第14話 旅立ち
奴隷契約の定型文ともいえる約束事の書かれた誓約書にクィスはサインを済ませると、最後までやかましいメニスとすっかり意気消沈したマーケンは店員によって元の生活へと戻され、晴れてクィス・フェルミネートはKと共に外の世界へ足を踏み出した。
顧客との契約が結ばれるまで決して外出する事など許されない彼女にとって、久しぶりの外……しかし彼女が浮かべる表情は歓喜や安堵ではなく、不安でオドオドとしたものであったが、Kはそんなことお構い無しで、彼女の身なりを整えるためにクィスを服屋へと引き連れていく。
店内には高級な服がズラリと並ぶが、せいぜい銀貨数十枚で事足りる値段であり、Kの現在有する財力ならば100円ショップ感覚で購入出来る。
とはいえ身なりに気にせず賭博漬けで、女性服などにてんで縁のないKはぐるりと店内を見回した末、専門外であるコーディネートをスッパリ諦め、全てを店員に託す事にした。
“動きやすく、派手すぎない”という注目に対し、女性店員はハキハキと「お任せください」と笑顔で返し、戸惑うクィスを店の奥へとエスコートする。
それから数分、みすぼらしい無地の布服姿だったクィスは、白のワイシャツに縦ストライプのショートジャケットを身に纏いKの前に現れた。
Kの黒一色に似て非なるその服装は、奴隷でありながらも対等──むしろ古着のKよりも格上のように見え。アクセントとして入った白い布地のおかげか、どことなくKに仕えるメイドのように、そしてカジノのディーラーのようにも見える。
「いいんじゃないか?」
「いい、ですか……? 立場としては豪華のような……」
動きやすい丈の短いスカート、金細工の施された白い襟元等を触れ、本当にこんな格好をしていいのか? とクィスはKに目で訴えるが……。
「それじゃあ買います」
「え、あ……あぁぁ……」
無駄な時間を掛ける事を嫌ってか既にKは支払いを終え、有無を言わせぬ状況を作り上げてしまうのであった。
…………
「さて、とりあえずは準備出来たな」
「あ、あの、ご主人様?」
「どうしたクィス、気に入らなくても返品は面倒だからしないぞ? それともホームシックか?」
「ち、違います……! その、鎖や首輪は本当にいらないんですか?」
「……したいのか、鎖に首輪?」
「い、いえ、そういうわけでは……」
奴隷は労働力として丁重に扱われる。そこに鎖など労働に邪魔な器具は存在しないのだが、それはあくまで人間の話……。
エルフは他の魔族に比べて人並みに貧弱ではあるが、数少ない魔法を扱える種族である。
そのため魔法の使用を知らせる為の鎖や首輪を奴隷店で勧められたのだが、Kはそれらを「いらない」の一言で全て断ったので、クィスは現状リールなしの飼い犬状態であった。
そのあまりにも野放しの状態に、野放しにされた本人が心配になり、飼い主に具申しているのである。
「まあ……契約祝い? ってやつでいいだろ。歩き疲れたし、とりあえず最下層のカジノまで転移魔法で飛んでくれ」
「……え、あの、転移魔法なんて出来ませんよ?」
「え? もしかして結構難しい魔法なのか、アレ」
賢者の転移魔法を体感したKは、てっきり簡単に扱える魔法だと思っていただけに、クィスのその返答に少々困惑してしまう。
「いえ、高度な魔法ではありません……ですが、賢者が世界に仕掛けた魔封術式のせいで、魔族はほぼ全ての魔法が使用出来ないんです」
クィスは「ご存知ないんですか?」と珍しい者を見るような目でKの様子を伺うが、もちろんKはご存知ない情報であった。
「でも賢者は使えてたぞ? 魔法」
「賢者は術式を無効にする指輪を持っていますから、唯一の例外です」
「ふーん」
(事実上魔法の独占者ってワケか……逆に魔族は魔法を剥奪されて、ほぼ無力に……)
勇者と共に旅立った賢者は人々を救った。賢者の付き人は確かにそう言ったが、童話や物語のような綺麗な話ではない事をKは悟る。
Kの推察は事実であり、元々世界の主導権を握っていたのは魔族であり、魔法を使うことも見ることも出来ぬ人間は、彼等にとっての奴隷──労働力であり、扱いは道端を這い回るアリと同程度でしかなかった。
しかし、そんな情勢が、勇者、賢者、狩人、聖職者の登場により徐々に傾き、長い戦いの末、ついに最下層の種族であった人間が、たった四人の躍進により頂点へと君臨したのだ。
魔族の唯一無二である武器──魔法の多くを賢者が封じ、現在K達のいる東の島で細々と生活していた人間達は、今まで魔族が生活していた西、南、北に広がる三島全てを生活圏とするため、奴隷にした魔族を労働力に開拓し、人々“は”今の安寧な世界を手にするのであった。
全てはギャンブルと同じ。勝った者が全てを獲て、負けた者は全てを奪われる……ただそれだけ。
そんな世界の事など何も知らないKは、漠然とした世界情勢を頭の中に思い浮かべつつ、疲れた足を動かして賢者の待つカジノへと向かう。
「え、賢者に会うんですか……?」
クィスがカジノで待つ男の正体を知り、主人に聞き返したのはカジノの門をくぐってすぐであった。
「やっぱり魔族だと会うのは怖かったりするのか?」
「い、いえ、エルフは元々人間とは親しいので、そういう怖さはありませんが……偉大な方なので、粗相があれば──」
「失礼します賢者様、馬車のあるとこまで案内してほしいんですけど」
「ご、ごごご主人様!?」
勇者一行──その中でも賢者の恐ろしさは誰もが知るほどであり、人間に反旗を翻す魔族がいれば毒殺、機嫌を損なえば毒殺、気紛れに毒殺……まさに恐怖の象徴として、人間の中で最も畏怖されている存在である。
そんな者に対し支えたばかりの主人は、様付けこそするものの、フランクな態度で目の前に座す賢者に接するのだ。
クィスはKが無事で済むわけがないと思い、気が気ではない。
「ようやく来たか、K……フム、なるほど、エルフを雇ったか。例え封じられていてもイカサマをする程度には魔法が使えて、知識も高い良い種族じゃな」
「混血だからって持ち上げすぎじゃないですか?」
「ホッホッホ……事実を述べただけじゃよ」
(あの賢者……なんだよね……?)
まるで孫と祖父のような親しい会話に、クィスは耳を疑った。
半分エルフの血が流れてはいるが、賢者は数多の魔族を毒魔法で葬り、魔族に対し恐怖政治を敷く悪魔のような男……と家族から聞いていたが、そんな様子は今の老いた賢者からは感じないからである。
「さて、馬車だったな……転移するぞ」
賢者が杖を叩いて鳴らし、部屋の内装が以前と同じく不自然なほどに引き伸ばされ、フワリと体に浮遊感が与えられる。
視界の伸びた風景が収縮し元に戻ると、カジノの中にいた三人は今は亡きハウザーの屋敷の前に立っていた。
「馬車の準備は?」
「ハッ、賢者様! 馬、荷車共に問題はありません」
「だそうじゃ、K」
二頭の黒い馬と白い幌を被った扉付きの豪華な装飾の入った客車を、賢者の命を受けて点検した者が結果をハキハキと報告し、それを聞いた賢者はKの門出が無事行われる事が喜ばしいのか、振り返り笑みを浮かべる。
「わざわざ点検の手配までありがとうございます賢者様。クィス、大丈夫そうか?」
「は、はい、気性も穏やかな子で、運転には問題ないです」
「わかった、それじゃあすぐ出発だ」
側面の扉を開け、赤いクッションが敷かれた椅子にKは腰を下ろすと、窓を開けて見送る賢者に最後の挨拶を行う。
「それじゃあ賢者様、カード集めに行ってきますよ」
「ホホホ、また生きて逢えればいいがの」
「賢者様も長くないですからね」
「馬鹿者、貴様の話じゃ。祝呪の魔法は嘘ではないのだぞ?」
「ハハ……自分を負かせる相手がいるなら、それはそれで楽しいですから、死んでも悔いはないですよ」
「フフ、お主はそういう男じゃったな……」
常に命を賭けた勝負を娯楽のように楽しむ少年。
例え巨万の富を手にしたとしても、常に勝負に餓え、スリルに餓え、ギャンブルに餓えた男……それがKなのだ。
そんな異常な男に対し、異常な者は微笑む。
「そんなお主には特別にワシの名を教えてやろう……」
「賢者様の名前?」
そういえば賢者、賢者と呼び、呼ばれ、老人の名を一度も耳にしていない事をKは思い出す。
今さら名前など……と、興味を示さぬKであったが……。
「ワシの名は──Kじゃ」
「……は?」
「フッ、半分冗談じゃ。奇しくも同じじゃが、Kというのはワシの昔の渾名なのじゃよ」
(……渾名かよ)
一瞬、目の前の老人が自分の将来の姿か、血縁者なのかと疑うKであったが、単なる渾名という拍子抜けの答えに呆れて声も出ない。
「ワシの名はエリン=キングリィじゃ」
「キングリィだから……K?」
「それもあるがのぅ、一番の理由は仲間全員がちょうど良くトランプに当てはまる名前なんじゃよ」
賢者であるエリン=キングリィは“K”
今は亡き勇者はA
狩人はJ、聖職者はQ、そして表では知られていない協力者j──ジョーカー
「三人とも……カードホルダーじゃ」
「へぇ……そりゃ楽しみだ」
カードホルダー……つまり今もカードを保持しているのならば、いずれはKにとって戦うべき相手となる。
世界を改変させた勇者の仲間……ギャンブルの実力も持ち合わせているのかはともかく、並みの相手ではないだろう。
「楽しみが増えたかの?」
「ええ、そうですね……実に楽しみです」
二人は向かい合って禍々しい笑みを互いに浮かべると、クィスが御する馬車がゆっくりと進み始めた。
賭博の亡霊──K、その冒険の始まりである。