プロローグ(駅員視点)
昨夜の蒸し暑さが尾を引いているような、不快な朝だった。あれはたしか、七月のある金曜日の、そんな朝のできごとだ。
駅内アナウンスが、3番線ホームの電車の発車時刻を告げている。クーラーのきいた駅員室に閉じこもる前に、俺はコンビニでりんごジュースを一本買った。駅員室に入ると、全員出払っていた。俺の指定席にどかっと座り、ホームを映し出す数台のモニターに一応目をやってから、紙パックにストローをつきさす。甘酸っぱいりんごの果汁をちゅうちゅう吸いながら、震えるケータイを開いてメールをチェックしていると、駅員室のドアが開いた。
「なあ、窓口、今から交代してくれる?」
入ってきた同僚の顔も見ずに、カレンダーの上にかかっている時計を顎で差してみせる。
「まだあと五分あるじゃねーか。断る」
「おまえをご指名の女の子が待ってるよ?しかも、けっこうかわいい」
「いいだろう。交代してやる」
俺は即答した。
「さんきゅー!早く来いよー」
俺はこの駅の『美しすぎる駅員』として巷で有名だった。ホームに立てば女子中高生に囲まれ、写メの嵐、ときにはラブレターやら手作りのお菓子やらを渡されたりで、仕事に集中するのが難しいくらいだ。駅の窓口に俺宛ての専用ボックスを設置するか、真剣に悩んでいる。おれさまを一目見るためだけに、他に用もないこの駅で降りる客もいると聞いた。俺の美貌は完璧で、この夏も日焼け知らずの美白肌をキープしていた。
明日は土曜で、しかも給料日。八月のカレンダーのグラビアを飾るのはいま旬のアイドルで、ビキニ姿でえろい腰のくびれを見せつけていた。
ホームに出る前に、顔のにやつきがおさまるまでしばらく待ってから、ドアへと歩き出した瞬間、
(コンコン)
控えめなノック音。
俺が来るのを待ちきれずに、ここまで押しかけてきたか?たいていは改札横の窓口で事が済むから、事務室に来る客はめったにいないのだ。
あの同僚が言うのだから相当かわいいに違いない。
期待に胸をふくらませてノブに手をかけたその瞬間、「駅員さん!いますか!」と叫ぶ声が聞こえ、ガンガン!とドアを破壊する勢いで叩かれた。びっくりして何もできず固まっていると、外側からノブが回され、ノブを握っていた俺はホームに引っ張りだされる。
「駅員さん!このひと痴漢です!早く警察呼んで!!」
俺の目の前には成人男性を羽交い締めにする小柄な女と、「誤解だ!」と叫びながら女から必死に逃れようとするも惨敗している男がいた。