第4話 父への手紙
少し、いとこのお兄さんの秘密がわかったりします。
年の暮れに、父に届いた一通の手紙。
父は、手紙を手に、私の部屋のドアをたたいたのでした。
手紙を持つ手が、心なしか震えています。
「れ、麗子、本家の麗さんからだ、お前にパリへ一緒に行ってほしいそうだ。」
「パリへ?」
「ああ、約束だそうだが、そんな約束をしていたのか?」
父は、怪訝な顔をして聞きました。
本来、私のことには無関心な人ですが、やはり麗お姉さまがからむと、そうは言っていられないようです。
「ええまあ、世間話のようなものですけど。」
「彼女は本気だったらしいぞ。まあいい、脇坂本家と仲良くしておくに、越したことはない。行ってきなさい。」
年末押し迫った十二月の半ばのことでした。
さっそく連絡を取ってみると、新年早々に出発とのことで、冬休みに入ると、あわただしく準備を始めました。
特に、冬のパリは寒いと聞いて、雪江さんは、厚手のタイツをたくさん仕入れてきました。
車椅子に敷くクッションも、新しいムートンになっています。
コートは、車椅子に向かないので、大きいショールと、ひざ掛け。
新年の挨拶もそこそこに、空港に着いたのは、お正月三日のことでした。
空港に着いてみると、脇坂トラベルのカウンターには、双葉が立っていました。
あいかわらず、すらりと背の高い、立ち姿は女の私から見ても惚れ惚れするくらい。
一方、麗お姉さまは縮尺が違っているような、遠近感が狂うような感じで、旦那さまと並んでいました。
ふわりと広がった巻き毛が、ゴージャス。
さりげなく着こなした、スーツ。
ベーシックな紺で、スカートもプリーツの入ったものですが、ペチコートでふわりと広がっていて、豪華。
たぶん、ブラウスもブランドなんでしょうけど、よくわかりません。でも、シルクで、ハイカラー。
細かいレースがあしらってあって、上品な逸品。
コートは白いカシミヤ。
だんな様は、濃いこげ茶のジャケットに、白いハイネックセーター。
スラックスはからし色と、シブい感じ。
コートはグレーのダウン。
片や百八十六センチ、片や百五十センチ…
そうして、その横にはもう一人、双葉と同じ顔がありました。
「萱崎若葉どす、どうぞよろしゅう。」
「こんにちは、よろしく。」
私の車椅子は、雪江さんが押しています。
もちろん、ずっと一緒です。
麗姉さまが、手配して下さったので、雪絵さんは私の隣に座りました。
私が席に着くときは、旦那さまがだっこしてくださって、(しかもお姫様だっこ。)席に運んでくださいました。
ファーストクラスは、ゆったりしていて、私を抱き上げても余裕で動けます。
双子は、ほかの客室を覗いたり、ギャレーの様子を見たりして楽しんでいました。
暖かくて、のんびりしているので、いつしか私は眠ってしまったようです。
がくんというショックで、目が覚めました。
飛行機は、いままさに高度を下げ始めたところです。
なんと八時間あまりを、ぐっすり眠っていたらしくて、機体は旋回しながら高速道路の上を越えていました。
シャルル=ドゴール空港は、もう眼下に大きくなっています。
機長さんは、ベテランらしく、ふわりと着陸して、ショックもありませんでした。
薄暗い通路を出ると、ドゴール名物の、空中で交差したベルトウエイ。
私たちのために、お姉さまはエールフランスの、シャトルバスでの移動を選んでくださいました。
道路脇の景色を楽しみながら、モンパルナスまで約一時間で着きます。
市内までは約二十五キロ。
ちなみに、ひとり十四ユーロ。
ロワシーバスなら、九ユーロなんですけど。
脇坂の駐在員が、荷物をホテルまで運んでくれるので、ほとんど手ぶらです。
雪江さんは、かっちりしたスーツで、私の車椅子を押しています。
透吾さんがいてくださるおかげで、バスでの移動もスムーズに進みました。
やはり、男の方って、力持ちですもの。
ただ、雪江さんとちがって、固いんです。
腕も、胸も。
モンパルナスに着くと、バス停の前にモンパルナスタワーが見えます。
そのふもとにある、小ぢんまりしたホテル、「オテル=アリッサ」が、今回の宿です。
ヴァヴァンの辻に程近い通りにあって、古臭い石壁と、玄関脇のカフェ。
窓には三色旗が下がり、バルコニーには赤い花が咲いています。
冬のパリの、重い空とは対照的に、明るい雰囲気のプチホテルです。
部屋は、ツインのバスタブつき。
二間に分かれていて、ベッドルームと居間があります。
セミスイートと言ったところでしょうか。
双子も同じような部屋です。
と言うか、このホテルはすべての部屋が、同じ作りらしいのです。
ややせまい感じのロビーから、エレベーターまでも近く、移動には苦労せずに済みそうです。
どうやら、パリ生活の長かった、お姉さまが選んでくださったようで、さすが脇坂のお姉さま!
荷物は、すでに運び込まれていて、パリの脇坂オフィスの手際には驚かされました。
部屋から窓の外を見ていると、控えめなノックの音。
「麗子ちゃん、お茶にせえへん?」
やってきたのは双葉でした。
「ええ、いいですよ。」
「ほな、おじゃましますー。」
双子は、二人そろってドアを抜けてきました。
「は~、お部屋の作りは、おんなじやんかいさぁ。」
双葉は、くるりと部屋を見回して言いました。
「双葉ちゃん、そら、麗さんお姉さんやもん、そんなもんに差ァつけたり、せえしまへんて~。」
「そらそうや、ねえねえ、すぐそこにル=ドームがあんねんて、行ってみたいわ。」
「ル=ドーム?」
「そうなん、向かいにはセレクト!すごいわ~、パリなんやね~。」
「そら、ここまでせいだい飛行機に乗ってきて、ここが奈良どす~とか言われたら、コケますやん。」
若葉は、なにやら訳のわからないことを言っています。
「ああ、あんたなあ、言うにことかいて奈良どすかいな。」
双葉は、盛大に肩を落としました。
「そこの公園に、鹿さん居てたら、大笑い~。」(リュクサンブール公園ですけど。)
「あほ~!」
時ならぬ双子漫才に、雪絵さんのツボが刺激されたらしく、顔をそむけて肩を揺らしています。
「あ、あんたらなあ、パリへ来てまで漫才せんといてぇな。」
「ええやん。とりあえず、陽も高いこっちゃし、うおっちんぐ~。」
「お姉さまは?」
「この辺歩くだけならええよって、言うてはる。裏路地にはいらへなんだら、危なくないんやてー。」
「そう、ほな雪江さん、行ってきます。」
「はい、お三人で大丈夫ですか?」
「子供やないんやから。雪江さんは、休んでて。」
麗子は言い置いて、双葉に車椅子を押されながら、部屋を出ました。
エレベーターを降りて、ゆっくりと外に出ます。
かわいいカウンターからは、マダム=ロッシュが、にこにこしながら手を振っていました。
なんや、あいそのいいおばさんです。
雲が晴れて、陽光もおだやかになった昼下がり、モンパルナスは人通りも多く、にぎやかでした。
思った以上に街路樹は多く、マロニエは葉を落として、枝ばかりが目立ちます。
ホテルの前から、リュクサンブール公園を右手に見て北に進むと、サン・ジェルマン・デ・プレ教会の尖塔が見えてきます。
左手にはちょっと小さくエッフェル塔。
パリは三度目ですが、一度目は幼稚園のときで、あまり憶えてはいません。
二度目は、事故の前で、父の外遊についてきたのでした。
それに比べれば、気楽なものです。
おじさまたちは、麗子が小さいからと言って、気を使ってはくれますが、所詮オマケですから、すぐに放っておかれますし。
一緒に行った、ほかの議員の子供は、意地悪で・ばかばっかりだし…
麗子は、秘書の一人と、ずっとテレビを見ていただけの旅行でした。
ああ、ルーブルとか、お城とかは見に行きましたけど。
ちょっと気取ったブティックを、通りにみつけて、入ろうとすると、金髪のお兄さんがドアを開けてくれました。
「め・メルシーボクゥ」
「ウイー"je vousen prie"」
さすがパリジャン。
さりげなく軟派な行動が、絵になります。
「ひゃ~、きざな兄ちゃんやなあ。」と、双葉。
「そやし、かっこええやん。」と、若葉。
「さりげないわね~。」
娘三人は、それぞれに勝手なことを言いながら、服を眺めていました。
小娘が三人では、買うこともないと思ったのか、店員も見に来ませんでした。
ひとしきり、店を冷やかして、また歩道に出ました。
双葉は、厚手のキュロットに、まふまふ襟のついたジャケット。
若葉は、フレアースカートに、かわいいピンクのセーター。
私は、やはり厚手のフレアースカートに、白いセーターを合わせています。
昼間は、それほど冷えてこないので、あえてコートは着ていないのですが、なんともノンキな一行です。
ネコがいると言っては笑い、花が咲いていると言っては笑い。
双子は、くったくなく素直に笑います。
教会を外から眺めて、くるっと回って、オルセー美術館の前を通り、セーヌ川畔を西に向かいます。
さすがに表通りは、車も多く、人もたくさん歩いています。
「わお~、セーヌ川さんどす、若葉ちゃんみとうみやす、深そうやね~。」
川べりの歩道から、一段下がったセーヌ川の遊歩道が見えます。
もっとも、車椅子の高さからですと、あまりよく見えませんが。
「加茂川さんとは、えらい違いやネエ。」
「あんたらなあ、比べるもんが違うっちゅうねんわ。」
「あはは、麗子ちゃんも言葉が、神戸に戻ってはるわ~。」
「うぐ、せっかく標準語になおしたのに。」
「あほやね、そんなつっけんどんな言葉、わざわざ話す必要がどこにおす?」
「そやさあ、古い都には西の言葉が、合うもんどす。」
「そういうモンやろか~?」
「そうどす。あ、アレクサンドル三世橋やよ、きれいやね~。」
双葉は、絢爛豪華な橋を指差しています。
「双葉ちゃん、よう知ってはるなあ。」
「調べたも~ん。ほら、る●ぶ。」
「あらま。」
雑誌は、麗子の車椅子の、背もたれにあるポケットから出てきました。
手回しのいいこと。
「そやし、麗子ちゃん連れて迷子になったら困るやん。これでも、パリのことは、いっぱい勉強したんやよ。」
「勉強したゆうて、エルメスとか、ヴァレンチノとかのこととちがうの?」
「ひつれいやわあ。ちゃんと、地図もしらべてますー!」
「あらまあ、ほな、頼りにしまひょ。」
「へーへー、ようこそおこしやす。」
「うみゅ、よきにはからえ~。」
橋の向こうには、エッフェル塔が見えてきました。
アレクサンドル三世橋の両脇には焼き栗の屋台があります。
屋台と言っても、車の着いたドラム缶に、石炭が入っていて、その上に浅い鍋があって、栗がころころ転がっているというシロモノ。
くるくる巻き毛で、目鼻立ちのくっきりした少年たちが、栗を売っています。
「あらまあ、麗子ちゃん、あの子達アラブから来てはんの?」
「難民やね。アラブだけやなくて、サラエボやアフガニスタンから逃げてきたんやね。」
「戦争はいややなあ。」
「ほんまに。」
「ウチ、栗買ってくるわ~」
若葉は、ほてほてと道路を横切って、アレクサンドル三世橋の焼き栗屋の屋台から、栗を賄ってきました。
ドラム缶を半分に切ったような、丸い鍋で栗をあぶっています。
ついでなので、セーヌ川を対岸に渡ります。
橋の上からは、コンコルド広場のオベリクスや、走り去る車の列が見えます。
渡りきると、グラン=パレ:プチ=パレの間の通り(W=churchill通り)です。
ういんすとん=ちゃーちる通り?まあ、そう言う通りの名前もあるわなあ。
西に向かうとアルマ橋、アルマ広場。
シャイヨー宮の下のトロカデロ庭園を右手に見て、イエナ橋に出ると、かわいいカルーゼル(メリーゴーラウンド)があります。
そこから、イエナ橋を渡ると、エッフェル塔です。
エッフェル塔の下をくぐり、じゃりじゃりした広場を抜けると、シャンドマルス公園。
芝生の横を、ほてほて進むと、陸軍士官学校前へ。
その門前で左に折れると、アンヴァリッドです。
アンヴァリッドの西には、ロダン美術館で、あとはモンパルナスタワーまで一本道。
メトロのヴァヴァン駅に到着、ホテル前~。
「あ~、歩いたねえ。」
「ホンマに、二人とも疲れてへん?私の車いす、ずっと押してはったけど。」
「ああ、だんないだんない。楽しかった~。ツアー旅行では、こういう楽しみはないやろなあ。」
「双葉ちゃん、ほらほら~、エッフェル塔のセンヌキ~。」
若葉は、どこかの屋台でお土産物を買って来たようです。
意外と抜け目がありません。
「あんた、またしょーもないモンを…」
「ええやん、記念やもん。そこの路端で並べてはったんよ~。」
「まあしゃあないわな~。そやし、コレが楽しみやもんね。」
双葉は、あきれ顔ながらも、若葉の買い物を楽しそうにのぞき込みました。
「京都の平安神宮前とか、似たようなもんやない?」
メトロの階段を、パリジャンとパリジェンヌが、腕を組んで上がってきました。
そんな二人に目を送りながら、私は口を開きます。
「そうやね、今回は気楽でうれしいわ。」
「気楽やない旅行もあったの?」
「前は、お父様と一緒やったの。ほかの議員さんとか。」
「ああ、そらいややなあ。おじさんくさいし、せめてあのポマードだけでも、やめてくれへんかなあ。」
双葉は、誰かを思いだしたのか、鼻の頭にしわがよっています。
そんな顔をしても、彼女は変に魅力的です。
「それ、私も思う。」
「そやろ~、おじさんくそぅて、ポマードくさかったらサイアクやね。」
ぺろりと舌を出して、双葉が言ったとき、横合いから若葉が、妙な悲鳴を上げました。
「あ~!」
「若葉ちゃん、どないしたん?」
「お茶、飲んでぇしまへん。」
「ホンマや~、しまった~。」
双葉は、アタマをかかえて言いました。
「ああ、ちょうどヴァヴァンの辻やから、すぐそこにセレクトがあるやん。」
麗子の声に、若葉も双葉も胸をなでおろしました。
「麗子ちゃんがいてよかった~。る●ぶだけではわからへんし~。」
「そやね~、ああ、あれ?」
「そうそう。」
ガラスで囲まれたテラス席は、平日の午後でありながら、ほとんど満席。
でも、車椅子の私に気づいて、老夫婦が席を譲ってくれました。
「De lien. C’est normal.(いいんだよ、当然のことさ。)」
「うわ~、かんにんなあ。おじちゃん、おおきに~。」
「それ、フランス語で言わはったら?」
「えっと、メルシー、えっと…」
「Merci beaucoup Monsieur」
「Je vous en prie.」
「さすが麗子ちゃん。」
金髪の中年のおっちゃんが近寄ってきて、尋ねました。
「ノム?タベル?」
「へ?」
最初、何を言っているのかわかりませんでした。
飲むか、食べるかと聞いているのでした。
「あ、カフェ、トロワ。」
「ウイー、メルシー。」
「はふー、びっくりしたねえ。」
「私もびっくりしたわよ。日本語で来るとは思わなかったわ。あなどりがたし、セレクト!」
「あはは、ほんまや~。」
やがて、おっちゃんはコーヒーとミルクのポットを持ってやってきました。
ここでは、コーヒーとミルクは別々で来るんです。
ついでに、お薦めのメニューを持ってきてくれました。
「どれ?」
「カシスとイチゴのタルトが、お薦めだよ。」
「ほなそれ、みっつね。」
「うい、待っててね。」
この辺は、フランス語の遣り取りです。
「カスタードのタルトやて、甘いかな?」
「さあ、まあコーヒー飲んでからやね、ウチやるわー。」
「お願いね。」
双葉は、コーヒーのポットを持ち上げると、少しずつ三つのカップに注いでゆきます。
そこそこ行き渡ると、次はミルク。
「双葉ちゃんは、お茶のお免状持ってはるんよ。」
「へえ、見かけによらないわねー。」
「なによーそれ、ウチは見かけどおりどす。」
「はいはい。」
行き交う人たちは、みな忙しそうだったり、楽しそうだったり、新年を迎えた街角には、人があふれています。
「あー、わんわんや~。」
「ほんまや、おっきい犬さんやな~。」
パリジェンヌの連れた犬さんも、なにやら誇らしげに胸を張って歩いています。
「麗子ちゃん、雁子ちゃんは元気にしてはる?」
「雁子?ええ、あいかわらずハイテンションやよ。地上五センチくらいを、うろうろしてはる。」
「あはは~、そらええわ~。あれから、どないしてはんにゃろって、思ってましたんや。」
「うん、あれから雁子だけじゃなくて、クラスの人たちが集まってきて、改めて友達になったんよ。」
「へえ、それなら安心やね。麗さんお姉さんも、心配してはったのは、そこやねんよ。」
「そこ?」
「へえ、麗子ちゃんは、けっこう性格がきついよって、お友達居てはるやろかって。」
「あっちゃ~、そんなことばれてはる?」
「もうばればれ。」
そこへ、さっきのおじさんが、タルトを運んできました。
「めるしー。」
「ウイ。」
で、このタルトにフォークをさくりと入れると、実にやさしく、ふっと入ります。
そんでもって、これを口に、ぱくり。
『『『あ・あま~い!』』』
三人がいっせいに口をそろえて言いました。
「なにこの甘さ。」
「ほんま、歯が溶けるわ~。」
「こんなに、あまあまやったやろか?前に食べたときは、こんなに甘いことなかったんやけど。」
「子供の口には、ちょうどよかったんちゃうの?」
「あ、そうかもしれんわー。いま、食べると甘いねー。」
「こうなると、文乃助茶屋のあんみつは上品やね~。」
「あんたら、京都人のくせして、なんであんなとこ知ってはんの?」
「いや、話の種に食べてみよ言うて、双葉ちゃんが言うもんやさかい、まあ、それならええかと…」
「あたしが、神戸牛食べに行くみたいやんかさー。」
「そうやねー、わざわざ湯豆腐食べに、南禅寺やらいかへんもんねー。」
「そら、おいしい豆腐が、そのへんで売ってはるんやから、わざわざ食べには行かへんわなあ。」
ひとしきり話をして、気がつくともう五時。
ここに、二時間も居たことになります。
「あ~、帰ろう。お姉さんたち、待ってはるわ~。」
そうですね、ちょっと長居をしすぎました。
「ああ、おかえりー。お食事、今夜は近くでええかいなあ?」
麗姉さまは、気さくに聞いてくれました。
「はあ、はい。」
「近くってどこ?」
「モンパルナスタワーの展望レストラン。」
「まあ、お料理はたいしたもんやないんやけど、景色代やと思ったら、安いもんどす。」
「そうなん?」
「そうそう。」
双葉は、窓に広がる景色に、びくびくしながら進みます。
「あはは、双子ゆうてもやっぱし、違うんやねえ。」
麗お姉さまの声に、双葉はぶ憮然として答えました。
「まあ、構造的には似てると、思いますけど。個人として考えたら、れっきとした人間やんかいさァ。パーソナルな人格は、べつべつやよ。」
「なるほどねえ。」
「ウチは、何もないところで、転んだりせえしまへんもん。しかも、パンツさんまる出しで。」
双葉は流し目で、若葉を見ました。
「ああ!ゆうてはならんことを、あっさりゆうたね~。」
「そやし、ホントのことやんかいさァ。」
「ホントのことやから、ゆうてはならんのどすやろ~。イケズやわあ。」
「そやし、パンツさんどころか、背中まで丸見えやったやんかいさあ。」
「も~、ええもん。このまえ双葉ちゃん、寝ぼけて、ウチのブラつけようとしてはったやろ。なんで合わんのやろ~って言って、ブラの中にツメモンしてはったやん。」
「ああ!それは言うてはイケマセヌ。」
「ほれみぃ、人に言われて困ることは、自分も口にしてはアカンし。」
「おみそれいたしました~。」
「ちゃんちゃん。」
「あ、あんたらなあ、パリに来てまで双子漫才せな、気がすまんのかいな!」
麗子は、あきれかえって口を出しました。
透吾お兄さまは、おなかを抱えて笑っているし、麗お姉さまは顔を横に向けて、肩をゆすっています。
おそらく、涙も流していることでしょう。
とりあえず、そんな状況から、モンパルナスタワーに昇って、夜景を見ながらのディナーとなりました。
確かに、一見の価値があるものだと思いました。
車椅子で入っても、特に不自由もなく、ゆったりと空間が取られているので、移動も余裕でした。
ただ、一部メタルな感じで、雰囲気に合わないような所があって、少し残念でした。
お味は、可もなく不可もなく、まあ、フランス料理としては、素材に火が通り過ぎなところを除けば、及第点…六十五点くらいでしょうか。
「お肉がぱさぱさするー。」
「双葉ちゃん、そねぇなこと言ってはいけません。」
「そやし、若葉ちゃん。これ、焼きすぎちゃうやろか~?」
「双葉ちゃん、シェフが北欧出身なのとちゃいますか?」
「麗さんお姉さん、そらどういうことどす?」
「北欧の人って、なんでも焦げるまで焼いたんが、大好きやねんよ。」
「へえ~、そんなもんどすか?」
「スゥエーデンのソーセージやら、真っ黒やよ。」
「所変われば品変わる、やねえ。」
「まあまあ、ほな適当なところで、河岸かえよか。」
「そうどすな。ほな、どこにしまひょ?」
二人は、それがさも当たり前のように、よりそって歩いています。
「なんや、新婚さんゆうて、十年も連れ添ってはるみたいやねえ。」
「ああ、そうか~、麗子ちゃんはいきさつを知りはらへんもんねえ。」
「いきさつ?」
「ほな、今夜にでも、少しお話しましょうねえ。」
「お願いするわ。」
ちょっと小粋なシャンソニエで、お酒をいただきながら、歌手の声に耳を傾けると言う、贅沢な時間を持ってしまった双葉は、ほろりと酔いながら、パリの夜を楽しんでいました。
「双葉ちゃん、お酒なんて飲んでもええの?顔、赤ァなってはるえ。」
若葉は、心配顔で双葉に聞きました。
「だんないだんない。お酒ゆうても、少しだけやん。心配せんとき。」
「はあ…」
舞台(ほんの少し持ち上がった、台みたいなものですが。)では、司会が出てきて、なにか言っています。早口のフランス語は、よく聞き取れません。
「ねえねえ、麗さんお姉さん、あれ、ナニ言ってはんにゃろ?よう聞き取れまへんにゃ。」
双葉が、麗お姉さまの肘を引っ張って聞きました。
「あれ?飛び入り参加はありませんかって。なんや、予定してはったバンドが出られへんらしいわ。」
「へえ、そんなことあるの~?」
アバウトなものです。出る方も、聞く方もたいして気にしていないところが、これまた雑というのか鷹揚と言うのか…気にしない体質なんですね。
「まあ、たまにはなぁ。あれあれ、だ~れも出ぇへんの?ほな、ウチいこ~。」
麗お姉さまは、さっさと手を挙げて、立ち上がりました。
「ピアノは…ああ、ありますなあ。ほな、これで。」
きれいなフランス語で、司会と遣り取りをして、無造作に手を持ち上げました。
「やさしい音…」
麗お姉さまのピアノを、久しぶりに聞きましたが、前よりずっと柔らかくて、やさしい音に変わっていました。
「あ・バラ色の人生や。」
若葉の声に、顔を上げると、麗お姉さまはマイクに向かって歌い始めました。
少し低く、はすっぱな発音。
どこかで聞いたような…
麗お姉さまの、普段の声とはちがって、ずっと低くビブラートも細かく…
あれ?あれれ?
『エディット=ピアフ!』
隣の席から、声が上がりました。
『おう!ピアフ!』
あちらからも、声が聞こえます。
そうです、エディット=ピアフの声にそっくり。
ラ=ヴィアン=ローズからパリの屋根の下…ああ、一九五〇年代のパリを彷彿とさせる、しぶい歌声です。
お隣の老婦人は、涙を流しながら、麗お姉さまの歌を聴いて言います。
『ああ、なつかしいわね。この曲であなたと踊ったわね。』
『うん…』
ステージから、隣の透吾さんに合図が送られました。
さりげなく、するりと舞台にあがると、立てかけてあった、ヴァイオリンに手を伸ばします。
「あ、枯れ葉だわ。」
私の声に、双葉が振り向きました。
「うわ、きれいなフランス語…」
甘いテノール。
情感たっぷりに歌う声は、透吾さんの声じゃない。
『イヴ=モンタン!』
『ブラボー!』
なんとまあ、この二人は物まねで食べていけるほど、上手に歌います。
「なあなあ、旦那はん、こんなんどう?」
そうマイクに言って、引き始めたピアノ。
「ポール=モーリアのマネ?」
そして、複雑なアルペジオが入り始めます。
「クレイダーマン。」
それに合わせる、透吾さんは大変。
やがて曲は、アメイジンググレースに変わります。
今度は、ナナ=ムスクーリ。
小さなお店の中は、万雷の拍手で沸きかえりました。
「あはは、楽しかったわ~。」
「お姉さますごい、ピアノも片手間っておっしゃってらしたのに。」
「へえ、片手間どす。もうはい、モーツァルトも、ショパンも弾いてまへんもん。ほんのお遊びどすわー。」
「透吾兄さん、三味線だけやないんやねえ。」
「あはは、似たようなもんや。バチが弓に変わっただけやし。」
「旦那はん、楽しそうやったねえ。」
「そら、芸事はどこ行っても、おんなじやあ。人を楽しませるのが、芸なんやさあ。」
「そうなん?今夜はみなさん楽しんでくれはって、よろしおしたなあ。」
「そうやな。」
隣の席から、老婦人が声をかけてきました。
「お嬢さん、ありがとう。とてもすてきだったわ。」
「あら~、ウチ、お嬢さんやてー。もうはいマダムどすえ。マダム、こちらはウチの旦那はんやよ。」
「まあ、まだリセエンヌ(女子高生)かと思ったわ。」
「へえ、もうじき二十六どすにゃわ。」
「まあ!信じられないわ。」
「せっかくスーツで来たのに、残念やわあ。」
「あはは、麗さんお姉さん、しょうおへんわ。日本人は若く見えるらしいし。」
「そう?まあ、しょうないなあ。麗子ちゃん、なにかあがらはる?」
「いえもう十分です。」
「あらそう。はあ~、そろそろ戻りまひょか~?」
「そうやな、車たのんでくるわ。」
「へえ、お頼のもうします。」
そうして、私たちはホテルに戻ったのでした。
ホテルには、雪江さん(三十二歳)が待っていて、私の身の回りの世話をしてくれています。
「雪江さんも来ればよかったのに。」
「いいえ、私はどうも、そう言う場所は苦手ですし、まして使用人を連れて行くようなお店ではありませんよ。」
「雪江さんは別よ。お母様より一緒に居る時間が長いんですもの。」
「あらあら、甘えんぼさんですこと。私は、パリに同行できたことだけでも驚いていますのに。」
「あらそう?」
「そうですよ。まあ、本家のお嬢様と、旦那様だなんて、驚くことばかりですのに、通訳も執事もないだなんて、もっと驚きますわ。」
「そうねぇ、お姉さまはなんでもおできになるんですもの。それに、パリには四年も住んでいらしたのよ。それは、通訳なんていらないわね。」
「そうですってねぇ。さすが、本家のお嬢様ですね。」
「そうね。今夜はすばらしかったのよ。」
「はいはい、お話はお風呂の後に、なさってくださいな。」
そう言って、雪江さん(三十二歳)は、私の洋服を器用に脱がして、お風呂に向かいました。
猫足のバスタブには、熱めのお湯が満たされていて、つま先がぴりぴりとします。
雪江さんは、私の足をマッサージしながら、言いました。
「お嬢様、少し足が硬いようですけど、無理なさいました?」
「…少し。だって、楽しかったんですもの。」
「まあ…」
「シャンソニエでね、予定していたバンドが、出られなくなったの。そしたら、お姉さまと旦那さまが、舞台に上がって、モノマネするのよ!」
「まあ、お嬢様が?」
「そう。それも、エディット=ピアフ。思い出したら、震えて来るくらい、すばらしかったわ。」
「エディット=ピアフですか?どんな歌手なんでしょう?」
「そうね、彼女の本名はエディット・ジョヴァンナ・ガションと言って、パリの下町に生まれたの。エディットは身長が百四十センチくらいで小柄だったので、すずめって言う意味の芸名をもらったのよ。」
「まあ、小さい人だったんですねえ。」
「ええ、麗お姉さまが百五十センチだから、まだ小さいわね。」
「はあ、本家のお嬢様も、お小さいですわねえ。」
「まあね、それでエディットはシャルル・アズナヴールのデビューを手助けしたり、イブ・モンタン、ジルベール・ベコー、ジョルジュ・ムスタキなんかもバックアップしたのよ。」
「まあ。」
雪江さんは、マッサージを済ますと、石鹸を泡立てて、私の体を洗います。
「ほら、彼女の代表曲は『ばら色の人生』よ。聞いたことがあるでしょ?」
「ええ、宝塚でよく歌いますね。」
「あら、意外。」
「そうですか?東京公演には、よく出かけますよ。」
「ふうん、いいわね。」
「まあ、隅っこで見る程度ですけど。」
「あはは。お姉さまは、その真似をなさったの。ばら色の人生、パリの屋根の下。」
「どちらも、宝塚ではスタンダードナンバーですね。」
「でしょ?それから、透吾さんの枯れ葉。」
「まあ、枯れ葉?イヴ=モンタンのですか?」
「そうなの。そっくり!私、CD持っているもの。」
「そうですね、お嬢様の本棚にありますね。」
髪をシャンプーしながら、雪江さんは器用にシャワーを調節しています。
「もう一人くらい、メイドが居たほうがいいかしら?」
「いいえ、このくらい私一人で十分ですよ。それに、私は力持ちなんですよ。」
「そう?あの双子とも、仲良くできそうで嬉しいわ。」
シャワーで髪を流して、一緒に顔も洗って、バスタブから上がりました。
バスローブをかけて、ゆっくりと外に出ると、雪絵さんはエプロンを換えながら言いました。
「お友達がたくさん増えて、嬉しいことですね。私も安心です。」
「え?まさか雪江さん、辞めるなんて言わないでしょ?」
「あはは、言いませんよ。そう言うときが来ましたら、ちゃんと何ヶ月も前から、ご相談します。」
「はあ、よかった。いまさら、ほかの人に面倒を見てもらうのは、考えたくないわ。」
「あらあら、それじゃお嫁に行くときは、どうなさるんです?私も一緒に着いて行くんですか?」
「そうしたいのはやまやまなんだけど、こればっかりはわからないわ。」
「まだまだ時間はございますから、ゆっくりとお考えなさいませ。」
「はあ…」
でも、雪江さんを雇ってくれるくらいお金持ちでないと、私は生活ができませんねー。
それとも、お料理やお掃除ができるようにならないと、いけないんでしょうか?
ちょっと不安です。
あと、五~六年もしたら、具体的になってくる話なんですけど、どこかの政治家の次男坊とか、そんなところでしょうか。
好きになれればいいんですけど。
そんなことを考えていると、またドアがたたかれて、双子がやってきました。
「もうはいウチは眠いのに~。」
「なに言うてまんにゃー、夜はこれからどす。麗子ちゃんとお話するんやー。」
「あんただけでええやん。」
「そんなつれないこと言わんでもー。」
「ああ、また双子漫才かいなー。若葉ちゃんは、おねむなんやさー。雪江さん、お部屋に連れて行ってあげて。」
「はい、そうします。」
雪江さんは、若葉ちゃんを連れて、部屋を出て行きました。
「あらまあ、お手数やったねえ。」
「まあ、いいわよ。ここで眠られても、ベッドが足りないもの。」
「あー、そらそうやー。ごめん、堪忍。」
「ええよ。」
双葉は、のんびりとした風情で、三人がけのソファに座りました。
「なにか飲む?」
「そうやね、冷蔵庫にオレンジジュースがあったわ、それでええ?」
聞いたのは私なのに、反対に双葉に聞かれてしまいました。
「私?ええまあ。」
「ほな、出しましょ。」
双葉は、隅にある冷蔵庫から、怪しげなビンに入ったオレンジジュースを、二本取り出すと、テーブルに置きました。
「ウチがこれから話すことは、脇坂にも話してないことなんよ。」
「?」
私は、首をひねりました。
「むかし、透吾兄さんには、友美お姉さんゆう筒井筒がおったんよ。」
「まあ、筒井筒とは京都らしいなあ。」
「ほんでね、この人十七で亡くなってはる。」
「!」
「透吾兄さんが、京都を出はったのは、それが原因らしいと、あとで聞いたんやけど。それから十五年して、ふらりと京都に帰ってきはったとき、一緒に居てはったのが麗さんお姉さんやったんよ。」
「…」
私は、声もなく双葉の話に聞き入りました。
「おどろきなや。」
「ええー!」
「そやさかい、おどろきなやって言うてますやろって!ノリツッコミちゃうねん。」
「ご、ごめん。」
「なにやら、込み入った事情がおしたようどすけど、この友美さんの記憶が、麗さんお姉さんの中に入ってしまったらしいんよ。」
「にわかには、信じられないわね。」
「そやし、幼馴染の人たちのことを、麗さんお姉さんは、全部知ってはるんよ。」
「そんなアホな…」
「そう思わはるやろ?ウチもそう思う。」
「…」
「そやさかい、文庫本三冊分くらいは話せんと、あかんにゃさあ。」
「ひ、一晩では話せへんね。」
「そうどす。まあ、おいおい話していきまひょ。」
「お、おねがいね。」
私は、のどが渇いていることに気がついて、ジュースを持ち上げました。
「あ、かんにん、はい、コップ。」
双葉は、コップにジュースを入れてくれました。
「そらもう、京都の新年ゆうたら、地味ジミ。ひどいときなんかさァ、お雑煮食べて、はいおしまい。」
「ほえ~。」
「お参りに行こうにも、どこもいっぱいやんかさァ。そらもう、イモ洗いに行くみたいで、晴れ着もぼろんぼろん。」
「はあ、そうやねえ。」
「大晦日の四条通りなんか、徒歩暴走族の集会とかあって、面白いけどなー。」
「あ、それは三宮駅前でもあるわー。」
「そやし、夜ふらふら歩き回るのは、中学くらいでええわー。毎日、お祭りしてはるようなもんどすー。」
「そう言われれば、そうやね。」
「そうどすやろ?祇園界隈なんて、毎日がお花見状態やんか。」
二人は新年の様子を話し合って、笑い転げていましたが、そのうち双葉は部屋に戻っていきました。
「はあ、ああおかしかった。」
「本当に、楽しいお嬢さんですね。」
「そうだけど、あの子、侮れないわよ。京都でも一・二を争う進学校なんだもの。」
「まあ。」
「本人はあの通り、いたってのんびりしたもんだけど、頭は切れるし、物腰が柔らかいから、みんなだまされてるけど、けっこう計算高いところもあるわ。」
雪絵さんは、私の顔を見ました。
「ま、でも、私は好きよ、あの子。」
雪絵さんの顔が、あきらかにほっとしました。
「いやあね、そんなに緊張しないで。仲良しなんだから。少なくとも、唖莉洲なんかに比べたら、百万倍好きだわ。」
「唖莉洲さんはねえ…」
「でしょ。本家筋の従姉妹とは言え、あの子と仲良くする子なんて、そういないわよ。学校では、お館組とかで、取り巻きが二人、付いているらしいけど。」
「まあ、お館組って、まだあるんですか?」
「あら、雪江さん知ってるの?」
「ええまあ、実は、私も精華学園なんです。」
「まあ、知らなかったわ。」
「旦那さまが、私が精華の出身だと知って、お嬢様につけたんですよ。」
「へえ、お父様が?めずらしい。」
「旦那さまは、お嬢様のこともちゃんと考えていますよ。ああ言う人ですから、うまく伝わらないこともありますが。基本、恥ずかしがりやなんですから。」
「恥ずかしがり屋さんが、政治家なんかできるのかしら?」
「ああ言う人は、家族に対してだけ、恥ずかしがりなものです。」
「ふうん。雪江さんも、よく見ているのね。」
雪江さんは、黙ってうなずきました。
「さあさ、ベッドに入ってくださいな。」
雪江さんに手伝ってもらって、車椅子からベッドに移りました。
まだパリの喧噪は、窓ガラス越しに聞こえてくるような気がします。
雪江さんは、お風呂に入っています。
なんだか疲れているのに、眠れない。麗ねえ様とパリにいるんだわ。
興奮して眠るどころじゃないわ。
そうして、あれこれと思い返しているうちに、いつしか眠りの国に落ちていきました。
おいしそうですね。