逃避行(慈視点)
更衣室で制服であるポロシャツとズボンを脱ぎ、私服に着替える。制服は今日も汗でびっしょりだ。
(疲れたー......)
着替え終わりロッカーを閉めて更衣室を出て、エントランスホールに向かう。
柿田さんはショッピングモールのエントランスホールを出た車道にいつも車を停めて、わたしを待ってくださっていた。
(今日こそ柿田さんを説得して、送迎も差し入れもやめてもらわなきゃ)
ところが、通路を抜けてエントランスホールに入ったところで、わたしの目に飛びこんできたものは――、
(あ、あの男......!)
二度も会ったらその顔を忘れることはできない。わたしの心に強烈な印象を残し、こびりついて離れない。あいつだ。一週間前の変質者だ......!
やつはエントランスホールの中心にある石造りの彫刻のモニュメントに、背を預け寄りかかって立っている。
(かっこつけてるつもりか?)
悪いけど、その立ち姿、寒気がする。
わたしは急いで柱の陰に隠れた。どうしよう。このままエントランスホールを突っ切ればアウトだ。確実に見つかる。やつはわたしを尾けているに違いない。誰かと待ち合わせなどをしている可能性もなきにしもあらずだが、こうも偶然が重なると、尾けられているという恐怖にとらわれてしまう。
柱の陰から様子を伺う。やつはまだそこに立っている。
そうだ、もうひとつある別の出入口から出よう。駅から遠回りになるので普段は使わないが、このショッピングモールにはスタッフ専用のちいさな出入口がある。
わたしは見られていないかやつの様子を確かめながら、柱の陰から移動しようとした。ところが、あの男を注視して前方を見ていなかったせいで、わたしは歩き出した途端に何かにぶつかった。顔面を打つ。前を見ると、わたしがぶつかったのは若い男性だった。完全にわたしの不注意だ。咄嗟に謝ろうとすると――、
「慈!慈でしょ!」
男性に自分の名前を呼ばれた。思わず相手の顔をしげしげと見つめる。はて、誰だろう?こんなオシャレな雰囲気を醸し出すイケメンの知人がわたしにいただろうか......。
「慈、もしかして俺のこと覚えてないの......?」
そのしゅんとした顔を見たとき、過去の記憶がフラッシュバックした。瞬時に幼いときの彼との思い出が頭をよぎる。
「み、美樹......?」
名前を呼ぶと、美樹は笑みをこぼした。
「美樹......!」
懐かしくて嬉しくて、思わず美樹に飛びつく。
「久しぶり!元気にしてた?美樹、変わってて気づかなかった...!」
「ちょ、ちょっと離れて......。」
肩口でそう言われ、慌てて美樹から離れる。ここは人通りの多いエントランスホールだ。
「ごめん。つい嬉しくて......」
美樹から離れ、改めて観察してみると、前よりも大人っぽく、男らしくなっている。スーツ姿だから余計にそう思うのかもしれない。だけど顔に面影は残っているし、鳶色の髪に灰色の目は変わっていない。
「慈はぜんぜん変わってないよ。慈だってすぐ分かった」
「うん、見た目が少し幼いねって周りからよく言われる......。」
「違うよ、そうじゃなくて......!......変わってなくて嬉しい......」
そういうふうに言われるとわたしも嬉しい。旧友との思いがけない再会につい笑みがこぼれる。
「ところで、美樹はこんなところで何してるの?」
「俺......、俺は、柿田執事の代わりに慈を迎えに来た」
「わたしを迎えに......?」
数年来の再会を喜んでいたわたしだが、そのときふとそんな場合ではないことを思い出した。
わたしはやつのいた方向をばっと振り返る。やつはわたしに気づかず、相変わらずモニュメントの横にかっこつけて立っていた。
「ごめん、わけはあとで話すから......!とりあえずついてきて!」
「え?」
美樹の左手を掴む。わたしは彼の手を引いて、別の出入口に向かってこっそりと走り出した。
突然の再会を果たした美樹を連れて、裏口へと走る。その出入口までの通路を行き交うのは、この巨大ショッピングモールで勤務している人間ばかりだ。
「あ、慈さん、おつかれさまです!」
「篠崎くん、おつかれー!」
立ち止まらずに走り去るわたし。背後から「カレシを職場に連れてきちゃダメっすよ~!」と篠崎くんの揶揄する声。間違っても彼氏をここに連れてきはしないし、美樹は彼氏じゃないっての。
「慈、俺たちどこに向かってるの......」
「裏口!ちょっと逃げなきゃいけない理由があって......」
「逃げる?何から逃げてるの?」
「いいから今は黙って走って!」
美樹の手を引いて二、三分通路を走ると、別の出入口に到着した。そこからショッピングモールを脱出し、外に出た。美樹の手を離すと、なぜか少し寂しさを感じた。
「もう話してもいい?......ああ、久しぶりに慈と一緒に走ったなあ」
美樹はなぜだか楽しげだ。
「そうだね。小さい頃は美樹のことよく連れ回してた」
「楽しかったなあ、昔は。......今は俺、小柳社長のもとで秘書として働いてんの」
「小柳社長って、小柳逸郎さん?」
「そう。今日は慈のこと迎えに来た。あそこに車が停めてあるから、行こう」
美樹がわたしの手を握った。そんなことを若い男性にされたことがなくて、免疫の無いわたしはどきっと心臓が鳴った。そのとき――
「慈お嬢様!」
声のしたほうを振り返ると、柿田さんがこちらに歩み寄ってくるのが見えた。そしてわたしが彼の隣にいた人物を認識したとき、全身が凍りついた。
(み、見つかった......!)
柿田さんの隣に、驚きと恐怖の感情が混じったような表情で、まるでこれ以上動けなくなったというように立ち尽くしていたのは、あの痴漢男だった。




