ヘンリー8世とエリザベス1世
前回「次はエリザベス女王の外交政策について書く」と言ったな?
あれは嘘だ!
※この文章は、以前どっか別のところにアップロードしたのをちょっと編集したものです。
ヘンリー8世が国王至上法を発布した当時、イングランドはまだヨーロッパ辺境の二流国であり、主権も確立してはいなかった。
彼が国王至上法を発布した目的は、カトリック教会と手を切る事、つまり教会の介入を退ける事だが、「外国勢力の排斥」というこの考え方は、前年の上訴禁止法にも見られる。
上訴禁止法は、最初の妃キャサリン・オブ・アラゴンがイングランドの法廷を超えてローマ教皇に直訴する事を禁止したものである。
では何故ヘンリー8世は「外国勢力の排斥」を行おうとしたのかといえば、それが一行目の「主権が未確立」という部分に繋がっていく。
ヘンリー8世は横暴な専政君主として捉えられがちだが、実は、彼の治世にはまだ絶対王政は完成していない。
上記の過程は、国王の絶対的な力ではなく、国王と議会との相談によって進められた。
絶対王政というものが形作られるのは、彼の娘、エリザベス1世の時代になってからである。
実際、彼女は即位の翌年に新たに国王至上法を発布しているが、こちらの方が、国王の世俗権力者としての側面が強められている。
エリザベス1世の治世は「中道」を意識した政策が目立つ。
これは何故なのかといえば、当時の社会が中世から近世への過渡期にあり、非常に不安定であったからだ。
政策がどちらかの側に偏れば、必ずもう一方の側からの反発が起きる。そうすれば、不安定な体制は崩壊してしまうかも知れない。
彼女としては、それは何としても避けたい事態だったのだ。
英国教会は「教義はプロテスタント、礼拝様式はカトリック」と言われるが、これはエリザベス1世の中道的な宗教政策によるものである。
そうして形作られた英国教会が、今日にまで続いている。
彼らが英国教会とか絶対王政の礎を築いたと思うと、ロマンがありますよね。