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第1話 いとこのポン酢〔ハリネズミの夜〕

古いプロットなので、若干くさいでしょ?

たまには、そう言うのも楽しいかと。


著:とめきち


「脇坂のお姉さまが?」

 わたくし、白峰麗子は父親から告げられた言葉に、耳を疑いました。

「ああ、今度の土曜日に下田の別荘に行くから、麗子もごいっしょにと言ってくださったんだよ。」

「すばらしいわお父さま!」

「麗子も十四になったことだし、脇坂のお嬢さんが一緒なら外泊も吝かじゃない。」

「ほんとう?麗子だけでお邪魔してもよろしいの?」

「ああ、先様もそのように言っておいでだよ。」

「まあ!なんて嬉しいんでしょう。」

「中川に運転させるから、行っておいで。」

 父は白峰剛、現在は国会議員を三期務めています。

 衆議院族の中では、名門中の名門。

 いわゆる二世議員ではありますが、なったもん勝ちですよ。

(ちなみに、所謂とは書きません、読みにくいですから。意味が通じれば、簡単なほうが好きです。所詮しょせんも同じく。)

 母は白峰樹、脇坂財閥総帥 脇坂要かなめ氏の外の妹です。

 お姉さまの父親と、私の母親は腹違いの兄妹で、なんとか脇坂の血縁の中に入れてくれたようです。

 昔から、母にだけは甘いお兄さまだったそうで、おじいさまが亡くなってからの認知と聞いています。

 神楽坂のわび暮らしだったそうで、私の母親は外の子という境遇に、若干ひねくれて育ったようです。

 まあ、おばあさまは神楽坂にその人ありと言われる三味線の名手だったそうですが、その子は不調法でイマイチだそうです、あはは。


 わたくし白峰麗子は、今年十四歳。

 この四月に名門精華女学園の中等部二年に、淡路島から転校してきました。

 お友達もたくさんできました。

 なにより、名家脇坂家の外戚であることは、表に出しませんがそれでも、三期務めた衆議院議員の娘と言う立場は、犯しがたいものがあります。

 住まいは赤坂のマンションですが、本家は淡路島にあります。

 さて、六月のとある土曜日になりまして、あれこれと詰め込んだ大きなボストンバッグをトランクに乗せて、意気揚々と赤坂を出たのです。

 当日はあいにくの雨、朝方しとしとしていたと思いましたら、徐々にきつくなり、東名高速道路を厚木から小田原厚木道路に乗り換えて、大磯に差し掛かるころにはうどんのような土砂降り。

 聞くともなしに聞いていたラジオからは、天気予報で今夜の遅くまでこの状態だと言います。

「中川さん、今夜遅くまで雨なのね。」

「さようでございますね、まあ、雨のドライブもオツなものでございますよ。」

「そんなものですか?」

「はい、道路わきの木々も、雨に濡れて色合いが変わってございますよ。」

「ほんとう、色が濃いわ。」

「脇坂のお嬢様は、八つお歳が上でいらっしゃいますから、こんど卒業されますね。」

「そうね、お姉さま進路で迷っていらっしゃるようよ。」

「さようでございますか。」

「精華学園の大学院に進むのか、別の大学になさるのか、みんな注目してらっしゃるわ。」

「頭の良い方なのでしょう?」

「もちろん、ベルサイユの大学でお勉強なさっているそうよ。」

「なんとまあ、外国でございますか。」

「精華学園高等部はレベルが高いので、勉強が大変だそうよ、わたくしも進級したら、塾にでも行こうかしら。」

「旦那様は、家庭教師とおっしゃりますよ。」

「あら、過保護。」

 空は、ますますその重さを増して、周りはだんだん暗くなってきました。

「お嬢様、これは少々危険ですので、少しパーキングエリアに止まりましょう。」

「そうね、雲が厚いわ。」

 前方に赤いランプ、大型トラックが減速をしているようです。

 中川は、こちらもゆっくりと減速をかけたようでした。

 そのとき、突然後ろからどんっと言う強力な圧力を感じました。

 私の車の窓と言う窓が、一斉に粉々になって飛び散ります。

 中川の前のウインドウには、トラックの後部が目の前。

 私は、リアシートに押されて、前のシートに押し付けられました。

 私が覚えているのはここまでです。

「わたくし、死ぬの?」








「見知らぬ天井だわ…」

 いっぺんやってみたかったのよ!







 転生だとか前世GA~とかなると思ったでしょ?

 なりません。

 ぜんっぜんそんなことはございません。

 orz






「おみず…」

「麗子!麗子が目を覚ましたわ!」

「おかあさま。」

「麗子!」

「おとうさま。」


「からだがうごきません。」

「ええ、骨が折れているの、がまんしてね。」

「そう…」

 私の意識は、また混濁して行きました。

 大磯の海岸べりにある救急病院は、けっこう大きな病院で、国道ぞいにありました。

 わたくしはICUに二週間詰め込まれました。

 入院したその日に、脇坂の麗お姉さまも来てくださったそうですが、わたくしは目を覚まさなかったのでお戻りになったそうです。

 お顔が見たかったなあ。

 脇坂のおじさまもいらっしゃって、麗子を東京の病院に移そうとされたのですが、今動かすと危険だと言われて引き下がったそうです。

「お兄様は、麗子ちゃんのことがかわいくてしょうがないのよ。」

 お母様はそう言いますが、やはりお姉さまにお招きされての事故なので、責任を感じていらっしゃるのではないでしょうか。

 大磯の病院の窓からは、遠く海岸と太平洋が見えました。

 大磯ロングビーチですね。

 大磯プリンスホテルの向こうは、相模湾。

 そこまで出れば、江ノ島も見えるそうですが、なにしろ首から下が一切動きませんので、残念ながら景色を楽しむどころではありませんね。

 烏帽子岩遠くに見える、そんな環境なんです。


 週明け、お父様は仕事があるので東京に戻っていきました。

 私は、とにかく口からはジュースくらいしかはいらず、ほとんどが流動食と点滴でもっているようなものです。

 お母様は、病室にいっしょに泊まりこんで、わたくしのお世話をしてくれています。

 あらためて、母親ってすごいなあと感心しました。

 全治六カ月と言うことですが、リハビリも含めて一年はかかるだろう大けが。

 両腕は、ぽっきりと二本とも折れ、左腕は上腕下腕とも折れていました。

 両足もひざ下がシートに挟まれて、左足が複雑骨折でポキポキ。

 右足は、単純に脛の骨が二本とも折れています。

 骨盤も破損。

 左足の外側に深い裂傷。

 内臓も圧迫されて、破裂状態。

 わき腹のあばら骨が五本折れて、そのうち一本が肺に刺さっていたそうで、よく生きていたなと…

 胸の真ん中に、あばら骨が飛び出たのか、裂傷が深く刻まれて、斜めに袈裟がけ。

 背中には無数の傷跡。

 顔だけがまともに残っているようです。


 事故から一カ月、ようよう首だけ動くようになりましたが、あいかわらず体はまるで動きません。

 このまま一生動けなかったらと思うと、夜中に泣き叫びそうになります。

 手足がまるで感覚がなくて、寝がえりをしたくても痛くて動きません。

 現代日本でなかったら、わたくしは一日と生きてはいられないでしょう。

 栄養はあっても、カロリーが高いわけではない病院の流動食。

 膨らみかけていたわたくしのお胸は、どんどんしぼんでいきました。


 精華学園のお友達も、休みになるとお見舞いに来てくださいました。

「麗子さん、早く良くなってくださいね。」

「ありがとうございます、かわいいお花。」

 何人か集まって、大礒まで来てくださったのね。

「そうそう、今度中等部に上がってらした、脇坂唖莉洲さんはすこーし行いが華やかで、お姉さまがたから注意を受けましたわ。」

「まあ、脇坂の唖莉洲さん?つぶれアンマンの?」

「ぶ!つぶれ…たしかに。」

「おふるまいが華やかでとは?」

「ええ、入学早々お館組を結成して、同級生と衝突されたようですわ。」

「あら、おあいてのかた大丈夫でした?あの唖莉洲が相手では、はねとばされて…」

「「「あははははは」」」

 病室に華やかな笑い声が上がりました。


 脇坂唖莉洲は、やはり麗お姉さまと同じように、わたくしの従姉妹です。

 母方の伯父さまが、遅くにできた子で溺愛されています。

 さて、それから薄紙をはがすように、麗子は回復を見せ始めたのですが、時と共に一人減り二人減り、半年を過ぎた頃には病室を訪れる人はごくわずかになりました。

 人の世の中なんてそんなものだとは思いますが、さすがにこれは身にこたえます。

「だれもこなくなったわ。」

「みなさんお忙しいのでしょうね、さ、麗子、背中を拭きましょう。」

「はい。」

 わたくしは、なんとか寝返りが打てるようになり、背中を清拭していただくにも、不便がなくなってきました。

 いくらお嬢様育ちとは言え、たくさんの看護師に、一斉に洗われるのは精神的に堪えます。

 しかも、どこかの工場みたいに、クレーンで吊るされて、浴槽に運ばれたり。

 その間、麗子はすっぽんぽん。

 なにも隠すものもないんです。

「日に日に良くなっているような気がしますね、麗子は成長期で体力もあるから。」

「そうかしら?」

「こんにちはー、麗子ちゃんようすはどうですか?」


 病室の前には麗お姉さまの姿がありました。

 腕には大きなピンクのバラの花束と、銀座の有名なチョコレート。

「ちょっと!麗子ちゃん聞いて~!美夏ったら先生と好い仲になってるのよ!どう思う?」

「へ?」

 麗お姉さまは、椅子に座るのももどかしく、ベッドわきからわたくしに声をかけるのです。

「蕎麦屋やめて、先生のお嫁さんになる~なんて言うのよ。」

「そ、それは本当に婚約とかしていらっしゃるの?」

「わからないわ、詳しいことは口にしないのよ、あの子口が堅いから。でももう二十二だし、そういうお話があっても不思議じゃないわ。」

「まあまあ、麗さん、ようこそいらっしゃいました、麗子のためにすみません。」

「いえ、おばさま、今日はお休みですし、平気ですわよ。」

「お茶は、なにがよろしいかしら?」

「お姉さまは、クイーンメリーです。」

「そうでしたね、山下、お茶を。」

「かしこまりました。」

 七階の特別室なので、お母様の泊るところとは別に、使用人の部屋もあります。

 メイドの一人くらいは、常駐できます。


 麗お姉さまは、月に二回ぐらいのぞきにやってきます。

 どうやら、わたくしを下田に呼んだことが、事故につながったと本気で思ってらして、気にしていらっしゃるようです。

「お姉さま、事故は本当に偶然の産物ですから、あまりお気になさらないで。まだフランスにお住まいなんでしょう?」

「そうは言いますけどね、やっぱり私が下田に誘わなければ、こんなひどいことにはならなかったのだし。」

「それはちがいます、わたくしの運命です。このけがを乗り越えて生きるように言われたのですわ。」

「そんな運命、絶縁状つきつけてさしあげますわ!麗子ちゃんの体をこんなに傷つけて…」

 お姉さまは、本気で涙を流していらっしゃいます。

「お姉さま。」

「くやしい、くやしい!わたくしの体でよければ、どんな場所でも使って治してさしあげるのに!」

 さすがにそれは無理、血液型が合わないし。

「お姉さま、私一人で寝返りが打てるようになりましたのよ。」

「まあ!それはよかったわ!」

「ですからね、お姉さまはお姉さまの進む道を、ちゃんと進んでくださいな。」

「どうしてそれを!?」

「麗子は、来年は精華学園に復帰します。ええ、絶対に。」


「いい子ね、麗子ちゃん。」

 お姉さまは、美しいお顔を真正面に向けて、わたくしの顔を見つめました。

「わたくしが行っても大丈夫?」

「ええ、大丈夫ですわ、麗子はこんな怪我なんかに負けません。」

「ああでも、こんな麗子ちゃんを一人で学園に行かせるなんて…」

「ええまあ、まだどうなるかわかりませんけど。」

 わたくしが知る限り、精華学園に障害のある生徒が通っていたことはありません。

 それが自分の身になって返ってくるとは、思ってもみませんでしたけど。

 それでも、この身を引きずってでも学校に復帰しないと、私を守るために亡くなった中川さんの恩に報いることができません。

 ええ、わたくしがショックを受けると思って、家族は隠していますが、自然と知れるものです。

 とはいえ、きびしいリハビリに耐えてきましたが、下半身はなかなか回復せず、ベッドから車いすに移動するのがやっとです。

 でも、この体を引きずってでも、中川さんのお墓参りには行かなければなりません。

 中川さんは、必死になって車をなんとかしようとしたらしく、でも、車に挟まれて亡くなってしまったそうです。


 世の中が、一瞬で変わってしまうことに、始めて気が付かされました。

 そうです、どんなことでも変化は一瞬。

 その後の方向が変わってしまうのです。

 これを、注意一秒怪我一生と言いますね。

 よわい十四歳でこんなことに気がつかされるとは、世の中は無情です。

 さて、飛び出た骨や、刺さった骨の影響も徐々に薄れ、二か月に及ぶリハビリの甲斐あって、麗子は年末になって自宅に帰ることになりました。

 退院当日は、父も母も一緒に車に乗り込みます。

 母は、麗子を支えるようにして、後部座席に入りました。

「先生、永い間お世話になりました。」

 窓から声をかけると、主治医の先生は笑顔を見せてくれました。

「麗子ちゃん、よくがんばったね。家に帰っても、定期健診はちゃんと受けてね。」

「はい、ありがとうございます。」

 父も、先生に挨拶をして車に乗り込みました。


「よかったな、麗子。家でお正月が迎えられるぞ。」

「そうね、お父さん。家に帰ってゆっくりしたいわ。」

「それがいい、今は何も考えず、体を休めることだ。」

 さすがに、お父さんに私の体を見せることはできませんから、のんきなものです。

 お母さんは、知っているので表情があまり明るくなりません。

 きれいに見えるのは首から上だけ。

 胸から下は、縫い傷、蚯蚓腫れ、ひきつれ、縦横無尽の傷跡。

 上腕には骨が飛び出した跡が、ひきつって残っていますし、左足には上から下まで裂傷の跡がこれでもかと残っています。

 ええ!生きているだけマシなんでしょうよ。

 マシなわけないじゃない!

 一生このままなのよ。

 傷跡も消えない。

 ぜんぜん歩けない!

 

 冗談じゃないわよ!

 トイレにもまともに行けない女の子が、どうやって生きていくのよ!

 幸いと言うかなんと言うか、家には資産があるので、飢え死になんてことにはならないと思いますが、それだけよ。

 がっこう?

 ぜんぜん行きたくないわ。

 麗お姉さまの手前、学校に復帰するなんて言ったけど、そんなの大ウソよ!

 こんなみじめな姿で、学校なんか行って、同情を買うだけの生活なんてまっぴらよ!

 三カ月を過ぎたころ、リハビリの診断が出て、手足を動かす訓練が始まりました。

 でも、脊髄の損傷で、左足は動こうとはしませんでした。


 痛くて、引きちぎれそうな手足を、必死で動かして、自分でご飯が食べられるようになった時の喜び!


 立ち上がること、ベッドから降りること、トイレに行くこと。

 当たり前のことが、当たり前にできない。

 このくやしさ!

 それを、体の芯に刻みつつ、半年を過ごして、やっと中学生として復帰したのでした。






めでためでたの 三つ四つ五つ 七つ数えりゃおめでたい

めでためでたの 若松さまよ 枝も栄える葉も茂る


 よく通る長持唄が、人を替え声を替え、秋の青空に吸い込まれていきました。

 秋の日の中天近くには、紅葉の間を縫って、鳩がふわりと浮いています。


 母方の従姉妹の、お姉さまが結婚なさいました。

 昔から美しい方で、私たちはいつもあこがれていました。

 お相手は、遠い末席から伺っただけですが、とてもお優しそうで、すてきな方です。

 私とお姉さまは家柄から言えば、たいへん離れているようですが、昔から可愛がってくださいました。

 お姉さまの父親と、私の母親は腹違いの兄妹で、なんとか脇坂の血縁の中に入れてくれたようです。

 昔から、母にだけは甘いお兄さまだったそうで、おじいさまが亡くなってからの認知と聞いています。

 神楽坂のわび暮らしだったそうで、私の母親は外の子という境遇に、若干ひねくれて育ったようです。

 私の名前のひと文字は、お姉さまからいただきました。せめてもの情けでしょうか。



 白峰麗子、十七歳。

 私立精華学園高等部一年。

 お父様は、血縁の系列としては、異色の国会議員です。(親戚は事業家ばかりなので。)

 私には、兄が二人いまして、長男は父の秘書、次男は地元事務所で所長をしています。

 そうして私は、三年前に出会った交通事故で、全身に怪我を負いました。


 首筋、手、腕、わき腹、腿、ふくらはぎ、足首…お胸にも、切ったり張ったりした傷跡が走り、特に左足は足首から付け根まで、ざっくりとみみずのはったような醜い傷跡が残っています。

 もちろん、このような状態で、顔がまともに残っていただけマシかもしれません。

 夏場も、長袖は脱ぐことができませんし、足も黒いストッキングで隠さなければなりませんね。




 気がつけば見知らぬ天井。




 首すらも動かぬ自分。

 入院中の最初の一ヶ月は、自分でものを食べることもできず、二月目でやっと手が上がるようになりました。

 回復するまでに半年を病院で過ごし、中学一年生を、二度経験することになりました。

 左足は、足の付け根から足首にかけて、強烈な裂傷が走り、神経がズタズタになっているのでほとんど歩行の役に立ちません。

 ですから、普段は、車椅子に乗っています。

 まあ、松葉杖を使えば、歩くこともできなくはないのですが、やはり傷跡がひどく痛むところがあって、長時間の歩行は無理です。

 脊髄が損傷して、足の神経がうまく伝達できないそうで、主治医は手術に二の足を踏みました。



 披露宴の席では、振袖を着て、車椅子に乗っているぶんには、取り立ててひどくも見えないので、すみっこでおとなしくしていることにしました。

 華やかな結婚式の中で、ぽつねんとたたずむ車椅子に、気を止める人などいないと思っていましたが、それは間違いでした。

 見る人は、見ているものですね。

「麗子さん?白峰の麗子さんでしょう?」

 

 ざわめきの中、横合いから声をかけられて、振り向くと赤い振袖が立っていました。

 いえ、立っていたのは振袖ではなく、それを着た女性ではあるのですが、振袖に着られていると言う印象がきついのです。

 しかも現代柄。

 毒々しい赤のベースに、紫を基調とした写実的なバラとカトレアが、これでもかっていうくらいに、体を巻いている図柄です。

 帯は、プラチナ。

 どこの演歌歌手よ…

「脇坂の唖莉洲です。お久しぶりですわね。」


 脇坂唖莉洲、一つ下の十六歳。

 同じ私立精華学園に通う同窓生、いえ、この場合同級生。

 脇坂の血筋としては、本家筋にあたるので、態度が尊大で、鼻につきます。

 脇坂総合開発と言って、不動産関係の会社を手広く運営しているグループの一人が、彼女の父親なのです。

 何かと言うと、私と比べようとするところがあって苦手。っていうか、近寄ってこないで。

「あら、唖莉洲さん、つい週末にお顔を拝見いたしましたわ。」

「そうでしたかしら?それは失礼しましたわ。」

 木で鼻をくくったっていうの?こう言う態度。


 大きらい。


 まあ、向こうもそんなにお付き合いはしたくないでしょうけれど。

「私、これからひな壇に行って、ご挨拶をしようと思うのですけれど、麗子さんもごいっしょにいかがですか?特別に、私が椅子を押してさしあげましてよ。」

 さすがに、これにはかちんときました。

「お気遣いありがとうございます。でも、私一人でも車椅子を動かすことはできますわ。ご挨拶には、後ほどうかがいます。」

「あら、そうですの?残念だわ~。」

 少しも残念そうな顔をせず、唖莉洲は私の席を離れました。


 向こうは本家筋、こちらは分家筋、いっしょに挨拶などできようはずもございません。

 しかたなく、重い気分を持ち上げて、車椅子を回そうとしました。

 父も兄も、ほかの席にあいさつに回っているので、この席には私しか座っていなかったのです。

 いましも、ひな壇に目を向けると、京人形のような双子が、お姉さまと話しているところでした。

 友禅の美しい振袖を、さらりと着こなしているところがすてきです。

 長い黒髪を流した子と、日本髪に結った子。

 ああ、だんなさまにお酌もしているんだ…なんとなく、旦那さまとは仲がいいみたい。


 唖莉洲が近寄ると、双子はさらりと引いて、席を譲りました。

 じょうずです。


 唖莉洲は、振袖に着られたまま、ころころと笑っています。

 そうそう、あなたはころころ転がったほうが早いわよ。

 丸いからだが、揺れていて見ていてほほえましいんですけど。

 あいかわらずばか。

 空気読めない。

 式場の中には、ほかにも若い子はたくさん歩いていますが、あまりひな壇には近寄っていないみたい。

 …と思っていたら、お姉さまと目が合ってしまいました。


 一瞬、目を丸くして、そのあとにっこりなさって、うなずきました。

 双子の一人になにかささやいています。


 あ、唖莉洲がコケた。

 あーあ、転がってる転がってる、止まらない~。

 私は、思わず微笑んでしまいました。

 あいかわらず、あの子は態度と行動がかみ合わない子です。

 それでいて、どこか憎めないところもあるのは、血縁ゆえでしょうか?

 ざわめきが移動するので、彼女の向かう先がわかります。


「はじめまして、白峰麗子さん。」

 イントネーションが、微妙にちがう日本語。

 でも、なにやら耳に心地好い。

 ふるさと淡路島の言葉によく似た音。

 私が顔を上げると、先ほどの双子のひとり、髪を流した子がたっていました。

「あ、はい、こんにちは。」

「ウチ、萱崎双葉といいます。府立八坂高校三年です。」

「はあ、どうも。」


「いま、麗さんお姉さんが、麗子さんを呼んできてほしいと言わはったので、お迎えに来ました。」

「え?ええ!」

「ほな、ご一緒にお頼のもうします。」

 双葉と名乗った女の子は、私の車椅子を掴むと、くるりと向きを変え、ひな壇に向かったのでした。

 すたすたと軽快に進む進路には、人人人の人の壁、双葉はそこをすいすいと金魚のようにすり抜けて行きます。

 自分には到底出来ない素早さ。

 麗子は、泣きたくなりました。


「お待っとうさんどす、麗子さんのお届けどすー。」

「なんや、宅配便みたいやなあ。」

 低い、テノールの声、見上げるとたいへんなのっぽさん。

「麗子ちゃん、この人が片岡透吾さん、ウチの旦那さんやよ。」

「はい?」

 なぜか、お姉さままでが関西弁です。

 田園調布で生まれ育ったお姉さまは、めっきり標準語だったはずですが…

 旦那様は膝を折って、車椅子の私と目線を合わせました。

「片岡透吾です、よろしゅうお頼のもうします。」

「ははい、白峰麗子でございます。」

「これからは、麗子ちゃんも従姉妹さんや、若葉ちゃん、双葉ちゃん、仲ようしたってや。」

 片岡さまは、やさしく笑って、双子に語りかけました。


 ああ、この声、好き。


 この人、道理のわかる人だわ。

「へえ、こちらこそ、よろしゅうお頼のもうしますー。」

 もう一人の女の子(若葉と言うらしい。)は、おっとりと頭を下げました。

「二人は、今日のために京都から来てくれはったんよー、しばらく滞在するよって、また機会があったら遊んであげてや~。」

 麗お姉さまは、にこにこしながら言いました。

 私は、黙ってうなずくしかできません。


「その振袖、加賀友禅やねえ。」

 横合いから、先ほどの双葉が、声をかけました。

「ほう、双葉ちゃん、ようわかったなあ。」

「そやし、草花模様の絵画調で、柄が大きいやん。ほら、ウチの図案調の京友禅と比べると、武家風の落ち着きがあるやん。ええかんじやわあ。」

「まあそうやな、」

「呉服屋さんがそろったはると、めったなものは着れへんねえ。麗子ちゃん、この人京都の呉服問屋さんの次男坊なんやよ。」

 麗姉さまは、ころころと笑います。


 あいかわらず、ほっそりとして、優雅で美しい従姉妹。


 自分のこの醜い傷の走った左足が、着物で見えないのがせめてもの救いです。

「八坂高校って、京都の高校なんですか?」

「そうどすー、四条烏丸にあって、けっこう進学校なんやよー。」

「ふうん、名門なんですね。」

「うん、透吾にいさんもOBやよ。麗子さんは?」

「私は精華学園と言って、私立校です。」

「あ、知ってますー。麗さんお姉さんが出た高校やね、ねえ、お姉さん。」

「そうどす、麗子ちゃんも通ってはったんやねえ。ウチ、去年までパリに居てたよって、知りませんどしたん。」

「そうですね、車椅子で通える公立校がなかったんです。」


「あれまあ…そやけど精華はええ学校どすやろ?」


「はい、ただ、制服のスカートが短いので困ります。私は、長めのものを特注しましたのよ。膝丈でペチコートで広がるように。」

「そうなん?あはは、ホンマや。あれ、毎年短ァなってはんにゃろ思います。そのうちなくなってしまうんやないやろか?」

 そこにすかさず双葉が口を挟みます。

「お姉さんそら、なんぼなんでも、パンツさんだけで学校に行くわけにはいきまへんがな。」

「あはは、ホンマやわ~。」

「ちゃんちゃん。」

 横合いからの合いの手は、テンポもタイミングも、申し分なく、関西人の面目躍如と言ったところでしょうか。


「そんなことあらしまへんて、それが証拠に若葉ちゃんなんか、根っからのボケどすえ。」

「そうどすなあ。ウチ、ツッコミは苦手どす。じゅんばんもようわからしまへんにゃ。」

 あいかわらず、おっとりした口調で続きます。

「関西人が、すべてツッコミ上手と言う訳やおへんよ~。特に、ウチら京都人やし。」

「そらそうやわね。大阪と神戸でもちがうし。私はもともと淡路島やもん。」

 私が、応じると、双葉の目が丸くなりました。

「あいや~、ほな近くどすがな。」


「双葉さんは、京都のどこに住んでいらっしゃるの?」

「ウチ?ウチは宝ヶ池の近くどす。国際会館という施設があって、その北。鞍馬へ抜ける街道沿いどす。」

 って言われても、ぜんぜんわからない。

「あっこのそばに、京都精華大学ってあったやろ?」

 片岡さまが声をかけました。

「ああ、よくウチの学校とまちがわれる…」

 麗ねえさまがうなずきます。


「そうそう、あそこ「マンガ学部」とかあんねんて。」

(漫画学科の学部長は、あの竹宮恵子先生だというから驚きですねえ。風と木の詩…地球へ…ファラオの墓等々)

「まあ、変わっていますのんねぇ。」

 麗ねえさまは、ころころと笑いました。同じころころでも、唖莉洲とは大違い。

「そうなんや~。透吾兄さん、よう知ってはんなあ。」

「そやにゃ~。最初、精華学園言うから、てっきりあっこのことやと思ったわ。」

「東京の精華学園って、マイナーなんでしょうか?」

 私が首を傾げると、麗ねえさまが言いました。


「そやないの、この人たちの感覚が、京都から出てへんだけ。イケズやろ?」


「はあ、イケズ…麗ねえさま、どうして言葉が関西なのでしょう?」

「ああ、これ?ちょっと事情がおまして、祇園言葉になってますけど、まあ、これから片岡家は京風で通すつもりどす。そやし、これでええんどす。」

「まあ…」

 なんだか、格式張ったおうちなのでしょうか?京都の旧家かもしれません。

「まあ、十六代前から居てるしなあ。」

 旦那様は飄々とおっしゃいます。

「権の大納言も出ていますわなあ。」

「それはまた、格式が…」

「まあ、昔のことや。いまは、呉服屋やしなあ~。」


「麗子さんのお父様は、衆議院議員どす。」

「へえ、それは大したものやなあ。」

「地元は淡路ですから、そう大したこともありませんわ。」

「そんなことないよ。立派なもんやないの、何期してはるの?」

「えっと、最近解散がありませんから、だいたい三期ですね。」

「ほう、十二年も、実力派やね。」

「さあ?そうでしょうか…」

「もう中堅やないですか、もうじき大臣さまやね。」

「権の大納言ですか?」

「そらをとどやん!」

 一同、一斉に笑い声をあげました。


 うれしい、こうして一緒に笑うことができるのは、血縁という絆で守られているから。

 安心感が自分を包んでいるのがわかります。

 外の人は怖いです。麗子の傷跡を見て、気味悪く思うかもしれませんもの。

 できるものなら、家から外に出るのもいや。

 この会場、脇坂に連なる家の中には、国会議員は十二名ほどいらっしゃいます。

 衆議院議員九名参議院議員三名。

 ま、話は余談ですが。

 父は、その中でも二番目に古株です。


 そのとき、父の秘書の土方さんが、姿を見せました。

「失礼をいたします。私は白峰先生の秘書をしております、土方と申します、以後お見知り置きくださいますようお願いいたします。」

「あら、土方さん、どうしたんですか?」

「先生に、お嬢さんをお呼びするよう、申しつかったんです。」

「まあ、そうですか。」

 麗ねえ様は、土方さんを見て声をかけました。

「お若いどすなあ。」

「は・はい、まだ書生のようなもので…」

「ほほほ、緊張してはんにゃ。ほな、麗子ちゃんまた後で。」

「はい、土方さんお願いします。」

「承知しました。それではみなさま、御前を失礼します。」


「あ、待って、麗子ちゃん。ウチもおじさまにご挨拶に行くし。」

 本家のご令嬢が、傍流の父に挨拶に来るなんて、大変なことです。

「そ、そんなことしていただけません。戻りましたらすぐに父を寄こしますから。」

「そんなに気ィ遣うことあらしまへん。今日はお祝いの席やねんから、さあさあ、行きまひょ。」

 さっさと席を立って歩き出すお姉さま。

 旦那様もお従姉妹様も、一緒に移動を開始します。

「土方さん、急いで。」

「はい。」

 私の横には旦那様が歩いています。


「なんやな、土方君は何歳?」

「はい、今年新卒で二十二歳です。」

「そうか~。いろいろ覚えることも多いよって、たいへんやなあ。なにかあったら、僕とこへ連絡いれよし。なにか力になれるかもしれへんし。」


 おにいさまは、こっそりと名刺を渡しました。

「は、ありがとうございます。」

 麗ねえさまは、父を見つけると駆け寄りました。

「白峰のおじさま。」

「おや、麗さん、おめでとうございます。こちらから挨拶に伺おうと思っていましたのに。」

「麗子ちゃんが挨拶に来てくれましたんえ。お礼に、ご一緒しましたん。」

「そうですか、おお、旦那様もご一緒に。いや、おめでとうございます。」

「へえ、おおきに。ありがとうございます。」

「?」

 父も、お姉さまの言葉に不信感を持ったようです。


「あ、そう言えばおばさまは?」

「ああ、家内は今朝から頭痛がして、残念ながら欠席させてもらっていますよ。」

「あらまあ、それは残念どすなあ。お大事になさるようお伝えくださいねぇ。」

「ああ、ありがとうございます。よく伝えますよ。」

 私は、そんな父を見て、げんなりとしてきました。

 最近の両親の不仲は、外にももれているほどなのに、お姉さまの耳にはまだきこえていないようです。

 ほっとしました。

 ひとしきり、遣り取りがあって、父は選挙資金の話をしに、本家のおじ様のところに向かったのでした。

 ざわめきにまぎれるように、時間はゆるゆると過ぎ、大量の酔っ払いを吐き出しました。

 酔客を避けるように、披露宴会場を後にした私は、土方さんに付き添われて赤坂のマンションに戻ったのでした。


 父は、上機嫌で、自宅に帰るなり、ブランデーを開けました。

 きっと、選挙資金にいい感触が得られたのでしょう。

 そんな父の後ろを、母が移動していきました。

 冷蔵庫から水を出しています。

 二人は終始無言。

 まだマシなほうです。

 最近は、毎晩のようにののしりあい。

 子供の耳に入れてもいいようなものではありません。

 なのに、二人はいがみ合いばかり、お互い好きあって一緒になったのではないでしょうか?

 それを聞くと、母は高らかに笑って言いました。


「そんなことある訳ないでしょ。この人は、脇坂の資金力が目当てだったのよ!選挙資金のためなら、私が八十歳のおばあさんだって結婚したでしょうよ!」

「馬鹿なことを子供に言うな!お前だって、俺の家柄がなかったら、結婚なんかしなかったろうが、こいつはな、血の一滴のために結婚しただけだ!」

「やめてください!お父様もお母さまも、みっともないとはお思いになりませんか!」

「お前になにがわかる!」

「あなたはお部屋に帰りなさい。私たちはまだ話すことがあるの。」

 血走った目で、私を見る母の眼差しは、狂気をはらんで赤くなっていました。

「土方!ひじかた!麗子を部屋へ連れて行け!」

 父に呼ばれた土方さんは、あわてて居間に入ってきました。

「承知しました!お嬢さま、こちらへ。」

 勢いをつけて車椅子を引っ張るものだから、私は椅子から転げ落ちそうになりました。

「危ない。」

 土方さんは、右手を出して私を支えてくれました。


「はう、あうあうあう…」

 手が、私の胸を掴んでいることには、気が付いていないようです。

 小さいのかなあ?くすん。

 私のアピールは受け入れてもらえませんでした。

 せっかくの結婚式の夜だと言うのに、私は暗い気持ちで部屋に戻りました。

 部屋に戻るまで、自分が泪を流していることに、気が付きませんでした。

 土方さんの差し出したハンカチで、それと気が付きました。

「ありがとう、土方さん。」

 少し笑って、土方さんを見上げました。


 たぶん、泣き笑いになっていて、みっともない顔になっていたと思います。

「お嬢さま、無理して笑うこたぁありやせんや…いえ、どうかお気になさいませんよう。ご夫婦の間のお話ですから、多少は行き過ぎもあるでしょうが、すべてが真実ではありませんから。」

「やさしいですね、土方さん。両親がウソを言っているかどうかなど、私にもわかるつもりです。ただ、夫婦というものが、あそこまでいがみ合うことが出来るのかと、不安になります。」

「それは、僕も当事者じゃないので、わかりませんね。ただお嬢様、自分だけはああなるまいと、心にとどめておいてください。あれでは、自分がみじめになるばかりです。」

「土方さん、言いますわね。あのうちの一人は、あなたの雇い主ですわよ。」

「そんなの関係ありませんよ。みっともないことは、みっともないんです。上下も貴賎もありやせんや。」

「江戸弁が出てますわよ、土方さん。」

「あ、しまった。」

「うふふ…」

「笑いましたね、お嬢さま。そのほうがずっといいですよ。」

「ありがとう。」


「それじゃ、僕は失礼します。」

「ええ、おやすみなさい。」

 土方さんは、そっと部屋を出て行きました。

 私は、しばらくぼおっとしていましたが、着替えて眠ることにしました。

 手前のハンドベルを鳴らすと、住み込み家政婦の雪江さん(三十二歳)がやってきました。

 空手、合気道の有段者です、強いです。

 力持ちです。

「お嬢さま、いかがなさいました?」

「雪江さん、着替えますので手伝って。」

「はい、かしこまりました。」


 いまいましいこの足は、主の言うことは、一言だって聞きません。

 半身に力が入らないと、自分の体を支えることもできないのです。

 このままでは、私もお母さまと一緒。

 持参金付きか、特典でもないことには、お嫁の貰い手もありません。

 麗お姉さまのように、幸せな結婚など望むべくもないのでしょう。

 ましてや、この左足に走る、みにくい引きつれと、ミミズが這ったような傷あと。

 それも、足首から腿の付け根までびっとり!

 自分で見ても気持ちが悪いのに、だれがこんな足を喜んでくれるでしょう?


 自分の将来を考えると、陰鬱な気分になります。

 学園の同級生たちは、みな明るく元気で、生き生きとしています。

 そんな中に居ると、自分がひどくつまらないものになったようで、死にたくなります。

 特技もなく、容姿もふつう、ましてや歩くこともできず。

 お茶やお花は、一通り覚えましたが、それだけです。

 なにかとりえがあれば、いいのですけれど、今のところはなにもありません。

 ああ、フルートが少し使えます、まあ、そんなものです。

 布団に座り込んで、思わずぐったり。気を張って外にいるだけで、疲れ切ってしまいます。

 気丈に振る舞うのも考え物ですね。


 ベッドに横になりながら、暗い窓を見つめていると、思い切りくやしくなりました。


 あの、唖莉洲ですら自分の足で歩き、あの体型であるのにバレエを踊るのです。

 黒鳥を、グランフェテ=アントールナンで、三十二回転をドゥーブルを交えて回るのです。

 うらやましい!

 ねたましい!


 歯軋りをするほど、妬ましい!!


 私は、人並みな生活をしたい!

 そんな小さな願いもかなわないのでしょうか。

 いつしか、私は眠っていたようで、誰の処にもやってくるように、私のところにも朝がやってきました。

 朝だけは、平等にやってくるのね。

 来る先がわかっているなら、直談判…

 午前六時に少し前。

 秋の朝は暗い。

 もうじき、東の空が明るくなってきます。

 赤坂見附の交差点付近にあるマンションには、日比谷公園方面が明るくなる感じですが。

 いずれにせよ、私の通う精華学園は、京橋ですので、一号線をはさんですぐのところにあります。

 車でも五・六分で着きます。


 天気のいい日には、車でなく電動車いすを使って学校へ行くようにしています。

 もちろん、土方さんは着いてきますが。

 よそのお嬢様たちのように、車で学校に通うことは、あまり芳しくないと思うのです。

(ほんとうは、乗り降りが大変だから、車がキライなんですけど。)

 特に、私の父は国会議員ですから、家族が無駄を散らかすのはめだってよくないことだと思います。

 実は、父は今年から、国会議事堂までを自転車で通っています。

 国会議員がみっともないと、党の皆様には不評なようですが、父は頑固に続けています。

「すごいぞ~、国会議事堂まで車だと十五分もかかるのに、自転車だと二分で着いてしまう。CO2も減って、いいことばかりなのに、なぜこう言うパフォーマンスをして見せないかなあ。票が増えると思うのになあ。」

 なるほど。

 父は父なりに、次の選挙を睨んでいるのですね。


 そう言えば、この前めざ○○テレビが、取材に来ていました。

 ECOっ会議員と言う触れ込みで、父を取り上げてくれたので、父は一躍『環境派』という名称で祭り上げられているようです。

 どうも○ジTVは、軽々しいタイトルが安っぽいので、作り手の知能程度が軽いのではと思ってしまいますが、まあ、ウチの父を取り上げてくれたので許してあげましょう。

 今日も、いいお天気なので、父はさっそく自転車を出しています。

 まあ、年齢(五十八歳)にしては、あまり太ってもいないので、ママチャリに乗ってもさまにはなりますが、その赤いママチャリは、昔、私が乗っていたものですよ。

 私より十歳もトシの離れた兄も、秘書ですから当然父と一緒に自転車で登庁します。

 兄にしてみれば、災難な話です。


 いってらっしゃい。


 私は、ゆっくりとトーストとサラダの朝食を食べ、ミルクたっぷりのカフェオレを飲んでから、カバンを持って玄関を出ました。

 電動の車椅子は、ずいぶん性能が良くなり、バッテリーの駆動時間も、飛躍的に伸びました。

 昔は、車用の大きなバッテリーが、使われていましたが、今では、充電ドライバーのように小さなものになっています。

 駆動装置も無駄が減り、スリムでコンパクトになったため、重量も軽くなりました。

 おかげで、電池切れを起こしても、私の力だけで動かすことができます。

 まあ、そんなことはどうでもいいのですが、車椅子のハンドルを持ちながら、土方さんが着いてきます。

「夕べはよく眠れましたか?お嬢さま。」

 土方さんは優しく聞いてくれました。

「ええまあ、今朝は六時前に目が覚めてしまったけど。」

「それは健康的ですね~。」

「そうね、ねえ、お姉さまたちは、新婚旅行に出発されたかしら?」

「そうですね、昨日の二十時四十五分出発の飛行機だそうですよ。」

「そう、じゃあ今頃はもう空港かしらね。」

「そうですね、フランクフルトには九時着の予定です。そこから、TGVでスイスに入るそうですよ。」

「ふうん、さすがに議員秘書は、スケジュール管理が正確ね。」

「お褒めにあずかり光栄です。」


「くすくす、変なの。いいわね~、新婚旅行。楽しいでしょうね~。」

「そりゃあまあ、新婚旅行と言うくらいですから、楽しくないと意味がありやせん。」

「そうね、スイスは行ったことがないわ。あなた、知ってる?」

「さあ、私は日本から出たことがありませんので、わかりません。」

「まあ、それは困ったわ。あなたねえ、今後のこともあるから、海外には行ったほうがいいわよ。」

「そうですか?」

「英語は?会話はできるの?」

「まあ、日常会話程度はできますが。」

「ふうん、お父様について、海外を訪問する機会もあるでしょうから、今からいろいろと勉強したほうがいいわ。」

「そうします。さて、学校ですよ。お帰りはいつものとおりですか?」

「ええ、何かあったら連絡するわ。」


「わかりました、お気をつけて。」

 土方さんは、私が校門に消えるのを待って、家に向かいました。

 さて、この精華学園は、明治の中期にお隣の男子校、静修学院が作った、女学校を前身とします。

 こちらは、小中高大とすべてを統一した教育を理念としています。

 もちろん、中途受験も随時受け入れ中。

 ついでに、おとなりの男子校、静修学院についても触れておきましょう。

 創立は慶応元年(一八六五年)と言いますから、幕末ですね。

 当時有力商家が集まって、揺れ動く幕府や皇家に左右されないしっかりした教育機関を作ろうと考えた人がいたんです。

 お侍さんの出身で、侍をやめて商家に婿入りした人でした。

 それで、ちょっと立派な寺子屋ができまして、有力商家の子弟が通うようになりました。

 明治維新の荒波を、のらりくらりと切り抜けまして、明治政府とうまく遣り取りをして、私立ながら華族の通う、りっぱな学校に成長したのです。

 質実剛健、謹厳実直をモットーに、バンカラな気質が自慢でした。

 今は、少し軟弱なようですね。

 以来、東京に住む有力者は、好んでこの学校に子供を通わせるようになりました。


 当時は全寮制だったようですが、今は寮はありません。


 静修学院と、精華学園の間には、広い私道が通っています。道幅十五メートルで、差し渡り百五十メートルと言う、生徒の通行専門の道です。

 ここには自動車も入ってきませんし、安全に通行することを主眼に、作られました。

 両脇にはサクラ。突き当たりには、両校の生徒が利用できる図書館。

 ただ、今の時期、はっぱはみな落ちてしまって、寒そうです。

 赤と白で、おめでたく塗り分けられたポールから中が、学院の敷地です。

 麗子は、土方の手から離れた車椅子を、紅白のポールの中に入れました。

「あら、麗子さん、ひとり?」

 振り向いた先には、車から降りる唖莉洲がいました。

「あら、おはようございます、唖莉洲さん。昨日はお疲れでしたわね。」

 ちっ、朝からいやなやつに会ったもんだわ。

「あら、イケメンのおつきは、どうなさったの?」

「もう帰しました。私は、車なんか必要ありませんから。」

 唖莉洲のアタマの横から、『かちん』という音が聞こえてきました。


「あらそう、それは結構ですわね。岡田、今日の帰りはいいわ。」

 唖莉洲は、つんと鼻を持ち上げて、運転手の初老の男性に言いました。

 心得たもので、運転手の男性はすっと車を出しました。

 オンナの戦いはこれからなのだけれど、なにやらざわついた声が、向こうから移動してきます。

 不審に思った私が、そちらを見やると、唖莉洲の方が先にその正体を見つけたようです。

 まあ、彼女の方が近かったからですが。

「まあ?安田の若様ですわ。静修のサッカー部のキャプテン。」

 それはぜひお顔を拝見したいものと思いましたが、人垣と熱狂で私の車いすは隅に追いやられてしまいました。

 これでふつうのロマコメだと、若様が私の車いすに気がつくのですが、あいにく彼はまるで気にとめた様子もありません。

 二〇人あまりの固まりは、通路を通り過ぎて図書館に向けて消えていきました。

 もちろん、唖莉洲は若様の顔を見に走っていきやがります。


 だからお金持ちのぼんぼんって、いやね。

 ちやほやされるのが当たり前だと思ってる。

 まあ、顔がいいからって、性格までいいとは限りませんし、安田家は明治維新からのし上がった、いわば成り上がりですから。

 教育が行き届かなくても仕方ありませんよね。

 顔がいいだけの男なんて、願い下げです。

 しかも運の悪いことに、私の車いすは、タイヤが道路のくぼみに引っかかったらしくて、ちっとも進まなくなってしまいました。

 途方に暮れるとは、このことです。

 唖莉洲は、さっさと若様の集団にまぎれて行ってしまいました。

最初から、すっ飛ばしていますネ❗

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