第9話 XKCC=BJ?
敗北という海を背にして断崖絶壁に立たされたハウザーと、突き落とす前に彼の肉を削いでいくK。
二人の勝負も五戦目を迎えようとする時、徐々に落ち着きを取り戻したハウザーはまたもやKに頭を垂れる。
「た、頼みがある」
「……なにさ?」
「る、ルールを……無かったことにしてほしい」
「……いいのか、無かったことにして?」
金と引き換えにカードを引かせるという特別ルール──確かにそれはハウザーにとってKに対抗するための武器だ。
しかし、肝心のKすらもその武器を使えるのであれば、話は大きく変わってくる。
(その気になれば奴は二枚目以降を引かずにノットバストを選択する……仮にそれが一桁のクソ手だとしてもスルーしたら最期、奴が金を払ってこちらをバストさせればその時点で二枚負けだ……)
そう……特別ルールが存在する限り、もう一敗も許されないハウザーにKの手をスルー事は出来ない。
だとすれば、もう金と金の殴り合い……相手がバストするまで互いに金を支払い合い続ける泥仕合。
──だが、それが成立するのも対等ならばの話。
既に金貨五十枚と14点のアドバンテージが与えられた状況において、ハウザーに一戦、二戦譲り、点を取られたところでKに大きなダメージはない。
ただただ小さな点数を引き換えに金を搾取され、一文無しになったところを奪われた大金で撲殺されて終わる……。
それを回避するためには、ルールを撤廃させるしかないのであった。
「じゃあ撤廃料で金貨五十枚」
「なッ!?」
「──ってのは冗談さ……確実に勝てないと分かったから撤廃するんだろ? それが理解出来る賢さに免じて、大人しく取り消させてもらうよ」
「ああ…………すまない」
本当は怒鳴り散らしたい気持ちで胸が張り裂けそうなハウザーだが、全ては自分の招いた失態によるもの……。
伏せていた頭をゆっくりと上げ、彼は最後と思われるこの戦いに向き合った。
(奴は♦の10……か)
今更になってKに与えられる10のカード……しかし、それでもハウザーにとっては好都合な事であった。
(10ならば、負け点は抑えられるな……)
勝てるから、ではない。小さな数字を積み重ねられれば、その枚数分がポイントに加算されてしまう、が大きな数字──仮に10と10ならば敗けによる被害を最小限の二枚にする事が出来るからである。
目の前の男ならばそれでも三枚目を引く可能性はあるが、3点を取られたところで手元に幾分かの金貨は残る……今後復活するチャンスは残るのだ。
故にこの勝負、何があってもダウトはしない。
そんな一見勇ましくも思えるが、結局は不様な負けの算段を心に誓いながら、ハウザーは二枚目のカードを伏せてヒットを宣言する。
勝つ必要がないハウザーだが、あくまでも賢者にいい格好を見せようとする姿勢は変わらないらしい。
そして、Kに二枚目のカードが運ばれる。
「……フッ」
そのカードを見た途端、何に対してか鼻で笑うK。
そして少年はゆっくりと天を仰ぐと、今度は大きな溜め息を吐き出し、うんざりとした表情で愚痴をこぼしだした。
「まったく、勝つ気がねぇのに格好つけてヒットか。三流ギャンブラー風情がプライドだけは捨てられないとは……まあ、捨てられねぇから三流なんだろうが」
「ッ……」
「それにしても、賢者に選ばれたギャンブラーって聞いて期待したってのに大ハズレですね……弱い、弱すぎだ。こんな奴にカードを渡すなんて、賢者も年を食い過ぎて目が節穴になったのか、頭がボケてしまったようだ」
「き、貴様! 賢者様に対してなんと言う暴言をッ!?」
「事実だろ? それともこんなガキに手も足も出ない自分に、その素質があるとでもまだ言うつもりか? あんたはそこの老獪ジジイに担ぎ上げられただけの、単なる三流ギャンブラーさ」
「くッ──‼ け、賢者様、申し訳ありません! 私が不甲斐ないばかりに、こ、このような下賤な者に好き勝手言わせてしまい……!」
ハウザーは賢者に頭だけではなく体を正対させて謝罪すると共に、その様子をうっすらと伺う。
言葉通り自分の非を詫びる事は本心であり重要な事ではあるが、それとは別にハウザーは心の中で密かに賢者にすがっていた。
英雄として数多くの魔物を葬り、今では人々からも畏怖される存在として世界に君臨している賢者。
目障りな者を、歯向かう者を、罪無き者さえも……賢者にはいくつもの黒い噂が取り巻き、絶える事はなかった……。
だから……今ここで、この瞬間にも機嫌を損なわせた目の前の不敬者を“殺してはくれないだろうか”と、ハウザーはスケベ心を抱いてしまう。
多少賢者様からの評価は低くなってしまうものの、奴さえ死んでしまえば敗北という汚点は免れ、自分は今まで通りの人生を再開することが出来る……。
(開けてください賢者様! 私の道に立ち塞がる邪魔な門を、今ここでッ!!)
ハウザーの賢者を心配する瞳はいつしか期待の眼差しへと変貌していた。
しかし、賢者はそんな期待に応える事はなく、案山子のようにただただジッとしたままテーブルを眺めるのみ。
(くっ…………融通の利かないジジイめ、そんなにもこの男が特別だとでもいうのか!?)
勝手に期待し、勝手に失望し、勝手に悪態をつくハウザーは、賢者なぞ頼りにならん、と勝負を再開する。
すると、口汚く賢者を罵ったKは二枚目のカードを場に出し終え、まるで勝ったかのように笑みを浮かべていた。
(♠️の……K)
♦の10の隣に君臨するは、王の描かれた♠️のK……二枚の合計は20と、ブラックジャックにおいては二番目に強いと言っても過言ではない出目である。
「クッ……」
悔しそうな声と共に顔を曇らせるハウザー……だが、これは演技、負けが決まって悔しそうにする“フリ”だ。
(クッ、クハハハハハッ!! 20、20か! 二枚で20!! 二枚勝ち、最低の二枚勝ち……)
勿論、その負け金額の巨額さはハウザーにとっては致命傷であることに変わりはない。
しかし無一文になる訳ではない。残るのだ、これから稼ぐには充分な程の種銭は。
安心、安堵……まるで敗北者の行き着く答えとは思えない心理状態にハウザーは浸る。
だが、そんな一時の安堵すら亡霊は乱してしまう……。
「“ヒット”だ」
「な……に?」
「なんだよ、ヒットしちゃ悪いってか?」
(ハッ……コイツ、まさか私から勝ち金を多く獲るためにわざとバストして……!?)
20……つまりA以外のカードを引けば即バストの状況で、あえて勝ちを捨てるかのようにKはヒットを宣言した。
その少年の魂胆など簡単に読み解ける。
金貨十枚の高レート勝負で、まだ1ポイントも取られていないこの状況……わざわざ二枚で勝利するなど、せっかく勝ち金を吊り上げるチャンスを棒に捨てるような行為。
一戦二戦捨ててでも三枚、四枚勝ちを目指すのは卑劣ではあるが、勝負で大金を稼ぐギャンブラーの道理には反してはいない。
言うなればこれは彼なりのダブルアップなのだ。
(だがな、小僧……ダブルアップを挑んで必ず勝てると思っているのならそれこそ三流だ。勝つ時に勝たずに欲を出せば、必ず喰われる……それがギャンブルの恐ろしさだ!!)
折角の勝負を捨てるKに再び闘志を燃やすハウザー。
されど冷静さを欠く事はなく、引いたカードを表で出しノットバストを宣言する。
対してKはスルーの宣言を行い、ハウザーの手を通す。
合計19……Kには及ばないものの、バストを目前に控える男には関係ない。こちらがバストさえしなければ三枚勝ちなのだから……。
だがそこで、ハウザーの脳裏を過る嫌な予感。
もしかすると、奴の狙いは次以降の勝負ではなく……。
嫌な予感が浮かんだハウザー……そして目の前にそれは現れた。
10、K、C
20と伏せカードが一枚……。
(っ……やはりそれが狙いなのか……! だが場のカードを差し引いてデックからAが出る可能性は一割程度……都合よく出はしない)
断崖絶壁を目の前に行われる揺さぶり。Aの出現確率からして、Kの伏せたカードがAではないと考察するハウザーだが、それは確実という訳ではない……約一割はAが出るのだ。
スルーすれば確実に三枚目負け。だがダウトし、仮にAが現れればミスダウトにより六枚負け。もちろん、九割はバスト濃厚であり、ダウトを宣言する方が確率的には正しい。しかし……
──この男ならAを引いたのではないか?
(…………ッ! 期待値を、確率を信じろ。何年そうやって勝ってきた? 確率を信じて負けた数と確率を信じず負けた数、どちらが多かったかは明白だ。私が確率を裏切る事はあっても、確率は私を裏切らない! 必ず、必ず結果は正しく現れるのだッ!!)
「ダ──ッ!!」
Kの蛮行に目が覚めたのか、賢者を頼りにせず自分だけを信じたからか、三枚負けであるスルーを選ばずに、自信と決意に満ちたハウザーは、今度こそ確率に基づいて声を大にダウトの宣言を行おうとするが、Kはそんな言葉をカットする。
「“ヒット”」
「──ぅ…………は?」
──何を言っている?
急速に纏まりかけていたハウザーの思考が、思わぬ発言に停止する。
目の前にあるのは10、K、Cで間違いない。表示形式も正しくO、O、Cで並んでいる。合計は21以上、そこに間違いの余地はない。
だというのに目の前の少年は、ハウザーの折角の決意を嘲笑うような顔でヒットを宣言したのだ。
「どうした? 大の大人が豆鉄砲でも食らった顔でもして……ん?」
挑発──それは対人ギャンブルにとっては日常茶飯事の行為ではあるが、それがここまで的確なタイミングで、それも自分に対して行われたのは、今までのギャンブル人生において初めてであった。
まるで少年の手のひらの上で弄ばれていた憐れなモルモット……。
そんな扱いを受け、さすがのハウザーも人が変わったかのように声を荒げてがなり立てた。
「ッ!! 貴様ッ! 貴様貴様貴様貴様ァァァーーッ!!」
「どうしたよ、そんなに顔を赤くして。何にも聞かずに勝手に葛藤してたのはアンタだろ?」
「黙れクソガキがッ! とっととカードを出せ!! そして早く宣言しろ!! 次の勝負からお前に一勝も与えず私が逆転してやる!!」
「急かすなよ。それじゃあ──」
Kは四枚目のカードを手にすると、そのカードを再び伏せて場に出し、熱のない冷めた声で宣言した。
──ブラックジャックと。