第2話 五分と五分
「…………」
「驚いて声もでないか、無理も──」
「あ、いえ……すみません、それって銅貨何枚分ですか?」
目の前に広がる金貨の山……おそらく、いや、確実に莫大な金額なのだろうが、何度も言うが繋はこちらの貨幣価値を全く知らないので、驚くに驚けなかった。
少年の度肝を抜けると自信満々だった賢者は少し呆けると、すぐに声を上げて笑い出す。
「…………ホホッ! そういえば初めてと言っておったな。銅貨に換算すると、か……銅百で銀一枚、銀二十五で金一枚じゃから──銅貨“二十五万”枚分じゃな」
「へぇ…………それはそれは気が狂いそうな枚数だ」
「ちなみに金貨一枚が市民の平均月収じゃから、おおよそ年収八年分相当じゃな」
繋はその話を踏まえて銅貨一枚を100円、あるいは1$程度の価値と想定し、銀貨、金貨の額をパッと頭の中に書き留める。
銀貨が100$──約1万円
金貨が2,500$──約25万円
故に金貨百枚の価値は250,000$──約2,500万円
(事故で貰える慰謝料の相場、か……まあ、貰えるのは俺が死ななかったら、だが)
なんの因果か、つい数時間前に考えていた額と同じ数値に心中で苦笑いを浮かべつつ、改めて目の前にいる賢者がイカれていると認識する。
即席の二分の一、五分と五分のギャンブル……それも、大したリスクのないものに、敢えて金貨百枚の賭け金の釣り上げを行うなど、並の人間の考える事ではない。
──異常、異常なのだ。
賢者も、そしてもちろん繋も。
「そんなにレイズされても何も出せませんが?」
「よいよい、これはレイズではない、お主の命というベットに対するワシのコールじゃよ。このぐらいの賭け金でなければ、お主の賭け金と同額とは言えん」
「金貨百枚の価値……ありますかね? 俺に」
「勝てば、の……しかしトスを終えるまではまだ半分──金五十の価値しかない」
「ハッ……ここで散るかも知れない命、それだけの価値があるだけでも充分です」
感謝を込めての軽い会釈。
金を恵まれるにしろ、介錯されるにしろ、このギャンブル──この見知らぬ世界で自分が初めて行うギャンブルにここまで華を添えてもらえて、繋は心から賢者に感謝する。
「それでは……お願いします」
「うむ……よし、お前」
「は、ハッ!!」
「お前がやれ」
護衛である黒服にスッと金貨を差し出す賢者。
ただでさえ身震いしている男は広げた手のひらに金貨を託され、遠目からの繋でさえ見えるほどにガクガクと両足を震わせる。
「トスをする前に、お前にいくつか言っておく事がある」
「な、な、何でしょうか……?」
「一つ、金貨を地面に落とすようなみっともないコイントスをするな。二つ、結果は正確に報告せよ。この二つを破ればお前をこの場で殺す……そして三つ目じゃが、ワシは金貨百枚を失う“程度”の事で貴様を罰したり、軽蔑したりはせん。たまたま財布を落としたとしても金貨百枚は無くなってしまうからな……むしろお前が気をつける事は彼が負ける事だ」
主ではなく相手が負ける事を注意する賢者に、護衛の男は思わず聞き返してしまう。
「彼が……ですか?」
「ああ、彼はこの勝負に負ければ死ぬ……その決定権──生殺与奪の権利は今お前が握っていると言っても過言ではない。生かすも殺すもお前のコイントス次第じゃ……そして金貨百枚を落とすうっかり者と、人の命を奪う人殺し……ワシは後者とは相容れぬ事を忘れるな」
「……は……はいッ!」
解雇か、それとも繋共々この場で命を落とすのかは定かではないが、賢者から圧殺する程のプレッシャーを与えられた男は体だけではなく視線も震え、呼吸は激しく乱れていた。
「可哀想に……」
「人の命を左右する──その覚悟を与えただけじゃよ」
「俺は気楽にやってくれて構わないですよ。どうせ人の命といっても赤の他人で、不敬者なんですから」
「ギャンブラーならそれでもよいが、この男はワシの護衛じゃ。人の命を気楽に扱う者を護衛には使えんじゃろう?」
それに関しては繋も「確かに」と同意してしまう。
「さて、トスはこちらが行う以上、表裏の選択はそちらじゃな」
「どちらでも構いませんが……それじゃあお言葉に甘えて選ばせてもらいますか」
決定権を得た繋はジッと震えながらなんとかトスの構えを取る男の姿を見据えた。
男もその視線に気がついたのか、ゴクリと生唾を飲み込むと、コインが乗る親指に力が込められる。
──ピンッ!
小気味の良い金属音と共に金貨がクルクルと回転し宙に舞った。
「表」
繋は特に考えも無しに女神の刻まれた表面を選択する。
「さて、どうなりますかね?」
「さぁのぅ……ところで今まで聞いておらんかったが、お主名前は?」
「え、名前?」
名前……名前か
コイントスの最中賢者に尋ねられた事について繋は一考する。
この世界……言葉は通じるが、町中を見回しても文字として漢字は一切使われていないうえ、日系人も街中にはいなかった。
となれば“加賀峰繋”という名前は、名乗るにも署名するにも不向き。
逐一「珍しい名前だな」などと言われるのも面倒極まりない。
呼ばれて反応でき、尚且つこの世界に合った名前……。
それがこれから世界中に刻まれるのか、この場で散って墓標に刻まれるのかは数秒後でなければわからないが、繋は新たな名前──生まれ変わったこの世界での自分を、手始めに賢者の耳に刻むことにした。
「“K”」
「……K? トランプのKと同じ、あのKかの?」
「はい」
街での散策でトランプが売られていた事、そしてA、J、Q、Kの他にローマ字がこの世界でも存在する事、その読みが変わらぬ事を繋は確認していた。
そこで響きが同じ文字──Kを選び、名前とする。
「K……キングか」
「別に王様になりたい願望はありませんけど……シンプルな名前でしょう?」
「ああ、“良き名前”じゃな」
──パン!
Kが自己紹介を終えたタイミングで男は手の甲を左手で叩く。
その手の甲の上にKの命は乗っている。
「待て」
まるで長距離走でもしたように呼吸が乱れている男がコインを確認しようとする直前に、賢者は一言で彼を制止させた。
「K君……一つ質問があるのじゃが」
「今度は何ですか?」
「命を賭けた試合だというのに、何故君は一度もコインの様子を見なかったのかな?」
「俺が見たってコインの結果は変わらない……なら、みっともなく必死に神頼みをするよりも、自分を殺すかもしれない相手と他愛もない話をしている方が有意義で、潔く逝けますから」
フッ、と少年とは思えぬ達観した冷徹な表情。
生を諦めているわけではない、命をチップの一枚としか考えていない生粋の賭博者──それがKなのだ。
「死を厭わぬ者、か……やはり君は逸材じゃのぅ…………結果を言え」
「け、結果は……」
男は自分自身がギャンブルを行っているような緊張感と共に、賢者に従いゆっくりと左手を離していく。
そこにある金貨の──Kの運命は……。
「お、表……です」
「そうか」
「……ふぅ、ありがとうございました、賢者様。良いギャンブルでした」
「フッ、そうじゃな……“双方得のある”良いギャンブルじゃった」
勝利したKの二度目の会釈に賢者は悔しさを感じさせぬ笑みで礼を返すのであった。
「それでは約束の報酬じゃ」
唐突に始まったKによる賭け事はKの勝利により幕を閉じ、賢者は机に広がった金貨を竜革の財布に収めると、それをそのままKへと放り投げ、少年はそれを丁寧にキャッチする。
「え……? いいんですか、財布」
「構わんよ、欲しくなればまた狩ればいい話じゃ……」
「それじゃあ、ありがたく……」
「ところでK君、これからギャンブルをするなら一つ注意する事がある」
「注意?」
「ああ、街のような大きな賭場や、相手が人間ならば、“ワシを除いて”問題はないが、人ならざる者──魔族は少々厄介な技をもっておる」
「魔族……? 技? イカサマみたいなものですか?」
Kの発言にコクリと頷く賢者はコイントスに使ったコインをテーブルの中心に投げ、指を差す。
向きはKを救った女神の描かれた表面である。
「K君にはこのコインは表向きに見えるかね?」
「はい、“表向き”です」
「“表向き”ですね」
「……? 何を言っているんだ、“裏向き”じゃないか」
Kとコイントスを行った護衛の一人はコインを表と発言し、後から近寄ってきた残り一人の護衛は裏であると発言した。
見間違えるようなデザインならばそれも理解できる。しかし、金貨の絵柄は女神と門……老若男女、誰が見ても間違えるはずがない。
「これが魔族の行うイカサマ……“魔法”じゃ」
「魔法? これが……?」
「ホレ……」
賢者が指をパチッと鳴らした途端、Kの目の前には裏面の金貨が姿を現す。
炎や氷を出すようなものを魔法であると想像していたKにとっては地味極まりないものであるが、同時にこれほど精巧で見破る事のできないイカサマに驚きはあった。
「今のは二人の目に魔法を使い、違うビジョンを見せた……もちろん、コインそのものに魔法掛けることも可能じゃ」
「なるほど、これは凄い……ところで人間の貴方が何故魔法を使えるんですか?」
「魔法が使えるのはワシが魔族との混血だからじゃ……昔は忌み嫌われながら冒険しておったが、おかげで英雄になるには充分な力となってワシを支えてくれた……もっとも、その代償として短命でのぅ、まだ五十にもなっていないというのにこの有り様じゃよ」
(ああ、RPGの仲間によくいるな……混血で迫害受ける魔法使いキャラって……)
Kの暇潰しに遊んだゲームキャラの中で大体その設定は可愛い少年少女が持つものなのだが、三十も歳を重ねると目の前の狂人染みた老人みたいになってしまうのかと思うと、昔の思い出を穢された気分になる。
「見破る方法は?」
「かなり高価な魔法を検知するアイテムを手に入れるか、少し高価な魔族を奴隷にするかのどちらかじゃな。魔法は発動する際に魔光と呼ばれる光を放つ……これは魔族ならば誰でも見る事が出来るものじゃ。あらかじめ魔法で細工を施されているものに対しては見抜けぬがのう」
「その場で使われるイカサマに限り第三者の魔族が見ていれば分かるわけか……ところで、もう一つ質問があるんですけど」
魔法を体感し、ふと思った事をKは賢者へと尋ねる。
わざわざ聞く必要はない、それを尋ねるという事は自身の勝ち取った勝利を疑うという行為なのだから……。
「さっきのコイントス……本当に表でしたか?」
「さあ……どうじゃったかのぅ? 最近物忘れが激しくて、魔法を使ったかどうか忘れてしもうたわ」
運否天賦で勝ったのか、イカサマを使われて勝たされたのか……その真相を知るのはこの場において魔法を扱える賢者しかおらず、Kのスッキリとした気分はすっかり曇ってしまう。
もしかしたのなら博打好きとしてKの大勝ちが尺に触り、わざと含んだ言い方をしたのかもしれない……少しでも“してやった”という気分を味わいたいがために……。
そんな彼の表情を見て賢者はニヤリと薄気味悪い笑みを浮かべ、ゆっくりと席を立つ。
「さて、無一文になってしまった以上ここで食事を取る事は出来んか……料理人も気を失ったままじゃし、帰るとするかの」
「自分が奢りましょうか?」
「それは冗談として受け取ろう……それとK君、後でこの街の賭場に来たまえ、個人的に話したい事があるのでな」
「話、ですか……わかりました、なるべく早く向かいます」
護衛二人と共に店の外へと出ていく賢者を見送り、Kもその後に続くように店から去る。
その手にはズッシリと重みのある竜の財布……日本円にして2,500万円が入っていた。
(出だしは好調。まずは腹ごしらえ、それが終われば……)
──ギャンブルだ。