The soul of language
「誰……?」目を開けたときはぼやけていたが、さっきまでいなかったそれがみえてしばらくすると、止まらない汗と鎧で蒸れる身体に不快感を覚えた。落ち着けられないほど荒くなった呼吸の中で投げた問に答えたのは安堵の色を顔に浮かべた魔術師だった。
「うん、ちゃんと視えてるみたいでよかった。この子は僕の“親友”。いわゆる使い魔だよ。それはそうと……」魔術師は自分のコートのポケットの中を探りながらこちらへ歩いてきた。
「はいこれ。スキナツメのお茶だよ。飲めば楽になる」
膝を折りながら魔術師は胸の内ポケットから取り出した竹筒から、同じく竹製のカップへと暗い琥珀色の液体を注いだ。
「すぐに落ち着く。信じてもらえたかな?」
懐かしい香りのするそれを喉へ流し込んで、半端ではない疲労感で重く感じられる頭を縦に振る。
「よしよし。じゃあどこかでゆっくり続きを話そう。それにその子も……」
魔術師は喋りながら立ち上がるが、私はうまく脚に力が入らない。それでもなんとか膝をついたが彼の話がよくわからない。身体を操る糸が切れたような感覚とともに重力に引っ張られ、視界が回転し、近づいてくる地面を最後に意識は暗がりに投げ出された。私を見下ろしている黒い魔術師の瞳は、透き通る氷に見えた。
***
「はぁ……はぁ……」体が火照って仕方ない。早くなる呼吸で冷えた空気を目一杯吸い込んでも涼しくならない。鎧も武器もはがされ床に転がされているのはわかるが、誰かに押さえつけられてるみたいに動かせない。苦痛の原因が知りたくて、私はそっと重たい目蓋をこじ開ける。すると眼前には眩い星々に飾られた夜空が広がっていて、その縁は見覚えのある木々の枝葉であった。
「やあ、起きたかい」
さっきの魔術師の声が私の足元から聞こえるのだが、姿が見えない。そこで私はようやく、この何重にも乗せられた鬱陶しい毛皮と傍で燃えている薪のおかげで不愉快な思いをしていると気づいた。
「……起きましたけど、起きられません」ぶっきらぼうな言い方になってしまった。倒れた私を介抱してくれたこの人の暑苦しい気遣いに不快感がなかったわけではないが、感謝の気持ちも確かにあったのに……。
「これ、どかしていただけますか」
夜空に投げた言葉は「はいはーい、今どかすよー」という、柔らかいというよりは腑抜けたような返事になって返ってきた。
どかしてもらって気づいたが、星あかりを含んだ空気は思っていたよりかなり冷え込んでいて、焚き火の火がさっきより温かいものに感じられた。
ゆっくりと周りを見ると、ここは倒れた森の中らしい。木々も同じだし、なんとなく空気も同じ感じがした。
「ありがとうございました……えっと……」そういえばこの人、所属を言っただけで名前を言ってないじゃないか。
「あー、ごめんごめん。僕はシープ=ガルシアだよ。スティラさん」
よく見ると割と端正な顔で微笑を浮かべて名乗るガルシア。対象的な色のニット帽を脱いだ彼の銀の髪と瞳は、揺らめく焚き火に照らされて一層目立っていた。
「え、っと……まず、私のこと、どうやって知ったんですか?」
「そりゃもちろん、職員資料室で資料あさって……」
まてこら漁るな。思わずため息が漏れてしまう。
「……では、さっきから肩に乗っかってるの、なんですか」
もうくっきりと、前から見えていたように自然に視ることができた。
手のひらよりおおきい、蝶の羽を生やした小人はクスクスと笑っていたが魔術師はもう一度話してくれた。
「僕の“親友”のカスプ。あんまりこう呼ぶと怒られちゃうけど、要は『使い魔』だ。精霊たちは“よい隣人”や“友人”と呼ぶのがマナーなんだ」
「よろしくね~」
ガルシアの頭に乗っかって手をひらひらと振るカスプは歯を見せてニシシと笑うところからいたずらが好きそうなのが見て取れる。現に今、話してる途中からガルシアの髪の毛が三つ編みに結われてたし。
「じゃあ、魔術についてもう少し詳しく話しておこ……」
「はいはい!私が話します!」頭に乗ったまま触覚みたいに跳ねた髪の毛までピンと手を伸ばして主張するカスプが可愛い。……自分の髪の毛動かせるの?
「魔術師が魔術を使う方法は基本2つ。『術式を使う』か『杖を使う』か。術式は私らに助けを借りる方法なんだけど、私ら、人間の言語を全て把握してるわけじゃないの。……人の放つ言葉には言霊が宿るけど、私らの言葉にそれはない。理解はできても、重みを知ることはできない」
語ってくれるカスプの瞳に僅かに影がさしたのは、月が雲に隠れたせいか。それとも……
「ようは、言霊が入ってない言葉じゃ魔力は使えないの。だから術式を術式者が唱えたり、図式化したりしてもらうことで私らは初めて力を貸すことができるのよ」
「機械のスイッチは持っているけど、その中身を見たり組んだりすることはできないってこと」
「そうそう!」
早いな。月明かりもすぐに戻ってきた。
「まさにそのとーり。杖は術師自身が魔力の流れを操作する方法。杖がスイッチの代わりをしてくれるけど、結果が術者自身の力量に左右されやすいんだよ」
ふむ、“式”と“杖”……。
「……私は何を学ぶんでしたっけ」
「主に魔術だよ。魔術は学問だ。それに魔力を使う点で似てるし、錬金術も勉強するといい。語学は、旅のお供に必要な分だけ」
ややこしい……あれ。
「そもそもなんで私に目をつけたんですか」
「そう!それだよ!」勢いよく食いついてきたガルシアに若干引き気味になるが、月のような瞳には真剣な色が光った気がしたので下に敷いてある毛布の上で姿勢を正す。
「まず、君には呪いがかけられていた。さっき解いた“目くらまし”の術のとびきり強力なやつだ。本来これは一時的に“友人”に干渉できなくさせる呪いなんだけど、君のは解かなきゃずっと続くくらい強力だったんだ。君、今までに“友人”の類をみたことない?」
ガルシアは聞くが、全く覚えがない。私の世界は物心着いた頃からずっと、協会兼孤児院の柵の隙間から見える世界だった。両親の顔も思い出せない。
ゆっくりと首を横に振る私に、彼は続けた。
「でも呪いが劣化していて、徐々に痕跡をたどることができるようになっていったんだと思う。君、さっき僕が『君は魔力も妖力も両方使える』って言ったの覚えてる?」
倒れる前に言ってた気がする。
「妖力は本来、人間よりもより自然に近い生物――野生生物が生成する魔力なんだ。“友人”たちはそれを食べて生きている。そして、人間は人類として確立された時に妖力を失ったらしい」
――らしい、か。若干の疑問の気配を捉えたのか、聞いてもいないのに答えてくれた。
「言い伝えだし、根拠も詳しくは不明なんだ。ただ、僕が思うに妖力ってのは自己防衛のためのエネルギーなんじゃないかと思うんだ」
自己防衛か……。そうなら、納得できるかもしれない。
「でねでね、生成された妖力は自然に世界に放出されて、しばらくの間は個人を特定できるくらいの“色”が残るんだ。足跡みたいに」
……つまり、私の妖力の痕跡を辿ってきたのか。
「そうそう。でも、君を追ってきた人が急用で声をかける前に帰っちゃって。僕はその代わりに来ました」
軽く敬礼をして誤魔化すようにへらっと笑うガルシアは、やはり時折幼く見えた。……まだわからないことはあるが大体把握できてきた。
落ち着いて現状を飲み込めるようになってきたところで、彼は言ったのだ。
「ところでさ、一応聞くけど君のそれって、君の“親友”なの?」
へ?
……振り返ると闇が目前にいた。やや見上げると、座った私よりやや大きめの、焚き火の炎を呑むような闇が座っていたのだ。落ち着いて頭に沈み始めていた新しい世界が、また濁った。
Note‐植物‐
・酸棗仁──サネブトナツメの生薬名だったり、クロウメモドキ科のサネブトナツメ(須岐奈都女とも)の種子を乾燥させたもの。漢方薬としても用いられ、酸棗仁湯は茯苓、川芎、知母、甘草などでできており、安眠、鎮静、止汗作用がある。