「レディ・ジェーン・グレイの処刑」に関する重箱の隅を突つくような小ネタ
「怖い絵展」に行ってきたので。
若干エッセイの要素が入っています。
思いつきで書き始めたものの、手元に資料がなかったり、途中で力尽きたりで消化不良…偶に加筆していきます。
「レディ・ジェーン・グレイの処刑」。
1833年に描かれた、ポール・ドラローシュの作品です。
…私は、絵画に特別詳しい訳ではないし、この絵の概要なんかはインターネットで調べれば幾らでも出てくるでしょう。
何だったら、解説だって出てくると思います。
ですからここで、この作品に関する説明はしません。タイトル通り、しょーもないツッコミばかりしていきます。
<ジェーン・グレイの結婚指輪>
絵の中では、現代の私達にお馴染み、左手の薬指に嵌められていますが、中世の結婚指輪は、右手の中指に嵌められていました。
因みにジェーンが生きていた頃、指輪に愛の誓いを彫ったり、細いリングを二重、三重に集めたものが流行ったそう。16世紀の事です。
やがて、指輪の位置は愛の血管に直接繋がっているとされる、左手の薬指へと変わっていきます。ただ、17世紀には親指に嵌められていたらしいという事が、ヘンリエッタ・マライア(1609〜69年)のポートレートなどに見られます。
<処刑場所とロンドン塔>
調べれば普通に出てくるので、今更書く必要はないかも知れませんが、ジェーン・グレイが実際に処刑されたのは、ロンドン塔の地下室ではなく、戸外のタワー・グリーンという場所です。
それはまあ、それとして、じゃあロンドン塔はどんな所だったのか、大雑把に説明します。
そもそもロンドン塔は、ウィリアム(仏:ギヨーム)1世征服王がロンドンのすぐ東隣に建てた砦でした。表向きは。
当時のロンドンは商人の町で、自治に対する誇りも高く、また、それを守るだけの力も持っていました。
自治に対する誇りが高いというのは、ウィリアムからしたら厄介で、癪な訳です。なんせ、彼は侵略者なのですから。
という事で、ロンドンへの脅迫のつもりでロンドン塔を建てたのです。とは言っても、この頃(1086〜97年)は今現在言うところのホワイトタワーだけでした。増築されるのは、13世紀から14世紀にかけての事です。
自治への脅迫って事は、ロンドン塔は(全体としての?)体制への反逆者を放り込む場所って事ですね。下手な事やると、ロンドン塔にぶち込むぞ、とな。
まあ、ロンドン塔に放り込まれるのは泥棒とか人殺しとか、犯罪者らしい犯罪者じゃなかったのです。政治的で、高貴で立派(?)な方ばかり。
これで、ジェーンが幽閉、処刑されたのが何故ロンドン塔なのかも分かったと思います(何か上から目線ですみません)。
ただ、1部でも書いた通り、ジェーンが処刑された時、彼女は16歳でした。
幾ら高い知性と、由緒正しい血統を持ち併せていたとはいえ、16歳の少女に「反逆」なんてご立派な犯罪が出来たのでしょうか?
きっと、殆どの人はノーと答えるのでしょうね。
だからこそ、彼女が反逆者の名目で囚われ、処刑された事は、多くの人の目に悲劇と映るのだと思います。