古典落語はしたくない10
すっかり疲労困憊していた師匠のところに引き続いて新たな古典否定派がやってきました。その名前は伝次郎と言います。
「師匠、師匠、おいらちょっとばかし師匠に用があるんですが」
「いいよ、いいよ、伝次郎。もう古典なんかやりたくないっていうんだろう」
「すげえや、師匠、その通りですよ」
「ああ、それでお前は何をやりたいんだい」
「はい、師匠、おいらは古典生物学じゃなくて、分子生物学をやりたいんです」
「生物学ね、理由を聞こうじゃあないか」
「わかりました、師匠。そもそも古典生物学というのはですね、メンデルが遺伝の法則を発見した時の様にですね、実際にえんどう豆やショウジョウバエなんかを何代も何代も掛け合わせて子供や孫、ひ孫なんかを作り出してですね、その子孫の様子を観察するところを基本としてきたんですがね、最近になって遺伝子やらDNAなんてものが発見されてですね、これだったらいちいち豆だとかハエだとかを交配させなくてもDNAの分子構造を直接調べればいいじゃないかっていうことになってですね、そいつが分子生物学の初めなんですが……」
「その辺にしておくれ、もういいから、伝次郎。それでね、あたしにはお前のいう生物学云々はさっぱりわからないんだよ。何せあたしは噺家だからね。いいよ、いいよ、どうせお前もここが落語をする場所だなんて思いもしなかたっていうんだろう。そいつはわかってるからね、まあせっかくだからね、お前が勘違いをした理由だけは聞いてやろうじゃあないか」
師匠はいい加減もううんざりでしたが、せっかく一度は弟子にした伝次郎を問答無用で追い出すことは流石に不憫だと思い、訳の一つはと尋ねます。
「そうですか、師匠。ええと、おいらが師匠に弟子入りしようとした理由はですね、ちょいと前に師匠が夜の、まあその、お金を払えば若いお姉さんがでうね、お酌をしてくれたり、お尻を触らしてくれたりする様な場所でですね、たくさんの女性をはべらせてですね、こう、聞くに耐えない猥褻な話をしていらっしゃる所を目の当たりにしてですね、おお、この大層すけべな御仁だったらさぞや子供もたくさんあちらこちらでお作りなさっているのだろうなあと思ってですね、いや、その時はですね、まだ分子生物学なんて知らないでもんでいたからですね、こりゃあ親と子でどう言った遺伝が起こるのかなあ、なんてことを調べるのにうってつけだと思ってですね……」
「わかった。あたしが悪かった。後生だからそのくらいで勘弁して遅れ、伝次郎。それ以上あたしの過去の醜聞を暴きたてないでおくれ。あたしはお前が出ていくのを止めやしないし、出て行ったからって、それであたしがお前をどうこうするなんてことはしないと固く、それはもう固く誓うからね、お願いだよ、伝次郎。もうこの辺りで」
「そうですか、師匠。ところで、おいらはですね、これでも筋目はきちんとしたいからですね、一度師匠を師匠と決めたからにはですね、他の人を師匠とは呼びたくないんですが」
「構わない、構わないからお前にとっての師匠はあたし一人ってことでいいから、ね」
「じゃあ師匠、お名残惜しいですがおいらはこれで」
「うん、わかった、お達者で、できれば、お前がうっかりあたしのハレンチ行為をバラしても大騒ぎにならない様なここから遥か遠くの場所で達者でいることを願っているよ」
ということで、伝次郎もまた師匠の元を巣立って行きました。




