第8話 特別ルール
一方的な展開のまま、崖っぷちまで追い詰められたハウザー。
そして、そんな彼を安全圏から眺めるK。
二人の勝敗は歴然と言っても過言ではないが、テーブルは機械的に公平にカードを贔屓する事なく配布する。
(くぅっ…………)
ハウザーに配られたカードは先程より少し下がって♠の7……已然にしてその数は減ったというには微々たるもので、勝負するにはあまりにも弱い引きであった。
(奴は……6、か)
それは差にして1……しかし、同じ1でも1ミリと1キロに大きな差があるように、ハウザーにはKの置く薄っぺらいカードが、自らの華やかな未来を閉ざす重厚な巨大な門に見えてしまう。
越えることを許さないそびえ立つ門……まるで自分を華々しい未来ではなく、その脇からひっそりと延びる、敗者たる乞食達が跋扈する道へと歩ませるためのようである。
開けてほしい、開けてほしいと何度も願うが、門番は決して門を開けようとはしない。
そこでハウザーは、そんな門番にすがるような声で一つの交渉を投げ掛ける。
それは門番が一度与えてくれた交渉と同じ言葉であった……。
「たの……む」
「あん?」
Kが二枚目のカードを確認している最中に、ハウザーはテーブルの上ギリギリまで頭を下げ、そう口にしていた。
「カードを……引いてくれ……っ」
ハウザーは懐から十枚の金貨の塔を押し出し、Kにヒットさせるための賄賂として謙譲する。
しかし、Kはその金貨に手を出さず、後がないハウザーに対し容赦のない要求を返す。
「二十枚だ」
「に、二十!? さ、さっきは十──!」
「あれはお前があまりにも可哀想だから、俺から助け船として持ち掛けた取り引きだ。だから値下げも拒否権もアンタ次第だった……。だがこれは違う、これはアンタから持ちかけてきた取り引きだ。上乗せする権利も断る権利も俺次第だろ?」
Kの理屈に間違いはない。今回の取り引き、持ち掛けたのがハウザーであるのだから、その内容に手を加える権利はKが持つ。
そして、もちろんKは値を上げたのだ。
需要の高い商品の値段を高く設定するのは儲ける為の基本……いくら非合理な金額であっても、生きるために必要なものならば客は買うしかないのだから……。
奴は買う。例えそれがカード一枚の価値に見合わなくとも、勝ち目がゼロに等しくとも、Kにはハウザーが買うという自信がった。
それは、既に三十枚の金貨をハウザーが支払っているからだ。
一度勝利への投資をしてしまえば、もう後には退けない、負けられない、取り返さなければ……そんな募りに募る焦りが、勝率や美意識、理性すらをも押し退けて彼の背中を後押し、悪魔への追い銭を促す。
天に輝く勝利の栄光を求めて走る彼の足元が、奈落へと続く底無しの沼地だということに気がつく事もなく……。
「わかっ……た、二十枚……払おう」
「そうか……それじゃあこの際だ、ルールにしよう」
「ルール?」
「ああ、このままじゃ次の試合で強欲に三十枚、四十枚要求してしまうかもしれない……だが、さすがにこれ以上となるとアンタも取引を止めるだろう。そうなると、勝ちたいアンタも金が欲しいこっちも困るだろ? だから、この場限りのルールを設けるのさ」
Kは普段と変わらぬポーカーフェイスのまま、チラリと賢者に目を向ける。
「ワシは傍観するだけじゃよ、内容など好きにするがいい」
「だ、そうだ」
勝手なルールの設定……もちろん賢者の見ている手前、そんな事許される筈がないと思っていたハウザーだったが、当の賢者はその案を黙認すると口にし、ハウザーの視線はKへと戻る。
「で、ルールとは?」
「簡単な話さ、金貨二十枚でヒット、カードの表示指定も可……でどうだ?」
「……わかった、認めよう。表でヒットだ」
Kの前へと散らばる二十枚の金貨……これで金貨は五十枚──1,000万以上を勝敗の決まらぬ内に手にしてしまう。
「次に表だな……わかった、ヒットだ」
表で出す必要のあるカードは次のはずだが、Kは二枚目の♦のQを隠す気もなく♥の6の隣へ添え、Kは取引に従いヒットを宣言し手番を譲る。
(♦のQ……奴の合計は16か。次の一枚、あるいは二枚目を引かせればバストするか……?)
Kの出したQに目を輝かせるハウザー。
しかし、その時彼はその一方で不吉な予感が脳裏を過る。
この男、もしかしたらAを立て続けに四枚引いてしまうのではないか……?
確率は1%以下……起きうるとは考えられない、考えたくもない。
「…………ヒットだ」
ハウザーはモヤモヤと渦巻く疑念を抱きながら、運良く引き当てた♦の2を裏で置き、緊張と共にKへと手番を回す。
「まるで普通のブラックジャックだな、ディーラーになった気分だ」
「いいから早く捲れ……」
テーブルから排出されたカードの角へ親指をつけ、ゆっくりと男の運命を明るみへと誘う。
ハウザーの額から粒の汗が流れ、心臓の激しい鼓動が胸を打ち付ける。
「残念、3だ」
「……3、か」
Kの引き込んだ数字に少しホッとしてしまうも、合算は19……まだ彼がバストするには僅かに足りない。
出来れば自分の手が完成してから決定させたかったが、ルール上それも叶わない為、仕方なくハウザーは追加で二十枚の金貨を差し出す。
もちろん表示は奇襲の無い“表”でだ。
(さて、こちらは……♠️の2か、これなら安全にもう一枚引ける)
7、2、2の11の手。
Kさえバストすれば、4点の獲得となる安定の手札に思わず口角が上向く。
しかし、一流ギャンブラーだと自負するハウザーはすぐに顔つきを元に戻し、焦りを装いながらゆっくりと口を開いていく。
「ひ、ヒットだ」
「はいはい、ヒットね」
そんな下手な装いを見抜いてか、それともただバストをするだけの作業にうんざりしてか、Kはハウザーのヒット発言に薄い反応を示すまま四枚目のカードを手にする。
ここで2以下を引かれては合計金貨六十枚の出費が確定してしまう。
金貨六十枚……その気になれば立派な家を建てる事も可能なほどの大金だ。何としてもそれだけは防ぎたい……。
既に金貨三十枚を支払い、合計七十枚の金貨をKへと渡している男は、今更ながら金貨二十枚程度の出費に怯えていた。
Kからすればハウザーのそんな思考など、滑稽なことこの上ない。巨額の大金の動きに翻弄されて我を忘れる、まさに幾度と見てきた典型的な搾取される側の弱者の思考。
確率なんてものだけを信じる奴は、大抵少し熱してやればすぐにコレだ。
早く終わらせたい、そんなKのささやかな願いを叶えるようにそんなカードは来てくれた。
「10……バストだな」
「……そう、か」
一方、ハウザーは一瞬の喜びもつかの間、冷静になれば当たり前の結果に、自分の吐き出した金貨の額に今更ながら後悔が襲ってくる。
たかが一回の勝負で、4点を取るだけで金貨四十枚……一戦前では三十枚も払っていながら負けているのだ。自分はなんと愚かな事をしたのだろうか……。
何もかもが遅すぎる、そんなハウザーは四枚目の♣の9を表で出し、この勝負の勝敗を決めようとする。
──だが、そんな後悔にまみれた男のささやかな勝利すら、目の前の亡霊は許さなかった。
チャリンチャリンチャリン……。
ハウザーのテーブルへと“二十枚の金貨”が投じられ、金貨はぶつかり合い小さな金属音を奏でながら、散らばっていく。
「ヒットだ、ハウザー」
「なっ、え、あ……何を……言っている……?」
「寝ぼけんなよ、金貨二十枚で相手にヒットさせる……それがルールだろ?」
「ふっ、ふざけるな! それは私の──」
「誰もお前だけの、とは言ってない……ルールってのは両者共通なのが当たり前の話だ、勝手に都合のいい解釈をするなよ」
「だ、だがッ! しかし……でもっ!」
両者バストはただの引き分け、通常のルールならば互いに損得は発生しない。
しかし、二人の間で結ばれた特別ルール……これによりこの勝負は、ただハウザーが金貨を差し引き二十枚を支払って引き分けた、という結果になってしまう。
金貨二十枚の無駄払い……自業自得の結果に怒ることも出来ず、残るのは強い悔しさだけ。
「Aを引けばアンタの勝ちさ……ほら、引いてみろよ」
「うっ……く……っ……ぅぅっ、うぇぇえっ……」
不幸のどん底に向かう男に都合よくAが現れることはなく、Kの後を追うようにハウザーの手はバストし、この勝負はKに二十枚の金貨を渡した上で引き分けとなった。
ギャンブルの最中だというのにあまりの喪失感を埋めるように激しい吐き気がハウザーの体を襲い、涙と共に嗚咽が大人げなく声となって漏れる。
そんな苦しみ、涙に対しKが抱く感情は、可哀想だとか、御愁傷様など、同情するような気持ちは一切なかった。
抱く言葉はただ、一つ……
──ざまあ見ろ、だ。