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ハードボイルドとウィークエンド

作者: 東雲 紫雲

あけましておめでとうございます。

 11月の夜は少し肌寒い。吹きすさぶ風が体の熱を奪っていくが少し火照った頬には心地よく感じる。カツカツと靴とアスファルトが接触する音が人通りが少なくなった夜道に響いた。

 目指すは夜間の間だけビルの前のスペースを借りている屋台だ。今時すっかり少なってしまった個人屋台。店主が出汁にこだわったおでんの屋台、この季節の締めはやはりここだろう。


 暖簾をくぐるとおでん鍋から立ち上る湯気とともに出汁のいい香りがする。60歳はいっているであろう気難しい顔をした白髪の店主が白の長袖シャツの上に紺のエプロン、頭にタオルを巻いた姿で出迎えた。


「…っしゃい」


 接客業だというのに張らない声だ。ここの店主は人嫌いなのかあまり目を合わせようとしない。正直飲食店としてはどうだろうと思わないでもないのだが、出すものは確かなので常連が付いている。自分もその内の一人だ。木製の長椅子に座り、おでんの具を選ぶ。


「親父さん、大根とがんもどきと牛すじ、あと熱燗をお願い」

「…あいよ」


 店主はちろりに日本酒を注ぎ、おでん鍋の空いたスペースにドボンと浸けた。そして深皿にお玉で掬い上げた具材を入れる。


「はいよ」


 店主が無愛想に渡す皿を受け取ると皿の上には分厚い大根とガンモドキ、そして串打ちされた牛すじが乗っている。カウンターテーブルにある陶器の箸立てから割り箸を一本引き抜く。そして箸立ての横に置いてある小さなツボを手元に引き寄せた。ツボの蓋を外すと黄色いからしが入っており、備え付けの木匙で一匙からしを掬い皿にとった後元の位置に戻した。

 次に割り箸を割る。割り箸を綺麗に割るには両手で引っ張って割ろうとするのではなく、片手は固定したままもう片方の手でゆっくり割るのがいい。何事も焦らないのが上手くいく秘訣だ。綺麗に割れた割り箸を見て自画自賛するように頷いた。


 さて、まずは大根だ。箸で分厚い大根を挟むとスッと切れた。よく煮込まれて柔らかくなっているのがわかる。半分に割った後、さらに半分に割って、まずは何も付けずそのままいただく。口の中へ運ぶ。熱い、すごく熱い。ハフッハフッと口を開け外気を取り入れ冷まして食べる。熱い! …熱いが美味い! 舌の上でとろりと溶ける柔らかい大根はしっかり出汁がしみており実に美味い。

 お次は少しからしを付けていただくことにする。箸で皿の端に盛ったからしを少し掬い、大根に塗りつける。その大根を口に運ぶ、最初にツンとしたからしの辛さが鼻を抜けたあとだんだんと大根に染み込んだ出汁の旨味が口の中で混じり思わず相好を崩した。


「熱燗お待ち」


 ゆっくりとおでんを楽しんでいると片口とお猪口が目の前に置かれた。待ちに待った熱燗だ。手酌でお猪口に酒を注ぎ、ぐいとやると体の芯からじんわりと温まる。これがたまらないのだ。おでんと共に口に運ぶとなお美味しい。


 熱燗をちびりちびりと飲みながら黙々とおでんを口に運んだ。

 そして皿が空になったタイミングを見計らって卵が乗せられた。


「ほら、いつものだ」

「ありがと」


 無愛そな店主ではあるが常連の志向はしっかり覚えている。熱燗と大根、それとその日の気分で選んだ具を2つ、そして最後に卵。これがマイスタイルだ。


 卵は出汁がよく染み込んで薄茶色に色付いている。箸で卵を半分に割ると月のようにまぁるく綺麗な黄身が現れる。黄身は中までしっかり火が通っていて薄い黄色、箸で触れるとホロホロと崩れる固く茹でられた黄身、昔ながらのおでんの卵だ。


 割った卵をこの店自慢の出汁にくぐらせ黄身に出汁を吸わせてからいただく。半熟の卵も悪くはないがやはりおでんは固ゆで卵が一番だとしみじみ思うのだった。



 ♢



『かんぱ〜い!』


 乾杯の合図と共にビールジョッキをカチンと合わせ、それぞれビールを流し込んだ。会社のプロジェクトメンバーでの飲み会だ。今日はまだ木曜日だがプロジェクトの無事の終わりを祝っての飲み会だ。

 参加メンバーは4人で、プロジェクトリーダーの花岡栄太(はなおかえいた)さんとプロジェクトメンバーの相沢早苗(あいざわさなえ)さんと倉敷由奈(くらしきゆな)さん、そして俺、山本健(やまもとたける)だ。


「いや〜、みんなよくやってくれたな。先方も満足してくれてたぞ! これは次も期待できそうだ」


 花岡さんはいつになく上機嫌だ。今回の仕事相手は大口、上手くいけば次の仕事をもらえるチャンスも多い会社だった。ここにいるメンバーはその会社に満足してもらえるだけの仕事ができた自信があった。


「さぁ、今日は俺のおごりだ! 思う存分に飲みたまえ」

「わ〜いいんですか?」

「ごちそうになります」

「ゴチです!」


 更に今回のプロジェクトチームは贅沢なことに我社の中でもとびきりの美人2人が参加していた。

 髪をポニーテールにまとめ、キリッとした目鼻立ちをした相沢早苗(あいざわさなえ)さん、そしてもう一人はゆるふわのセミロングヘアに大きめの茶色フレームメガネがチャーミングな倉敷由奈(くらしきゆな)さんだ。そんなメンバーの一員に入れたわけだから俺もいつになく仕事に気合が入った。

 倉敷さんはいつも笑顔でチームのムードメーカーとして活躍してくれた。俺の話も本当に楽しそうに聞いてくれる素敵な女性だ。正直この機会になんとかお近づきになりたいところだ。相沢さんも気配りができて仕事をきっちりこなしてくれるのだが…時より向けられる刺さるような冷たい目線と涼しげな美貌が近寄り難くするのだ。


「山本さんって休日は何やってるんですか? そういえばアウトドアが趣味なんでしたっけ?」


 倉敷さんが俺に質問してきた。俺は昔ボーイスカウトをしていたこともあって、今ではキャンプや登山が趣味となっているのだ。そんなことより…倉敷さんが前に話してたことを覚えていてくれたのが嬉しい。


「ああ、キャンプに行ったり、山に登ったりしてるんだ」


 俺は嬉しさが顔に出ないように気をつけながら答えた。


「え〜本当ですか〜? すご〜い! アウトドア派なんだ〜」

「へ〜、あんまりそうは見えないですけどね」


 倉敷さんが手を合わせながら魅了的な笑顔を見せてくれる。ちょっと相沢さんの目が懐疑的なものになっているが嘘はついてないよ?


「そうそう、こいつ結構すごいんだぞ! 前に会社のメンツでキャンプに行った時とか率先してテント張ったり、火を起こしたりして大活躍だったんだ」


 花岡さんが上手いことヨイショしてくれた。相沢さんも倉敷さんも感心した顔をしている。キャンプの時、他の人たちが酒飲んでばっかりで仕方なく頑張ったのだがやってよかった。


「人は見かけによりませんね」


 そう言って相沢さんは俺の顔をしばらく見た後、ちらりと倉敷さんを見た。何だろう? そんなに俺は頼りなく見えてしまうのだろうか…。少し落ち込んでいると店員が料理を持ってやってきた。


「お待たせしました〜。だし巻き卵です」


 おっ、きたきた! やっぱり居酒屋では出し巻き卵が食べたくなるんだよね。


「わっ、だし巻き卵! 美味しそう〜!」


「ふふん、ここの出し巻き卵は美味しいぞ〜、こうやって大根おろしを乗せていただくんだ。醤油使うのは邪道だね」


 花岡さんはそう言いながら箸でつまんだ一切れの出し巻き卵を食べた。確かにそれも美味しいかもしれない。でもやっぱり大根おろしに醤油を一滴垂らしたくなる。それが出し巻き卵の一番美味しい食べ方だと思う。しかし、ここは花岡さんの顔を立て、同じように醤油を垂らさずに食べた。出汁の旨味がしっかりしていてトロッとした卵の食感とよくあっている。大根おろしが後味をさっぱりとしてくれて確かに美味しい。…でもやっぱり醤油の一押しが欲しいと感じてしまう。


「さすが花岡さん! いや〜美味しいですね〜!」

「本当! 美味しい!」

「だろ〜?」


 俺と倉敷さんの絶賛に花岡さんは誇らしげに胸を張っている。ちらっと相沢さんを見ると花岡さんの目を盗んで出し巻き卵の上に乗せた大根おろしに一滴醤油を垂らしていた。俺の目線に気づいた相沢さんの目は少し気まずげに“だってこの方が美味しいでしょ?”と訴えている。“確かに…”と俺は思わず頷いてしまった。ああ…俺もああやって食べたかったと思うのだった。




 ♢




「終わった〜!」


 今日は花の金曜日だというのに時計の針はすでに9時を指している。


「ごめんね、二人とも。せっかくひと段落大きなプロジェクトが終わったと思ったらこれだもん」

「仕方ないですよ〜。こういう後処理はキチンとやっとかなきゃいけませんからね」

「ですね。後に回したほうが大変になりそうですから」


 俺、相沢さん、倉敷さんの3人でこの間のプロジェクトの後片付け兼部長報告用の資料を作成していたのだ。なんだかんだで結構時間がかかってしまった。


「花岡さんは年休取っていないし」

「まぁ風邪ひいちゃったならしょうがないですよ」


 仕事も終わってあとは帰るだけの今、ここで誘わなくていつ誘うんだ俺? 自分の心を奮い立てた。


「この後どうかな? いい店知ってるんだ。よかったらこれから一緒に飲みに行かないかい? もちろん俺のおごりでね」


「すみませ〜ん、すっごく魅力的な提案なんですけど…週末は親が早く帰らないと心配するんで」

「そ、そっか倉敷さん実家暮らしなんだっけ」

「はい、実家が会社から近かったので。せっかく誘ってくれたのにごめんなさい」

「すみません。私もこれから予定がありますので…」


 二人ともすごく申し訳ない顔という顔をしている。残念だが誘われるのが嫌という雰囲気ではないので俺は少し安心した。嫌われていたらショックで立ち直れない。


「あ〜、いいよいいよ気にしないで!じゃあ片付けは俺がやっとくからもう帰っていいよ。2人とも気をつけて帰ってね!」

「はい、また今度誘ってください」

「ですね! 山本さんのオススメのお店すっごく気になります! また誘ってくださいね」

「おう、またの機会に誘わせてもらうよ」


 お疲れ様と彼女たちを見送った後、ため息をつきながら男は週末今日は一人で寂しく飲むかと決意する。まぁ気兼ねしなくて済むしそれもありだろう。




 ♢




 今日は金曜日、明日から休み。

 週末は気兼ねなく過ごすのが一番だ。


 今日は久々にあのバーに行くとしいようか。

 そのバーは古いビルの3階にある。隠れ家的なバーで落ち着いて飲めるのがいい。店へと向かって歩く。


 店へ入るとカウンターの席に座った。落ち着いた雰囲気とマスターのオススメのお酒がとても美味しいのでよく来るのだ。しばらくするとマスターがやってきた。30代後半くらいの年齢で髪をオールバックに綺麗に決め、優しげな雰囲気を醸し出している。


「いらっしゃいませ。どうぞ、本日はどうされますか?」


 マスターから差し出されたおしぼりを受け取る。暖かい。少し冷えた手をおしぼりの熱がじんわりと温めていく。


「まずはハイボール、それとタンドリーチキンをお願い」

「かしこまりました」


 今は喉が渇いているので最初から度の強いお酒を飲むのは避けた。一杯目は喉を潤すためにもごくごく飲めるハイボール。それとツマミとしてタンドリーチキンを頼んだ。

 このバーに来たら必ず頼むここのタンドリーチキンはマスターが昔インドを旅した時に路銀を稼ぐため現地の料理屋で働いてい学んだ味を日本人向けにアレンジしたもので本格的な味ながらどこか落ち着く味なのだ。




 スパシーなタンドリーチキンをハイボールと楽しみ人心地ついた。こうやってお酒を楽しみながらゆったりとした時を過ごすのは日頃の疲れを癒すのに最適だ。人と飲むのも楽しいがこうやって一人で周りの目を気にせず楽しむのもなかなか悪くない。


「ウィスキー、種類はお任せで、飲み方はロック。それとナッツで」

「かしこまりました」


 喉も潤ってきたのでお次はウイスキーをロックでナッツと一緒にいただく。


「ウィスキーのロックとナッツです。ウィスキーはアベラワーの10年ものです。まろやかで甘い味わいですよ」


 手でグラスを包むようにして手の熱で温め、溶けた氷とウィスキーが混ざり少しづつ変化していく味と匂いを楽しみながらちびりちびり舐めるようにいただく。甘くて飲みやすいウィスキーがナッツの程よい塩気と良く合う。特にピスタチオが美味しい。そんなことを考えていると店内の落ち着いたムードに合わない声が聞こえてきた。


「お客さん、もう飲むのはやめた方がいいですよ」


 声の方を見ると若い店員の一人が諭すように若い男女のペアに言っているようだった。女性の方はどうやら結構酔いが回っているらしく顔が赤い。


「な〜に、これぐらい大丈夫だよな?」

「は…はい」


 客の男が手を振って店員を追い払うようにする。嫌なものを見てしまった。意識を切り替え少しお酒を楽しんだ後店を出ることにした。



 ♢



 店の外を出ると少し冷たい風が吹いていた。お酒で少し火照った頬に心地よい。だがそれとは別に心地よくない声が私の耳に運ばれてきた。


「あの…大丈夫です。1人で帰れます」

「いいからいいから、足元ふらついてんじゃん! 俺が送っててあげるよ」


 酔った女を連れて行こうとする男、本当に親切心があるのか怪しい。見覚えのある二人だ。さっきのバーにいた男女だろう。


「さあ、行こっか」


 そう言って男はふらつく女性の肩を掴んだ。それを見て思わず私はため息をついた。流石にこれを見逃したら後味が悪い。私は早足で近づく。ポニーテールにまとめた髪が夜風に靡いた。


「ちょっと、そういうのはやめなよ」

「あん? なんだよ?」


 男は私の声に呼び止められ、こちらに振り向いた。


「なんだよ? ふ〜ん、気が強そうな目ぇしてるけどなかなか…」


 男が私の顔を見定めるかのように見つめてきた。失礼なやつだ。私は普段キツ目な目をごまかすために眼鏡をつけているが今は気にせず外している。


「なんだよ? お前が相手してくれんのか〜?」


 どうやらこの男もなかなかに酔っているらしい。茶髪に染めた髪にキツイ香水、チャラい男だ。隣の女性はなんでこんなのに付きまとわれちゃってるんだろうというくらい可愛らしい女性だ。あまり夜歩きは慣れていないのかもしれない化粧もやや濃いめで普段のメイクとは違うであろう拙さを感じる。私はポニーテールをほどき軽く頭をふる。するとふわっと髪が広がる。チャラ男は突然の私の行動にいきなり何をしてるんだと目を丸くしている。ポニーテールよりこの髪型の方が庇護欲を注げるのだ。ものは使いようだからね。


 私は”すぅ”と息を吸い込んだ。そして…


「きゃ〜〜!!」


 男は突然の女性の悲鳴に驚き、唖然とした顔になる。


「だっ、誰か〜!! 助けてくださ〜い!!」

「え? いや…ちょっ」


 男に刃向かうでもなくすぐさま大声で助けを呼ぶ女性の行動に戸惑ってしまったのだ。


 夜になり人通りが少なくなったとはいえ、誰もいないわけではない。女性の助けを呼ぶ声に何事かと注目が集まる。


「ちょ…ちょ待てよ!」


 悲鳴を上げながら後ずさって行く私を見て慌てて男は私の左腕を掴んだ。それに対し私は先程よりも大きな声で悲鳴を上げ、男から距離を離すように体の右半分を後ろにした。


「きゃ〜〜!! いや〜〜!!」


 そしてさらに焦った男が力を入れて左手を引く勢いに合わせて女性は右足を男の方に踏み込み、更に男に掴まれていない右手で手に持ったハンドバッグをすくい上げるように振り上げた。


「ハゥ!?」


 どうやら女性が振り上げたハンドバッグは男にクリーンヒットしたようだ。チャラ男は女性を掴んだ右腕を離し、手をとある部位にあて足を膝をぴったり閉じ、目を大きく開けた状態で口をパクパクしている。呼吸が苦しそうだ。


 それでもなんとか男は女性へ右手を伸ばすがそれはやってきた別の男性に止められた。


「ちょっと君! 何やってるんだ!」


「フゥ〜、フゥ〜…い、いや俺は…だな…」


 チャラ男は荒い息をしながら弁明しようとするも痛みでうまく喋れないでいた。股間を押さえたままの左腕と女性の方へ右腕を伸ばしたチャラ男の姿勢に加え、やけに荒い息づかい、これを誤解しない方が難しいだろう。


「これ以上彼女たちにつきまとうなら警察を呼ぶぞ!」

「…ッ!」

「ほら、君たちはいいから早くここを離れなさい」


 チャラ男を抑え、私たちに早く行けと手を振る素敵なおじ様に二人して頭を下げ、お礼を言い急いでその場を後にした。



 大通りに出たところで私が携帯でタクシーを呼んだあとチャラ男から助けた女性が話しかけてきた。


「あ、あの! たっ、助けていただいてありがとうございました!」

「いいわ。ただ…これからはお酒の飲み方には気をつけなさい。あと、飲む相手もしっかり選ぶこと。今、タクシーを呼んだから今日はそれでおとなしく帰りなさい」

「はっはい、私、芹沢加奈子(せりざわかなこ)っていいます。あ…あのあのあなたの名前を教えてくれませんか?」


 名乗る理由はないが名乗られて名乗らない理由もない。私は頰をかきながら渋々答えた。


「…私は倉敷由奈って言うの」


 ♢




「スッスッ、ハッハッ…」


 鼻で空気を2回吸った後、口から空気を2回吐き出す。呼吸を乱さないようこの呼吸法を心がけながら緩やかな坂道を登り続けている。

 今日は日曜日、通っている陶芸教室が休みだったので久々に1人で山を登ることにしたのだ。動きやすい服装にスニーカー、そしてリュックサックを背負っている。昔はもっと山登りをしていたが最近は少しいく機会が減ってしまった。でもこの前のプロジェクトで一緒に仕事をした相沢さんも山登りが趣味といことで意気投合し、今度一緒に山登りに行くことになっているのでもう少し体を鍛えないといけない。そんなことを考えながらタオルで汗を拭う。


 やっとついた頂上でお昼ご飯にする。今回登った山は難易度の低いところで子供連れの家族もいる。備え付けの木製の椅子に座る。


 お昼ご飯は少し早起きをしてを作ったおにぎりとお新香、それとゆで卵だ。それを保冷バックから取り出す。おにぎりは2つで具は梅干しと鮭が一つずつ。私はこういう機会には必ずゆで卵を用意する。


 私の両親は共働きでなおかつ母親が料理下手だったため、学校に通う際のお弁当はいつも冷凍食品や店の出来合いのお惣菜ばかりが入っていた。

 それでも家族でピクニックへ行く際や学校の遠足・運動会では母が必ずゆで卵を作ってくれた。それもしっかり火の通った固ゆで卵だ。今ではもう少しまともな調理ができるがあの頃の母のスキルではゆで卵が限界だっただろう。あの頃は作れば鍋を焦がし、揚げ物をすれば火が上がる…それ以上を求めるならば色々覚悟が必要になっただろう。

 だからと言ってはなんだがゆで卵は私にとって唯一と言っていいほどの母の味だ。


 最初におにぎりとお新香を持ってきた保温性の高い水筒からあったかい焙じ茶とともに頂く。程よい塩気のおにぎりと焙じ茶の香ばしい香りを山頂の風景を楽しみながら頂くというのは少し贅沢な気持ちになれるのだ。


 お腹も少し膨れたところで最後に残していたゆで卵の殻を剥く、そしてスキットルとぐい呑をカバンから取り出す。ぐい呑は陶芸で自作したものだ。やや厚ぼったいがこうやって持ち歩くには丁度いい。そのぐい呑にスキットルのふたを外し中身を注ぐ。並々と注がれた透き通った液体が美しい。スキットルの中身は日本酒だ。山にいるので一杯だけ、だがこの一杯がたまらないのだ。

 たまらず私はぐい呑に口を付け、一口飲むとキリリとした少し辛口の風味が喉に心地よい。もっと飲みたいと思う気持ちを自制し、次にゆで卵に塩を軽くつけて一口、そして再び日本酒を一口頂く。この組み合わせはたまらない。日本酒とこの()()()()()()()()の旨味が良く合うのだ。…そう、ゆで卵の黄味は半熟だ。母の味は固茹でだがやっぱりゆで卵単体で美味しいのは半熟だと私は思っている。こういう機会は美味しい食べ方で頂くのが一番だろう。


 バーナーで湯を沸かしカップ麺を食べている人たちが目に入った。ああいうのもありよね。

 次来るときは自分で作った徳利で熱燗を作ろうと決め、私は新たな野望を胸に山を下っていった。

読んでいただきありがとうございました。


去年の5月ごろ書いて放置してた短編を書き上げました。


固茹で卵と週末、楽しんでいただければ幸いです。

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