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バイトからファンタジー  作者: 森戸玲有
第1章 バイトからファンタジー
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第1章 ⑤

 夢ではなかった。

 あの中世貴族のコスプレ外国人は、現実に存在しているのだ。


(どうしよう……)


 椎菜は困り果てた。恐ろしくなって、すぐさま伊藤さんに宅に電話をかけたものの、電話にでてきたのは、耳の遠い老婆だった。

 じゃあ、レクスという男は一体何処の誰なのか?

 電話機の過去の履歴をたどっても、ナンバーディスプレイに表示されているナンバーは、伊藤さんと同じ番号なのだ。


(怪奇現象だわ……)


 まさか掃除機を売っているだけで、こんな目に遭うとは思ってもいなかった。

 でも、あの宝石の山が本物かどうかは怪しい。


(こんな王侯貴族御用達っぽい宝石が本物のはずないじゃない……)


 椎菜はおもちゃの宝石だと決めつけて、事情は伏せて宝石全部母に渡した。――が……。


「椎菜!! 一体これを何処から持ってきたの!?」


 慎ましく電話セールス続行中の椎菜のもとに、すっ飛んできた母は汗まみれだった。

 仕事帰りに走ってきたのだろう。

 化粧が半分だけ落ちた顔は、もはや人間の域を越えそうな勢いだった。


「ママ。どうしたの?」

「貴方が持ってきた宝石のことよ」

「ま、…………まさか、本物だったとかじゃないよね?」


 しかし、口とは裏腹に、心の底では本物ではないかとも思っていた。

 母がこくりと頷くのと同時に、椎菜は逃げるように、顧客名簿を逆さに開いた。


「質屋で、何処でどうしたんだってしつこく聞かれたわよ。国宝級の代物らしいわよ」

「国……宝? それはいくらなんでも」

「本当よ」 


 母の目は据わっていた。


「値段は一つで、時価五十万くらいにはなるんじゃないかって」

「ははは」


 もはや、笑うしかなかった。その、一つ五十万のものが山となって床に落ちていたのだ。

 ここの掃除機の借金、完済してもおつりがくる金額になっているに違いない。


(あの外国人……)


 いくら何でも、支払いすぎだ。しかも、椎菜は商品(そうじき)すら引き渡していないのだ。


 ――怒っているに違いない。


「まさか……。椎菜、これ、盗んだんじゃないでしょうね?」

「じょ、冗談じゃない! ちゃんともらったものよ。当然でしょ!」

「嘘を言うんじゃありません! ママも一緒に出頭してあげるから」


 ――出頭? 


 何で、警察に行かなければならないのだ。

 変な外国人に誘拐されたのは、椎菜の方である。


「ママ、信じて。本当にこれを買ってくれた人がいたのよ。現金の持ち合わせがないからって、宝石で支払いたいって」

「…………何処の誰よ?」

「―――伊藤さん」


 そう言うしかなかった。実際、電話番号は伊藤さんだったはずだ。


「じゃあ、ママがちゃんとお礼を……」

「待って!」

「盗んだんじゃないなら、良いわよね?」

「うっ……」


 椎菜は渋々名簿を広げた。渦中の伊藤さんの電話番号には、蛍光ペンを引っ張ってある。


「じゃあ、一応。私がかけるわ。ママはそこで聞いてて……」


 椎菜は祈るような気持ちで、番号ボタンを押した。


 ――プルルルと、コール音が寒々しく返ってきた。先日と同じように、耳の遠いおばあさんだったらアウトだ。3コール目にして、相手が出た。

 ガチャ……と、まるで鍵穴に鍵がはまったような音がかすかにした。


「もしもし……」

『やっと、繋がったか』


 若い男の呆れた声だった。


(つ、繋がった……)


 驚いたのは椎菜の方だった。


「え、嘘!? 本当に!」

『本当も何も、前金は払っただろう。ちゃんとすることをしてもらわないと困る』


 レクスは冷静に言い放った。


(あれが前金? もらい過ぎよ)


「あの……、伊藤様。」

「も、申し訳ありません!」


 突如、椎菜の手から受話器をぶんどった母は、2オクターブくらい高い声で謝罪した。


「納期が遅れてしまったようで、大変申し訳ありません。すぐにお届けいたしますので」

『当然だ。しかし、こちらにも手落ちがあったから、謝る必要はない』

「……まあ! なんと温かいお言葉、誠に有難うございます」


 すでに、母は仕事ではなく、金儲け出来たことを、そのまんま喜んでいるようだった。


「それではその、娘が頂いた宝石は商品のお代ということで宜しいのでしょうか?」

『そのつもりだが? あの程度では不服だったのか?』

「いいえっ。滅相もございません。お望みであれば、すべて差し上げても良いくらいです!」


 むしろ、掃除機全部渡しても、レクスの方が損をしていることには変わりない。けれども、母はそうとは言わなかった。言えなかったのだろう。そのくらい、家計は切羽詰っているのだ。

 満面の笑みのまま、椎菜に受話器を渡すと、母は小声で言った。


「ママ。これから銀行閉まる前に、質屋行ってくる。これで借金完済よ」

 どうやら早々にあの宝石を換金するようだ。


(もっと真剣に疑ってよ。ママ)


 母も何処かおかしくなっていたのかもしれない。まるっきりレクスを信じきっている。

 もしも、この男が犯罪者だったらどうするのか。


 そして、母は掃除機の奥の方から、過去の売れ残り商品「高枝万能バサミ」の入ったダンボールを持ってくると、椎菜に手渡した。


「これ。プレゼントでつけてあげて」


 さすがに良心の呵責があったらしい。売れ残りの高枝バサミでそれが贖えるとも思えないが。

 ――あとはよろしく。ちゃんと住所聞いておきなさいよ。

 メモ帳にそんな文面を残して、アイコンタクトを送ってきた母は、百万単位の商談を未成年の娘にまかせて、とっととアパートから出て行ってしまった。


「ちょっと、ママっー」


 呆然と立ち尽くす椎菜を現実に戻したのは、非現実的な男の声だった。


『おいっ』

「は、はいっ!」


 椎菜は姿勢を正した。


『母親でも良かったんだが、まあいい。とにかくこちらに来てもらうぞ』

「もらうって、おっしゃられても……」

『イズク……』


 レクスが呼びかけた途端、先日見た金色の光が受話器から零れ出した。

 ぎょっとした椎菜は、耳を当ててられずに、怖くなって受話器を床に投げたが、床から溢れ出した光の渦に体がすべて飲み込まれてしまった。


「うわっ!」


 恐怖にかられて顔全体を、両手で覆う。

 ――と。

 次に目覚めたときには、そこは見覚えのある大理石の床だった。


「…………えーと?」


 ぽかんと口を開けて蹲っている椎菜の顔を、至近距離で頬杖ついて眺めているのは、ファンタジー世界の王子様。――レクスだった。


「ふむ。間違いない。あの娘だ」


 しゃがみこんで、しげしげと眺めている。


「せめて、名前でも聞いておくべきでした。やや召喚に手間取りました」

「いや、聞いていたぞ。ワイ何とかという変な名前だったはずだが……」

「それは社名です」


 迷わず突っ込みたくなるボケっぷりだった。


「私の名前は、唯川 椎菜です」

「変な名前だな」


 外人にとっては変な名前かもしれないが、少なくともレクスとかイズクとかに比べたら、まともな名前にも思える。


「ユイなんとかはともかく、シーナというのは、特におかしくないかもしれません」

「では、シーナ」

「いきなり、呼び捨て……」


 初対面で呼び捨てにされたのは、中学校の体育の先生以来だ。


「何を驚いているのですか? そこの庶民と言われるよりははるかにましでしょう?」

「……そうですけど。でも」


 椎菜は額に手を当てて、何とか気分を切り替えた。


(これは仕事だ。仕事……)


「この度は当社の商品をお買い上げ頂き有難うございました。しかし、その……。誘拐は困ります。お客様に頂いた代金で当社の掃除機は何台も販売することができます。ですから、アパートに忍び込んで変な薬を散布したりするような真似はご容赦……」

「相変わらず、意味の分からない御託が多いな」

「誘拐ではありません。召喚です」


(何だ。こいつら……)


 ――意味が分からないのは、こちらの方だ。


 沸き立つ苛立ちを、何とか笑顔でごまかした。レクスも咳払いをした。


「ともかく、ちゃんと商談に入ろうではないか」


 宣言すると、イズクに茶の準備をするように言いつけて、部屋の奥の純白のソファーに自分一人腰をかけた。椎菜は困惑した。すぐにでも助けを呼ぶべきだろうか。怪しいというより、彼らの頭のネジは一本、二本くらいは飛んでしまっているようだ。


「電話……」


 そっとポケットの中の携帯電話を取り出したが、生憎圏外だ。

 じゃあ、この屋敷の電話は何処にあるのか?

 つい今まで話していたのだから、目立つところにあるはずなのに、何処にもない。


「どうした?」


 レクスに怪訝な目で見られて、椎菜は首を振った。

 とりあえず、今すぐ、どうこうされる心配はないようだ。

 それに変人とはいえ、レクスは、まるでルネサンスの彫刻のような整った容姿をしている。男というより女に近かった。華奢な体つきと、中性的な目鼻立ち。長い睫毛と小さな顔。それに乱れのない完璧なストレートの長髪。まるで、美術の教科書で見た女神像のようだった。


 レクスの背後には窓があり、開け放たれた窓の外ではよく育った大木の葉が陽光と微風を受けて、輝きながら揺れていた。


(きれい……) 


 椎菜は見惚れていた。それは完璧な一枚の絵のような夢の光景だった。

 だが、レクスの横顔にかかっている金髪に、不自然なパーマがかかっている。


 ……それは確認するまでもなく、椎菜のせいだ。 

 

(さすがに怒るわ……)


 カツラだろうが、地毛だろうが、自慢の金髪があんな状態になってしまったら、悪態もつきたくなるかもしれない。


  (あっ、そうだ……)


 椎菜は冷たい床に転がったままのダンボールを引っ張ってきた。


「あの……。掃除機をお買い上げ頂いたお礼にこれをですね……」


 梱包からハサミを出した椎菜は、ハサミを抱えて微笑んだ。


「万能高枝バサミをプレゼントさせて頂きたいと思いまして……」

「うぉっ!」


 レクスは恐ろしいほど顔色をなくして、後ろにのけぞった。


「私に近づくな! 何だ。それは? そ、それでお前はどうしようというのだ!?」

「あっ。もしかして、高枝バサミをご存知ないですか?」


 レクスは外国人だ。

 日本人であれば結構な割り合いで、高枝バサミのことを知っているだろうが、もしかしたら外国では取り扱いがないのかもしれない。特にレクスの国では……。


「そうですね……」


 すぐに言葉で説明しようとした椎菜だったが、長いと打ち切られそうなのでやめた。


「とりあえず、私がお見せしますね。高枝バサミというのは、こうやって……」


 持ち手部分が伸びるのだと、実践してみせようと椎菜は引っ張るがうまくいかない。


「あれ、おかしいな……」


 力任せに引っ張ても駄目で、横にして振ってみると、ハサミ部分が際限なく伸びて……。


 ……そして。


「ひーーーっ!!」


 レクスの悲鳴が轟いた。伸びきった高枝バサミの先端がレクスの肩越しに外まで伸びていた。


「な、な、何を……」

「す、すいません! 私もこんな伸びるなんて……」


 多分、普通に日本国内で販売されているものだったとしたら、ここまで危ないことにならないのではないか……。一体何処から輸入したんだろう。それとも自分で作ったのか?


(親父め~)


 椎菜は謝罪のつもりでレクスに近づいたが、レクスは全身で拒否をした。


「や、やめろ。私を殺すつもりなんだろ。お前は……」

「まさか。とんでもない! 今のはそのちょっとした不手際で……」


 椎菜はどうにか柄を短くしようとしたが、上手くいかない。

 どうしたら、レクスに警戒心を解いてもらえるのか……。


「あのですね。この高枝バサミというのは、庭の木の枝を切るための道具なんです。ですから、そこの枝一本切らせて頂いても良いですか?」


 椎菜が迫ると、レクスは人形のように何度も頷いた。椎菜は両手を動かし、細い枝を切った。


「レクス様。見て下さい。今、枝を……」 


 しかし、レクスは頑として椎菜から視線を逸らさなかった。


「あの……」

「首を挟んで切り落とす道具……。邪悪で恐ろしいな。これだから女は怖いんだ」

「はあっ?」


 どうして、そうなるのか。そんな血生臭い道具を販売してたまるか。更に、血生臭い道具と椎菜が女であることとは、何ら関係がないはずだ。


「何か勘違いをなさっているようですが?」


 微笑を浮かべて、レクスの妄想をどうにか止めようとするが、それは逆効果だった。


「殺気を見せないその笑顔。人の死をなんとも思っていない非情さの証ということか。一体、お前はどういう世界で育ってきたんだ。母と名乗ったあの女にすべてを教え込まれたのか?」

「あれは、正真正銘私の母です」

「親子で裏家業か……。まあ、そういう世界もあるのだろう」


(裏……?)


 テレアポが裏家業とは初めて聞いた。いや、絶対に何か誤解しているだろう。


「何をしているんですか。殿下?」


 涼しい顔で、お茶を運んできたのはイズクだった。

 依然、椎菜は高枝バサミの柄を引っ込めるタイミングを逃したままだった。


「見て分からないか?」

「新しい遊びですか?」

「この女に殺されかけていたんだ」

「だから、私は殺そうなんてしていませんって!?」 

「そうですよ。殿下」


 ティーカップをソファーの前のテーブルに人数分用意しながら、イズクはレクスも椎菜も突き放すように言った。


「彼女が本物だったら、もっと周到に貴方を殺すでしょう。俺が室内に入って来るまで待つような真似はしません」

「…………あ。そっか」

「はっ? 今、何て?」

「――お前、殺し屋だろう?」


(何だ。そりゃ?)


 漫画、アニメ、映画、ドラマ? 

 少なくとも、椎菜の暮らしている日常では、無縁なはずの言葉だった。


「貴方の言っていることが私にはさっぱり分かりません……」


 辛うじて椎菜は、そう口にした。

 本当は上手い丁寧語がもっとあるのだろうが、今は考えていられない。


「そうか、イズク。分かったぞ。今までのやりとりは、値段を吊り上げるための演技だったのか。――ははあ。シーナといったか。お前もなかなかやるじゃないか」


 いや、演技も何も……。


「私はただ……」


 掃除機を売ろうとしていただけだ。


 もしかして、とんでもない思い違いを、この男達はしているのではないか?

 高枝バサミを床に置いて、そろりと後退る椎菜を、イズクが鋭い眼光で睨んだ。


「前金はちゃんと払いましたし、あとは()るだけですね」


(やるって何を? 何をやるのよ。一体?)


 帰りたい。しかし、どうやって……。もらってしまった前金はどうすればいいのか。


「それでは、ちゃんと商談に入ろうではないか」


 ――これは、夢だ。

 しかし、お茶から立ち上る湯気と、甘い焼き菓子の匂いはリアルに満ちていた。


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