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回帰  作者: 雨宮吾子
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楽園にて

 機械的に運行されている電車が駅に到着すると、信じられないくらいに大勢の人が乗り降りして、何事もなかったかのように電車は次の駅へ向けて走り出す。そうして空気の入れ替えをするように人の入れ替えをしながら進む電車は、一定の時間を置いて再び同じ駅に戻ってくる。

 環状線の電車に乗ってしばらくうつらうつらしていた私は、目的の駅で降り損ねたことに気付いて、それでもいつかはまた同じ駅に戻ってくるのだからと思い、再び襲ってくる眠気に意識を乗っ取られそうになるのだった。

 環状線の電車というのは、ある意味でこの都会を象徴している。この都会はいつまでも同じところをぐるぐると回っていて、変化に乏しい。それで螺旋状に上昇していくのなら良いけれど、お互いに足を引っ張り合っているものだから、上昇することなんてあり得ないのだ。私が果てしのない消耗戦の只中にいるかのような感覚に陥ったのは、まるで根拠のないことではなかったのだ。

 私の地元にも環状線のモノレールが走っている。高校時代、あの華やかなりし高校時代には、友人たちとモノレールに乗って他愛のない話をしながら何周もしていたのを思い出す。けれど、その楽しいだけのはずの思い出にはどうしようもない空白があって、私は言いようのない虚しさを覚えるのだった。

 高校を卒業してから十年が経つ。紆余曲折を経てこの都会に暮らしている私は、しかしどうしてこの都会に腰を落ち着けることになったのか、自分でもはっきりと覚えていない。きっとどこかで地元に帰る機会があったはずだし、私に帰郷を促してくれる人もいたのだけれど、結局はそのままこの都会に暮らし続けている。夢も目標もないままに、私は屍となってこの都会に暮らしているのだ。

 それはきっと、変わらない日常があまりにも愛おしいからなのかもしれない。

 固定化された人々による、固定化された世界。それが、この都会の本質なのだと思う。

 コンクリートの建築が先なのか、それともそこに住まう人々が先なのか、それは分からないけれども、いずれにしても都会というのはひどく動きのない場所だ。新しい道路が開通したり新しい商業施設が完成したりして、メディアでは飽き飽きするほど新奇なものを称揚している。そうしたように見た目には変化が起こっているけれど、本質的には大きな変化というものはなくて、そこに行き交う人々の数が多い分だけ動かしようのないものがあって、ただ緩やかに時間が流れているのだ。

 この街はいつまでもこのまま存在し続けるだろうか。その疑問に対する答えは簡単で、きっといつまでも見かけだけを変えながら本質は変わらずに存在し続けるだろう。もちろん、外からの大きな圧力がなければ、だけど。

 いわゆるお上りさんの私は、ここでの生活を数年続けて都会に馴染んだつもりでいる。けれど、きっと外様の人間はいつまでも外様のままで、譜代の人間にはなれないものなのだ。その変身を許せない人がいる限り、きっとそうなのだ。そもそも私はお上りさんという言葉が嫌いで、まるで中央と地方に優劣があるかのような言い方がどうにも気に食わないのだ。中央と地方という概念も正直に言えば好きではない。けれど、何もかもを否定するばかりでは話が進まないから、私は仕方なくそうした言葉を使うのだ。

 私は何かに憧れてこの都会にやって来て、それでその見えない何かを追いかけながら、結局は堕落してきたのだ。そこに入るまではまるで縁のなかった業界の仕事は一応順調だし、恋人がいないことを除けば、傍目には生活は上手くいっていると思う。ただ、そこに成功の実感が伴わないだけなのだ。あるいは私は成功というものにこだわり過ぎているのだろうか? いずれにしても、そんなことを確認できるだけの相手すら今この場所にはいなかった。

 さて、ある年の夏が近づいてきた頃、どこをどうして今の住所を知ったのか、高校時代の同窓会の葉書がダイレクトメールに紛れてポストに入っていた。特定の誰かから葉書を受け取るということ自体が珍しいものだから、私は何だか懐かしい気分になりかけた。でもそこには何だか中央に生活する者の地方への優越感のようなものが混じっているような気もして、私は気持ちを切り替えてから葉書に目を通した。

 それは、今度のお盆休みを利用して十年ぶりにみんなで集まろうという主旨のものだった。そう、気付けば高校を卒業してからもう十年が経つ。私は三十歳という一つの節目を目前にしているというのに、目標もないまま都会のマンションの一室に埋もれかけているのだ。けれど、けれど。私にはある理由から同窓会に参加しようという気持ちがどうしても湧いてこなかった。たしかに親しくしていた友人はいたし、彼女たちと再会したい気持ちはある。でもそこに、最も再会したい相手はいないのだ……。

 私は数日くらいその葉書をリビングのテーブルの隅に置いておき、それでも気持ちが変わらないことを確認してから、欠席の欄に印を付けて投函した。後悔はまるでなかった。


 意志のない人の群れが、今日も大地を舐めるようにして高層ビルの足元を歩いている。高層ビルが途切れてもどこまでも続く建築物の群れの隙間を縫うようにして、私もまた歩く。電車や地下鉄やモノレールなどが規則正しく動くための大きな歯車を支えているのは、あるいはその歯車となっているのは生身の人間なのだ。だから意志のない人の群れというのは誤謬でしかない。一人一人に人生があり、生活があり、夢がある。そうやって他人には見えない人間の一生が積み重なって、歴史というものが生まれているのだろうか。その膨大な堆積を私というちっぽけな存在がひたすらに考えたなら、その果てには発狂があるのみだと思えた。

 私は、最近になってそんな取り留めのないことを考え始めた。そうした考えへと私を駆り立てたのは、あの同窓会の開催を報せる葉書と、それからしばらく経ってからかかってきた電話だった。

「久しぶり」

 懐かしく思えるような電話越しの声が、私の苗字を呼んでいた。その声はくぐもっていて、感情や背景がよく捉えられない。

久嗣(ひさつぐ)……」

 私はそう呼び返したけれど、相手は私のことをもう桐乃(ひさの)と呼んでくれはしなかった。そのことを何とも思わなくなったと言えば嘘になる。

「今度の同窓会、どうするんだ」

「あの葉書、あなたが送ってくれたの」

「ああ、今の住所を知っているのは俺しかいないみたいだからって頼まれてな。俺も本当は知らなかったけど、おばさんに聞いて教えてもらったんだ」

「そう……。でも、つい何日か前に葉書を投函したわ」

「行き違いになったな。……来ないつもりなのか?」

 私は歯を見せてしまいそうになった。ここには誰もいないし、電話越しの久嗣に見えるはずもない。だけど、思わず口を塞いでしまった。

「分かっているのか分かっていないのか、不思議なのは変わらないのね」

「同窓会には出なくても別に構わないからな。でも、俺たちだけで会えれば嬉しいと思って」

 そこに妙な下心がないことは分かり切っている。それは嬉しくもあり、またどこか切なくもある。

雨嶺(あまね)のこと……?」

「……うん」

「あれから十年と少し、だったね」

「あっという間の十年だったけど、忘れてるわけじゃないんだろう?」

「もちろん。でも、仕事の都合とか色々とあるから――」

 その先の言葉がとっさに出てこなかった。承諾することも拒絶することも、その一瞬の言葉にかかっているのがよく分かった。

 その意識が、一瞬のためらいに繋がった。

「また連絡させて。きっと、きっと行くから」

「分かった、ありがとう」

 電話を切った後に訪れた静けさが、いつになく寂しい夜だった。私はベランダに出て、強くはないビールを飲みながら、彼方に光るマンションの灯りが滲んでいくのを見た。その場に座り込んで声を抑えながら涙を流した。悲しみの涙を流すのは、本当に久しぶりのことだった。

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