第一章
はじめまして。
短編小説を作る予定が、キャラクターたちが大暴れし、とんでもなく長くなりそうなので、3部構成でお届けすることになりそうな、初心者作家が書いた物語です。
どうが、お手柔らかに優しい目で、ご拝読いただけると幸いです。
ではでは、、、
夏のある日、僕は山頂の腰掛けに体を預けた。
キャンパスを広げ、目の前の景色のようなものを写そうと、筆を下ろした。
真っ白なキャンパスに小さな丸のようなものができた。インクが次第に滲み広がってゆく。
僕は次第に大きくなるそれを見つめることしかできたなかった。
何を描けばいいか、わからなかったから。
今日もとりあえず広げてみたはいいものの一向に筆が走らない。
森を見ても、空を見ても、建物を見ても、
色がない。
何もかもが真っ白。あの人がいない。
この世界は全て真っ白だ。
顔を下ろした瞬間。
ふと風が吹いた。
耳の裏がざわざわと鳴り響いた。
懐かしい匂い。
あの人の匂い。
あの時を思い出す。
何をするでもなくあの人がいるだけで楽しかった。
いつもの手の温かみや笑みはもうここにはない。
すうっと頬を伝った涙はキャンパスに波紋を広げ、インクに伝い、ひとつの模様となった。
その模様はあの人の表情とはまるで違うもの。
悲しげな表情だった。
当時、高校生だった僕は五〇メートルを一〇秒で走りきるほどの脚力も、ボールを相手に渡り切るほどの投擲力もなかった。
頭の方はというと平凡かそれ以下、なにもない日々が淡々とこなす作業になっていた。
良い事をしたり勉強を真面目にすると周りから色々と言われそうだし言われてムカつくのもめんどくさい。
悪目立ちするようなことなんてもってのほかだ。
先生の有難いお話に付き合うのも勘弁蒙りたい。
荒波を立てず平凡に生きる...それがいつしか僕の正義になっていた。
そんな僕でも絵を描くことだけは夢中になれた。
絵は僕の全てを受け入れてくれる唯一無二の世界だ。
何をしてもつまらなかった僕はそれを描ききる瞬間に心の中でよし。と小さく頷くのが趣味になっていた。
だがある日から趣味が趣味じゃなくなっていた。
とある放課後、誰もいない美術室に入り自分の世界に入る準備をした。
美術室は終日誰も使っていないことから担任の許可なしに使うことが多かった。
美術部のほとんどは幽霊部員で週に一度、少し集まるぐらいだったので、いない日をみつけては入り浸っていた。
運動部の野太い声やそれらを応援する黄色い声援が耳に入らぬようにと開いた窓をそっと閉め、カーテンも閉じた。
ここだったら誰も僕の世界を邪魔してこない。
さあと息を入れ、作業中の作品に手をかける。
作業自体は大詰めだ。十日ほど前に取材に出かけた近所の渓流を描く。
その時の川の表情は速く水量も多かったため、せわしなかった。
ジリジリとした太陽の熱が僕に余計な負荷をかけた。
ぜえぜえと息を切らしながら足を運んだ渓流には、激しい流れに抵抗するアユや水面に悪戯をするトンボ、岩場に顔を隠すザリガニと目が合った。
ねっとりとした風が吹く方向に目をやると ミンミンゼミたちが命を削りながら、求愛の合唱をしていたり、遥か上空から獲物を喰らうため、鷹がこちらを観察していたり。
ほかにも無数の生き物たちの声が聴こえた。
それらを観て感じた僕は無性に描きたくなった。
あと少し
一つ一つ完成してゆくうちにいつもの言葉が溝内あたりから湧き上がり、それを言葉にしようとした瞬間。
-できたっ!笑
甲高い声と甘い匂いが僕を現実に引き戻す。
彼女の名前はアサ
僕が絵を描いているのを唯一知っている人物。
平凡という僕の正義を真っ向から破壊する…
はっきり言って悪だ。
僕)何?
アサ)またできたんでしょ。みせてよ。
僕)やだ
誰かのために描いてるんじゃない。
それにこの世界は僕だけのものだ。
誰かと共有するもんじゃない。
彼女は毎回、僕が絵を完成させる直前に必ず現れ、趣味を奪ってくる。
今日こそは見られまいと自分の世界をそっと腕で覆う。
ちなみにこれが 4 回目。1 回目は桜並木、2 回目は枝垂れたフジ、3 回目は雨と紫陽花。
アサ)何辛気くさいこと言ってるの。
見てもらうために描いたんでしょう?
彼女は人との距離感がないのか途端に僕の世界に顔を覗き込む。
大人びていた彼女からはより一層甘ったるい匂いがして、妙に艶やかな言葉遣いもそれに拍車をかけた。
反面、僕の世界を観る彼女の眼差しはまるでキラキラした子供のようだった。
あまりの眩しさに僕は自分の目を落とした瞬間、彼女の制服から溢れた胸元が視界に入り、つい頬が熱くなった。
背徳感と羞恥心のコントラストをなんと表現したら良いか。
アサ)うんうん。すごく綺麗。
きみ、やっぱり才能ある。
さも自分が描いたかのように満足げに言う。
僕)っけ、なんかの評論家かよ。
勝手に入ってくんなよ。
アサ)うん。そうよ?私は君の評論家
それに君がこんなとこで描いてるから悪いんだよ?
クラスのみんなも色々と噂してる。1 人でなにやってんだろうって。
次々と僕の心の中に入ってくる。
アサ)だいたい美術室なんて誰も使ってないはずなのに
灯がついてたらそりゃ見にくるでしょ?そ・れ・に、
君の絵が完成そうだなぁと思ったからきたんだよ?
生ぬるい彼女の吐息とねっとりとした声が僕の鼓膜を襲った。
僕)はぁ、わかった。君は僕のストーカーっていうことにしておくよ。
きっと何を言っても通じないんだろう。
この上なく面倒になった僕は彼女を置いて帰ろうと荷支度をして教室を出ようとした瞬間
懐中電灯を持った見回りの先生がやって来た。
やばい。
無断で使ったのが担任にバレると面倒だしもうここは使えなくなる。
気の焦りからドクドクと鼓動が早まった。
そんな僕を彼女はこっちにと言うように手を引っ張った。
ドアから一番離れた机のかげに僕たちは身を隠すと、先生は異常なしと言葉を吐き、踵を返した。
ホッと安堵していると、彼女の手に触れていることにそのとき気がついた。
僕)ご、ごめん。
誤解されないようにという意味と
ほんの少しの感謝を込めて。
僕がもう一度首をドアの方に向けると彼女がそっと僕の耳元で囁く。
アサ)ううん。またね。
振り返ると彼女はいなかった。