第3話 祝呪のカード
豪遊──それが今のKにはピッタリの言葉であろう。
何せコイントスで得た金貨百枚は2,500万円相当……それは闇で荒稼ぎしてきたKにとっては“ちょっとした小遣い”程度に過ぎない額だが、それでも莫大な額であることには変わりなく、興味のあるものに次々と手を伸ばしていった。
「うっぷ……さすがに食い過ぎたか」
ちょっとした腹ごなしは、いつの間にかボーナス後のリッチなお食事レベルの食事に変貌し、珍しい食事を片っ端から注文してはペロリとたいらげ、Kは異界の食事を満喫していた。
「竜肝は中々旨かった──というか、竜はどこ食っても旨かった……また機会があれば食うか」
店員からお釣りとして返された銀貨と銅貨の山を財布に詰め込むと、肥えた財布をズボンへと押し込み、肥えた亡霊はフラフラとした足取りで賢者との約束の場所へと向かう。
……
街の最下層……ドン底の地にそれはあった。
これも魔法なのだろうか、電線など一本もないはずの都市にも関わらず煌々と光を放つ七色のネオンライト。
華やか、なんてレベルを大きく逸脱した派手なイルミネーション……周囲の人々は光に群がる虫のように足を運び、そんな者達をその建造物は際限なく吸い込んでいく……。
それは彼らの帰るべき巣か、あるいは全てを殺す殺虫器か……。
渦巻く狂気の気配、濁った空気が漏れ出し、店の周りには劣悪な腐乱臭を放つ敗者と屍の山……それは見るからに賭場、それも日本在住であるKが見たこともないほど本格的で“危険なカジノ”であった。
(新聞で見るような海外カジノまんまだな……ヘヘッ、面白ぇ……)
特別な入場許可証など一切必要としない門を迷うことなく抜けると、その先にはKが待ち望んだ空間が広がっていた。
歓声、怒声、悲鳴、様々な声が混ざっては反響し、音の鳴るものなどルーレットぐらいのものなのに、パチンコ屋の騒音にも負けず劣らずの轟音が耳を刺激する。
「K様!」
「ん……? ああ、さっきの……えっと、“コイントスの人”」
Kが入店してから間もなく彼を呼び止める声──それは、先ほどKと遭遇し、“手痛いとばっちり”を受けた賢者の護衛である黒服であった。
「減給されるんなら、その分恵んでやろうか?」
「い、いえ……賢者様はあれから上機嫌なため、私の失態は無かったことになりましたので……はい」
最初会った時とはまるで正反対の柔らかい物腰で黒服はKに事情を説明する。
その様子から自分は良い待遇をされていると感じながら、Kは淡々と話を続けさせた。
「案内してくれるんだろ? 賢者様のところに」
「はい、その通りです。それではこちらへ……」
VIPのような丁重な扱いで、階段下のホールを見下ろせる廊下から店の奥に存在する重圧な赤い扉へと案内され、護衛はその扉をゆっくりと開く。
ギギギ……といった音もなくスムーズに扉は開き、護衛が外から扉を閉めると、静かな個室へとKは一人到着した。
もちろんその部屋で構えていたのは、Kをここへと招き入れた賢者本人だけである。
「お待たせしました賢者様」
「ホッホッホ、随分と街を堪能してきた様子じゃのぅKよ」
「おかげさまで……」
二人はニコニコとした様子で挨拶のような話を済ませると、黒服の背筋に戦慄が走った。
もちろん、案内を済ませれば役目を終えた自分は部屋の外へと出る。それが普通だ。しかし、その時自分が行った行動を表現するならば、それは部屋から出る、ではなく……。
──危険地帯から避難する、というのが正しいだろう。
禍々しい悪魔同士の邂逅に出くわした男は恐怖と共に部屋から姿を消すと、それを確認したKは何事もないように話を切り出した。
「それで、俺に何の要件があるんですか?」
「……ホホッ、話が早くて助かるのぉ。賢者様、賢者様といってご機嫌を長々と取る輩とは大違いじゃ」
遠慮の一切ないKの豪胆さに年甲斐もなく嬉々とした表情を浮かべる賢者。
時の流れの残酷さか、今となっては世界の救世主と対等な話し相手は片手で数えるほどしか存在せず、そんな自分自身を救う“救世主”の登場に、賢者は喜ばずにはいられなかったのだ。
「さて、話のほうじゃが……お主、勇者の遺産に興味はあるか?」
「“ないです”」
即答……あまりにも素っ気ない答えが少年の口から返ってくる。
だが、それは賢者も予想していた事だ。
「では、勇者の遺産を手にするための“ギャンブル”には興味があるか?」
「ハハッ、ありますよ……そっちにはね」
金や勇者の遺産など、そんなものにKは何の興味もない。
興味があるのはただ一つ……ギャンブルだけである。
「カードホルダー、でしたっけ……おそらく名前から察するにカードの奪い合いをするんでしょう?」
「フム、その通り……ワシが認めた者にはこのカードを託しておる」
何もないはずの空間から突如として現れるトランプよりも一回り大きな純白のカード……それが遺物を賭けた勝負への参加券であった。
「これが……カード」
「うむ、このワシだけが作り出し、与えておるカードじゃ」
「……で」
「む?」
目の前に出された世界規模のギャンブルへの挑戦券を前に、お茶を濁すような一声をKが発し、思わず賢者も小首を傾げる。
「いろんな奴に配ってるカードを今更俺なんかに渡して、アンタに何か得があるんですかね?」
「……まあ、もっともな話じゃな。そのカードホルダーなんじゃが、開戦前に戦いを盛り上げるつもりで手当たり次第に増やし過ぎてしまっての……恥ずかしい話じゃが、見込み違いな者どもが山のように出来てしまったのじゃよ」
「見込み違い……?」
オウム返しのように尋ねるKにコクリと頷くと、賢者は長々と自らが選出した者達を具体的に列挙していく。
「弱い者、図に乗る者、あらゆる手で強引に奪おうとする者……中にはカードをトレードして金を得た者すら存在する」
「そりゃあ御愁傷様ですね……で、そんな奴等を片付ける為に俺にカードを渡すつもりですか?」
「それも一つの理由ではあるがの……単純に君には遺物を手にする実力がある、そう思うのじゃよ」
「見込み違いを山のように作った人に思われても嬉しくないんですが……」
痛い所を突かれたような表情で賢者はその笑顔をひきつらせる。
事実無根であれば、少年一人消し炭にすることなど容易い事であるが、事実である以上反論の余地は賢者にすら存在しなかった。
「では、これはいらんかの?」
「いやいや、そうは言ってませんよ。ただ実力で勇者に選ばれるのと、使い捨ての露払いとして雇われるのじゃ、天と地ほど気持ちに差が出るじゃないですか」
「カッカッカ……勇者になるのか使い捨てられるような有象無象になるか決定するのはワシではない──お前次第じゃよ」
「ものは言い様ですね……ところで、何で賢者様はこんな酔狂な遊びを始めたんですか? 勇者の遺産が何かは知りませんけど、そんなものをギャンブルなんかで取り合うなんて……」
勇者の遺産──つまりは周囲から崇拝されている賢者と同等か、それ以上の人物である勇者の残した宝……。
それを賭け事で決めるというのは、Kの知る世界の倫理感だと無礼の極み、死者への冒涜である。
もちろんそれが勇者の遺言だというのならば否定はできないが、少なくとも現在その進行が円滑に行われていない点では、やはり死んだ勇者が浮かばれないであろう。
「なんか、とは心外じゃのう。洞察力、直感、運、発想力、思考力、相手との駆け引き──常に危険と隣り合わせの冒険とギャンブルは共通する点が多い。その上で、ギャンブルは冒険に比べて遥かに“敷居が低い”……」
「敷居……ねぇ。金が無い奴はどうするんだ?」
「銅貨一枚で金貨百枚稼いだ男が抜かしおるわ……戦う力は一晩で手に入らずとも、金など働けばすぐに手に入る。負けてもまた働けば挑戦できる。華奢な者も、病弱な者も、国から出たくない者も、老若男女ありとあらゆる者が金さえあれば誰でも挑戦できる、それがギャンブルじゃ」
おかしな話にも聞こえるが、まるっきり的の外れた事を言っている訳ではない。
街に住む人間で、冒険に行ける者とギャンブルが出来る者のどちらが多いかと問われれば、もちろんギャンブルの出来る者が多くを占めるであろう。
賢者の言う通り大の大人以外にも、家業を生業とする仕事人も、子育てに追われる母親も、僅かな時間と金さえあれば、街から出ることなく挑戦することが出来る。
そして危険な土地に出向き、危険な戦いを行い、あるかわからぬ宝を求めたり、見返りがないかもしれない人助けを行う冒険に比べれば、ギャンブルは遥かに堅実で、命の危険というリスクもないのだ。
「ワシが冒険によって体験してきた充実した日々。そこには常にハラハラとしたスリルと、偉業を成した時の達成感、そして感謝と共に得られる報償金が存在した……こんなにも心潤う快感をより多くの者に体感してもらおうと、“ワシが”世界にギャンブルを広めたのじゃよ」
「……賢者発祥でしたか、この世界のカジノ全て」
「ここまで発展させるまで時間は掛かったがのう……おかげで一代で世界の情勢を二度も変える事に成功したわけじゃ」
世界を魔族から解放し、世界をギャンブル一色に染め上げた……。
確かに世界は二度の転機を迎えたようだが、Kからすれば世界を救った救世主が“搾取する魔王”に成り変わっただけじゃないのか? と皮肉な感想を思い浮かべる。
「それじゃあギャンブルは冒険より手軽でありながら、冒険と同じく蛮勇な行いで、勇者の遺産を賭けた戦いは神事と等しいってことですかね?」
「捉え方は人それぞれじゃよ、この戦いの権利を誉にする者もおれば、ただの権利としか思わぬ者もおる……まあ、ワシはこの戦いによって世界にギャンブルが深く浸透してくれるならばそれでよいのじゃよ」
(ああ……勇者の遺産を賭けた戦いを選ばれたギャンブラーに世界中で行わせることによって、触発された奴等がギャンブルを始めれば賭博人口が増えれば、結果的に元締めが儲かる……つまり目の前の爺さんのような重鎮が、な)
いわばカードとは神聖な権利ではなく、世界中にギャンブルを更に告知し、浸透させるためのスポンサーが作った“ビラ”。
選ばれた者たちはそれを首からぶら下げてギャンブルを繰り広げる“賢者にタダで雇われたピエロ”という事だ。
「まあ、この世界の情勢は大体理解しました。それではカードを受け取る前に一つ頼みがあるのですが」
「頼み? まだ金が欲しいとでも申すか?」
「いえ、お金は入りません。このカードに“保険”が欲しいんです」
「保険とな?」
「ええ……話によれば無理矢理奪うような輩がいるんですよね? だから、こちらの意思で譲渡しない限り、そんな奴等から奪われない──殺されない保険を、魔法でなんとか出来ないでしょうか?」
Kが恐れている事、それは不条理な死であった。
イカサマで負けるのは自分の責任だ、しかし、賭けに勝ったにも関わらずカードを奪われる、殺される……そのような不条理を二度と起こさない為の、持っているだけで効果を発揮する御守りのような保険がKは欲しかったのだ。
「ワシならば不可能ではないが……いくらお主相手でもそこまで特別な肩入れをするというのは──」
「負けたら死ぬ」
「……なに?」
「対価です。絶対安全という恩恵の対価……カードを賭けたギャンブルで負けたら死ぬ……それじゃあダメですか?」
生の対価は死──それは確かに対等な関係とも言え、彼が勝負以外の確実な安全を欲し、ギャンブルなら例えコイントスのような安易なものでも死ぬ覚悟があるという、Kの狂った思想そのものであった。
「ククッ……ハッハッハッハ!! やはり君は良い、実に、実に良い、実に狂っている! よかろう、対価有りの保険を施そうではないか!」
年甲斐もなく愉快そうにケラケラと笑い、賢者はKの手元にあるカードに手をかざす。
瞬間、Kには見えぬ魔光の青白い閃光がカードへと余さず吸収され、あっという間に護符が完成する。
「完成じゃ……万物から守護する祝福と敗北者を喰らう呪事の二つが施された主の為のカードじゃ」
「フフッ、ありがとうございます……」
それは勇者の誕生かそれとも魔王の生誕か、その純白色は天の御使いのように神々しく、人を狩る髑髏のように禍々しい……そんな祝呪のカードを少年はその手にしっかりと掴むのであった。