第35話「世界平和」
◇
「やり直し」なんて言っておいて、わたしがやりたかったのはこれだけなんだけどねー。
「パンデミック・マジョリティー」、複製を生み出す力。多勢に無勢、どんなパワーも数の力には適わないって言うしね。
他の連中の方は父様がやってくれたみたいだし、とりあえずわたしは元の時間に戻りますかねー。
元の時間、あの崩れ落ちた教室へ。
◇
と思ったんだけど、あれ……?
天井の崩落も、バラバラになった椅子や机も元に戻ってるし、
「ん? なんでここにいるの苺? 一緒に帰る?」
「……佐伯ルナ?」
ベランダから飛び降りたはずの佐伯ルナが、何もなかったかのように微笑んでいる。佐伯ルナだけじゃない、
「行こうぜ龍之介」
「おう」
姿を消したはずの灰崎寅宗が鈴村龍之介と教室を出て行くところだった。
なるほどね。鈴村龍之介。お前はこれを「願い」としたわけか。わたしには諦めたようにみえるけどねぇ。
「神に挑んだ敗北者の抜け殻」ことジャッキーに、鈴村龍之介は願った。「モテ期」なんて本人は嘯いているけれど、奴が願ったのはもっと壮大で馬鹿げたものだとわたしは知っている。
「世界平和」。みんなが笑って暮らせますように、などというお伽噺の世界だ。
「……アリス、一緒に帰ろう……」
「私もご一緒してよろしいですか?」
「うん、ヒビィ、むぅちゃん、」
一緒に帰ろう! と笑う影島アリス。
何の悩みもないようなこの光景を、父様はどこかで見ているだろうか。
「ん? どうしたの苺?」
ベランダの辺りの空間に一瞬ヒビが入ったように見えて、わたしはそっと近づいた。揺れるカーテンの向こう、窓から地面を覗く。
女の子ひとり分の真っ赤な染みが、アスファルトを彩っていた。
◇
異世界「バーガーランド」跡地。
ふたつの「抜け殻」が争ったそこには墓標もなく、時折思い出したように風が吹くばかりだった。
「抜け殻」のひとつは力を使い果たし、思念体のまま荒野に浮かんでいる。
もうひとつの「抜け殻」は役目のほとんどを終え、今にも眠りに落ちそうだった。かつて、僅かな時を過ごした遠い世界を悲しい顔で眺めている。
唯一手に入れられなかった「複製」のスキルは、娘が入手してくれたようだ。大丈夫、娘の「巻き戻す」スキルがあれば何度だってやり直すことは出来る。
ぶおお、と咆哮のような音を立てて強い風が吹いた。
その風に乗って、ひとつの思念体は「バーガーランド」を旅立っていく。神に挑むための新たな依代を求めて。
それに気付くことなく、役目を終えた思念体は深い眠りに就いた。
(サギーはきっと、優しすぎるんだよ)
記憶の中の誰かが、そう言って笑った。




