第4章 ⑥
「嘘だ……」
「何事ですか!!」
すぐさま駆けつけてきた沢山の兵士達を后が一喝した。
「何でもない。入るなっ!」
(……何だか分からない)
椎菜はイグリードを知っているわけではない。一度も会ったこともない金髪の男だった。
年齢は三十代から四十代くらいか? 顔に火傷の痕もない。傷一つなかった。
整った顔立ちをしていた。誰かに似ているような気もする。
だが、レクスはその男の正体を知っているらしい。慌てて仮面をかけ直したイグリードだったが、すべてにおいて手遅れだった。今までに見たことがないほど、レクスの顔つきが険しい。
「…………そういうことだったんですか。母上」
「お前が悪いのよ。王家の意向を無視したりするから」
「…………レクス。お前の力を封印したのは」
「もう、結構です」
弱々しいアイルの言葉を、ぴしゃりとレクスが遮った。正体を知られたイグリードも、おろおろしている。口を開いてよいのか悪いのか、后の出方をうかがっているようだった。
「―――シーナ。行くぞ……」
周囲の空気をスパッと切るようにレクスが椎菜の手を取った。まったく躊躇がない。
后を押しどけて、部屋を出る。
「ちょっと待って下さい。レクス様」
椎菜は置きっぱなしだった掃除機を片手で抱えた。
「そこの小娘、覚えてなさいよ」
呪いの一言を背中に浴びせられて、椎菜は肩を落とした。
(私のせいじゃないじゃん……)
あんたの夫が勝手に掃除機を使ったからだよ。
よほど反論してやろうかと思ったが、レクスの手が力強いので逆らうことはできなかった。
レクスは迷いなく進む。
途中、部屋の前で待機していた家臣達は、レクスの帰還を驚きと喜びの色で迎えていた。
「王子!」
「帰っていらっしゃるのですか?」
やはり、評判通り家臣には好かれているようだった。レクスは短く言い捨てた。
「いや。私はまだ帰らぬ」
「王子。待ってください!」
追いかけてくる家臣をレクスは振り払った。だけど、椎菜の手は放さない。
レクスの掌は汗ばんでいた。彼の熱がダイレクト伝わってきて、椎菜もどきりとする。
「いいんですか? ちゃんと、お父様と話すって、イグリードをどうにかするって言ってたじゃないですか?」
走っているのに等しい歩調に、椎菜は呼吸を乱しながら訴える。
……が、レクスは椎菜を引っ張るだけで、返答がない。
「レクス様」
怒り口調でうながすと、レクスはようやく口を開いた。
周囲に人がいないことを確認していたらしい。
「お前に、茶番に付き合って欲しいと言ったな」
「……言いましたね」
「私にとっても茶番だった」
「イグリードっていう人が、問題なのは分かりましたけど?」
「そうだ」
レクスは小さくうなずいた。
「私はイグリードが異国人だと思っていた。異国には聖術と似たようなものを使う庶民がいるらしい。元々父上は新しいものを好む人だし、そういうのに上手く騙されているんだろうって」
「一体、誰だったんです?」
レクスは靴音に合わせるように小声で告げた。
「……叔父上だ」
「…………はっ?」
「母上の弟。私の叔父だ」
「ええっ!」
「静かにしろ」
レクスは振り返ることなく、椎菜を諌めた。
「誰が聞いているか分からないんだ。何も聞かなかったように振る舞え」
「そうは言っても、それって一体どういうことで……。あれ?」
国王を操っていた奸臣イグシードは、実は后の弟で、王にとっては義弟だったわけだ。
じゃあ、レクスの敵は誰なのか? レクスの力を封じたのは、どうして……?
「ほとんど母の仕業だったんだ。叔父上が顔を隠している理由は、皆を欺くためだろうな」
「それで、どうしてレクス様が左遷されるんですか?」
「さあ。私にも詳しいことは分からないが、お前にはもう知る必要のないことだ」
「そうは言っても……」
早足のレクスに必死に追いすがる。――と。こっちを向いた。
目と目が合う。
「イズクには言うなよ」
「……はっ」
どうしてこう一方的なのか……。言い返そうとした椎菜を遮るように、レクスは笑った。
「お前のおかげだ。聖術には父も母も警戒していたが、お前のその暗殺具には油断していた」
「そうですか」
人を殺さずに済んだのは良かったが、喜んでいいのか分からない。
「父には何かされなかったか?」
「………………異常というほどの異常はないというか」
「何かされかけたんだな。まったくあの変態親父」
レクスは変態の部分を強調して、怒鳴った。
聞こえていたら、王子といえど処分されるのではないだろうか。そのくらい大音声だった。
「お前も、ああいうおっさんが好みなのか。異国でも年の差は関係ないのか?」
「はあっ? 好みも何も。馴れ馴れしいおっさんは嫌いですよ」
「じゃあ。ふらふらついて行くな。危機感を持て。お前みたいな力のない娘には、男は危険だ」
「危険って。私は殺し屋だって……?」
言いかけて、椎菜は首を傾げた。
「レクス様。私のこと知って……?」
だが、レクスは、それには何も答えずに
「―――シーナ。お前は国に帰れ」
不遜に言い放った。
「えっ?」
「帰るんだ」
有無をも言わさない勢いだった。
拒否する理由はなかった。それは椎菜が望んでいたことだ。
レクスもそれを見越して、そう口にしている。……なのに。
(嘘つき……)
椎菜は強く繋がれた手に視線を落とした。
――女嫌いのくせに、ちゃんと手を繋げるじゃないか。




