第33話「ゲームオーバー」
◇
「困ったなぁ!」
そう叫んだのは日々子ではなく、アリスだった。
薄い膜の向こう、クラスメイトの数よりも多い魔物達は、その声に呼応するように動きを止めた。
「『動』の力ですか……」
「うん。ちょっとだけ久し振り、かな」
葵に答えるアリスの声は、少し照れているような響きをしていた。いや、それとも気まずさだろうか。
一度は手放した、他人を傷付ける力。
自分の願いを叶える代わりに手に入れた力。
それでも、今は--。
動きを止めた魔物達は、数秒思案するような表情を浮かべて、それから教室を出て行った。半壊した引き戸の向こうへ、授業を終えた教師が去る時のように、静かに。
「アリス、あなたは本当に……」
劣化版「ゴールデンウィークポイント」を解除して、葵は吐息をこぼした。
「馬鹿だなぁ!」
「うるさいっ! クズ村!」
茶化した俺の声に、異世界では耳慣れた罵声が飛んだ。
魔物達が俺達を襲うことをやめたのは、アリスの声に従ったからだ。日々子のチートスキル「マリオネットワーク」を遣って、アリスは自分を助けた。自分と、友達を。
「……う、うう……」
日々子が小さな嗚咽を漏らしていた。
「大丈夫だよ、ヒビィ」
震える肩を、アリスはそっと抱いて言った。
「スキルなんか遣わなくたって、困った時は助けてあげるよー。友達でしょ、あたし達」
「……アリス……、ありがとう……」
嗚咽はやがて、悲鳴のような泣き声に変わった。けれど、それを笑う奴なんていなかったし、ハッピーエンドの欠片もなかった。
壊れた机、天井の抜けた教室。ベランダから飛び降りたルナルナ。魔物に襲われた寅宗……ん?
「寅宗……どこだ?」
「え?」
魔物達に襲われていた寅宗は、いつの間にか姿を消していた。立っていた床には血溜まりが出来ていたけれど、どこかに続く血痕は見当たらない。
「……『ゲームオーバー』でしょうか」
「ん? 葵、何か言ったか?」
「いえ……」
問いに生返事をして、それから葵は思考を言葉にする。けれど、日々子の泣き声の方がずっと大きくて、俺達には聞こえなかった。
「……チートスキル『ゲームオーバー』……強制的に生命を終わらせる……。灰崎くん、あなた、もしかして……」
◇
異世界「ブラックリッパー」在住、盗賊ギルド「窮鼠」のサブマスター。対象者の生命を強制的に終わらせるチートスキル「ゲームオーバー」の遣い手。エンドローラー、トラムネ・ハイザキ。
釈迦萩高校二年C組、出席番号十八番。帰宅部のエース。諺とソシャゲが好きな学生。灰崎寅宗。
どっちなのだろう。
薄れゆく意識の中で、彼は心に問い掛けていた。どちらが正しい自分なのか。どちらであるべきなのか。
どちらでありたいのか、と、そこまで考えたところで彼は完全に意識を失った。
チートスキル「ゲームオーバー」は所有者が自身を対象に使役した場合のみ、特別な効果を発揮する。
もとより、彼はそれを使ってふたつの世界を生きてきたのだ。
特別な効果「セカンドプレイヤー」。意識を共有するもう一人の自身を異世界に生み出す能力。
こっちの世界の灰崎寅宗は死んでしまったけれど、向こうの世界のトラムネ・ハイザキは生きている。
寅宗の意識が消えたことを確認して、トラムネは自問自答の続きを始める。自分はどうするべきなのか、どこへ行くべきなのか。




