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神依る巫女の反逆 水穂国事変  作者: 白瀬あお
三章 其は何者ぞ
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四.

 聞けば、豆と呼ばれた子は由良のおいだという。どこからか平然と戻ってきたフユが豆の腕に収まる。


「豆も丈夫になったんだな。店主を相手に負けてなかったじゃないか。目覚ましい成長だね」

「んだよ、もう『豆粒』じゃないからな! 元服も近いぜ! やっと本名で呼んでもらえる」

「もうそんな歳か」


 由良がくしゃりと豆の頭を撫でる。その仕草も、豆を見つめるまなざしも、ずいぶんとやわらかい。

 市では気まずそうだった表情も、いつのまにか消えている。歩調も豆に合わせてゆっくりで、まるで本物の親子のようだ。


「母さんも元気かい?」

「おう! 最近、なつめにはまって、美人になるんだーって棗ばっかり食べてる」

「はは、じゅうぶん美人でしょ」


 豆の話しかたは、歳のわりに気障きざだ。しかし見守る由良の表情は優しい。豆とその母親は、由良にとって大事な相手なのだと知れた。


「由良と豆の母は姉弟なのか?」

「外れー。死んだ父さんが由良の兄さんなんだぜ」

「異腹だけどね」


 横から由良がさらりと補足する。なんとも複雑な思いが湧きあがり、ハルは由良にも豆にも言葉を返し損ねた。


「母さんが由良のこと首を長くして待ってたぞ。だからおれ、見つけてくるって言って出てきたんだぜ。そろそろ都に戻ってくるころだろうと思ってさ、ばっちりだったろ。おれ、『由良磁石』だし」


 当人たちは、ハルが複雑な気分になったのにも気づかない気安い調子だ。


「これで何度目だっけね。豆から隠れるのはが悪いよ」

「だろ?」


 豆は得意気に胸を張ってフユを下ろすと、ハルの手をがしっとつかんだ。


「よし、由良が逃げる前に奥さん確保! 家に来いよ、もてなしてやる!」


 ところが。

 息巻いた豆がハルの腕を引こうとして、手を止めた。目が見開かれる。


「私のことはハルと呼……どうした?」

「いや、ええと。ハルは、奥さんじゃないんだな」


 豆が困惑気味に由良を見、ハルの手首をつかむ手に力をこめた。

 由良が豆の視線を追い、小さく息をのむ。


 そして、細く長く息を吐いた。


「……ここまでかな。フユ、行ってきて」

「どこに行くんだ?」


 由良は返事をしなかった。フユを呼び、捕まえようと身を屈める。フユは何度か嫌がって由良の手をすり抜ける。


「だめだ、フユ」


 由良が低く冷えた声で呼ぶと、フユはすごすごと由良の元に戻った。由良がフユの首を抱きしめるようにして撫でる。豆が、「なんで二本?」とつぶやく。

 フユは「みゃーッ」とこれまでにない反抗的な声で鳴き、またたくまに走り去った。


「……おい、いいのか?」

「いいよ。それよりハル、それどうしたの?」


 由良がハルの手を指した。今まで衣の袖に隠れていたのが、豆に手を引かれたせいで手首が見えている。


「ああ、薬のお礼にって菫がくれた」

「ずっとつけてた?」

「もちろん、昨日からずっとつけてたが?」

「……いい色だね」


 由良がにこやかに言って、息を吐く。ハルは首をかしげた。違和感が拭えない。

 急に由良たちの顔つきが変わったのも、フユが駆け去ったのも。――由良が笑顔をとりつくろったのも。


「俺、由良ならやると思ってたよ。良峰たちも喜ぶぞ」

「……大したことじゃないよ」

「なに言ってんだ。これで、俺たち助かるじゃん」


 豆はぎゅっと眉を寄せると、ハルの手をますますきつくつかんだ。

 ぐいぐいと引っ張る。


「おい豆、どこへ行くんだ? それにさっきからなんだ、お前たちが助かるってどういう」


 ハルの性分で、尋ねずにはいられなかった。答えを得なければすっきりしない。


「家でもてなすって、言っただろ?」


 人波を縫うようにして豆がずんずんと先を行く。ハルはついていくのに必死だ。「おい」と何度も豆を呼び止めようとするが、その声すら喧噪にのみこまれてしまう。

 やっと市を抜けたかと思えば、出たのは央ツ道である大路ではなく、別の大路だった。


 中心を走る道ではないからか、央ツ道よりは人通りが少ない。乾いた風がハルの黒髪を撫で、急ぎ足になったせいでぶり返した足の痛みにハルは顔をしかめ――。


 ただならぬ気配に顔を上げた。


 肌という肌がぞわりと粟立つ。心臓が暴れだす。


 由良の普段は涼やかな切れ長の目が、わずかに伏せられるのが目の端に映った。


「豆、お前の家……家、は」


 声が震える。居並ぶ薄墨の袍の者。数十人はいるだろうか。


(いや、まさか。そんな、嘘だろう……!?)


 一歩あとずさる。だがふり返らずとも、背後にも同程度の人数が道を塞ぐように立ちはだかるのが手にとるようにわかる。


遠坂とおさかだぜ。神護りの当主一族って、わかるだろ?」


 豆の声を合図にして男たちが歩を詰める。じり、と地面の砂が擦れる。囲いが狭められる。


「由良っ、説明しろ! お前も神護りなのか? 最初から、私をたばかっていたのか!?」


 わずかでも身じろぎをすれば即座に捕らえられる。その緊迫感に喉元を縛りあげられそうな心地になりながらも、ハルは由良をふり返る。


「……ハル」

「答えろ! 違うと言え!」


 正面から由良を見据える。と、神護りのあいだから、フユが駆けてきた。由良はつかのまハルの視線を受け止めてから、フユの首のものを解く。濃紫こきむらさきの鮮やかな色が視界を横切る。


「ご苦労さん、フユ」


 ハルが菫にもらったのとそっくりの、組紐だった。ハルははっと自分の手を見おろす。おなじものはまだそこにある。


 その意味に思い至るや否や、ハルは由良を問い詰めかけた口をつぐんだ。

 左手首を握る手が震える。 


 由良が無言でハルの前まで近づくと、露店で買ったばかりの小刀をハルの懐から引き抜く。神護りふたりに両側から腕を拘束される。


「……ごめんね」


 ぽつりと零された声は、呆然とするハルに届くことはなかった。





 遠坂の邸宅へ連行されたハルは、主邸宅の後背こうはいに建つ屋敷の、奥の間に通された。

 ハルが荒々しく板張りの床に尻を落とすと、続いて入ってきた黒布のかんむりに薄墨の袍を隙なく着こなした男が、慇懃いんぎんに頭を下げた。


「御身が無事でなによりでした」


 男のうしろに控えた部下らしき神護りたちも、いっせいに頭を下げる。男は遠坂の当主代行であると言い、遠坂良峰よしみねと名乗った。


 由良よりも歳を経た貫禄はあるが、二十七、八くらいだろうか。眼窩がんかの彫りが深く、二十代にしては頬がこけ老成した雰囲気がある。視線は鋭く、常になにかを警戒するようにすがめられていた。

 ハルは竹で編まれた円座わろうだの上で片膝を立て、あぐらを掻いた。尋ねたいことは山ほどあるが、とにもかくにも。


「由良はどうした。由良を出せ!」


「主様には恐縮ですが、今しばらく拙宅でお過ごしください。道の復旧が完了しましたら、すぐにでも曲島へお送りしますゆえ」


 良峰は無表情だ。話しぶりからも、融通の利かない人物であるとうかがえる。

 それがまた、おなじ血を分けた兄弟だろうに由良と似ても似つかない、と苛立たしさをかき立てる。


「今年の祈年祭は例年にも増して盛大なものを執り行いますゆえ、主様にも必ずご満足いただけるでしょう」

「由良と話をさせろ」

「このたびは我々がおりながら鎮めの巫女様を止められず、まことに申し訳ございませんでした」


 それだけ言うと、良峰が背を向けた。部下たちも良峰にならって部屋を出ていき、ハルはひとりになった。

 良峰が言葉を届けた相手は、あくまでも荒ぶる神であった。


 怒りが、根元からぽきりと折られる。なにを話しても通じない空しさ。


 神護りは、その名のとおり神――荒ぶる神を祀り、同時に護る。巫女であり器であるハルは、彼らの護るべき対象ではないのだ。


(神護りの目に、私は映っておらん)


 そう気づくと、気力が根こそぎ奪われる思いがした。

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