁して。そういうのは、ほんと弱いんだって」


 言う気はないということか。しかし、気の置けないやりとりがまたできるのを、嬉しくないといえば嘘になる。澱みが晴れたとでもいうか。まぶたは腫れて重いけれど。

 豆がフユに湖の水をかける。フユが怒って逃げるのを、豆が追いかける。いくらもしないうちに豆が転んだ。


「大丈夫か、豆」

「ハル! おれ、転んでも泣かないんだぞ。かかさまにも褒められるんだからな」


 にかっ、と豆がハルに笑い、またフユを追いかける。そうしていると、豆も年相応の男児である。

 のどかな光景だ。


 ハルはふと、由良は一度もハルの手を避けなかったのに気づいた。


「私の逃亡で……お前たち神護りは、斬首の刑を受ける恐れがあったそうだな」


 ハルがすべてぶちまけたように、今度は由良がぶちまける番だ。いや、ぶちまけてほしい。言い訳でもなんでも、今なら聞く用意はある。


 ハルは水を向けたが、由良の返事は拍子抜けするほどさらりとしていた。


「豆から聞いたんだ? ま、死ぬときは死ぬものだけどね」

「なんだその言い草は。極刑を逃れたかったのだろう?」

「いや……」


 言いさした由良が視線をハルから外す。その向かう先をハルも目で追いかけた。

 豆とフユがたわむれている。その様子を見守る由良の目が、やわらかい。


(そうか。わかった)


 豆が言い、聞き取れなかった言葉の続き。自分の生への執着が薄い由良が、ハルを遠坂に引き渡したわけ。


「豆が、お前の芯なのだな」

「……嫌だな、なんで」


 ふり向いた由良は笑ったが、今にも泣くのではないかとハルは思った。





 あんまり繰り返し言われるものだから、そうなのだろう、と自分でも思うようになったのだと、由良は言った。


「――まがい物?」

「そう。豆の父親で俺の義兄の、ね。そっくりらしいよ。良峰兄と初めて顔合わせをしたときの、第一声がそれ。それからずっとまがい物扱いだよ。『よくできた写し』と言われたときもあった」


 ハルは、良峰が「写し」と由良を称したのを思い出した。あのときは、さほど気に留めなかったが。

 配流になった豆の父の「写し」という意味だったのか。


「とにかく優秀で、ひとを惹きつけるひとだった。遠坂家の次期当主としても、神護りの頂点としても資質は申し分なかった。らしい」

「らしい?」

「俺が遠坂に引き取られたのは、兄の配流後だから。四人兄弟と言われてもぴんとこないんだよね。俺は六歳上の良峰兄と、二歳上の瀬良せら兄しか知らないし」


 遠坂の当主はふたりの妻を置いたが、ふたりは姉妹だった。由良は姉の子、長男以下三人は妹の子だった。


「母は病弱で、子を産めない恐れがあるからっていう理由で正妻にはなれなかった。ま、俺を産んだから予想は外れたわけだけど」


 由良は軽い雑談だという態度を崩さなかったが、横顔は心なしか暗い。

 由良の母が病死して由良が引き取られたのは、およそ六年前。


 そのときには、父親は心を病んで当主の務めを果たせる状態になく、次兄の良峰が当主代行に就いていた。


「俺の顔を父に見せれば気の病を治せると思って、引き取ったみたいだよ」


 当てが外れたね、と笑う。当主は今も、心をどこか遠くに置いてしまっている。

 遠坂に引き取られたにも関わらず、由良は遠坂の姓を名乗ることを許されなかった。

 自然、ほかの神護りからの風当たりも強くなる。


 配流になった長男の面影を求められて、当主に呼ばれただけの木偶でく。それが由良に対する彼らの認識だった。


「食事に毒を盛られたのが最初だったかな。色々あったよ」

「色々ってどんなだ」

「井戸に落とされたりとか、倉に閉じこめられたりとか? 汚水を汲まされて、飲まされたこともあったな。裸で滝に放りこまれたときは、服がないから帰り道をどうしようかと悩んだっけ」


 むかむかしてきた。由良がさっぱりとした風なのが、苛立ちに拍車をかける。


「良峰か!? 陰険な……! お前も笑って語ってないでちゃんと抗議しろ!」

「したよ。もちろん。けど何度抗議しても素知らぬふりだったよ。瀬良兄が俺たちを取りなして、それで終わり。で、相変わらず行為だけが続いてさ。だからやめた」


 ハルが言葉をなくして由良を見ると、由良が噴きだした。


「だってばかばかしいでしょ。受け流したほうが楽だしね」


 だから由良は普段、本心を見せないのかとハルはふいに腑に落ちた。なんでもはぐらかして、笑って。そうやってやり過ごしてきたのだ。


「豆だけが、俺をそういう目で見なかったんだよ。神護りはもちろん、下女たちも、絢乃だって俺に長兄を重ねてた。だけど豆はさ、そうじゃなかったから」


 だから豆にだけは刑が及ばないようにしたかったのだと、言われずともわかった。

 やり切れなくて胸がつまる。同時に、やっと本心を見せられたのが、こんなときだというのに嬉しかった。


「豆が、お前が遠坂の屋敷に寄りつかないと寂しそうだったが?」

「まがいものなんて不要でしょ。それに面倒ごとからは逃げるに限る。ひとりのほうが気楽だったんだよ。ま、実際には逃げても襲われたわけだけど。ただ……」


 ハルはその先を待つ。由良はなかなか続けようとしなかった。


「ハルを、俺と重ねてた。だから……迷ってた」


 珍しく歯切れの悪い調子で付け足された最後の言葉は、やけにあたたかな響きをともなって胸に染みこんだ。ふわりと軽やかに、羽根が落ちるように。


「これ、神護りが合図のために使うものでね。濃紫は『巫女に関する最重要事項あり』」


 由良がハルの左手を指して言う。菫にもらった組紐は、あの嵐でも引きちぎられずにそこにあった。


「こんなのつけて歩いてたら、神護りに『私が鎮めの巫女です』って言ってるようなものでしょ。いつどの神護りが気づくかわからない。もう気づかれた可能性だってある。もう引き延ばせないなって」


 だから由良は、自身の紐をフユにつけて、遠坂に知らせに走らせた。


「引き延ばしていたのか?」

「さあね」


 由良らしくはぐらかしたが、図星なのではないかとハルは思った。涼しげな顔が、なにやらばつが悪そうだ。

 ハルは微笑んだ。感情も本心も読めない男だと思っていたが。


「やはり、お前は情が深いな」

「どこをどう取ったらそんな話になるの……」


 呆れた由良が先を続ける前に、ハルは先を継いだ。


「お前は、まがいではない。写しでもない」


 由良の顔が強張った。きつく唇を噛み締める。

 それは初めて見る表情で、ハルが思わず笑いそうになるほど、顕著な変化だった。


「口にされるとむず痒いからやめて……。思うだけに留めようよ」


 由良なりの軽口だろうか。ぶったのは頬なのに、横を向いた由良の耳が赤い。


「あいにく、私はそういうのが苦手だ」

「だよね。あーあ、ここまで話す気なかったんだけど」


 心底、嫌そうに言うからハルはとうとう声を上げて笑う。

 渋面だった由良が、眩しそうに目を細めた。





 湖に差しこむ日の光が徐々に倒れていく。光の粒が踊っていた湖面も、ささやかな波音を立てるのみだ。日暮れが迫っていた。


「逃げたのは無駄ではなかったな。お前たちに知り合えて、ハルという名ももらえた」


 豆の手を引いて洞窟の入り口まで戻る。外では、監視役の神護りがハルたちの戻りを今かいまかと待ちわびていた。

 ハルは豆を抱きあげ、彼らに渡すと由良に向き直る。


 大泣きしたハルに遠慮したのか、ハルが由良と話すあいだ豆は一度も口を挟まなかった。おかげでハルは、由良に言いたいことをすべてぶつけられた。由良の本心も知ることができた。


「ただの通称だよ」

「それでも嬉しかったんだ」


 外から豆が呼ぶ声がする。ハルが出てこないので心配したらしい。


「お前ともこれが最後だな。じゃあ、由良。息災で」

「――最後って、なんで?」


 由良が返事をするより先だった。豆が割りこんだ。

 はっと見あげると、豆が神護りの制止を聞かずに洞窟に戻ってくる。ハルは岩を降りる豆に手を貸したが、豆は降りてからもハルの手を離さなかった。


「……どうしたって、主様と私は一体のものだからな。いつかお前たちを傷つけてしまう前に、曲島に戻る。曲島でおとなしくするとしよう」

「なら、市でおれを助けたのも主様だっていうのかよ? あれはハルだろ。ハルはいつも主様なのかよ、違うだろ!」

「……豆?」

「ハルは主様とは別なんだから、そこちゃんと別にしろよな!」

「そうは言ってもだ、豆。あのな、やっぱり」


 ハルは豆につかまれた腕を引き抜く。さらに豆をなだめようとしたときだった。


「別……そうか! そうだよ」


 由良がだしぬけにフユの胴に手を回すと、高く抱きあげた。


「なんでこんなことに気づかなかったんだ? 主様に出ていただいて、ハルと分かてばいいんだよ」

「由良?」


 いぶかしむハルにもかまわず、由良がフユを何度も高く抱きあげる。フユは顔面が強張っているが、由良はおかまいなしである。


「ハル。主様には出ていただこう。巫女は廃業だ」

「廃業?」


 ハルはぽかんとした。頭が回らない。


「そうじゃん、それならおれたちもハルを捕まえなくていいぜ。由良、すげえ!」

「でしょ? ハルもここで自由に生きられるよ」

「私が自由に……?」


 まだ放心するハルに、由良が「はい」とフユを渡す。受け取れば、フユが甘えた声で鳴いてハルに頬をすり寄せる。


「皆に、畏れられずにすむのか……?」

「おれはハルのことなんて、畏れてないけどな!」


 豆が横からフユを奪い、跳ねるような仕草で由良みたいにフユを高く突きあげる。そのまま豆は、喜色満面に洞窟を駆け回る。


「私はお前たちといて……ひとりに戻らなくて、いいのか……?」


 信じられない面持ちでつぶやけば、由良が口の端を上げてその言葉を拾った。


「主様と『契約解消』ができればね。円満であればなおよし」


 心が、ふわりと浮いた錯覚に陥った。

 冗談めかした言いかたのおかげかもしれない。由良がそう言えば、まるでたいしたことじゃなさそうに聞こえる。


 胸の奥で硬くこごっていたものが、ゆるゆると溶けだしていく。本格的な春の到来を前に訪れた雪解けのように。


 知らず声も震える。恐れではなく、興奮で。


「ああ……私は……っ、ただの私になりたい」


 やがてそれは奔流ほんりゅうとなってハルの隅々まで巡り始める。体の内側が熱い。

 ハルは由良を見あげた。察したのだろう由良がうなずく。力強く。

 胸がいよいよ揺さぶられる。震える。


「なっていいんだ。ハルは、ハルになれるよ」


 目の前が開けていく。

 新しい道が見える。


 ――それは、ハル自身が自分の主導権を取り戻す道だ。

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