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A Familiar Spirit

 大きな闇の正体──それには形がなかった。輪郭はボワッと境目がなく、ふわふわと揺れていた。

「……見たことないってさっき答えましたよね?」ため息を言葉に変えて放り投げる。

「おい銀髪、手ェ出したら喉掻っ切るからな」霧から声がした。男のような、低くどすの効いた声。

「銀髪は彼女もだけど、僕のこと?手なんか出さないよ~。第一、出そうとしたら斬られそうだし」

 ヘラヘラしているガルシアに歯がゆいようすの黒い霧に、私は聞かずにはいられなかった。

「……あなたは一体誰ですか?」

 しばらくの沈黙が流れた。やけに森が擦れる音が聞こえた気がした。

「……申し遅れました、お嬢」

 お嬢?

(わたくし)は、あなたのお父様よりお嬢を守護するようにとの命令を受け、今日までずっと傍におりました……ニーベルと申します」

 (ニーベル)……確かに父が付けそうだ。とくに安直なところが。でも今はそんなことはどうでもいい。

「ずっとって、いつから?父さんは──」

「あなたがシスターに預けられた時からです。ずっと、いつもおりました……今はこれだけしか言えません」

 今はこれだけ、か。………………ん、()()()

「あの、それって……」ガルシア達に聞かれないよう後ろ向きに座り直して小声で聞く。「お風呂とか?」

「はい、もちろん」

 おいまてよ。大きいよ。うんざりしたような声で答えるニーベル。

 私今朝──眠って、話して、もう昨日の朝かもしれないが──もお風呂場でのびのびしてましたが?

「はい、おそばにおりまし──」

 言い終わる前に手が出ていた。放った正拳突きは霧をすり抜けただけで手応えがなかったが。……見られたのかぁ。全部見られてたのかぁ……湯気が出そうなくらい熱くなる顔を手で覆い毛皮に埋める。

「終わったかなー」ああ、この人のことほったらかしてたっけ。

 勢いよく顔を上へ向け、肺の空気を押し出して換気する。絞り出した空気と同じだけ息を吸い、そのまま視線を下に戻し、首をややかしげたガルシアをみとめた私は小さく「はい」とだけ返した。

「さて……君、ニーベル君。君はこの子のお父様に遣わされているのだろう。契約はいつまでだい?」

 少しの静寂のあと、ニーベルは「今まで」と答え、「もう終わった」と付け加えた。それはつまり、あれか?

「『誰かがこの娘の呪いを解くまで』かい?」私の言おうとしたセリフはひと呼吸先にガルシアに言われた。

「そうだ。しかもアイツとの契約はそれだけ。もう契約は履行された。だが……」

 パキリと、焚き火が揺れて、こちらを向いて舌なめずりされたような気がした。……目も口も舌もわからないが。

「美味そうだな」男らしい低くてどこか安心する声でそう言ったように聞こえた。バクリと跳ねた心臓に自分でもびっくりしたのをよく覚えている。


 「あの、えっと……」自分でもびっくりするくらい言葉が出てこない。言いたいことはたくさんあって、選べないほどでもない。でも、顎から下が言うことを聞いてくれない。

「わかるー、だよねぇ」

 カスプまで便乗してきた。この子はノリが軽いからか、あまり気にならない。

「じゃあさ!ついでにこの子と再契約しちゃいなよ」

 ガルシア、あなたは先に説明してください。じとっとした視線を送られていることにようやく気が付いたようだ。

「ニーベル君と君のお父さんの契約はもう完了して、いまニーベル君はフリーなんだよ。さっきカスプが言ってたけど魔術師には“親友”が必要で──」

 違う、そこじゃない。説明は求めたけど、そうじゃない。

「それもですが、私が『美味しそう』って、どういう……」

「そのまんまだよ。正確には『君の魔力か妖力が』美味しそうなんだってさ」疑問符が顔に出てしまったのか、ガルシアはそのまま続けたが、さっきと同様真剣だった。目だけは。

「“隣人”たちは基本魔力で生きている。その“隣人”の生活環境にもよるけど、僕らにとっての空気だったり、食事だったりと同じように魔力を取り込んでいる。……でもね、魔力は常に循環している。『使い古されてる』とも言える……だからね」

 割り込んできたカスプがいたずらっ子と同じ顔をして繋いだ。

「生体から放出された魔力、つまり妖力は鮮度がいいから美味しいのだよ、スティラちゃん」

 ……それって──

「魔術師は契約の報酬として、“親友”に魔力を支払っているんだ。集めてきたり、探してきたりしてね。これが結構面倒なんだけど、君は自分で生成できてるしそれは大丈夫。しかも彼……」なぜか顔を近づけて耳打ちしてきた。

「彼、割と大物だよ」

 それはともかく、話の感じだといずれ契約しなきゃいけないのか……だったら。

「わかりました。契約しましょう」


 ガルシアは私の返事を聞くと、コートの胸ポケットからいそいそと小さなナイフと小瓶を取り出した。

「じゃあ、契約の仲介は僕がしよう。まずお互いに魔力をこの小瓶に。あ、これはニーベル君だけでいいよ。あ、契約してる最中は動けないからねー」

 私が乗っかっていた毛皮の上にニーベルとガルシア、そしてガルシアに乗っかったカスプが加わる。仲介人はポケットを漁りながら続ける。

「君は調節できないだろうし手っ取り早く血でやっちゃおう。掌から、小瓶の半分位にいれてね」

 爽やかに渡された小瓶とナイフ。痛いのは好きじゃない……と思いつつ、左の掌を刃で撫でる。すっと赤い線が細く流れ、やや太くなって小瓶に注がれる。血が貯まるまで待つあいだに簡単な説明があった。

「血と魔力を……よいしょ、この小鍋に入れて混ぜます。君はこれでかき混ぜといてね。……で、僕が術式を言うから2人とも続けて繰り返してね。互に契約の内容は確認した?」

ニーベルには「人間の寿命なんてあっという間だ。それまで力を貸してやる」と言われたが、いいのだろうか。あとガルシア、絶対そんなにモノは入らないサイズだよねそのポケット。言おうと思ったときには、血は充分溜まっていた……また今度きこう。

「じゃあ始めるよ。……あ、間違えたら最初からやり直──」わかったはじめよう。

 ガルシアが取り出した木の枝(多分月桂樹だ)は焚き火の火を移され、詠唱が始まった。

「我はローリエの名のもとに」

「我はローリエの名のもとに」聞き漏らさないように気をつける。魔術師が一気に燃え上がった花を小鍋に落とした。

「互の身を削ぎ禊を為すもの」

「互の身を削ぎ禊を為すもの」ぐらりと視界が歪んだ。私と(ニーベル)の声が重なり、混ざる。

「我らが錠を血胤を以て閉じよ」

「我らが錠を血胤を以て閉じよ」血の気が引いて悪寒に襲われる。これが魔術……いや……この感覚、どこかで。

「鍵は主が放すまで 開けるは使徒が壊すまで」

「鍵は主が放すまで……開けるは使徒が……壊す……」私の声だけが小さく、離れていく。

 そしてそのまま頭から左に倒れ込んで、そしてやっと気がついた。さっき切った掌の傷から流れ続けた血で左の地面がじっとりと湿っていたことに。


 ***


 夢を見た。いや、意識はあった気がするし、白昼夢と言ったほうが正確か。私は父のそばにいて、幼い私が孤児院に預けられた。私は幼くて小さい私を見下ろしながら、父は顔を見ることもなく立ち去っていくのを見ていた。

「待って!いかないで!」私と幼女は言った。はずなのに、幼女の声だけが水の中よりも重く、足元にずしりと落ちた。私は手を伸ばすことさえできないが、小さな私が伸ばした手は届かない。シスターは前を塞ぐように抱きしめてくれたが、私の心は流氷のように流され、凍え、そして砕けた。


 ***


 「スティラ!……スティラ!」

 誰かが私を呼んでいる。

 うっすらと目を開けると、まず体がずしりと重く感じた。もう上には何も乗っていないのに……いや、胸の上にカスプが立っていたが、まあいい。横を見るとガルシアが焚き火を背にして私の顔を覗き込んでいた。そして私の頭の方から覗いていたのは……誰だあんた?

 上から覗いている顔は、多分同い年くらいの少年の顔だった。ストレートの黒髪で、前髪は長いが後ろはくくれない程短いようだ。血色のよい顔にスラリとまっすぐ通っている鼻があるが、目の彫りはガルシアたちよりも私に似て、深くない。大きめでややきつね目の白い瞳は真っ直ぐに私を映していた。

「……ニーベルなの?」

だんだん戻ってくる体の熱を感じながら、美少年に聞く。

「そうだ。私はあまり人の形は好かんが……今は実体がいるだろう?」

「ああ、人手は多い方が看病しやすい。もっとも、病気ではなく多量出血での貧血だけどね」


 ニーベルによると、私は血液が自然に固まらない体質らしい。これは魔法使いのみならず一般に言えることらしいが、そういう体質のものは希だとか。

「魔力は流れるもの。絶えず動き、廻るものだ。君の体から出ることができず、しかし生成され続ける妖力は、体中を巡る血液に溶け込むことで安定を図ったんだと思う。そしてその結果が──」

 血液と妖力の癒着、だそうだ。変質した妖力約10年分は、私の体に貯まり続けていたらしい。

 そしていくつかの疑問が腑に落ちた。

「ありがとうニーベル。ずっと護ってくれてたんでしょう?」

 か細くなってしまった言葉が聞こえていないのか、彼は何も言わないで大きな手で私の頭を撫でてくれただけだった。なぜこんなにもアクティブな職業で、少しの怪我でも命に関わる私が生きてこられたのか。就くより以前の話でも、幼い頃や剣術の練習のときに負っていたリスクの大きさは普通じゃない。それらはニーベルが治し、あるいは怪我をしないように護ってくれていたとすれば納得できた。

「ガルシアさん、契約はどうなりましたか」目だけを動かし彼を見る。

「ガルシアでいいよ。んー……最後の節で中途半端に終わっちゃったからねぇ。どうだろ?」

 疑問形のセリフを投げた先には、ニーベルがいる。

「……あと少しで成立する。知ってるだろ魔術師。……妖力の払われ続ける間は、(わたし)はお前の“親友(クハヴァル・ハクブ)”だ。そしてスティラ。私の名を決めろ」

名前?ニーベルじゃないのか。

「それはお前の父親がつけた名だ。真の名は明かさん。だからお前は『“親友”としての私に』名をつけろ」

やや高圧的な本性を見せているニーベルのフォローなのか、ガルシアが解説してくれた。

「僕ら魔術師は契約の時、本当の名前で縛っちゃいけないんだ。名前にはそれだけでも強い力があって、名前の書かれた紙を燃やせば本人も灰になってしまうくらいだ。だから僕の名前も真の名ではないし、多分君も、真名は『スティラ=ハインケス』じゃないんじゃないのかな?」

まさかこんなタイミングで自分の名乗っていたものが本名じゃない可能性が出てくるとは。

 ともかく、名前か。この人の名前……

「『ディム』でどうですか?」寝転がったままで命名も失礼だが、見上げると彼はちゃんとこっちを見ていた。

 「わかった。では、今日から私は『ディム』だ」

 ……契約もした。いきなり魔力を使えるようにされた。知らない男に後ろから囁かれもした。この数時間を振り返ると途端に、まぶたを上げているのが苦痛に感じられた。ニーベル……もといディムの手が額にのせられ、ひんやりとした温かさは私をまた睡魔に引き渡した。


 ああ、まったく、私は。今までひとりで、独りで生きていたつもりだったのに。こんなに近くで助けられていたのか。そう考えると、堅苦しく相手を寄せ付けない態度を取っていた自分が恥ずかしい。それでなくても、淋しいくせに人といることが苦手な、矛盾した私だというのに。


 眠る前にそんなことが頭をよぎった気がした。

Note‐植物‐

月桂樹(ゲッケイジュ)──モクレン類クスノキ目クスノキ科の常緑高木。ローリエ、ローレル、ベイリーフとも。月桂樹の葉の花言葉は「私は死ぬまで変わりません」。月桂樹の花の花言葉は「裏切り」。


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