リー&ペリン
「お前らさぁ、ちっとインドのソース作ってくんね?」
十八世紀のある日、とある国にて、そんな無茶ぶりが貴族から出された。
「はい?」「ふぁ?」
呼び出された二人の驚く声を無視して、貴族の長たらしい説明するとなるとこうだ。
貴族の一人が、かつて赴任していた頃食べたモノが恋しくなり、それが欲しくなった。
其処で、彼はお抱えの薬剤師兼、料理人コンビ、リーとペリンを呼び出す。
しかしながら、今回の依頼は二人に取って訳の分からないモノであった。
*
上司である貴族から頼まれた以上、断れなかったリーとペリン。
とにかく二人は頭を悩ませていた。
「はぁ? なんだよインドのソースって?」
「俺が知るかよ。 てか、カリーソース? そんなもん有ったのか?」
当時、まだまだスパイスは普及して居らず、二人は苦慮していた。
そもそもインドなど行った事もなく、存在すらあやふやである。
「スパイスが利いてんだってよ」
とりあえずと、リーは渡された紙をみる。
書面にはこうあった。
【なんかスパイシーで芳醇で、旨味たっぷりだった。 後、一応現地の人が書いたレシピを記す】
紙を渡されたペリンも目を通したが、全くといって良いほどに分からない。
内容自体が個人の主観に因るモノであり、レシピとは言い難かった。
何故かと言えば、特に目立った点が無いからだ。
【蒸し煮にした鶏から脂を取り除き、取れたスープにヨーグルト、ニンニクと玉ねぎショウガのペーストを加えて、最後にカリに香辛料にて風味を付けます!】とあった。
「だいたいよ、がらむまさら? そもそもカリって何?」
この当時、カレーというモノ自体、その存在を知る者は多くはない。
*
諸説紛々だが、カレーの語源はそもそも、インドの料理を食べたある香辛料商人が、現地の人にこう聞いたとある。
未知の料理にいたく感銘を受けた商人は驚いた。
香辛料がふんだんに使われ、それが複雑な香りを作り出し、実に香ばしい。
「こらうんめぇべや! こらなんつーだよ?」
当たり前の様に、英語などまだまだ知られていない。
そもそも現地の料理人からするとポルトガル人の喋る英語など訛っていて何を言ってるのかすらわからない。
聞かれた料理人は、指さされた皿を見てこう思ったらしい。
あぁ、この人は中身を知りたいんだな、と。
かのスパイスで有名な国にはこんな言葉が在った。
肉や野菜という意味にて【カリ】という言葉が在る。
「へへぇ、カァリィってもんだす」
この時、料理人が答えた【カリ】とは、要するに中身を意味する。
「へぉ? カレーってんかい…………ふーん?」
発音の違いのせいか、訛りのせいかは分からない。
とにもかくにも、こうして世界に【カレー】という名が産まれた。
*
さて、同じ様にインドの料理を食べた貴族だったが、一介の料理人であるリーとペリンではそうも行かない。
暮らしぶりはそれなりではあったが、海外旅行が出来る身分ではなかった。
この当時、ごく一部の者だけが【カレー】の存在を知ってはいたが、極秘のレシピをおいそれと外部に垂れ流すのは愚の骨頂である。
因みに、記録されている内容はいささか乏しい。
参考の為に、この当時貴族の間で流行ったカレー?のレシピを紹介しよう。
鬱金、生姜、馬芹、胡椒
炒めた小麦粉、塩、鶏の出汁に炒めた玉ねぎ、蒸して割いた鶏肉を用意。
玉ねぎをバターで炒め、其処へ炒った小麦粉を投入。
小麦粉を鶏の出汁で伸ばして、スパイスにて風味付け。
その後、ライスへソースを掛けた後で鶏肉を乗せる。
以上である。
些か寂しくもあるが、まだまだインターネットどころか伝書鳩が現役の時代でもあり、情報は限られていた。
さて、話を戻そう。
リーとペリンは、正体不明の料理に付いて調べ回った。
だが、何せ情報が無い。
「カレーって知ってます?」「教えてください、オナシャス!」
と、聞いた所で、それを知る者は多くない。
それでも、二人はなんとか情報を集め続けた。
集まった情報を整理すると、なかなかに難しい。
香辛料は数種類を使い、魚や野菜を風味を出すと良い。
味付けは甘辛く、実に香り豊かなソースである。
聴き回った情報を統合すると、こうなった。
但しコレには間違いも多い。
何せモノ自体が無いのだから、リーとペリンに尋ねられた者の中には、見栄を張って嘘を言ってしまった者も多いだろう。
だが、ともかく目的地を見いだした二人である。
「わっかんねぇよなぁ? こんなんで造れんのかね?」
自宅兼用の工房にて、リーはテーブルに並べられた材料を見てそう言う。
「んなこといってもよ、聞いて回ったし」
ペリンも同じ様にテーブルを見渡す。
集まった材料は多かった。
丁字、唐辛子、ニンニク、アンチョビ、リーキ、玉ねぎ、糖蜜、酢、塩……その他諸々。
薬剤師をしていた事が幸いしてか、香辛料は使える。
ただ、他に何を使えば良いのかが全く持って不明であった。
それもその筈。
インドの香辛料とは、基本的には風味を整える調味料であり、漢方薬としての一面だけではない。
某国が醤油や味噌を使うように、インドの人は香辛料を調味料として用いた。
ごく当たり前の風味付けとして。
つまりは、料理の具材に合わせて香辛料の配合を変えるのである。
中身の決まりなど無いのだ。
例えるならば味噌汁だろう。
赤味噌、白味噌、田舎。 仙台、信州、八丁。
どれがどうという訳ではない。
味噌という字は同じだが、地方によって使い方も違うのと同じである。
同じ様に、インドの地方によって香辛料の配合まで違う。
其処で、二人に問われて困った人達は、勢いに任せてこう言った。
自分は【カレー】なんて知らないでは面子が廃る。
『アレだ! アレに違いない! コレを使え!』
『なにぃ!? カルェーだぁとお? ああ、コイツが要るな!』
『へー、カリー? たぶんコレが入る筈さ』
『あ? あー、あー、はいはい。 そう言えば、ソレをどうぞ』
実物を知らぬ二人が、色んな人からこう言われれば信じるしかなかった。
「ま、とりあえずやってんみんぜ!」
「んだな!」
気乗りしなかった二人だが、受けた依頼は断るつもりもなかった。
*
数時間後。
「うぇ……んだよ、コレ?」
「わぁ、気持ち悪……」
自分達の作品を見てリーとペリンは驚いた。
水から材料を煮込んだ。 とにかく煮込んだ。
結果的に出来上がったモノ。
それは魔女の釜も真っ青の真っ黒な謎の液体である。
些か水分が多かったのもあり、カレーとは言い難い。
漂う匂いは香りとは程遠く、グツグツ煮立つ黒い湖面。
其処で、リーはペリンに木杓子を差し出す。
「よぉ、ちょっと舐めてみ?」
「はぁ? やだよ?」
当たり前だが、臭いからして食べ物のモノではない。
異様に薬臭い液体などペリンは嫌がった。
「じ、じゃあ俺からな?」
作ってしまったものは仕方ないと、リーは意を決した。
怪しげな黒い液体を掬い、鼻をつまみながらチビリと舐める。
「…………どうよ?」
ペリンの声に、リーは笑った。
「い、いけんじゃね? ほれ、やってみ?」
目尻に涙を溜めながらも、リーは相棒に黒い液体を勧める。
相棒の声もあり、ペリンは木杓子の中身をグッと口の中へ。
数秒後、ペリンが盛大に黒い霧を吐いたのはご愛嬌であろう。
結局の所、出来上がったのは物体Xでしかなかった。 この時は。
「あー、もったいねぇなぁ……」「……そうだなぁ」
謎の黒い液体を造るに当たり、多額の金が掛かった。
それ故に、捨ててしまうのもどうかなと思ったのか、リーとペリンは黒い液体を樽に押し込み倉庫にしまう。
二人の心情を察するならば、捨てて失敗がバレるのが嫌だったのかも知れない。
とにもかくにも、こうして黒い液体は捨てられず忘れ去られた。
*
二年後の事である。
久し振りに倉庫の整理でもするかと現れたリーとペリン。
二人はすっかりと黒い液体など忘れていた。
紆余曲折はあったが、此処まで彼等が生きていたのは料理人というより薬剤師としての一面が大きかった。
そんな二人だが、ふと在るモノを見つけ出した。
「よぅペリン」
「何だリー?」
リーの指差す先には、樽が二つ在った。
この樽こそ、かつて二人を苦しめた象徴である。
樽を見て、かつての記憶が蘇ったペリンは思わず一歩下がる。
「げげ!? おめぇ捨ててなかったのかよ!?」
嫌な記憶がペリンを苦しめるが、そんな相棒をリーは逃がさない。
「捨てなかったってもよ、勿体ねぇって言ったのはおめぇだろ、ペリン?」
「はぁ? いやいやいや、君だからね? リー君だからね?」
この時、樽を捨てなかった責任が二人の内どちらに在ったのかは定かではない。
だが、二人が偶々ものぐさだったのが功を奏したともいえる。
二人は一悶着あったが、樽を開けてみた。
寝かせた事が幸いしたのか、意外に悪くない香りが二人に届く。
しかしながら、二人は味見をする度胸が無かった。
「どうすんべ?」
「……どうっておま……は!?」
リーの声に、ペリンは有る妙案を思い付いた。
みる者が見れば、ペリンの頭上に電球を見たかも知れない。
*
その日、ある地方の在るところに怪しげな露店が出ていた。
露天商自体、未来でもって珍しくはない。
何処から持って来たで在ろう角材に、丈夫な布地を組み合わせた簡単な作りのモノ。
ただ、この露店に店員として並ぶのはリーとペリンである。
そして、これがペリンの見いだした妙案であった。
失敗作の汁を誰かに試させる。
もし、不味いと言われたら新作の漢方薬で押し通す算段であった。
「……ねぇねぇ、其処のお嬢さん、ちょっと良いかい?」
「美味しいモノが在るんだけど………食べていかない?」
地元ではそれなりの薬剤師としての信頼もあるリーとペリン。
其処で、二人はそんな立場を利用する事に決めていた。
トコトコと近寄って来たのは近所の女の子。
まだまだ女性というには幼く、素朴なチュニックに脇に抱えたうさちゃんが愛らしい。
普段からお腹を空かせていたせいか、少女は怪しげな誘いに乗ってしまう。
「いいもの? なに?」
無邪気な声に、リーはハイとクシに刺したジャガイモを差し出す。
無論、蒸した芋にはかつての悪夢が張り付いていた。
蒸かされ、粉っぽくなった芋にはあの黒い液体が染みている。
「うん、ちょっと食べてみて」
「大丈夫、美味しいからさ」
どう見ても不審者丸出しである。
しかしながら、薬剤師が近所の女の子に毒を撒くことはないと思ったのか、少女の親も気にとめなかった。
渡されたジャガイモをしげしげと眺める少女。
スンスンと匂いを嗅いでから、パクッと芋を口に迎えた。
「すごい…………おいしい、もっとちょうだい!」
数秒後、リーとペリンに返ってきたのは意外な声であった。