The Breakfast
私が目を覚ましたのは、日が山肌から顔を出した頃だった。基本的に朝は苦手だが、森の朝の空気で目が覚めてしまった。……もっとも、半開きの目から見える景色は一昨日には想像もしなかったようなものだが。
まだ眠っているガルシアを起こさないように、体をゆっくりと起こす。暗かったからか昨日は気がつかなかったが、ガルシアの後ろの木の枝には着物をきた顔のない小人が数人こちらを向いているし、焚き火の燃えかすの上にはアノマロカリス的な半透明ななにかがふよふよとと飛んでいた。私の枕元を駆け回っている、どんぐりに人の手足をくっつけた形のそれや、シスターの家で読んだ古代魚図鑑に載っていた生物のような形のそれらは、やはり妖の──“友人”の類なのだろうか。
あれ……“友人”といえば、カスプとディムがいない。どこいったんだろう?
「こっちだ」
ディムの声が聞こえた。上でも、前でも後ろでも、左右からでもない。不思議な感覚だが、頭の中でディムの声が聞こえた。耳からではなく、なんというか……小説を黙読しているときに誰かが読み聞かせてくれているような、あの感覚で聞こえたのだ。
「スティラちゃん、上だよ~」
カスプの声で上を見上げると、澄んでいて雲さえ無い蒼空まではいかないが、3から4メートル上空に浮かんでいるカスプと、鋭い目つきの黒猫がいた。
「カスプと……ディムなの?」
「お前がこの姿にしたんだろうが」人なら片眉を吊り上げて言いそうなセリフを、ややしっぽの輪郭がぼやけている白い瞳の黒猫がいった(声は普通に上から聴こえた)。尾の先はゆらゆらとろうそくの火のように揺らめいて、いつのまにか空色に溶けている。
「私たちはほとんど、決まった姿をもたん。だから何かするときにはイデアに干渉して適したカタチに変えたりするが、契約を結ばれた者の姿は基本的に主のイメージに固定される。私が黒猫の姿なのはお前のせいだ。理由は知らん」
「『イデア』って?」
そうきくと「無知だな」と、悪態をつかれた気がした。猫が続きを話す前に、ガルシアが起きてしまったが。
「おはようございます。昨日から、いろいろとありがとうございます」
「あーいいよいいよ。仕事だし」
おおきなあくびとのびをするガルシア。だいぶゆったりしていらっしゃるが、一応異性の前なんですけど。
「まず、いまからツェントロムまで向かいます。急ぐ必要はありませんし、適当に駅で馬を乗り継いで行きましょう」
え、魔術師なのに?
「ほうきにまたがって空を飛んだりしないんですか?」
面食らった顔をして一瞬固まってから、けらけらと笑い出すガルシア。一緒に笑えるわけでもない私は、まさに裸の王様なのだろう。
「ごめんごめん……知らないよねぇ。できなかないけどやらないよ。足場もないし狭いほうき1本じゃ君と僕は運べないし、着く前におしりが痛くなるよ」
それもそうか……魔法使いといえばほうき!というイメージだが。
「でもまあ、ほうきに乗るにしろ馬を使うにしろ、まずはご飯食べないと。お腹すいてるでしょう」
にこりとしながら尋ねられると、途端に空っぽの胃が鳴き始めた。くっ、なんか悔しい。
「ガイアで何か買ってきます。少し待っててください」
熱くなった顔を見せまいと、ショルダーバッグから手早く財布入りのウェストポーチを取り出した私は、やや俯きながら森から走り出た。
下草の間を手足つきどんぐりが走っていたが、森からは存外早く抜けられた。毛皮を放置してきてしまったのは申し訳ないが、まあいいや。
相変わらず家と家の間は隙間が多く、頬を撫でる風が冷たく感じるのは、多分冬が近いからではない。ギルを確保してから……いや、あのバールフを吹っ飛ばしてから、人通りは最初に来た時よりは確実に増えていた。
やっと人を通し始めた大通りへ出ると、パンの焼ける香ばしい香りが鼻をくすぐり、胃袋はがっちりと掴まれた。ここにするか。
ピタ(小麦粉と水を練って薄くのばし焼いたもの)を、私とガルシアと……この子達はいらないんだったか、2人分買って店を出た。
店を出ると向かいの甘味処が店を開けていて「亥の子餅」なるものを売っていた。トレーに並べられたあんこの詰まった餅を品定めしていると、「10月下旬から12月の22時頃に食べるもの。無病息災のまじないとされている」らしい。今は11月だし、ちょうど旧暦の10月に当たるな。……じゅるり。
「買わないのか?」ディムが話しかけてきたので気づいた。さっきからやけに暗いと思っていたら私の真上にいたらしい。そうだな……気になるし買おう。
結局いまから食べる分と、夜に食べる予定の分でちょっと多くなってしまった。ハンティストの給料はそこそこ高いので問題ないが、あまり浪費するのは私の性格にあわない。
帰路の途中で、ふと気になった。なんでディムは私の真上に浮いているのだろうか。肩でも足元でもいいじゃないか、どうせ見えないのだし。
「干渉するんだよ。見えるやつはどうでもいいとして、見えないやつは『そこには何もない』と信じきって歩いたり走ったりしてくるんでな。それに、お前らだって“同類”の奴らと肩がぶつかったらいざこざが起きるだろう。私は無駄なことはしたくないんだよ」
へぇー……光は透過するのに。どうも眉間にシワが寄った顔をしている気がする。声だけだと。見た目は綺麗な黒猫なのに。……なんて、余計なことを考えてしまったが、聞こえていたのかいないのか、口は結ばれたままだった。話している時も口は開いていなかったが。
***
ガイアを囲む木製の壁をでてすぐの森で獣道に入り、ガルシアのもとへと帰る。無事着いたのだが、ガルシアが焚き火に火を入れながらカスプと何か話していた。
特に深い理由もなく、木陰でそれを聞いていた私は、耳を疑った。
Note
・亥の子餅──名称に亥(猪)の文字が使われているのが名の由来。餅の表面に焼きごてを使い、猪に似せた色模様を付けたものや、餅に猪の姿の焼印を押したもの、餅の表面に茹でた小豆をまぶしたものなどがある。地方により大豆、小豆、ササゲ、胡麻、栗、柿、飴など素材に差異があり、特に決まった形・色・材料はない。