第6話 雁子とあやの事情
さて、お騒がせのお友達もやってきますよ。
翌朝、九時ごろに、透吾にいさまのスタッフが到着しました。
「麗子~、来たよ~。」
「おはよう麗子ちゃん。」
「か、雁子さんに、あやさん?どうしてここに?」
「麗さまのお仕事に、付き合って来たのよ。しんじられないわー。」
あやは、興奮した様子で言いました。
「はあ、なるほど。伊丹航空貨物に、運搬を頼んだのね。」
「そうなの、で、雁子はあたしのアシスタントよー。」
「ちょっと、いつ決まったのよ!」
「いま。」
「こ・い・つぅ~」
ぐりぐり
「あいたたた、やめ、雁子~!」
「まいったか。」
「わ~ん、雁子がいじめるよう。」
「まあまあ、二人とも会えてうれしいわ。」
「あたしもだよ。しかも、麗ねえさまとご一緒できるなんて、サイコー!」
「あら、あなた達も麗ねえさまって呼ぶの?」
「ええ、電話で話したときに、そう呼ぶように言われたのよ。」
「まあ、よかったわね。」
「私たちが役に立つかどうかで、今後の父達の立ち位置も変わるもの。」
「はあ、そうかしら…」
一方、麗姉さまと、透吾お兄さまは、展示について相談していました。
ホテルのパーティールームを借りて、設えを脇坂が行います。
さすがに、脇坂の底力は凄まじく、ここがパリであることを考えると、信じられないような速度で、和風の空間ができてしまいました。
「工藤、お針子さんは来てる?」
「はい、お嬢様。二人用意してあります。」
「けっこう。ほな、こっちに寄こして、今からサイズ合わせします。」
「は、かしこまりました。」
工藤さんが下がると、麗ねえ様はにっこり笑って、こちらを見ました。
「さて、お三人さん、ちょっとこっちにおいない。今からサイズ、合わせますえ。」
雁子、あや、佐織に向かって手招きします。
「さいず?」
よしこさんが取り出したのは、友禅でできたワンピースや、スカート。
奈美子さんが持っているのは、ストッキング靴、アクセサリー。
「まま、まさか…」
「そのまさか。あんたたちに来てもうたのは、そのためやよ~。」
「ね、ねえ様、それはちょっと…」
「ええやん、ウエスト合わせて、明日一日モデルしとくれやす。」
「は、はあ…」
なにやら、雲行きが怪しくなってきました。
「三人とも双子に比べると、けっこう背が低いなあ、裾も詰めた方がええやろか?」
いや、雁子より低い麗ねえ様に言われてもねえ…
それでも、友禅でデザインされたワンピースは、確かにいい出来で、納得させられたのでした。
「う、ウエストが~!」
「む、胸がきつい~!」
パリのお針子さんたちも、仕立てが好いと誉めていましたから。
衣桁とか、畳とか、いったいどこにあったんでしょうね?
夕食は、みんなが揃ったと言うので、ランブロワジーと言う、マレ地区のレストランに向いました。なんでも、ミシュランで星が三つも付いたそうです。
けっこう評判倒れの店が多いなかで、このお店は『アタリ』でした。
オーナーシェフのパコーさんは、おひげが素敵なおじさまで、奥さんのダニエルさんは、笑顔がすてきなおば様でした。
お姉さまたちは、秋にパリへ来たときも、この店には三回も来たというので、大のお気に入りと言うことでしょう。
雁子はもとより、あやまでが緊張して、冷や汗をたらしている中、双子は相変わらずの漫才を披露しながら、楽しく食事を進めていました。
「いや~、麗さんお姉さん、秋に三回も来はって、ええなあ。このお店、ホンマなに食べてもおいしおすなあ。」
若葉は、あいかわらずのんびりした口調で、麗姉さまに声をかけています。
「そうどすやろ?こらもう、前から知ってましたんえ。そやし、一人で来るのも気が引けるし、つまらんやんかさぁ。ウチ、こうしてたくさんで食べるのが好きなんえ。」
「麗さんお姉さん、それはそうどすけど、接客の人数が、これだけでは少ないんとちゃいますか?」
小野寺さんが、姉さまに声をかけてきました。
「そやし、よしこさん、パリの脇坂オフィスは、ウチの部下と違いますもん。」
「ああ、そうどすなあ、まあ、貸し出してもらえるよう、少し圧力を…」
「パッシーのマダムが、数人どすやろ?そんなに心配せんでもええやん。」
「ホンマにええやろか~?」
心配性ですねぇ、昨日のマダムだけかもしれませんよ。
「所長~、おいしいですねえ、ウチ、こんな高級なお店、初めてですわ~。」
佐織がうれしそうに奈美子に言いました。
「透吾と付き合うようになって、銀座の一流どころはほとんど行ったけど、ここに適うような店はなかったねえ。」
「そうなんですか?ほな、ウチはラッキーですねえ。」
「そうだよ。佐織もこういう、味のわかる男と付き合わなきゃいけないよ。」
「はい、そうしますー。」
「あんたねぇ、単なる食いしん坊で返事してるんじゃないの?」
「えへへ、ばれてますー?」
透吾兄さまのスタッフも混ざって、全部でひのふの…十一人(雪江さんも今回は同行してます。)いきなり増えてしまいました。
麗姉さまは、みんなを見回して、グラスを持ち上げました。
「みんな、明日はよろしゅう、お頼のもうします。こちらで、また新しいビジネスが始まるかもせえしまへんな。」
「楽しみどすなぁ。」
「よしこさん、目の色変わってますえ。」
「へえ、新しいお商売って、聞いただけでわくわくしまんにゃ。」
「そらそうどすなあ。カタオカは、始まったばかりどすし、ようシメてかかってや。」
「そうします。」
十年後には、脇坂と肩を並べるようになる、カタオカのスタッフは、この三人から始まったのでした。
「うふふ~、暮れのボーナス、なに買おうかと思ったけど、こりゃあ使いでがありそうですねー。」
「佐織~、また月末に、ご飯食べさせてって、言うんとちゃいますか?」
「え?えへへ…そのときはよろしくー。」
よしこは、ため息とともに、苦笑をもらしました。
佐織は、派手なブランド物を、着ている訳ではありませんが、センスのいいツイードのスーツを着ています。
上司の影響でしょうか?
お胸も、上司の影響か、とっても立派!
一同は、おおいに飲んで食べて、三時間あまりの夕食は、盛り上がったのでした。
翌日、約束の時間になると、私と雁子とあやは、双子の洋服を身につけ、もちろん双子も着て、会場の入り口に立ちました。
なんと、お姉さまたちは、すべて和服。
よしこさんと奈美子さんは、普通の訪問着ですが、佐織さんは総絞りの振袖という豪華ないでたちでした。
みな、髪が長いので、日本髪風に結い上げて、やはり入り口で待っていました。
「ボンジュール、ラーラ。遊びに来ましたよ。」
マダム=メリル=ショーモンは、五人の友人と一緒に現れました。
「おう!これはすばらしいわ!パリではないみたいね!」
「お気に入っていただけましたか?」
「ええ、すばらしいわ。まあ、子供たちのドレスの、なんて素敵なこと。みなさん、私の説明より、すばらしいでしょ。」
「そうですね。見たこともないプリントですわ。」
「すべて絹ですの?」
早口でまくし立てられるフランス語は、でもパッシーらしい上品なものでした。
「こちらにたくさん用意してございます。どうぞ、お履物を脱いで、お上がりください。」
よしこさんのフランス語も、まるでネイティブ。透吾お兄さまのスタッフは、本当にスキルがたくさん。
奥様たちは、肩に反物をかけられて、少女のようにはしゃいでいます。
「お疲れになった方には、あちらにお茶の用意がございます。」
奈美子さんに案内されて、窓際の席に着くと、透吾お兄さまが抹茶をたてて運んできました。
「どうぞ、奥様。」
パリのバタくさいハンサムに慣れた目には、透吾お兄さまのおしょうゆハンサムが、新鮮に映ったようです。
大島の、鶯色に縞の織り柄の入ったアンサンブルは、きりりとして素敵。
奥様たちは、ぽうっと赤くなって、透吾お兄さまの所作に見とれています。
「よくまあ、これだけの準備を一晩でしてきましたね。」
佐織さんに言うと、前を向いたまま答えました。
「そりゃもう、戦場でした。でも、それが楽しくもあるんですよー。私は、こういうことをさせてくれる社長や所長に、感謝してますよ。」
「なるほど。」
そう言っているうちに、奥様の一人が私たちの傍にやってきました。
「ボンジュール、あら、いい仕立てだわ。お針子も、いい子が揃っているのね。」
「メルシー、マダム。」
これくらいなら、私の読解力でもなんとかなります。
ただ、マダム=ショーモンが呼んだのは、この五人だけではなかったのです。
あとからあとからやってくる、パッシーのマダムたち。
もちろん、パッシーの高級住宅街だけでなく、十七区の高級アパルトマンなどからも、続々とモンパルナスのヴァヴァンの辻までやってきます。
まるで、サロンのような賑わい。
目を回したのは、ホテル=アリッサ主人の、マダム=ロッシュ。
TVのニュースで見たような、政治家婦人や大富豪の夫人が、こぢんまりしたホテル=アリッサにやってくるのです。
しまいには、チャンネル2(ドゥ)のTVカメラまでやってくる始末でした。
麗お姉さまは、インタビューに答えながら、日本の友禅や縮緬について、説明をしていました。
「すごいわね、お姉さま。」
雁子は、私の隣でこっそりと耳打ちしました。
「そうね、まさかこんな騒ぎになるとは、思ってもいなかったわ。」
「いや、そうじゃなくてさ、TVに出て、堂々と受け答えしてる。ありゃあ、知識もハンパじゃないわね。」
「ああ、そう言うこと。そりゃあ知識は詰まっているわよね。」
華やかな牡丹や、鴬鶴の柄は飛ぶように売れて、一反百万を越すような反物すら、すぐになくなってしまいました。
午前中で、用意した二〇〇本の反物は、すべてハケてしまい、会場には一枚の売り物もなくなってしまいました。
「ラーラ、まだ買いたいという人が、たくさんいるのよ、もっと用意してくれない?」
「困りましたね、マダムのために厳選して用意しましたので、すぐに用意ができませんの。主人が、月末まで滞在しますので、来週ではいかがでしょうか。」
「ラーラは帰ってしまうの?」
「ええ、向こうに仕事もございますので、そのかわり主人のスタッフが、お相手いたしますわ。」
マダム=ショーモンは、透吾お兄さまを向いて、聞きました。
「トーゴ、来週もう一度、このショーをやってくれない?」
「いいですよ。それでは、来週。」
「たくさん用意してね、これでは足りないわ。」
「マダム、この反物は、すべて手作りですので、すぐに用意できる量は限られています。できる限り、お望みに沿いたいとは思いますが、絶対とは申せません。」
「あら…」
「もちろん、機械プリントの安いものもございますが、お望みではないでしょう?」
「そうね、いいものに時間がかかるのは、しかたがないわ。」
「ご理解いただけて恐縮です。」
「ねえ、トーゴ、あの子が着ている生地は、ほかのものとは違うわね。」
マダムは、佐織さんを指差して言いました。
「佐織、ちょっとこちらへ。」
「はい。」
佐織さんは、しずしずと透吾お兄さまに歩み寄りました。
「この生地は、しぼりと言います。一つ一つの模様を、手で絞って作り上げた、伝統工芸品です。」
「そう、じゃあこれと同じものを私に用意してちょうだい。」
「承知しました。では、来週までに用意いたします。」
「よろしくね。」
マダム=ショーモンは、優雅に笑うと、オテル=アリッサを後にしたのでした。
マダム=ロッシュが駆け込んできて、透吾お兄さまに聞きました。
「ムッシュ=カタオカ!どういうことなの?パッシーや高級住宅街の人たちが、あんなにいっぱい来るなんて。」
「はあ、僕もここまでたくさん来てくれるとは、思ってもなかったのでねえ。三日前にヴェルサイユで知り合ったんやー。」
「それだけで、こんな会場を作ってしまうの?あなた、何者?」
「さあねえ。ただの日本人やよー。あ、マダム、来週にもう一回、ここ貸してください。また、展示会やります。」
「はあ、そりゃあいいですけど、来週までなにも入ってないから、飾りつけもそのままでいいわ。」
「おう、メルシー!チップはずむよー。」
そこへ、よしこがやってきました。
「透吾さん、ちょっと。」
「じゃあ、マダム、よろしく!」
二人は、奥に入っていきました。
「今日の売り上げ、関税込みで二億一千万どすけど、実家への仕入れは?」
「こんなん、定価で買っていかはったん?」
「へえ、そうどす。」
「アホやなー、だれも値切ったりせえしまへんのかー?ほな、仕入れは一割五分やー。まあ、値引きして三千万やな。」
「あらまあ、諸経費が…あらあら、一億六千万以上の儲けやねー。」
「おやま、伊丹航空貨物さん、そんなに安うまけてくれたん?」
「そうどす。」
「ほならやー、モデル料はたくさん出してあげようねえ。」
で、回ってきたのが、百ユーロ札が一人アタマ三十枚。
「透吾にいさま、一日のモデル代がこれでは、高すぎます!」
「まあええやん、麗子ちゃん。ぼくらの気持ちや、受け取っておき。明日は、みんなで遊びに行っておいでー。」
双子は、もっとたいへん。
「うっひゃー!盆と正月がいっぺんに来たわ~!」
「佐織、あんたも一緒やー、ごくろうさん。」
「え~?ボーナスもらってますよう。」
「ほなお年玉や。麗子ちゃんたちと、買い物に行っておいで。」
「はいー、おおきにありがとうございます。そやけど、どこへ行けばええんやろ?」
「そやにゃ~、このモンパルナス界隈は、若者向けのブティックとか、けっこうあるよ。隣のサンジェルマン=デ=プレでもええし。昼間なら、どこでも行けるよー。」
そんなわけで、やってきましたサンジェルマン。
プロムナードには、街頭で演技する大道芸人がたくさんいます。いきなり火を噴いたりするのは、反則やてー。
「うひゃ~、目の前で火ィ吹かれたら、びっくりしますやん。」
「まあ、目から星がでるよりはマシですやん。」
「佐織さんウマイわ~。」
「天王寺の生まれですー。」
ノリのいい関西人、しかも大阪。
佐織さんは、けらけらと笑いながら、ブティックを覗き込みました。
「アカン、ここ、なんや紫っぽいのばっかやん。こう言うのん好きなんは、『オ』の字が多いんや~。たぶん、『ホ』な人御用達のお店ちゃうかなー?」
「そうなん?ウチはお坊さんのお店かと思ったわ~。」
「若葉ちゃん、キリシタン圏内で、それはないて~。」
双葉は、目の前で手をひらひら振って言いました。
「あ、あそこのショーウィンドーは、まともそうやよ。」
私は、前方のガラスで囲まれた店を指差しました。
前まで行ってみると…
「うわあ…」
店内には、びっしりと白いドレス。
ふわりと広がった、ふわふわドレス…
「ウエディングドレスやん!」
双葉はノリツッコミの要領で、こえをあげますが、佐織はうっとりと見つめます。
「ええなあこれ…」
「佐織さんでも、あこがれますか~?」
「でもとわなんやー。そら、こんなきれいなドレス着て、結婚式なんて、してみたいやんなあ。」
「そうですねえ…」
横合いから、うっとり声を上げるのは、あやでした。
「あやさん、あなたまで?」
「どうして?私がドレス見たらヘン?」
「いや、そうやなくて、ウエディングドレスっていうところが、違和感が…」
「だってこんなの着て、好きな人のところへって、やっぱりいいじゃない。」
「まあ、そらそうなんやけど…まさか、あやさん、好きな人がいるの?」
「聞くなよ~、いたら、もっとぎらぎらして見てるよ~。」
「あははは、あやに男の影なんて、ないない。」
雁子は、やはり、目の前で手のひらを、ひらひらと横ぶりしました。
「ぬぁんだとぅ?十七年間男日照りのあんたに、言われとうないわー!」
「ちょっとー、パリまで来て、ケンカしないでよ~。」
それでも、娘が六人、ウインドウにへばりついていると、店の人も気が気ではないらしく、ドアから声をかけてきました。
「どうぞ、中に入って見てくださいな。」
「あ、め・メルシー。」
一行は、中に入ってまた歓声を上げました。
目の前には、宝石をちりばめた、豪華なウェディングドレス。
『うわ~!』
「これは、クリスタルガラスを使ってあるのよ。本物のダイヤは高いから、使えないもの。でも、きれいでしょう?」
「本当にきれい。でも、私には着れないわね。」
「なに言っているのよ、麗子が着ないで誰が着るのよ。今のうちに、キープしときなさいよ。」
「え~?麗子さん、もうお相手が決まってはるのん?」
「そんなこと、あらへんわ!」
「なあんやあ、ここで花嫁さんより目立つドレスを探そうと思ったのにー。」
「なんやそれー!」
隅の方で、佐織がぶつぶつとつぶやいています。
「新城さん、こういうの好きかなあ…」
「新城さんって、だれ?」
いきなり後ろからかけられた声に、佐織は飛び上がりました。
「うわあ!若葉ちゃん!」
「なあなあ、新城さんって、だれよ~。」
「なな・なんでもないて~、空耳そらみみ!そらみみケーキ!」
「ホンマ~?」
佐織は女の子五人に囲まれて、進退きわまったようでした。
「はう~、いま一番仲のいい人。ウチは、どうにかなりたいと思うんやけど、相手がドンでなぁ。」
ブティックを出て、手近なカフェに座って、お話することになりました。
「って、あ~!二十二にもなって、こんなこと十七・八の子に聞かす話やないやん!」
佐織は真っ赤になって、頭を抱えました。
「そんなことないですよー、参考になりますー。」
雁子のフォローも、あまりなぐさめにはならないようです。
「参考だけかいな~、解決策はなんかないかなあ?」
双葉は、コーヒーカップから顔を上げて言いました。
「麗さんお姉さんから聞いたんやけど、透吾兄さんの例から言うと、向こうに気付いてもらうのは、絶望やと思え・言うことどす。」
「ふ、双葉ちゃん、それはキッツイわ~。ミもフタもないやん。」
「相手が、どこまでドンかは知りまへんけど、そう言うひとには、直球をどかーんと打ち込まな、わからヘンそうどす。」
「そういうものなんだ~。」
雁子は、感心したように頷きました。
あやは、カフェオレに砂糖を入れて、くるくるかきまわしています。
「鈍感なのは、男ばかりじゃないわよ。自分に気持ちが向いているかどうかなんて、女にもわかりゃしないわよ。」
「おやおや~?あや大先生にも、そういう脈がおありかな~?」
雁子はオニの首を取ったような表情で、あやに迫りました。
「ば、ばかなことを言っちゃあいけないよぅ。どど、どこの誰が、なんだってぇ?」
あまりの棒読みに、一同が目をテンにして、アヤの顔を見ました。
「あやさん、それは白状したのと一緒よ。」
麗子はどう慰めていいものか、迷いながら言いました。
セーヌ川沿いのカフェからは、ブキニストの屋台が見えて、その向こうをバトームッシュの影がよぎります。
(実はバトーバスですが…違いは、バトバスは、どこで乗っても降りてもいいってところ。)
ブキニストの上には、マロニエの枝。
今は、落ち葉になってしまって、枝だけが寒そうにしています。
「どうする?もっとなにか見に行く?」
「せっかくセーヌ川まで出たんやから、このままルーブルまで歩かへん?」
双葉の提案に、みな頷いて、カフェを立ちました。
ぽくぽく歩いていくと、先日見たグランパレの前に出ます。コンコルド広場に入っていたことに、やっと気がつきました。
呑気な集団です。
そのまま、川沿いに進めば、ルーブル宮。
ルーブルのお土産やさんには、こんなかわいいミニチュアの町並みがありました。
ホテルレジーナ前には、金色のジャンヌ=ダルク像が立っています。
そしてルーブルの中へ。
「うっひゃ~、映画で見たとおりやねえ。ほら、ここで死んではったやん。」
「ちょっと~、こんなとこで大声ださんといてぇな。そやし、これがピラミッドの下なんやねえ。」
ルーブルの入り口付近には、やはり新聞やポスターを持った、スリの子供たちがいて、私たちは足早に正門をくぐったのでした。
懐が暖かいので、あっさりとチケットを買い、するするとルーブルの中に入っていました。
広いですね~。
正面入り口には、サモトラケのニケ!ルーブルが、一番大事にしているのだそうです。
だから、だれもが一番に見る場所に飾ってあるとか。
もちろん、モナ=リザも見に行きます。
ロゼッタストーンや、王家の冠や、見飽きることがありません。
さすがに、ここは一年かかっても見ることができないと言われるくらい、展示物の多いところです。
代表的なものだけでも、午前中はすぐに過ぎて、私たちはお土産を買い込んで、外に出たのでした。
「お昼なににする?」
雁子が私に聞くので、ちょっと首をひねって考えました。
「日本語でメニューの書いてあるお店があるけど、そこでいい?」
「ああ、それそれ。そう言うお店がGOOですよ~。」
「もう、雁子ったら、じゃあ、オペラ前からサン=ラザールへ行きましょう。」
「サン=ラザールって、このまえ電車に乗った、あそこどすか?」
双葉が、割り込んできました。
「そうよ、コンコルド=サン=ラザールの前にある、ちょっと小さなレストラン。今の時期だと、生牡蠣がおいしいわよ。」
「うっひゃ~、カキ?そこ行こ!」
「佐織さん、カキ好きなん?」
「そらもう、この時期にカキ食べヘン人は、一生損してまっせー。」
という、佐織の言葉に乗せられて、一行はオペラガルニエから、プランタン前を抜けて、サン=ラザールへ。
駅前には堂々とした、ホテル=コンコルド=サン=ラザール。
客室二六六にも及ぶ、大きなホテルです。
実は、ここのレストランにも、日本語のメニューがあります。わりと、地元の人たちにも評判の好い、ちゃんとしたレストランです。
クロード=モネの描いたサン=ラザール駅は、有名ですが、今もその面影は変わっていません。
さて、その道路を挟んだ向かい側に、めざす小さなレストラン。
「ここ?」
雁子は、あまりに手狭な様子に、振り返って聞きました。
「そうよ。でも、車椅子が通るかしら?」
「大丈夫みたいよ。行こう。」
あやが、車椅子を押して、店に入りました。
「オウ、ボンジュール。お嬢さんをこちらにどうぞ。」
黒いチョッキに白い前掛けで、頭のてっぺんが禿げ上がったおじさんが、案内してくれました。
日本に比べると、少し手狭な感じのテーブルですが、娘が六人座ると、そこそこな広さ。
「なにがいいかなー?」
雁子は、さっそくメニューを見ています。
「ねえねえ、この子牛のスカラップ(カツレツ)って、どう?」
「いいわね、みんなでいろいろ頼んで、少しずつ食べようよ。」
「あ、ウチはカキで。それと、エスカルゴ。」
「お魚はなにがおす?」
「あ~、おまかせでええんちゃう?」
外の寒さにガラス窓が曇ります。
「じゃあ、スープはオニオングラタンにするけど、ほかに注文したいものある?」
麗子の声に、若葉がこたえます。
「チーズの盛り合わせ。」
とにかく、若い娘のおなかは、注文した品をすべて飲み込んで、余裕さえ見せています。
よく話して、よく食べて。
「うわ~、まんぞく~。麗子さん、いいお店を知ってますねえ。」
佐織は、うれしそうに麗子に言いました。
「ええまあ、偶然なんですけど。向かいのホテルに泊まったことがあるんです。」
「ああ、なるほど。」
来た道を戻りながら、オ・プランタンの前に来ました。
オ・プランタンの向かいには、小さなブティックがありました。
「あ、ここにもブティックがあるよ。」
雁子の声に、一同はそちらに顔を向けました。
「なんか、一点モノのプレタポルテみたいね。高くない?」
あやは、鼻の頭にかるくしわを作っています。
「さあ?でも、きれいよ。」
麗子の声に、ウインドゥのワンピースを眺めます。
麗子の横で、顔の高さを会わせるものだから、後ろで三つ編みにした黒髪が、前に落ちてきました。
「ふうん、仕立てもよさそうね。」
オレンジを基調にした、ひらひらしたワンピース。
あやは、まったく気がついていないみたいですけど、これを日本のどこで着ようというのでしょうか?
「麗子ちゃん、ジミだねー。」
「ジミ?わたしが?」
「だって、こんなのそのへんのパーティーに行ったら、目立たないわよ。」
雁子は、そう言ってドレスを私にあてがいました。
「ほら、似合うじゃない。これなら、どこに出しても大丈夫よ。」
「そうかしら…」
「心配性なんだからー。まあ、ムリにとは薦めないけどね。」
「あー、これ、ピアノの発表会で着ようかなー?雁子、どう?」
あやが持ち上げたのは、ピンクのロングドレス。胸元がぐっと開いています。
「それ、タッパないとつらいものがあるわよ。」
「ぐはっ」
「色目とデザインはいいんだけどねー。あやのお胸がね~、大きすぎてね~こぼれるよ!」
あやは、泣く泣くドレスをハンガーに戻しました。
「お嬢さん、それお直しできますよ。」
横合いから、クチュリエが声をかけてくれました。
「あやさん、そのドレス、お直しできるって、どうする?」
「あ、できるんだ、頼もうかなー?」
「そうね、そうしたらいいんじゃない?」
せっかく気に入ったものが見つかったのに、あきらめるのもシャクですものね。
デパートもマーケットものぞいて、たくさん買い込んだ一行は、ホテルに戻ってきました。
夕食で盛り上がった一行は、明日はマルシェに繰り出そうと決めました。
「麗子ちゃん、手術の日は一月二十五日に決まりましたえ。入院は二十日から。ええね。」
麗お姉さまから、日取りについて言い渡されて、いよいよ来ましたって感じ。
「手術?麗子、なにかするの?」
雁子が、不安そうに聞いてきました。
「ええ、この足の手術を。」
「へえ~、フランスで?すごいねー。」
「麗姉さまの恩師なんですって。」
「ふうん、じゃあそれまでは、こっちに居るのね。出席日数だいじょうぶ?」
「あはは、いまさら一年二年遅れても、どってことないわー。あたし、いまでもひとつ年上やし。」
「へ?」
「あれ?知らなかった?あたしはみんなより一年遅れてるの。この、足の怪我で。」
「あや、知ってたわね。」
「あたし?ええ、まあ…」
「そういう大事なこと、なんで言わない。」
「ぷ・プライベートなことだし。ねえ…」
「まあ、ばれても大したことやないしねえ。」
「た、たいしたことやない…」
「透吾にい様が教えてくれたわ、長い人生一年や二年足踏みした言うて、どんな障害があるんやー、ぜんぜんたいしたことないよ~って。」
「はあ、豪快なお人だねえ。」
「そ、豪放磊落。あの外見からは、そんな風には見えないわね。」
「だからね、また落第しても平気なのよ。唖莉洲に馬鹿にされるのはシャクだけど。」
「健康上の理由に、ちゃちゃ入れるほど、あの子はバカじゃないよ。」
「あら、理由は?」
私は、ちょっと鼻白んで聞きました。雁子が、あの子をどう評価しているのか、興味があります。
「あの子は、バカだけど、ちゃんと信念を持ってる。自分より弱いものに、力を行使しているところを見たことがないよ。」
「へえ、そうなの?」
「あの子は、あんたの車椅子を差し引いて、あんたの強さを知っているのさ。」
「あら…」
「だから、負けたくないんだ。そう思うよ。」
「ふうん…そう言う見方もあるのね。」
一方、テーブルの向こうでは、お姉さま三人がアタマをくっつけて、鳩首会談でございます。
「ほな、ウチが日本に居るあいだ、よしこはんがこっちにおいやすの?」
「そうどす。フランスとイタリアは、ウチの縄張りどすさかい。」
「まあ、カタオカのパリ支局を探すってことで、納得しないかい?」
奈美子さんも、一緒に相談しているようです。
「そらそうどすけど…」
「やきもち焼かんといておくれやす。せいだい、がまんしてきてますのやさかい。」
「まあ、そらそうどすけど…」
「月末までひのふの…三週間どす。こんどは、麗さんお姉さんが、シンボしよし。」
「はう~。」
「ま、わっちもドイツまで、お付き合い願いたいからね、ちょうど好い機会だ。」
「そうそう、お仕事優先でお頼のもうします。ヨーロッパに拠点を持ちたいのは、ホンマなんどすさかい。」
「そうどすなあ、ほな、よしこさん、しっかりええ所を見つけとくれやす。」
「承知しました。びっくりするような物件を見つけまひょ。」
「あ、あんま張り切らんといてなー。」
「ほほほ、まあおいしいもん食べて、ゆっくり考えまひょ。そやし、ホテル食も捨てたもんやないねえ、ここのお料理、けっこうおいしいやおへんか。」
「あ、そうだねー。お肉のソースなんか、ちょっと他とちがうねー。」
「マダム=ロッシュ、ソースのお味がいいって、皆さん言ってますけど、秘訣は?」
「それ?実は日本の皆さんに向けて、ソースに隠し味で、ソイソース使ってるんですよ。」
「ああ、どうりで舌に馴染むと思いました。みなさん、お醤油が入っているんですって。」
よしこさんの声に、みな一斉にうなずいたのでした。
週末、ホテルの飾りつけはそのままだったので、商品の展示だけが進められています。
マダム=ショーモンは、今回、どんなお客様を連れてくるのでしょう?
今回は、時間もしっかりあったので、あやもあわてずに済みました。
透吾お兄さまは、実家の総力を挙げて反物の選別を行ったため、今回も大盛況で、二百本の反物は全て完売でした。
「どうして今度も、前と同じ数量なの?」
と私が聞くと、透吾お兄さまは、笑って答えてくれました。
「こういうものは、慢性的な品不足にしておいたほうが、飢餓感が増えてええんよー。いつでもある・よりは、なかなか手に入らないほうが、ありがたみが増すっちゅうか…」
「はあ、なるほど。品薄っていうほうが、商品のハケもいいわけですね。」
「そうそう。それにやー、マダム=ショーモンから、ええ情報ももらったしなー。」
「情報?」
「うん、ルーブルのそばに、事務所のええ物件があるねんて。見に行ってくるわ。」
明日は、麗お姉さまがお帰りになる日です。
こんなに精力的にお商売なさって、良いものでしょうか?
「売れるときに売るのが商売やよ。さて、全部ハケたし、片付け済んだら物件を見に行ってみよか?」
脇坂のパリオフィスからは、トラックと人員がやってきて、てきぱきと搬出を始め、パーティルームはすっかり元通りになりました。
「お~、さっすがワキサカ。手が早いね~。」
奈美子は、空になった部屋を見回して言いました。
「まあ、きびきびしてますなあ。」
よしこも、笑いながら奈美子に返事します。
「今日の売り上げはどうだい?」
「そうどすな、売り上げだけなら三億ちょっとどすけど。」
「おやまあ、少し上物が多かったかな?」
「そうどすな、なんと言っても総絞りの辻が花どすさかい、あれだけで二千万は下りませんよってなぁ。」
「ま、なんにせよ一っ週間で三億売ったんなら、大もうけだね。」
「まあ、お皿の年間売り上げのざっと三倍。こら、ええお商売どしたな~。」
「この後のフォローはどうするの?」
「それは、カタオカのパリオフィスで、カタログ販売の予定どす。もちろん、ドレスへの仕立てやら、修繕やらも含みで。」
「ふうん、じゃあさっそく見に行こうよ。」
「そうどすな、旦那はん、ルーブルの物件って、いつ見られますのん?」
「不動産屋聞いたから、今からでもええよ。」
「ほな、これ片ついたら行きまひょか?」
「ええよー。」
午前中でほとんどが売れてしまったので、午後はまったく手持ちブタさんになってしまって、みんな拍子抜けしています。
「旦那はん、ウチら遊びに行ってもええですか~?」
「佐織、まだお仕事え。」
「そやし、部屋も片付いたし、することおまへんにゃもん。」
「あはは、よしこちゃん、そう怒らんでもええよ。僕らは、パリオフィスの下見に行ってくるよって、子供たちの引率は、佐織に任せてもええか?」
佐織は、振袖の胸を、どんとたたいて言いました。
「おまかせあれ!ちょっとエッフェル塔に登ってきたいんですわー。」
「まあ、通天閣の三倍くらい高いしなあ。」
エッフェル塔の高さは三百十二メートル(旗部を含む)で、現在の通天閣は二代目で、百メートルです。
「そうですー。いっぺん、登ってみたかったんですわー。」
「ほな、みんなも気をつけて、いっといやす。」
『は~い。』
透吾お兄さまたちは、マダム=ロッシュに挨拶すると、そろって出かけていきました。
「さてと、エッフェル塔言うたら、どっちかいなあ?」
「佐織さん、知ってはったんちゃうの?」
双葉がすかさず聞きました。
「いま、うちらどこにいてるか、さっぱりですねん。」
「あらら~、ええ?ここがモンパルナスで、ウチらの居てるとこ、ほんでこっちがエッフェル塔…」
「ああ、なるほどー。双葉ちゃんは頼りになるなあ。」
「へえ、事前に勉強しましたんえー。」
「ウチら、二日ほど早う、着いてますやん。そやし、麗子ちゃんと、いっぱいお散歩しましたんえ。」
若葉がぽろりと暴露します。
「なあんや~、そう言うことかいな~。まあ、土地勘のあるのはええことやー。ほな、頼りにしてきますー。」
佐織さんは、からからと笑いながら、部屋に戻りました。
「ああ、佐織さん、振袖・一人で脱げへんやん、待ってェな~。」
ドップラー効果を引きながら、双葉が追いかけていきました。
エッフェル塔は、毎日エレベーターの行列で、なかなか乗ることができません。
特に麗子は車椅子に乗っているので、場所をとりますし。
それでも、親切な人たちが、麗子を優先して前に出してくれるので、思ったより待ち時間も少なく、私たちは展望台に登ったのでした。
展望台からは、パッシーの丘もすぐ隣に見えますし、もちろんセーヌ川、ルーブル、モンマルトル等々、
「わあ~、やっぱりよく見えるわ~。」
雁子は、東京タワーに登った、小学生のような感想をのべています。
「あれがモンマルトルですねー。」
あやも、メガネを持ち上げながら目を見開いています。
「双葉ちゃん、どう?」
「いや、高いところは恐いわ~、麗子ちゃん。前に出られへん。」
「あらまあ、若葉ちゃんはガラスにへっついてはるのに?」
「双子や言うても、パーソナルは別々やよー。ウチは、高所恐怖症やにゃ。これ以上前に進めません。」
「そう?ほなあたしはもう少し前に行ってくるわね。」
「う、うん…」
双葉は、展望台の真ん中で、じっと立っていました。
「若葉ちゃん、双葉ちゃんが不安そうやよ。」
「あら、麗子ちゃん、ええのんよ。ああして、真ん中に立ってはったら、そんなに恐いことないんやから。」
「そう?あら、パッシーって、丘になってるんやねー。」
「そうやね、高速道路があっちに抜けてはるしー。」
「なるほど。」
「おみやげさんに、エッフェル塔の横に『根性』とか書いたやつないかなあ?」
「ありますかいな!」
「そやし、クリスタルの中にエッフェル塔とかならありそうやねー。」
「それは…あるかなあ?」
「あはは、センヌキ買うたよって、まあええかなー?」
「センヌキねえ…」
「あ、あこにおみやげ売ってはるよ、行ってみよか?」
「ええ、そうやね。」
若葉は、麗子のイスを押して、双葉の横にあるキオスクに向かいました。
「あ~、この帽子どないやろ?」
若葉がもっているのは、三色に分かれたキャップでした。
「だれに?」
「近所のシュウちゃん。」
「なんや、あのコミックバンドにかいな?まあ、このくらい派手なんやったら、喜ぶかもせえしまへんなあ。」
「コミックバンドて…」
「アタマきんきんにして、つんつん立ててはったら、どねぇに見てもコミックバンドやんかさぁ。」
「はあ…」
「しかも、ランニングに短パンやて。」
「あー、そらコミックバンドやねー。しゃべくりがオモロなかったら、誰もけえへんな。」
「そやにゃあ、これがまた武愛想な兄ちゃんでなあ、リードギター言うけど、あとがカスタネットにベースにドンツクの太鼓やねん。こら、ドリフのギャグやんなあ。」
「チャンバラトリオかい!」
エッフェル塔で、つっこむ佐織さん。
「まあ、そやけど、あのアタマでどねぇにして、この帽子かぶらはんにゃろ?」
「あ!」
若葉ちゃんは、そこまで考えていなかったようです。
あやと雁子は、アンヴァリッドやシャンドマルス公園の様子に見入っているようでしたが、ゆっくりこちらに近づいてきました。
「なに?おみやげ?」
雁子はすかさずキオスクを覗きました。
すみに、ちいさなエッフェル塔の置物がありました。
「これで横に友情とか付いてたら、東京タワーだね~。」
『はあ…』
一同脱力。
「え?どうしたの?」
「ネタフリが、関西も関東もおんなじやんなあ、雁子さん。」
「え?え?」
「あんなあ、若葉ちゃんのネタフリが、根性やったねん。」
「はう~、一歩遅れましたかー。」
「そうやねー。なにかええもんありました?」
「ああ、そうそう、ここで絵葉書買って出すと、エッフェル塔の消印を押してくれるんだって。」
「そらええねえ。若葉ちゃん、双葉ちゃん、どうする?」
「ほな、記念になにか書きましょ。」
キオスクの前で、みな一斉に絵葉書に手を伸ばしました。
「なに?雁子、自分宛って。」
「いいじゃん、この葉書が好い感じだから、自分用に一枚送っておくんだ。」
「なるほど、そりゃいいわー。あたしも、お気に入りを探す。」
透吾お兄さまからいただいたお小遣いは、まだまだ余裕で、みんな何枚も買い込んでいるようでした。
麗子は、こっそりと土方さんへの葉書を書いたのでした。
イエナ橋で、シャンゼリゼに行くか、モンマルトルに行くかでもめたのですが、どうせ全部行くのだからと、麗子の提案でシャンゼリゼをコンコルド広場から凱旋門に向けて歩くことにしました。
「うわ~、パリの原チャリにはナンバーが付いてないよ。」
「あら、ほんとう。ねえ、ここってルノーのショーウィンドウよ。」
「おお!F=1が置いてあるよ。佐織さん、ルノーF=1だよ。」
「どれどれ?お~、ホンマや~。かっこよろしいなー。」
「どうせ一人しか乗れへんやん。」
「双葉ちゃん、現実的~。」
「麗子ちゃんの車椅子に、こんなエンジン付いたら早いのにな~。」
雁子の何気ない一言。
「死ぬわ~!」
麗子の鋭いツッコミ。
「でもさあ、アタッチメントで、早いモーターとかくっつけて、移動性を早くするっていうのは、現実的じゃない?」
「雁子さん、それじゅうぶん危ないと思う。」
「でもでも、電気自動車が走ってるくらいだから、車椅子だって、じゅうぶん移動手段になるんじゃない?」
「そりゃそうだけど…」
「こんな華奢なフレームじゃなくて、シートもバケットにして、フロントにハンドルが付いて…」
「それ、もう車椅子じゃないから!」
「あはは、そうだね~。じゃ次行こうよ。」
ルノーの横には、タイ王国大使館もあって、凱旋門手前には◎ィトンの本社があります。
「うっひゃ~、ここがヴィ◎ンの本社ですか~、立派なもんやねー。」
佐織はビルを見上げて驚きました。
「佐織さん、なんか買うの?」
「買わへん。見るだけ。」
「はあ、なるほど。」
「こんなんぶら下げて歩くほど、ウチ見栄っ張りやないもん。カバンは、機能重視!軽くて丈夫で、ちょっとカッコよければそれでよし。もちろん、どんな服にも合うことが、第一条件やけどー。」
「あー、一澤帆布のトートバッグ!それ、高いやんかさァ。」
双葉は、佐織のバッグを改めて見て、驚きました。京都の老舗のバッグです。
「丈夫で機能性もええよー。」
「そらまあ、そうどすけど、一澤言うたら超ブランドやんかさぁ。」
「え~?京都限定ちゃうの?」
「むしろ逆。この前の騒ぎで、全国区にならはったわ。」
「もう、十年も使ってるバッグやよって、体の一部みたいに馴染んでるわー。」
「ふうん、大事にしてはんにゃー。」
「まあね、丈夫で機能性がええから、捨てる気にもならへんし。」
「そら、小学生に与えるには、高すぎるお土産やねー。」
「おじいちゃんが、ええもんは一生使えるよって、かえって経済的っちゅう考えの人やねんわー。」
「なるほど、そら言えてますなー。」
なにが哀しゅうて、ヴィ◎ンの中で、一澤帆布の講釈せなあかんのか…一通り見て回って、すぐ横が凱旋門。
麗子が居るので、今日は外をぐるりと回ることにしました。
エレベーターで、登ることはできるんですけど、帰りが螺旋階段なんです。
まあ、障害者は、エレベーターを使っても、文句は言われないでしょうけど。
「気にせんと、みんな昇ってこればええのに。」
「そうは行かないわよ。麗子を放っておいたなんて、世間に知れたら私たちが困るもの。」
「あらまあ、まだお館組のことネにもってるの?」
「まあね、雁子と私は、麗子のお館組よ。忘れないでね。もう、麗お姉さまから頼まれているんだから。」
「はいはい、頼りにしてますわよ~。」
凱旋門の前には、無名戦士の墓。
第一次世界大戦の戦没者を祭ってあります。
エトワール広場から、南東に向かってずーっと下っているのがシャンゼリゼ。
しかしまあ、なんちゅう広い歩道でしょう。
車三台が、悠々通れるほどの広さを持ていて、そのうえそこにお店を出して、お茶を飲んでもだれも叱られません。
車道は片側五車線、都合十車線。
東側は、歩道の街路樹をはさんで、さらに二車線分下がって建物が建っています。
街路樹はすべてマロニエ。
街頭にはキオスクが立っていて、雑誌や絵葉書を並べています。
「ねえねえ、麗子、これ食べてみて?」
「これ?」
雁子が差し出したのは、タブレットになったガムでした。
「ヘンな子ねえ、こんなものどうしたって…うげげー!」
なにやら訳のわからない味が、口いっぱいに広がりました。
「うひゃひゃ!ひっかかったね!キオスクで買った、訳のわからんガムだよん。」
「な、なに味よ~、口の中が無茶苦茶!」
「でっしょー?そこのキオスクで見つけたんだけど、ラベンダーって書いてあるだけで、ほかになにもわからなかったのよー。食べてみてびっくりよー。こっちの人って、みんなこんなもの噛んでるのかしら?」
麗子は、あわてて車椅子のポケットに入っている、ティッシュペーパーを取り出して、口の中のものを吐き出しました。
「うう~、気分悪くなりそう。」
「ほな、あっこのカフェにいきまひょ。」
「双葉ちゃん、お願い。」
シャンゼリゼの大通りには、そこかしこに大小さまざまなカフェが軒を並べています。
麗子たちは、小さな緑色の屋根のせり出したカフェに入りました。
入り口が小さいので、車椅子が入れなくて、外のテーブルにつきました。
ギャルソンが気の毒がって、しきりにルノーに行くように勧めてくれました。
「ルノーのカフェに行けって、言ってるけど、ここでいい?親切なおじさんだから、ここでお茶したいわ。」
「いいわよ!麗子が寒くないならね。」
雁子は、元気イッパイ、ギャルソンのおじさんに、GOOサインを出しています。
「まあ、こう言うのも、パリならではやおへんか?だんないだんない。」
恐縮したギャルソンのおじさんは、中から小さなストーブを運んできました。
自分たちの休憩所にでも置いてあったのか、かなり汚れていましたが、あたたかいおじさんの心づくしに、ほっこりと心が温まるのでした。
「はう~、やっと口の中がもどったわー。」
「ごめ~ん。こんなにまずいとは思わなかったよー。」
「ヨーロッパは、チョコレートはおいしいけど、ガムはだめねー。」
あやも、しきりにうなずいています。
「ケーキは、アタリハズレが多いよねー。」
「有名店でも、これが?っていうのがあるのが、不思議やねー。」
佐織さんも、これには大賛成。
確かに、ただ甘いだけのケーキには、うんざりしてしまいますが、これも文化というものなんでしょうね。
「ギャルソン、ハムのジャンボンちょうだい。」
「え~、麗子そんなの食べるの?」
「だって、まだ口がはっきりしないんですもの。この際、辛いもので口直ししようと思って。それに、よう考えたら、お昼ご飯食べてないし。
「そうだねー。あたしもほしいー。」
雁子をはじめ、全員がハムだのチーズだの、銘々にサンドイッチを注文しています。
パリに来て、いろいろなものを食べましたが、このジャンボンは大好き。
手軽でおいしくて、オサレです。
歩きながらいただいてもけっこうですし、こうして道行く人を眺めながら、ゆっくりいただくのもいいものです。
お正月過ぎのシャンゼリゼは、なにやら楽しそうで、こちらもうきうきします。
「うわ~、ナマはむ~。うまうま~。」
雁子は、バゲットにたっぷり挟み込まれた生ハムに、仰天しています。
「これだけで、じゅうぶんご飯どすなー。」
「そうどすなあ。おなかイッパイになってしまうわー。」
パリの町並みに負けていない、京都の双子は、いたってのんびりパリを満喫しているようです。
「へ?そやし、京都も毎日お祭りしてはるようなもんどす。どこかのお寺や神社で、行事がおすさかい。」
「そうそう、祇園やら歩いたら、いつお休みしてはるのー?ってくらい、賑やかやんかいさァ。パリも一緒。」
…なるほど。
「御所さんに、今上さんがいらっしゃったら、こんな感じになったかもせえしまへんなあ。」
「そやねー。ただ、東京は好かんなあ。くさいしー、その点パリは、あんまりくさいことないねえ。」
「そう言えばそうどすな。」
同じ古都に暮らす双子には、パリも京都も変わりがないようです。
「そうは言っても、やっぱパリは道がようわからしまへん。碁盤になってはらへんし。」
「そうそう、上がる下がるもわからんし。」
「そらそうやけど、変に堂々としてるやん。」
「まあそら、空気が似てるからとちゃいますか?千年の都は同じやし。」
「そやね。なあなあ、パリのへそさん、見に行かへん?」
「若葉ちゃん、なにそのへそさん言わはるのは?」
「ここどす、シテ島のノートルダムの前。」
若葉が広げたページを、全員が覗き込みました。
「へえ~、フランスの距離は、ここを中心にはかる…なるほどねー。」
佐織は、感心して言いました。
「つまりは、日本橋みたいなものですか?」
博識なあやは、やはり的確に理解したようです。
「行こう行こう。おもしろそう。ノートルダムも見に行きたいし。」
時刻は午後三時とすこし、間に合うかしら。
それでも、一行は麗子の車椅子を押して、さっそうとシャンゼリゼ大通を下ったのでした。
「うわ~、これがノートルダムかあ。」
雁子は、上を見上げて声を上げました。」
「なんでも、字の読めないひとにもよくわかるように、最後の審判が彫刻になっているんですって。」
「あやはなんでも知ってるなあ。それで、へそはどこ?」
「こっちよ。」
あやの指差す方向には、八角形の銅の板がありました。気をつけていないと、マンホールと間違えそう。
それも、みんなに踏まれて、磨り減っています。
これって、やっぱり何十年に一回とか、交換するんでしょうか。
黒い、重厚な扉を抜けると、ステンドグラスのきらめく聖堂に入ります。
「わあ、きれいだね。」
「ほんまやー。外からはこんなにきれいやなんて、見えへんのにねえ。」
「ほらほら、ここはお参りするところなんだから、あまりさわいじゃだめよ。さあ、前にいきましょ。」
あやは、すっかり修学旅行の引率のようになっています。
一番前にやってくると、あやは熱心に手を合わせて祈り始めました。
「あや、なにを一生懸命お祈りしてるのさ。」
雁子が、怪訝な顔で聞きました。
「だって、麗子が手術するのはフランスでしょう。だったら、フランスの神様にお願いするのがスジってものじゃない?」
「ああ、なるほど。じゃあ、あたしもお願いしよう。」
「「「あ、ウチも。」」」
麗子を除く全員が、熱心にお祈りを始めるものだから、麗子は困ってしまいました。
ただ、ともだちの気持ちが、ありがたくもありくすぐったくもあり。まあ、ありがたく好意を受けることにしました。
「いちばん有名な教会なんだから、霊験あらたかでしょ?」
「たぶんね。」
いい子たちだね。
お友達は大切な宝ですよ。