Magic and Wizardry
宿屋のオーナーの言っていた来客についてずっと考えていたが、全く覚えのない「黒いトレンチコートの男」を思い出そうとしつつ、私は重たい荷車を引きずりつつガイアの中を歩き回っていた。昼前になっても依然この街が閑散としているのは、近くで“獣”が出現したからだろうか。大通りの店は開いているが、空いていた。昨日奢ってもらった菓子屋(2軒目)も依然あいていたが、不思議と食べたいとは思わなかった。
ギルド支部に着いて、ヒマそうにしていた警備の人2人に荷車を持ち上げるのを手伝ってもらった。全く、なんで鎧やら武器やらを担いでいる人が来るところなのに階段が多いのか……。手伝ってくれた2人と反対側から持ち上げて30段くらいの階段を上りきる間ずっと文句を頭の中でつぶやいていた。
息を切らした2人にお礼をして、だだっ広い酒場のようなギルドロビーで黒いトレンチコートを探す……あれか。「お前はほんとに誰とでも楽しそうに話すんだな」とか言ってるが、気にしてはいけない。
「こんにちは。宿屋に来ましたよね」
呼びかけに応えて振り向いたのは、身長は私と同じくらいの、黒いニット帽をかぶり長い黒髪を後ろで1つにまとめている、まだ10代位に見える男だった。一見黒い革手袋に黒く染められたブーツを纏った黒づくめの怪しい男だが、その肌と、長い前髪から覗く瞳は白く澄んでいて、たれ目にゆるい顔つきも相まって愛らしい子供のような印象を受けた。
「ああ、あなたか……これは、すごいね」
なんのことかはわからないが、誰かと話しているふうに独り言を言っている。声変わりはしているようだし、13から20歳くらいだろうな。
「ええ、そうです。僕らはギルド・ツェントロム統括府の……あ、先にそれ置いてきますか」
黒い男はちらりと荷車をみてから、私に街を出てすぐの森に来て欲しいと言ってきた。「わかりました」とだけ答えて、昨日の青年にギルの届け、私の鎧と武器は身に付け、荷物を担いで空になった荷車を警備の人にチップとともにあずけてきた。ロビーにいた男は、いつのまにか姿を消していた。
***
街を出てすぐの森……むしろ、街やクニの間はほとんど整備がされていない。森を切り開いてつくった、道といえば道と言えないこともないモノはあるが、ハンティストの護衛もなしに移動することはまれで人通りは多くない。
「どこですか、きましたよ」
少し叫んでみると「ええ、ここですよ」と、私の耳元から声がした。考えるまもなく私は反射的に前に跳んでしまった。なにせ、息遣いもわかるほど近くに、気配もなく現れたのだ。……余談だがこれを書いている今、顔が火照って仕方ない。今度会ったら殴っておこう。
とにかく、その時ぎょっとしたのとうまく説明できない恥ずかしさに言葉が出なかった私だが、なにより“獣”を狩る私を気配なく取れるなんて思ってもいなかったのだ。そのときの木々の色がいやに暗くみえたのをよく覚えている。
「どんな魔法を使ったんですか」
呼吸を整え、侮れない黒い男に聞いてみた。すると、男はやや不思議そうな顔をして答えたのだ。
「魔法じゃありませんよ、魔術です」
***
……「こいつは何を言ってるんだ?」と思ったか?私も思った。
「魔術でも魔法でも、そんなもの存在しないでしょう」
柄にそっと手を伸ばしつつそういうと、男はけらけらと笑いだした。
「君は面白い事を言うねぇ。君が言うかい」ひとしきり笑ったあとで、男はこう続けた。「まず、自己紹介からだね。私はギルドのツェントロム統括府直轄部隊“ハクラミ”の、育成課のものだ。単刀直入に言おう。君に出世と、魔術・言語の勉強をしてもらいたい」
「ハクラミ」……何語だったか忘れたが「司るもの」だったか。それよりも。
「出世ですか。それに、勉強ってどういう……」遮るようにこう続けてきた。
「あなたには魔術師の才能がある。まずは、魔術のことを知ってもらいましょうかねぇ。と、その前に……」
ゆっくりと距離を詰めてきた自称魔術師に対して柄を握り締めた私に、あわてて「危害は加えないから!とりあえずそれ離して!」と言っている。仮にも女の子の後ろを取って、魔法がどうとか言い出してきた男なんて不審者以外の何者でもないのだが。
1mくらいの間を空けて、男は止まった。
「ふーん……これは強力だな、中身が見えづらい……あ、ちょっと手伝ってください。解けるかもだしさ」
また独り言を言っている。これから魔術を見せてくれるのではないのだろうか。
「まず、この世界には2つの世界が重なっている。僕らが認識できる世界と、俗にいう妖精やら神様やらがいる世界だ」
……はい、そうですね。
「そして後者は前者を認識し、任意で干渉もできる。これは前者から後者でも同じだ。ただ、人間だけがその力を失っていった。崩落期以前は信仰も薄かったし、自然と親しい人間は減っていたからね。だが、神にすがり、あるいは自然にちかい人間もいた」
それって……
「そう、僕や君。正確には、今生きている人間のほとんどは崩落期以前に人間によって譲渡売買されていた“地下の人間”達だ。人類の中で、崩落期に地下に閉じ込められていた僕らだけが生き残ったんだから、皮肉だよね。そしてその子孫で“地上の人間”とは違う生き方をしている僕ら子孫は、古の頃と同じく魔力を扱える」
笑顔を縫い付けたような顔をした自称魔術師に「その魔法と魔術がどうちがうんですか」と話を促してみた。
「そう、そうだった。魔法とは魔術、錬金術、そして妖術を包括した概念だ。そこの黒い鳥を見て『鳥』というか『烏』と呼ぶかの違いさ。そして魔力とは世界を巡る力のことであり、妖力は生物が体内で生成する魔力のことで……なぜか君は魔力と妖力の両方を使える」
ギャンブルで当たったと知らせを受けたほうがまだ信憑性がある気がする……うんざりしつつある私に魔術師は続ける。
「君、その直刀の刀身貸してよ」
1本だけだぞ。
「はい、どうも……うわ、フツーだ。とても普通……刃渡り約70cmで3キロくらいかな。鎧は軽そうだけど」
それがどうした。
「君、自覚ないかい。それを左右で6本つけてるんだぜ?」
「標準じゃないですか」
「……え。違うよ?」ニヤニヤした顔つきで楽しそうにいうのだ。
「君は魔力も妖力もほとんど抑えてある。普通の年端もいかない女の子が30キロ以上の装備を持って飛んだり跳ねたりできるかい」
……いやいや、まさか。
「魔力や妖力は筋力にも影響を与える。力の強いものは魔力や妖力も強いのさ。さて、ひとしきり話したし……嘘だと思ってるだろうから、君の力の鍵、外してあげるよ」
鍵ってなんだ。本当にそんなものがあるのか。嘘なら私に近づく理由はなんだ。……まったく、好奇心には勝てないな。
「……よろしくおねがいします」
魔術師はさっきまで張り付いた笑顔とは違う、柔らかな笑みを浮かべてから、魔術師はなにかをつぶやき始めた。
「べランドナの果実の呪術 われの流れに呑まれたまえや 古き結びよ 流されたまえ ベランドナの果実のカゴよ 風の流れに埋もれたまえや」
呪文的なそれが聞こえた次の瞬間、眼球が一瞬ヒヤリとしたかと思えば突然襲ってきた激痛に目を押さえてうずくまる。このやろう、危害は加えないんじゃなかったのか。
「うわわ、ごめんごめん!長いあいだかかってた術は“流す”ときにどうしても引き剥がす形になっちゃうんだよね……」
慌てた声を出してるこの男に弱いところを見せたくない……とか言ってられない、滅茶苦茶熱い。眼球が焼けるような、溶けるような痛みだ。
「痛みが引いたら眼を開けてみて。映る世界は変わっているよ」
うっすらと開けた瞳に映った世界は、ほとんど変化はなかった。さっきと同じ木々、魔術師、魔術師の肩に乗ってる羽の生えた小人……え?思わず痛みを忘れて目を見開いた。
「あ、視えるみたいですよマスター」
明るく可愛らしい声で魔術師に話しかけたそれは、身長15cmくらい。肌の色は白く、目はくりっとしていて、大きな瞳は闇のように深い黒。ウェーブのかかった明るい栗色の毛は背中まで届いている普通の女の子……に、蝶の羽を生やしたようなそれは愉快そうにこちらを眺めていた。
Note
・魔法とは、魔力を操る魔術、等価交換に従い万物を流転させる錬金術、妖力を操る妖術の総称。
・魔力は世界を巡る力の1つ。妖力は生体内で生成される魔力のこと。