第10話 暗殺者は玉座に潜む
「ブラック……ジャックだと? それでブラックジャック……? それが……それがブラックジャックだと!? ブラックジャック! ブラックジャックだと貴様はそう宣言するのか!?」
挑発に次ぐ挑発……Kのブラックジャックの宣言に対して、ハウザーは目を血走らせて怒りを露にする。
これがC一枚ならば、可能性はゼロではない故に我慢出来るであろう。しかし、Kの前に並べられたカードは四枚……二枚で合計20のカードと伏せられた二枚のカードだ。
トランプカードに0やマイナスなどは存在しない。それはブラックジャックにおいて特別扱いされるカードであっても同じ事で、カードの数値は絶対に1以上の目になる。
にも関わらずKは22以上のバストではなく、それを21のブラックジャックと宣言したのだ。ハウザーにとっては挑発以外のなにものでもないだろう。
「この私をどこまでも愚弄して……どこまで勝負を冒涜するつもりだッ!!」
「何を顔を真っ赤にして言ってんだか……それに挑発にせよ、こちらのミスにせよ、ギャンブラーを名乗るなら相手の隙ぐらい黙って刺せばいいだろうが」
「言われなくともそのつもりだ、小僧!! ダウト! ダウトダウトダウトッ!! 貴様の七枚負けだ! ダウトダウトダウトダウトダウトォッ!!」
「ダウト、ね……まったくギャンブラーなら少しは“疑うこと”を覚えろよ」
何度もKに指を差し、何度もそれが虚偽であると抗議するように声を大にして連呼する。
この勝負を直ちに終わらせて、油断している少年に怒りの鉄槌を叩きつけるために……。
しかし、それは何かの間違いか、それとも怒りで目が狂ったのか。カードを読み込み、勝負を判断する魔法のテーブルは、ハウザーに信じられない二つの文字列を示したのだ。
『MISS DOUBT』『YOU ARE LOSE』
「………………は?」
ミスダウト、そしてゲーム敗北の表示……。
ハウザーにとってそれは初めて見る文ではない。ギャンブラーとして自他問わず何度も目にしてきたその表示は間違いなく自身の敗北を示していた。
「ふ、ふざけるな……ミスダウトだと? それの……あれのどこがミスダウトだと言うのだ? ブラックジャックのはずがない! あんな……あれがブラックジャックだと!? おかしいだろう、オイ!! どうなんだッ!!」
声を発さないテーブルに何度も怒鳴り、一心不乱に手を叩きつけるハウザー。
Kの頭の中ではそんな男の浅ましい姿が、ハズレたパチンコ台を怒り任せに叩く迷惑客と重なった。
「物に当たるなんて情けない奴だな」
「くッ!! 貴様、やはりイカサマをしたな! このテーブルに細工をッ!!」
「は?」
「とぼけるな! どう考えてもおかしいではないか!! その手札で、20と伏せカード二枚でブラックジャックだと!? あり得るわけがないだろう!!」
「はぁ……わかった、そこまで言うなら全部見せてやるよ。その上で判定が間違っていたなら、さっきのダウトは成立でそのまま六戦目に突入……これで文句はないな?」
「ああ、いいだろう……早く捲れ! 全て! 今すぐにッ!!」
我を忘れる程に喚き散らす男に対して、ハイハイ、と呆れた声を出しながら、Kは一番右端──最後に引いたカードから開示する。
「……は?」
現れたカードを一目見ると、ハウザーは間の抜けた声が出てしまう。
それもそのはずだ、現れたカードは何の変哲もない“♦の6”であったのだ。
「フッ……ハハッ、ハハハハハハ!! 6、6だと? 既に26で完全にバストではないか! このペテン師が!!」
「……それじゃあ二枚目」
勝ち誇ったように笑うハウザーを無視し、Kはその隣のカードを淡々と捲る。
次に姿を見せたカードは、なんとハウザーが出るはずがないと信じていた♣️のAである。
(……Aだと? まさか、三枚目時点でブラックジャックが成立していたのか……!? いや、それなら……ええい、考えるな! 奴は結局四枚目を引いたんだ! 途中でブラックジャックしていたとしても、結果は27のバスト目なんだ!!)
10、K、A、6……その合計は間違いなく27のバスト。
ハウザーは自分の正当性が証明された事に自信を持ち、再びKに対して人差し指を突き立てる。
「フン、何がブラックジャックか! バストだ、バスト!! 偶然テーブルが故障したところをハッタリで済まそうなど……」
「テーブルは壊れちゃいない、正常そのものだよ……それじゃあ、“三枚目”」
「な……さ、三?」
Kの発言に耳を疑いながら彼のカードの表示形式を再度確認する。
O、O、O、O……間違いなく全てのカードが表向きであることをテーブルは示している。このテーブルの上に伏せているカードなど一枚も存在しない。
「馬鹿も休み休み言うんだな、伏せているカードなど一枚も……」
「ああ、存在しないさ……“伏せているカードはな”」
まるで悪魔のような狂気さを感じさせる笑みをハウザーに向け、Kがゆっくりと手を伸ばしたカードは、彼と同じ名を冠する二枚目に置かれたKのカード。
グッと中指でそのカードを押さえつけ、押さえつけ、押さえつけ。蓄積した指先の力を解放するかのようにピンッと手前へとカードを弾き寄せる。
王はあるべき位置からテーブルの縁へ、カンッと音を立てて衝突した……。
すると、なんということだろうか……王のいた玉座から暗殺者は姿を表したのだ。
♦10、“♠️4”、♣️A、♦6、合計21のブラックジャック……それがKの本当の手札。
そう、他の暗殺者のように物陰にその姿を潜ませて機会を伺うのではなく、その暗殺者は“王の姿”に変装し、最後まで表で玉座に座したまま愚かな貴族の首をその手で引き裂いたのである。
「ば……馬鹿な、そんな……い、いやっ! こんな、こんなものはルール違反だ! ブラックダウトは引いたカードを全て使うのがルールだ! これは隠蔽……あるいはすり替え禁止のルールに抵触している!!」
「残念だが、このカードはゲーム開始前に“事前に持っていたカード”で、引いた訳でも、すり替え訳でもない……見抜けなかった、疑わなかったアンタが悪いだけの事さ」
Kはハウザーに出会う前、このテーブルを面白がって遊んでいた際に、テーブルが一枚分でも浮いた、あるいは重なったトランプカードを一切感知せず、OやCの表示をしない事を確認していたのだ。
そして、引いたカードを全て使用するならば“騙すために何をしようと問題ない”というルールも、賢者から聞かされた事……。
全ては相手を騙す為の一つの手段としてKが備えていた策であった。
「ホント、簡単に仕込めたな」
「わ、私がそんな細工に気がつかないだと……? そんな、そんなはずは……」
「ああ、計算大好きなアンタはこっちのカードを結構気にしてたからな。小細工はそう簡単には実行できない……が、どうやら崇拝している賢者様のご機嫌の方が大事だったみたいだな」
「ッ……あの時か!」
二枚目を手にして始まったハウザー、そして賢者に対する罵倒行為……それに伴いハウザーの目はKから賢者へと移り、戻った時には場にカードは出されていた。
ハウザーが賢者に謝罪し、期待する一方で、カードを取り出し重ねて出すには充分すぎる時間がKに与えられていたのだ。
「そうさ、ちょっと馬鹿にするだけで焦って顔色伺ってさ……対戦相手よりも観客に注意を反らすなんて、そっちの方がよっぽど勝負を冒涜してるんじゃないか?」
「くっ……だが、仮に私が同じKのカードを引いていたらどうするつもりだった!」
「一応用意はしてるよ、別のK、Q、J、10……一応Aも」
服の袖、胸ポケット、Kの服のありとあらゆる場所から暗殺者の変装道具がテーブルへと並べられていく。
もはやそれはギャンブラーのイカサマというよりは、マジシャンの種明かしのようである。
「ま、そもそもバレても構わなかったし、バストしたって構わなかったから最後まで引き続けた……そうしたら偶然ブラックジャックになったから、ああ宣言しただけさ」
「……偶然、だと?」
「ああ、仮にバストしていても、これ見よがしに隠していたカード見せて次戦に移ったさ……その時点で──隠せた時点で成功だからな」
Kはそう言ってテーブルに並べられたカードを裏表バラバラで扇状に広げる。
「このゲームは相手から与えられる情報が何よりも鍵、だが一度でも隠蔽されたら最後……与えられた情報を信頼出来なくなる。それはアンタみたいに確率や期待値に頼るタイプには致命的だ。裏も表も、正しいものすら疑わしくなる疑心暗鬼の状態で、アンタはこっちが何もしなくとも自滅する、間違いなくな」
「クッ……!」
「さて、と……種も明かしたわけだし、精算といこうか」
悔しがるハウザーに一通りのタネを明かし終えたKは、このギャンブルの幕引きを口にする。
そうすると、今まで傍観を続けていた賢者は目を覚ましたかのように動き出す。
「ホッホッホ、最後の勝負はミスダウトによる七枚負けじゃから、21ポイント分──金貨二百十枚の支払いじゃな、ハウザーよ」
「っ……は、はい」
金貨二百十枚……いまだかつて支払った事などない大金に呆然としながら財布に手を入れ、貯蓄してきた金の山を掻き出していく。
(金貨二百十枚……か……二百十……)
ジャラジャラと音を立てて広がる金の山。
そんな茫然自失となるハウザーの目の端に、チラリと目に映るKの手元に積まれた金貨。
(思えば無駄な事をした。奴の言う通りプライドを捨てきれず、あんな茶番に金貨を払うとは……)
三戦目で三十枚、四戦目で四十枚からの二十枚返し……合計で五十枚の余分な支払い。
勝てる見込みがある、と、あの時は自分の腕を信じていたが、そんな不確かなものを信じた自分が恥ずかしい。
(金貨五十枚と合わせて…………合わせ……て……)
そこで、彼はようやく気がつく。
これまで支払う機会などなかった莫大な負け金、それ故に彼が怠っていた計算。
(二百……っ……ろ、六十? ろ、六十……金貨二百六十枚……!? あ、あぁっ!?)
「遅いのうハウザー……どれ、手伝ってやろう」
「あ、あっ!? け、賢者様、お待ち下さいっ!!」
理解し、焦りに全身の血の気が引く頃には、既に賢者が魔法により財布の中身を綺麗に整頓し終えた後であった……。
十枚の金貨の山が二列で丁度十山──つまり、金貨二百枚がテーブルに姿を見せる。
そう、二百枚……支払うべき代金よりも金貨十枚、日本円にしておよそ250万円足りないのだ。
「あ、あ……っ……も、問題ありません賢者様! 屋敷を──いえ、屋敷の一部を手放すだけで金貨十枚なら用意でき──!!」
「それと同じ言い訳をホールで口にして、お前は問題ないと思うのか?」
「それ、は……! し、しかし、これは! その、非合法なギャンブルで……手持ちが少々足りなくなるということは……」
「非合法? ワシが見届けているこの勝負が合法なギャンブルではないと申すか?」
「いっ、いえ! 決してそのような意味ではなく!! その、私の、いえ、や、えっと……」
もう最初の自信も余裕も優雅さも、ハウザーが纏う全てのメッキは剥がれ落ちていた。
賢者の言葉の一つ一つが呪術のように男の体を凍てつかせ、足も肩も、口も目も、そして頭の中すらガタガタと震えだす。
幾度も見てきたその反応に既に飽きていたKは、賢者に対して一歩引いた意見を口にする。
「別に今払わせなくとも、きっちり払ってくれるなら自分は──」
「それは駄目じゃよ、K。いくら勝者が許してもワシのカジノに例外は許さぬ。安心せい、払えぬ分は店が肩代わりするのがルール……勝者は何も煩う事はない」
「……金利が高そうだな」
Kのイメージするこの手の店関係の金貸しなど、暴利的超高額金利──特にこの賢者だと、明日には金貨二十枚、その翌日には金貨四十枚……など情け容赦のない請求をする姿が容易に想像出来た。
しかし、返ってくるのはそんな想像とは裏腹の答えだった。
「金利は高くない……最終的に一割、二割程度高くなるだけじゃ。ただし、規則として貸した金額に応じて入店を禁止する……多額の貸しを作る者など、再発する可能性が高いからの」
「わ、私は! 普通のギャンブルならば負けはしません、今後店に貸しを作る事も一切ありません……ですからそれだけは!!」
「例外は許さぬと言ったであろう? 銀貨十枚で一年──つまり“二十五年”貴様はこの店の敷居を跨いではならぬ!」
二十五年──毎日仕事のようにカジノへ足を運び、もはや生き甲斐と言っても過言ではないハウザーにとって、それは四半世紀に渡る生の剥奪……ギャンブラーとして生きるハウザーにとって、それはとても堪えられる事態ではないのだ。
どうにか許されないか、「お許しを、お許しを」と震える声と共に何度も頭を下げては年甲斐もなく瞳を潤ませるが、賢者がハウザーに対して首を縦に振る事はなかった。
惨めな大人と頑固な老人によって、勝者にも関わらず蚊帳の外となったK。
そんな状況に無論不服な少年は、ハウザーに対して最後の助け船……いや
──最期のギャンブルを持ち掛ける。