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メアリー1世即位〜エリザベス1世即位

大分間が空いてしまった…

前回よりも、更に文章が砕けてきてます。

そんなんで良ければどうぞー

 さて、いかがわしい事したいし、きっといい女王になってくれるよね!と、国民から支持されたメアリー1世でしたが、決してそんな事はなかった!


 37歳で即位したメアリー1世は、それまでほぼ修道女のように神に仕え、運命の変転をしのいできました。

 そんな彼女に政治の経験なんて無いし、更に酷い事に政治のセンスもなかったのだ!

 おまけに、父親と違って良い助言者もいなかった!どうしようかねこれ!


 …しかも、弟が英国教会の信徒だったせいで、宗教改革が進み、メアリーの信じるカトリックがおざなりになっていた!

 何とかしてイングランドをカトリックに戻したい…!でもメアリーには政治センスが無い…!その上、メアリーは誰の指図も受けない、頑固人間だった!

 なんせ、自分はイングランドをカトリックに戻すため神様に遣わされたと信じ込んでいたからね!


 それで、彼女はスペインのフェリペ皇太子(フェリペ2世、1527〜98年)と縁談ととのえて、結婚するんだ。

 スペインはカトリックだからね。

 でも、フェリペが来英して、初めてメアリーを見た時の感想、ひっどいよ。

「全然かわいくない。服装のセンスは悪い。まるで聖女」だからね!


 それでもって、二人の結婚が宣言されると、いくつか反乱が起こった(有名なのは、ケントのジェントリー、トマス・ワイアットが1554年に起こしたもの。ワイアット軍はロンドンを目指したものの、ロンドンがメアリー1世を支持したので失敗)。

 まあ、国教会をカトリックに戻すぞー!だからね。

 しかも、この結婚にはイングランドとスペインの同盟が含まれていたもんだから、フェリペ2世がイングランドの王になっちゃう!っていう心配があった。結局、議会が何とか「王様ぶれるのは、うちの女王と結婚してる間だけね」って決めたけど。

 そんでもってメアリーは、大嫌いな異母妹のエリザベスが反乱に加担してると思って、彼女をロンドン塔にぶち込んだ(ロンドン塔の囚人の入口、反逆者の門(トレイターズ・ゲート)っていうのだけど、雰囲気が凄い陰惨)。

 エリザベスは、死を覚悟したらしいよ。結局、証拠が足りなくて処刑は免れたけどね。


 話を戻すと、カトリック狂信者メアリーは、プロテスタントが邪魔だった。

 そんな彼女は、どうしたと思う?

 …彼女がどんな行動をとったか、もう大体の見当はつくでしょう?


 そうです、メアリー1世、プロテスタントを燃やしまくりました。わぁいシンプル。ぞっとしないね!

 プロテスタントBBQはスミスフィールドって所で行われたそう。

 因みに、このスミスフィールド、後に肉市場※になったらしい。とんだ皮肉だ。

※1614年に、広場で毎日家畜市(livestock market)が開かれ、イングランドやスコットランドから家畜が集められて、屠殺・売買された(血や汚物は屠殺小屋の大きな溝にポイ、テムズ川にブシャー、全く迷惑な話だ)。あと、暇人貴族が農民と家畜について語る場になった。


【燃やされた人】

・国中の司教(ラティマー司教とか)!

・代表的なのは、1556年に処刑されたクランマ大主教(エドワード6世の戴冠式仕切っていた人ね)や、先に言ったラティマー、フーパーなどの、高位聖職者

・でも大体は、16〜17世紀に力をつけたジェントリーのように亡命する事も叶わない、社会の下層の人達だった

◎処刑ラッシュは1年近く続き、犠牲者は大体300人くらいになった!


 このプロテスタント焚刑には、トリエント公会議(1545〜63)※を取り仕切っていた、R・ポール枢機卿も一役買っていたみたい。

※トリエント公会議っていうのは、ルターが宗教改革起こしちゃったから、カトリックの内部も何とかしようかね、っていう話し合いの事。結局、カトリックもプロテスタントもお互いの立場を認めよう〜みたいな感じに纏まる。英国教会は一応どちらにも属さないので、後々批判されてめんどくさい。批判に対して、マシュー・パーカーとかジョン・ジューエルって人は、使徒継承※っていう擁護論を展開している。

※パウロとか、使徒による初期の教会の純粋さは、英国教会が継承してるんだよ、っていう理論。


 兎に角、この一連の出来事が余りにも残酷だったものだから、J・フォクスって人は、『殉教者の書』って本を出した。

 ラテン語と英語の二カ国語、挿絵つき。

 カトリックの蛮行を伝える、プロテスタントの古典として、バリバリ増刷された。19世紀までのロングセラーだって。


 メアリー1世が恐ろしいから、大陸のプロテスタントが広まっている地域に逃げた人達もいた。

 そのうちの殆どは聖職者だったけど、普通の人もいるにはいた。

 後にエリザベス1世の側近として活躍した、フランシス・ウォルシンガムもその一人だね。


 これが、メアリー1世が「血塗れ(ブラッディ)・メアリ」って呼ばれる所以。


 あと、メアリーは、プロテスタントを処刑しまくるだけでなく、フェリペに強いられてフランスに宣戦布告してたな。

 なんでも、フランスとスペインの間で起こった第6次イタリア戦争に巻き込まれたらしい。

 結果は惨敗だったけれどね…

 その結果、百年戦争以来唯一大陸に残っていた領土・カレー※までフランスに奪われた。

※それまで、カレーは羊毛輸出の特定市場だった。ロンドン→カレーを通じて輸出される羊毛の関税を担保に、百年戦争の戦費を借りた位だ。


 終戦交渉が続く中、1558年11月17日、42歳の時、メアリーは失意のうちに亡くなる。

 死因は卵巣癌。

 この癌、最初はフェリペとの間に子供ができたのではないか、何て思われてたみたい。

 癌と子供じゃあ、大違いだよね〜。


 彼女は死の床で側近に言ったらしい。

「私が死んだら、胸を切り開いて下さい。カレーという文字が刻まれているでしょう」って。

 そして、憎き妹エリザベスを渋々次期王位継承者に指名した。

 彼女からしたら、踏んだり蹴ったりの晩年だったろうよ。


 メアリー1世の在位は5年間。

 若干不謹慎な話になるけど、国民は喜んだ。

 哀悼の意を示そうと、国中、飲めや歌えやドンチャン騒ぎ!だったらしい。

 抑圧されていたから、しょうがなかったのかもね。


 ああでも、メアリー1世の名誉?のために言っとくと、彼女は財政改革の面においては短期間で成果を上げているんだ。

 財務府の再編・活性化、貨幣の改鋳をする準備(実施はエリザベス1世の時代)、関税徴収の効率化、とかね。

 …正直、上記の文は殆ど本の受け売りなんだけど、何でノーサンバランド公の貨幣改鋳は失敗してるのに、メアリー1世のは上手くいった体で書かれているのか、作者はよく分かんないね!


 そうして、エリザベス1世は、25歳という若さで王位についた。

 アン・ブリン(エリザベスのかーちゃん)がヘンリー8世に処刑されてから、エリザベスはずーっと、庶子とされてきたし、姉のメアリー1世に嫌われて、王位継承排除を画策されていたものだから、これは、ある種の奇跡だった。

 エリザベス本人も、「これは神のなされた業である」何て、言った位だしね。


 彼女は、国民、とりわけプロテスタントに期待をかけられていた。

 1558年の暮れに、エリザベスはハットフィールドから5日間かけてロンドンに入った。

 その道沿いに、彼女の即位を歓迎する多くの市民がいたそうな。

 もう、エリザベスは人々の心を掴んでいるらしかった。

 まあ、作者が実際に見た訳じゃあないけどね。

<まとめ>

①メアリー1世、即位


②メアリー1世、スペインのフェリペ2世と結婚


③メアリー1世、300人程のプロテスタントを処刑


④メアリー1世、フランスとスペインの争いに巻き込まれ、カレーを失う


⑤メアリー1世、卵巣癌で死去


⑥エリザベス1世、即位


相変わらず読みづらい文章ですみません。

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