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第5話 ベルサイユのハラ?

なんか、ご飯食べてばっかりですなあ。

 翌朝早く、私をおこしにきたのはやはり双葉でした。

「おはようさんどすー、麗子ちゃん起きてはるー?」

「おはよう、双葉ちゃん。」

「あれ?もう着替えてはる?」

「ええ、すごく気分がいいわ。」

「そらもう、パリですよって、言うことおへんわなあ。」

「そやけど、寒いわね~。」

「ホンマ。氷張ってはるんとちがう?」

 そう言って、レースのカーテンを開けて、声を上げました。

「うわ!窓に霜が模様作ってはる。これはこれで、きれいやけど、よっぽど寒いんどすなあ。」

「ほんま?うわー、きれいやねー。」

「朝食、下のブラッスリーやて、行ける?」


「ええ、いいわよ。雪江さん、行きましょうか。」

「はい、お嬢様。」

 途中、若葉を引っ張って、階下に降りると、ブラッスリーでは、麗姉さまがコーヒーのカップを持ち上げたところでした。

「お姉さま、おはようございます。」

「あら、麗子ちゃん、双葉ちゃんも…あらあら、若葉ちゃんは大きなあくび。女の子がまあ、はしたないわー。」

 若葉は、あわててあくびを、かみ殺しました。

 少し遅れて現れた旦那さまは、白いハイネックに黒のスラックス。こげ茶の皮ジャケット。

「おはよう、麗子ちゃん、若葉ちゃんも双葉ちゃんも、よう寝られた?」

「おはようございます。」

「へえ、おはようさんどす。飛行機で疲れたよって、もう、ぐっすり。」

 若葉は、屈託なく笑うと、席に着きました。

「ウチも、ばたんきゅー。」


 その隣に腰掛けると、双葉は目の前のバゲットに手を伸ばしました。

「麗さんお姉さん、これ、切ってもええの?」

「ええよ、そこにナイフがおすやろ?」

「へえ、これどすな、麗子ちゃんはいくつ?」

「はい、ふたつ。」

「ウチもー。」

 双葉は、すいすいと切り分けて、それぞれの前にパンを並べます。

 ちなみに、お皿はありません。

 白いテーブルクロスの上に、直接。

「お姉さん、飲み物は?」

「ああ、それはマダム=ロッシュが運んでくれはるわ。」

「へえ、そうどすか?バターは、ああ、これやね。」


 双葉は、バスケットの横にある、小さな包みを取ると、さっそく解き開いて、パンに塗り始めました。

「うわ~、朝から贅沢な気分やわあ。外が、パリやよ~。」

「双葉ちゃん、そら、これで外が国際会館やったら、幻滅やないのー。」

「わざわざ十二時間も飛行機に乗って、宝ヶ池かいなー。」

「そやし、パリやねんよ。」

 私は、あきれて口を挟みました。

「窓から、京都が見えるひとの、言葉とも思えへんわー。」

「あ、そらそうやね。」

 まったく、観光都市京都に暮らしていると言う、自覚に欠ける二人です。


「ベルサイユ?」

「そうどす、今日は、ちょっと用事がおすので、ベルサイユまで出かけます。」

「なあなあ、宮殿は?」双葉が勢い込んで聞きました。

「時間があれば、見に行けると思います。」

「うわー、ばらべーるさーいゆ~。」

「こらこら、双葉ちゃん、踊るんやないの。」

「そやかて若葉ちゃん。これが踊らずにいられますかいなー。」

「そやし、その舞は『霧深きエルベ』やよ。」

「あれ?」

「はいはい、井上流は座敷舞だけどすえ。」

 若葉は、すまして言いました。


「移動は?」

「時間が読めるよって、電車。」

「へえ、ふらんす国鉄どすか?」

「そうどす。サン=ラザール駅から、リヴ=ドロワット駅まで直通で。」

 モンパルナス駅からヴェルサイユに行かないのは、向こうでわかりにくいことと、麗姉さまの目的地が、リヴ=ドロワットの近くだから。

「うわ~、そらもうびっくり~。」

「双葉ちゃんたら、はしゃいでしもてー。」

「ええやん、麗子ちゃんはその服で行かはんの?」

「ええ、そうね、そうします。」

「ほな、ウチ合わせて着替えよかなぁ。」

 麗子は、ちょっと厚手のワンピース。えんじの生地に、小さなばら模様の入ったクラシカルなものです。


「若葉ちゃん、お母さんの縫ってくれたあれ、出しまひょ。」

「ああ、あれどすか?そうどすな。」

 二人は、朝食が終わると、自分たちの部屋に戻っていきました。

 二人が着てきたのは、京友禅の生地を、ゆったりしたワンピースに縫ったもの。

 ふんわりした袖の、Aラインです。

 生地は、正絹の京友禅でピンクの生地に、図案柄の牡丹と揚羽蝶の模様。

 パリで着るには、少々センセーショナルかもしれません。

「あれまあ、二人とも、綺麗なワンピース。寧子さんおばさまのお手製?」

「そうどす。お父さんが仕入れてくれはった生地が、気に入った言うて、お母さんが縫いはったんえ。」

「はあ~、これはちょっと日本では、普段着にでけへんねー。」

「そうどすやろ?そやさかい、持ってきましたん。こっちなら、多少派手でもいけますやん。」

「ほな、ウチはどないしまひょ…」


 そう言って、着替えてきたのは、パニエがはいっているような、ふわりと広がったクラッシックスーツ。

 こちらは、こげ茶の地味なものですが、お姉さまが着ると、ずっと華やかになります。

 朝、八時を過ぎたパリは、これから目覚めるように、人も少なくひっそりとしていました。

 まあ、お正月でもありますし。

 ホテル前からタクシーに乗って、サンラザール駅に向かいます。

 ラスパイユ大通りを北上して、コンコルド広場を抜け、マドレーヌ寺院のコリント柱前を通って、サンラザール駅に出ます。

 駅前には、コンコルド=サン=ラザールホテルがでーんと建っています。

 ここのロビーは、重要文化財なんですって。

 じゅうようぶんかざいなんですって。

 大事なことなので二回言いました。


 通常使ってるホテルがですよー。

 こんなところにも、パリ(フランス)らしいこだわりが感じられます。

 サンラザール駅の切符は、自動販売機で買います。

 古めかしい四角い機械に、コインを数枚。がちゃりと大きな音がして、ひらりと小さなキップが落ちてきます。

 あるのは一等と二等だけ。

 座席が二席なのが一等、三席なのが二等。

 場内アナウンスもなく、列車は三両編成で、乗ったと思ったらがたんと走り出しました。

 どうやら、麗子の車椅子をしっかり見張っていた様子で、私が乗り込むのを見計らって発車したようです。

 ごみごみした駅の周りから、かたんかたんという車輪の音とともに、郊外に向けて列車は走ります。

 古臭いアパルトマンの林を抜けると、色のはげた木柵に囲まれた、小さな家が見えます。

 そして、ジャガイモ畑。

 のどかな田舎町を、かたんかたんと列車は走ります。

 ほんの二十分の旅。

 小さな駅が、ベルサイユのリヴ=ドロワット駅です。

 ざろざろと吐き出される乗客に混じって、私たちも駅から出ました。

 

 大半は、地元の住民のようです。

旦那(だん)はん、こっちどす。」

 麗姉さまは、旦那さまを引っ張って、先に立ちます。

「こっちにお城があるの?」

「ああ、こっちは用事のあるほうどす。」

「ふうん。」

 旦那さまは、私の車椅子を押して、麗姉さまに続きます。

「透吾兄さん、どこ行かはんの?」

「なんや、前に麗が世話になった人が、いてるんやて。」

「ふうん、そうなん?そやし、車が少ないねえ。」

「そら、新年迎えたばっかしやし、平日の田舎ゆうたら、こんなもんやろ。」

「ふうん、そうなんやー。観光の町やから、もっと賑やかやと思ったわー。」

「それは、お城の周りだけ。本来、ここは静かな町なんやよ。」

「へえ~。」

 ぽくぽく歩く歩道には、マロニエの葉が黄色くなって舞っています。

 葉の付いていないマロニエの木は、少し肌寒い印象で、ああ、冬のフランスは空が重いなあと、静かな感嘆に浸っていました。

 一行は、コートの襟を合わせるようにして、ベルサイユの町を進んでいきました。


「ここ?」

 双葉の声に、そちらを向くと、石造りの門に黒い鉄扉が重々しい建物がありました。

「そ…そ…そるぼん…」

 双葉が首をひねりながら、プレートを見ています。

「ソルボンヌ大学?」

 私の助け舟に、手をたたいて笑いました。

「ああ、そう読むんやー。大学なん?」

「そうどす。第六大学の理化学部。前にお世話になった教授が居てはるんどす。」

「へえ、エライ先生なんやー。」

「へえ、そうどす。ほな、行きまひょ。」

 麗姉さまは、先に立って建物に入りました。

 薄暗い廊下を進むと、こげ茶の扉の並んだ一角で、ドアに白いプレートがかかった所に着きました。

「ここどす。」


 こつこつとノックの音も、廊下に響くところを見ると、学生は居ないのでしょうか?

「まあ、まだお正月やし、クリスマス休暇は明けてはらへんもん。中には教授だけやよ。」

 かちゃりと、静かな音がして、ドアが開きました。

「ボンジュール、アラン教授。」

「わお、麗じゃないか、ようこそヴェルサイユへ。」

「ふふふ、教授、私の主人です。」

「おう、結婚したのかい?おめでとう。」

「ところで、私の手紙は読んでいただけました?」

「手紙?」

「あれまあ、読んではらへんのー?また、秘書の子が怠けてはったね。あの子、すぐ手ェ抜くよって、叱ったらなあかんし。」

「ああ、今、秘書は居ないんだ。今年から、財政が苦しいとかで、秘書はなくなってしまったんだよ。」

「まあ!たいへん。ほな、ウチとこから、一人回します。」

「ああ、そりゃありがたいね。で、用件は?」


「ああ、そうどす、手紙を読んではらへんなら、直接お願いします。実は、この子の足なんどす。交通事故で、神経の伝達がでけへんのどす。」

「ほう、じゃあ少し見てみよう。こちらの診察台に乗せて。」

 麗子は、透吾に抱き上げられて、ベッドに寝かされました。

「ほな、僕たちは外に出てるし。」

「へえ、遠くに行ったらあかんえ。」

「へえへえ、ここにいますがなー。」

 アラン先生は、麗子の足を右に左に曲げたり伸ばしたり、丹念に調べました。

「結論から言おう。」

「へえ。」

「七割くらいは動くようになるよ。」

「ホンマどすか?ほな、期待してもええんどすな。」

「いや、僕が見ただけだから、詳しい検査の後、ちゃんとしてからね。」

「ほな、車椅子なしでも歩けます?」

「それは、苦しいかもしれない。でも、部屋の中の移動や、車椅子からの移動なんかは、人の手を借りなくてもできるようになる。」

「それだけでも、ありがたいことどす。」


「もちろん、手術は僕がやる。」

「いつがよろしいのどす?」

「そうだな、体力的には問題なさそうだし、まず六時間か…」

 アラン教授は、ぺらぺらと手帳を見ながら考えていました。

「来週、週明けに医療スタッフと、打ち合わせをして、できれば月末までにやりたいな。」

「そ、そんなに早く?」

「だって、術式は簡単だよ。ただ、経験がない人には無理なだけさ。僕には、実績がある。そして、手先はいたって器用なほうさ。」

 アラン先生は、片目をつむって見せました。

「麗子ちゃん、月末までに手術でけるって。部屋の中なら歩けるようにならはるって。」

「ホンマですか!」


 思わず日本語で叫んだ私を、アラン先生はにっこり笑って見下ろしました。

「ほな先生、夕食ごいっしょにどうどす?ウチら、これからお城を見に行きますねん。」

「そうだな、じゃあとびっきりの店に招待するよ。君たちの結婚祝いにね!」

「まあ!ウチが招待しようと、思ってましたんえ。お礼の意味も含めて。」

「それは、手術が終わってから受けるよ。」

 アラン先生の、ゆるぎない自信でしょうか。

「ほな、ウチらお城を見に行って来ます。」


「ああ、楽しんで来るといい。またあとで。」

 一行は、ソルボンヌ大学のヴェルサイユ校を出て、いよいよヴェルサイユ宮殿に向かいました。

 ヴェルサイユ宮殿は、地味な街から比べると、一気に華やかな場所になります。

 新年と言うことで、人の出足も少ないかと思ったのですが、意外と人の入りは多いようで、バスの駐車場も満杯でした。

 繁盛しているようです。

 石畳の向こうに、金色に縁取られた柵があって、ずっと奥まで続いています。

 車椅子の麗子には、少し乗り心地の悪い路面でした。

 ここも旦那様が押してくださいました。


 友禅のワンピースを着た双子は、ここでは大変目立ったようで、おばさまたちに質問責めに会ってしまいました。

「ひゃ~、麗姉さん、なんて言ってはるの?」

「このデザインは、どこのクチュリエなのかって。」

「お、お母さんブランドなんやけどー。」

「オカサン?」

「ノンノン、彼女の母親の作品です。日本の京都でプリントされています。材質はシルク。彼女の母親の一品ものですよ。」

「まあ、彼女たちの母親は、超一流のデザイナーね!」

「う~ん、生地のデザイナーはほかにいて、提供された生地を、ドレスにしたのが母親です。」

「どちらのデザイナーもトレビアン!私にも同じものがほしいわ。」

「マダム、この生地は一人分で一〇,〇〇〇ユーロしますよ。」

「まあ!そんなにするの?」

「ええ、これはすべて手作業ですから。」

「まあ…でも、それでもこの生地は魅力的よ。どうすればお願いできるかしら。」

「そうですね、これと同じものと言われると、正直自信はございませんが、同様のものであればサンプルはお見せできます。お時間をいただければ。」


「どのくらいなら、用意できます?」

「サンプルの量にもよりますが、一両日中に。」

「では、あさってですね。」

「ええ、パリのモンパルナスの『オテル=アリッサ』ですが、わかりますか。」

「ええ、だいたいは。」

「では、マダムの連絡先をお願いします。」

 その人は、パッシーの住人でした。

「マダム=メリル=ショーモン?ショーモン通商グループの?」

 透吾にいさまは、低い声で言いました。

「あら、私をご存じなの?」

「パリでショーモングループを知らなかったらモグリでしょう。」

「ほほほ、それは嬉しい賛辞ですね。」

「では、あさっての午後には、準備してお待ちいたしますわ。」

「よろしくね、小さなマダム。」

「はい、奥様。」


 麗ねえ様が優雅にお辞儀をすると、婦人は、ゆっくりと正門に消えていきました。

「うひゃ~、どないしまひょ、旦那はん。」

「おいおい、成算があったんちゃうの?」

「その場の勢いで、二〇本も取り寄せればえええと思ったんどすけど、マダム=ショーモンやと、桁がちゃいます。」

「よっちゃんと、奈美子はんに連絡しよ。それから京都のお父さん。」

「そうどすな、そっちはお願いします。」

「カーゴは、今から押さえられるかな…」

「人足かけて、トランクに一〇本ずつ詰めて運べば、一〇〇本くらいはすぐやろ。」

「その方がよろしおすな。」

「ショーモングループの流通に乗れるなら、そのくらい痛くもかゆくもないわー。」

 ヴェルサイユの庭で、急に忙しくなったお二人です。

「透吾兄さん、ウチら三人で見学してきてもええ?」

「あ、ごめんなー、麗子ちゃん。双葉ちゃんにつきあってくれるか?」


「ええ、よろしいですわ。お仕事を進めてください。」

「土方君も居てたらよかったなあ。彼、使い勝手がよさそうやもんなあ。」

「土方さん…」

 思わずほほが熱くなってしまいました。

「あらま…」

 双葉は、そう言ったきり、あさってを向いています。

「あ、みんなであっこ行こう。十字運河の交差点にあるレストラン。」

「ああ、あの白い建物。そやね、お昼にしまひょ。みんな、ええかな?」

 透吾兄さまの提案に、麗ねえ様もほっとしたように応じました。

 有名な噴水広場を馬車で抜けて、運河の横を進むと、すぐに白いかわいい建物が見えてきます。

「かわいい~!」

 双葉ははしゃいで、声をあげました。」

「双葉ちゃん、立ったら危ないやん、座りよしー。」

 若葉が心配して裾を引っ張りました。

「あはは、かんにんなー。」

 双葉は素直に席について、頭をかきました。


 さっそく呼びだされたのは、小野寺よしこさんと言うひとでした。

「よしこちゃん?こんな時間からすまんにゃけど、奈美子はんと京都に飛んでんか。」

『なんですか?』

「うん、仕事や。急に入った。奈美子さんと、佐織ちゃんも連れて、パリに飛んでほしい。」

『パリへ?遊びに行って、仕事拾ったんですか?』

「そうなんや、急いで京友禅の反物一〇〇本欲しい。」

「ひゃ、ひゃく?」

「そうや、萱崎のおじさんに聞いて、双子のワンピースの柄に似たのを一〇〇本、実家であつらえてくれ。」

『わかりました、ほなさっそく出かけます。』

「たのむし。」

『了解です。出発は関空ですね。』

「まかせる。少しでも早く、届けて。」

『詳しくは、京都に着いてから、連絡します。』


 こちらで、お昼と言うことは日本とは八時間の時差があります。冬時間ですから。

 夜の八時過ぎに呼ばれたら、お風呂とか食事とか真っ最中じゃありませんか?

 たまったものじゃありませんが、透吾兄さまのスタッフは、文句も言わずに動き始めたようです。

「私のクラスメイトに、脇坂系列の伊丹航空貨物の娘さんが居てるけど。」

「あら~、それは心強いわね。ほな、明日にでも連絡を…」

 麗の言葉に、麗子はきっぱりと言いました。

「いえ、大丈夫です。今から連絡します。彼女も、私が遠慮したと知ったら、怒りますから。」

「そうどすか?ほな、連絡いれておくれやす。」

「はい。関空からですね。荷物の集配は、どちらへ?」

「それは、ウチが直接お話しますよって、代わって。」

「はい、それじゃ。」

 麗子はさっそく電話をかけました。


「あ、あやさん?麗子です。」

『れ、麗子さん?どうしたの、こんな時間に。しかもまだ冬休み中…』

「ええ、私は今・麗ねえさまとヴェルサイユに来ているのよ。」

『べ・ベルサイユ?フランス?』

「ええ、それでね、少しご相談があるの。」

『相談?』

「ええ、あなたでないとできない相談。」

『ちょっと待ってね、今、気合い入れるから。』

 電話の向こうから、ぴしりと言う音が聞こえてきました。あやさん、自分に気合いを入れたみたい。

『はい、どうぞ。』

「ありがとう。今日、京都で反物を百本集めますので、なんとか、明日までにフランスまで運んでほしいの。」

『反物、百本ですね、すぐ父に連絡します。』


「それじゃあ、麗ねえ様に代わるわね。」

『ちょ、ちょっと!わたしこんな格好で!』

 どんな格好よ。

「…電話やて~。」

『ぼ、ボイスオンリー!』


「ボンジュール、伊丹さん。脇坂…いえ、片岡麗どす。はじめまして。」

『ははい!伊丹あやです。お話できて光栄です!麗さま!』

「まあまあ、ねえさまが抜けてますえ。麗ねえさま・ね。さっそくどすけど、京都の姉小路堺町の姉小路和泉屋から、京友禅の反物百本、至急シャルル=ドゴール空港に届けてほしいんどす。お願いできます?」

『京都の姉小路和泉屋ですね、どなたに連絡をすればいいですか。』

「携帯電話は、090-****-****どす。小野寺よしこさんという人に、現地での準備をお願いしてます。」

『了解です、では早速父に連絡します。』

「あやさんも、現地にいらっしゃい。パスポートは持ってますな。」

『はあ、持っていますが…』

「ほな、よしこさんと一緒にこちらへおいない。伊丹航空貨物の責任者として。」

『セ、責任者は、父ですがー。』

「ええの、ウチが顔を見たいねんから。麗子ちゃんのお友達なんどすやろ?いっしょに、ケーキ食べまひょ。」

『はい、うれしいです。』


「ほな、麗子ちゃんに代わりますえ。」

「急に電話してごめんなさい。でも、ここで遠慮したら、かえって悪いと思ったの。」

『いい判断よ。遠慮したら、怒るわよ。雁子も連れて行くわ。』

「そうね、お願い。」

 翌早暁、小野寺よしこは、同僚の甚目寺奈美子をたたき起こして、いちばんの新幹線に向かっていました。

 よしこ、奈美子、社員の佐織、そして父の秘書の土方さん。

 四人は、早暁まだ暗い東京駅で、新幹線を待っていました。

「う~、コート着ていても寒いですねえ。所長~、缶コーヒー買ってきてもいいですか~?」

 佐織は、震えながら奈美子に聞きました。

「ああ、そうだね、頼むよ。ほい、これで買ってきて。あたしは砂糖抜き。」

「あ、ウチもブラック。土方さんは?」

「僕もブラックで。」

「りょ~かい~。ほな、行ってきます~。」

「あ、悪い、沙織。サンドイッチとか、朝ごはんも買ってきて~。」

 奈美子はもう二~三枚紙幣を取り出しました。

「わっかりました~。」

 ぱたぱたとかけて、キヨスクに向かいます。


 早暁のホームは、まだ人影もまばらで、真っ暗な中に線路が鈍く光っています。

 そこに、パタパタという佐織の足音が響きました。

「ほんまに、よう働く子やねえ。」

「ああ、今年はボーナスはずんでやんなきゃなー。」

「そうどすな、今年はスタッフも増やして、体裁も整えなあきまへんなー。」

「そうだね、あの事務所も手狭になっちまって、新しい事務所を探さなきゃ。」

「えっと、小野寺さん、甚目寺さん。」

「へえ、なんどす?土方さん。」

「片岡さんは、どんなお仕事をしていらっしゃるんですか?」

「へえ、カタオカは、いまのところ陶器の輸入がメインなお仕事どした。ただ、株取引で莫大な資産が増えてしもて、ただいま思案ちゅうどすねや。TOBでも始めよか~言うてまんにゃ。」

「てぃ、TOBですか?それはまた…」

「どうせ、ほっておいても税金やらいっぱい持ってかれますやん。それなら、有効に使ったほうが、世間の為にもなりますやろ?」

「はあ、そうですね。」

「ま、持ち慣れない金額が手に入っちまって、困惑してるのが本音さー。」

「そうなんですか…」


「麗さんお姉さんは、脇坂の事業を少し引き継いで、仕事しはるみたいやし、こっちもうかうかしてられませんからー。」

「そうそう、今年は延ばすよ~。まずは、ホテルを買うつもりなんだ。」

「それはまた、ハイリスクですね。」

「外国のバイヤーとかを泊めるためのホテルどす。小さいのんでええんどすけど、思い切り、こちらの趣向に合わせた、純和風のホテルにしまんにゃ。東京に一軒、大阪に一軒、京都では純和風に旅館。」

「へえ~、すごくわくわくしますね。」

 土方は、目をきらきらさせて、話に聞き入りました。

「そうだよ、あたしたちもわくわくしてる。今年から、カタカナのカタオカが始動するんだ。やるよ~。」


 階段から賑やかな声が、聞こえてきました。

『ほらほら、しゃきっとしなさいよ!』

『だって、まだ眠いよ~。』

『だめよ、麗姉さまと、麗子ちゃんから言い付かった仕事なんだから!失敗できないわよ。わかってる?』

『あう~、わかってるよう。ね~、コーヒー飲んでもいい?』

『キオスクで買ってあげるから。』

 大きなスーツケースを、ごろごろ押してきたのは、伊丹あやと芦屋雁子です。

『だいたいさあ、冬休みの朝早くたたき起こされて、ねむいっしょ!寝たのが夕べの三時だよ。』

『自業自得!不摂生してるからじゃない。京都に着くまでに、しゃきっとしなさいよ。はい、コーヒー。』

 よしこは、そんな二人に近づきました。

「お嬢さん、京都に御用どすか?」


 時ならぬ京言葉に、あやは顔をめぐらせました。

「え・あ、はい、そうです。」

「ウチらもどす。どうやら、目的も同じようどすなあ。」

「?」

 雁子は、土方の姿を見つけました。

「あ~、土方さん!ってことは、このお姉さんたちも、麗子の関係者?」

「そうですよ、小野寺さんと甚目寺さんです。お二方、麗子お嬢様の同級生で、伊丹さんと芦屋さんです。」

 四人は互いに、挨拶を交わしました。

 やがて戻った佐織も含めて、車中のヒトとなった一行は、一路京都を目指しました。

「まあ、伊丹航空貨物のお嬢様。それはよろしゅうお頼のもうします。今回は、急な話で、びっくりしたことどすなあ。」

「はい、でも父が、関空にウチの貨物便を待機させていますから。」

「そう?ほな、大船に乗ったつもりで、お任せしましょうねえ。」

「はい、任せてください。」

「大吾さんには、連絡ついたよ。萱崎のおじさんおばさんも、和泉屋で待機しているそうだ。」

「了解どす。ほな、柄のほうはOKどすな。」

「そうだね、うひゃひゃ、大掛かりになってきたね~、あたしゃこう言うののほうが、わくわくするよ。」

「まあ、お金動かして、はいおしまいって言うよりは、ずっと仕事してはる気に、なりますやろなあ。」

「そうそう、株取引なんて、将棋よりつまんないよ。まだ、お皿売ってるほうがいい。」


 あやが、おずおずと聞きました。

「お皿ですか?」

「ああ、言ってなかったね。カタオカは、陶器の輸入が主な仕事なんだ。片手間で、株もやってるんだけど。」

「ああ、なるほど。」

「一流どころはおさえてあるから、ほしいカップとかあったらいいなよ。」

「アホやねお姉さん。これからパリに行かはんのに、日本でカップ探す必要おへんわ~。」

「あ、ホントだ、面目ネぇ。」

 奈美子は豪快に笑いました。

 ふわりと広がった栗色の髪が、笑いにあわせて揺れています。

「ふふふ、ジアンのジョリパリとか、ええカップがありますえ。一緒に見に行きまひょなあ。」


 これがジョリ=パリ


 しっとりした風情のよしこは、二人ににっこりと笑いかけます。

 厚手のスーツに、収まりきらないほどの胸が、自己主張していました。

「う、なんか圧倒されるわ~。」

 雁子は、ジト目でよしこの胸を見ました。

「あ~、この二人のことは、あんまり気にしたらあかんよー。二人とも、実は豪快なお姉さんなんやから。」

「佐織!それ、どう言う意味どす?」

「おう、ゆっくり聞かせてもらおうか。電車もあと一時間はかかるしな~。」

「あうあう、ウチなんにも言うてません~。」

 よしこにほほを引っ張られ、奈美子にクビをつかまれて、犬塚佐織は悲鳴を上げました。

「ほ~ら、もみもみ、どうだ白状する気になったかい?」

「あうあう、早朝からセクハラしないでください~。」

「ほらほら、もっと恥ずかしいことしますえ~、さおり~。」

「うわ~、興味あるけど遠慮しまっさ~。」


「あきた、よっちゃん、商売の相手って、どんな人?調べたんでしょ?」

 奈美子は、いきなり佐織から手を離して、よしこに向かいました。

「へえ、マダム=メリル=ショーモンは、ショーモン通商グループの、実質的なオーナー会長どす。旦那さんは、婿養子さん。フランス全土にネットワークを持っていて、特に貨物トラックでの物流は、国内7%のシェアどすな。」

 何も見ないで、すらすらとそんなことが出てくるなんて、恐ろしいヒトです。

「ふうん、ワキサカは、ショーモンと手を組んで、流通を広げるつもりかな?」

「それは、まあ、それでもよろしおすけど、この先はウチが交渉しますよって。」

「はあ、すごい自信だ。」

「ま、今回は、この商談をまとめまひょ。」

 透吾の実家は、かなり大きな町家で、古くからの呉服卸と言う事でした。

 待機していた人たちから、呉服生地を受け取って、伊丹航空貨物の大きなワゴンは、関空に向けて走り出しました。


 目録に目を通していたよしこは、目を大きく見開きました。

「へ?二百?」

「なんだい?」

「反物二百本になってます。」

「倍じゃんかー。」

「受け取ってしもた以上、しょうおへん。このまま行きます。」

「そうしよう、戻っている暇はないやな。」

 結果的には、それでよかったのですが、この時点では通関手続きとかで、多少手間取ることになります。

 ですが、なんとか伊丹貨物の飛行機は、関空を飛び立って、一路フランスを目指しました。

 若干足が遅いので、約十四時間ほどかかります。

 雁子、あやら一行は、普通に旅客機で出発し、こちらも無事離陸しました。

 土方さんは、お手伝いが済むと、空港で見送ったあと、東京に戻って行きました。

 透吾にいさまのスタッフは、手際がとってもいいようです。


 あやも雁子も、アメリカ(ハワイとカリフォルニア)には行っていますが、どうやらフランスは初めてらしく、機内でもはしゃいでいました。

「でも、さすが百六十年続く名家ですねー。二百本の反物を、短時間でそろえてしまうなんて。」

 あやの言葉に、よしこはすまして言いました。

「まあ、呉服商としては百六十年どすけど、家としては平安末期から続いているみたいですよ。」

「へ、平安?千二百年?」

「へえ、後白河天皇の時代どすさかい、千百五十五年どす。平の清盛が活躍してまんなぁ。そのドサクサに、『権の大納言』も出ているそうどす。」

「お、お公家さん?」

「そうどすな。内大臣どす。」

「それがどうして呉服商…」

「さあ?詳しいことはわかりまへん。けど、なにやら騒動があったんどすやろなあ。」

「うわ、たいへんだ…」

 当然ながら、一行はファーストクラス。


 よしこさんも奈美子さんも、ぜんぜん気にしていない様子で、すましています。

「あ、経費は、あとで透吾ぼんに、請求しますよって、平気どす。」

「そ、そうなんですか?どうしよう、アタシたちまでファーストクラスなんて。」

「まあ、流れにまかせようよ、こりゃどうしようもないし。」

 雁子は、ゆったりと眠っているよしこの、上下する胸を見つめて、独り言のように言いました。

 さて、ヴェルサイユ宮殿の中では、相変わらず双葉が舞い踊っていました。

「あ~い~それは~、あまく~。」

「またまた~、双葉ちゃんそればっかしやんな~。」

 若葉は、あきれたように、双葉の脇を通り抜けようとしました。


「愛~愛~愛あ~い~」

その時点でもうだめだったようです。

若葉は、見事にハモっていました。

ああ 愛あればこそ(あーあーあーああああー)生きる喜び

ああ 愛あればこそ(あーあーあーあー) 世界はひとつ

愛ゆえに 人は美し

「なんで若葉ちゃんは、そこでハモってはんの?」

 麗子のするどいツッコミ!

 若葉は五〇〇ポイントのダメージ。

「はう!やってもーた…もうやるまいと、固く心に誓ってきたのに…もうアカン…」


「なにを、真剣な顔で言うてまんにゃー。」

 がっくりと崩れ落ちた若葉の背中から、情け容赦のない一言。

「うぐ!再起不能。」

「いっしょに落ちていこーよ~~。ほれほれ~。」

「退け悪魔!ウチは、もう宝塚に染まったりせぇへんのや!」

「なんで~、ええやんタカラヅカ~。」

「あー、もうそろそろヤメんと、僕がおこるしー。」

 透吾にいさまの声で、二人は我にかえりました。

 二人のまわりには、外国人が集まって、拍手まで起こっている始末。

 しかし、マリー=アントワネットの部屋に入ると、今度は若葉が…

「パンがなければ、お菓子を食べればいいのに。」

 だの、

「マリー=アントワネットは、フランスの女王なのですから。」

 とか、言い出す始末。


 これには、さすがの透吾兄さまも頭を抱えてしまって、他人のフリを始めました。

 外に出て、生垣の中を進むと、グラントリアノン。続いて、プチトリアノン、田舎家と続きます。けっこう遠いです。

 一月の寒さを差し引いても、宮殿の美しさには感動を抑えきれませんでした。

 ぜひ、ここを訪問されることを、お薦めします。(足の弱いヒト向けに、トラムも走っています。)

 まずは、オプショナル・ツアーなどで、説明を受けながら半日観光をして、翌日、国鉄でもう一度訪れて、こんどは自分の見たいところだけを、じっくりと鑑賞するというのが、ベストではないでしょうか。

 もちろん、ルーブルと一緒で、全部しっかりと見るには、何年も必要と思いますが。

「あ~、たんのしたねえ。」

「そら、あれだけ騒げば、堪能できるわよー。」

 麗子はすっかり疲れた顔で言いました。

「若葉ちゃんも、双葉ちゃんも、歌おじょうずね~。今度は、いっしょに歌いましょ。」

「おくさん、それはやめたほうがええんとちがう?」

「旦那はん、なんで?」

「な、なんでて…まあ、やってみるとええわー。」


 麗子がゆっくり休めるようにと、透吾はホテルを取ってくれました。

「なんや、透吾にいさん、贅沢やねえ。」

「まあ、このくらいはええやん。麗子ちゃんが疲れてしもたら、かわいそうやろ?少し、眠るとええわ。」

「すみません、ムリを言ってしまって。」

「ええんや、ゆっくり眠り。時間がきたら起こしてあげるよってな。」

 透吾にいさまは、そう言って部屋を出て行きました。

 駅前の小さなホテルは、背も低く、一見普通の家のようにも見えてしまいます。

 そんな、ホテルのテラスで、透吾にいさまは新聞を広げました。

「うわ~、フランス語の新聞やわあ、こら読めまへんわ~。」

 新聞を覗き込んで、双葉が声を上げました。

「なんや双葉ちゃん、第二外国語取ってへんの?」

「え~、八坂の第二外国語は、三年前からなくなったんよ~。」

「へえ、それは知らへんかったわ~。」


「コーヒー飲まはる?」

「ココアがええな~。」

「ほな、そうしまひょ。」

「あ、ここにいはった。」

「若葉ちゃん、どないしたん?」

「ヒマができたよって、学校の友達に絵葉書かくのんえ。」

「あ、そらええなあ。ウチも買ってこ。」

 二人は、カフェのテラスで、熱心に絵葉書を書き始めました。

 麗子は、少し疲れてしまい、ベッドの上でうつうつと眠ってしまいました。


 ベッドサイドでは、麗姉さまが、聖書(ホテル備え付けの)を開いて読んでいます。

「姉さま…」

「へぇ、なんどす?」

「私、歩けるようになるかしら…」

「へえ、アラン教授が請合ってくれはったよって、心配ご無用どす。」

「アラン先生って、有名な方なんですか?」

「まあ、フランスの整形外科医師の中では、五本の指に入りますやろ。大学だけやのうて、臨床もしっかりこなしてはる、実力派やよ。」

「そんな有名な先生なんですか。」

「そうえ。ま、太鼓判押してくれはったし、家の中限定でも歩く練習しだいでは、外に出られるかもせえしまへんえ。」

「そうなると嬉しいわ。」

 傍系の従姉妹のために、こんなに良くしてくれる、麗姉さまの気持ちに答えるためにも、麗子はきっと歩けるようになりたいと思いました。

 やがて、テラス席では寒くなったのか、三人は部屋に戻ってきました。

「麗子ちゃんどうどす?」

「ええ、まだ眠ってはるえ。」


「なかなか難儀やなあ。」

「まあ、車椅子生活も長いし、体力も普通の人よりは、少ないやろしなあ。」

「ほんでも、まあ雁子さんやらあやさんやら、守ってくれてはるよって、そう心配したもんでもないえ。」

 双葉の言葉に、麗姉さまは、ほっと息をはいたのでした。

「そうどすか?ほなら安心どすなあ。」

 やがて、食事の時間になって、一行はホテルから移動を始めました。

 教授が案内したのは、街角のなんていうことはないブラッスリーでした。

「麗は、高級なところは行き飽きただろうから、こういうのんびりしたところのほうが、いいだろう?」

「あら教授、大学にいたころは、こういうお店にみんなとよく来ましたわよ。」

「おや、それは失敗。でもまあ、ためしてごらんよ、ここの鳥料理はおいしいよ。」

「教授のお薦めですもの、期待しますわ。」


「ははは、じゃあ、うんと期待してもらおうか。カトリーヌ、来たよ。」

 教授は、店の入り口からおかみさんらしい、よく肥えた女性に声をかけました。

『いらっしゃい、先生。奥に席が取ってあるよ。ごゆっくり。』

「ああ、とびきりのを頼むよ。」

『まかしときなよ、ウチはいつでも飛び切りだよ。』

「東のナマリがあるのね。」

「彼女は、アミアンの出身だよ。威勢がよくって、気風がいい。」

『なんだい、あたしの悪口かい?』

 カトリーヌは、ワインのビンを持ってやってきました。

「旦那は、赤でいいかい?」

 カトリーヌは透吾にいさまに向かって聞きました。はなから、フランス語が話せないなんて、思っても居ません。

「ああ、ええよ。どこの?」


 地元民でも通じるようなフランス語が、低いテノールで聞こえると、カトリーヌは目を瞑って伸び上がり、ふるふると震えました。

「うう~ん、いい声だねえ。こんな甘い声で口説かれたら、一発で落ちちゃうねー。」

「おおきに。姉さんも気風がええねえ。」

「おやまあ、おありがとさん。お嬢ちゃんたちは、何にする?」

 麗姉さまも、お嬢ちゃんらしいです。

「ほな、ウチは炭酸水。」

「オレンジジュース。」

「ほかには?」

「カシスのジュースがあるよ。」

「それ二つ。」

「あいよー。待っててねー。料理も出していいかい?」

「ああ、頼むよ。」

 サラダは、レタスが山盛り。スープは、ジャガイモのポタージュ。

 ほかに、パテが二品と、チーズが五種類。

 ブラウンソースで煮込まれた、丸ごとのトリには、サフランライスが詰めてあって、ふわりと上がるシナモンの香りも食欲をそそります。


「レントゲンとMRIの結果から言えば、麗子の足は必ず動くようになるよ。どうして、日本の医者はこの手術をしないのかね?」

「さあ、彼女の父親が国会議員だから、失敗すると困るんじゃないかしら?」

「そんなものかねえ?失敗なんかするもんか、僕にとっては朝飯前だよ。今は、夕食中だがね。」

「あはは、傷跡はどうどす?」

「それも治す。皮膚移植で隠すよ。まあ、任せなさい。」

「へえ、そうどすな。」

 教授は、大いに呑み、話します。

 透吾にいさまは、ゆっくりとグラスを干して、五種類のチーズに手をつけました。

「時間は、どのくらいかかりますか?」

「ああ、最初は六時間と踏んでいたけど、MRIで見ると、半分だね。皮膚移植にあと一時間半。」

「合計四時間半?」

「まあ、そんなところだ。ただ、今回はたくさん皮膚を使えないから、膝下だけしか治せない。」

「それで十分どす。あとは、日本でもできますやろ。」


 私たちのフランス語力では、半分も聞き取れていないのですが、あとで聞かせてもらいました。

「月末までか…まあ、僕は時間の都合がつくよって、残るわ。」

「ほな、旦那さん、お留守どすか?いや、さみしいわあ。」

 麗姉さまは、まっすぐに感情を言葉にしています。うらやましいです。

「そやし、麗ちゃんは、お仕事詰まってはるやん。僕は、新しい仕事までに、インターバルがあるもん。」

「そらそうどすけど…」

「そうやなー、カタオカのパリオフィスの物件でも探すかなー。」

「あ、それよろしおすな。現地スタッフも雇って。」

「そやろ?モンパルナスあたりで探すかなー?」

「ルーブルの傍にしよし。少々高ぉても、場所はそのほうがよろしおす。」

「そうか?わかった。」

 パリ生活の長いお姉さまの提案に、旦那さまはすぐ首肯しました。

 電車は、ゆっくりとサン=ラザール駅に滑り込み、私たちはホテルに戻ってきました。

「ただいま、雪江さん、パリではどうでした?」

「ええ、平穏でした。私は、マイヨール美術館に行ってきました。」

「マイヨール?」


「ええ、近代の彫刻家ですよ。ロダンも認めていたそうです。」

「へえ~、雪江さん、そう言う趣味もあるんだ。」

「ええ、私なりに、パリを満喫していますよ。」

「それはよかったわ。私たちは、ヴェルサイユ宮殿を見学して、お姉さまの知り合いの大学教授とお食事してきたわ。」

「まあ、それは良うございました。」

「続きがあるのよ!」

「はい?」

「私、歩けるようになるんですって。」

「ええ!」

「お姉さまの知り合いの大学教授が、わたしの足を診てくださって、太鼓判をくださったわ。」

「まあ…それは、本当に良ぅございましたねえ。」

「まあ、家の中限定ですけど、人並みくらいには歩けるようになると。」

「まあ、なんてすばらしいんでしょう。さっそく、旦那様と奥様に連絡しましょう。」

「ああ、そうね。興奮して、忘れていたわ。」

 父も母も、驚いて二の句がつげないようでしたが、麗姉さまにくれぐれも感謝の意を伝えるよう言われました。

 麗姉さまには、直接電話してもいいか、あとで聞いておこうと思います。


私の旅行も、ご飯食べが主体ですから。

おいしいものは、心が豊かになりますね。

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