古典落語はしたくない9
弟子のふかしが、とりあえず古典をやりたくないということ、そして何やら自分にはよくわからないものをやりたがっていること、ということは理解できた師匠は、音吉、舞太の時と同じように自分が噺家であることをふかしに伝えます。
「ふかし、あたしはね、落語をやっている噺家でね物理とか何とか言われても困るんだよ」
「嘘だ! 師匠! そんなことあるはずがありません!」
「いや、『嘘だ!』なんて言われてもねえ。じゃあお前は私を一体なんだと思っていたんだい、どうせあたしが何かやっているところを見て、物理とかいうものを志していたお前は、あたしへの弟子入りを決めたんだろう」
「ええ、そうですよ、師匠。おっしゃる通りですよ。師匠が以前テレビのワイドショーか何かにコメンテータとして偉そうにしゃべっているところを見てですね、このお人はさぞかしなのある学者さんに違いない考えてですね、自分は師匠への弟子入りを決めたんですがね、それが何かまずかったですか?」
「そうかい、そうかい。いや、お前はちっとも悪くなんかないよ。みんなあたしが悪いのさ。噺家であるあたしが何を血迷ったのかわからないけれども、本業以外のことを調子に乗ってペラペラと話していたのが悪いのさ。だからね、ふかし、お前には悪いけれどもね、私はお前の力にはなれないよ」
「いや、それはないですよ、師匠。そもそも、師匠が自分に“ふかし”なんて名前をつけたのは“視るべからず”という意味で“不可視”という意味を込めたからじゃあないんですか。“視ることができない”とか“視るべきでない”とかいろんな内容を含んだそれはそれは深いお名前を自分は感動したんですよ!ああ、この人は、自分がこの世界を決定づける法則を解き明かしたいという希望に燃えていることをよくわかってくださっているお人なんだって! だからこそ自分は師匠に一生ついて行こうって決めたのに! それなのに!」
「ふかし、そうだったのかい」
本当のところ師匠にそんなつもりはありませんでした。ですが正直にそんなことを言ってしまってはふかしがあまりにも哀れというものです。というわけで師匠は何とか取り繕うことにしました。
「いや、そう、そうなんだよ、ふかし。そのとおりでね、初めてお前にあった時にね、あたしは、これはって感じたんだ。こいつとならあたしは世の中の全てがわかるかもしれないって。でもね、あたしが浅はかだったよ。世の中のことなんてねそんなに簡単に解き明かせるものじゃあないんだ。少なくともこの先長くないあたしが生きているうちにはもう無理なんだよ」
「そんな、師匠、そんなことを言うのはどうかおよしになってくださいよ」
「ふかし、そういうわけにはいかないんだ、あたしの未熟さはもうどうにもならないんだよ。でもね、正直なところお前なら、できるんじゃあないか、とも思っちゃうんだ。お前は先が長い。才能もある。そんなお前なら、とね。ふかし、お前、あたしに遠慮しているところがあるんじゃあないのかい?どうだ、いっそのことここから離れてだね、一人やりたいようにやって見るのもいいんじゃあないかねえ。そうしたらひょっとしたら、ひょっとするかもしれないよ」
「師匠、師匠が自分のことをそんな風に思っていただいていたなんて、てっきり師匠は弟子のことなんてどうでもいい、なんて思っているんじゃあないかと邪推していました。自分の目が節穴でした。そうですか、そこまで言われちゃあ仕方がないですね。自分、たった今を持って師匠の元を離れさせていただきます。ですが師匠、私にとっての師匠は生涯師匠お一人ですからね、そこのところ、間違っちゃあ嫌ですよ。それでは師匠、失礼させていただきます」
そういうとふかしの姿はあっという間に小さくなっていきました。師匠はすっかり疲れ切ってしまいました。
「やれやれ、何とかごまかせたよ。“ふかし”なんて名前にしたのはやっこさんの顔つきがどうにもふかし芋に似ていたからだし、あいつのことをどうでもいいなんて思っていたことも当たらずとも遠からずといったぐあいだったしねえ」