第1章 ①
小さなアパートの一室に置手紙があった。
――ごめんなさい。
謝るなら、ちゃんとこちらの顔を見て、しっかり頭を下げるべきだろう。
「何、それ……」
ジャージ姿で、急いで駆けつけた椎菜は呆然と周囲を見渡した。
――父は、いない。
代わりに、大量のダンボールが部屋の中に所狭しと置かれていた。
目の前が真っ暗になっていく椎菜を引き止めるように、携帯電話の向こう側から母の声がした。……そうだった。母と通話中だったのだ。
『ママの仕事中にパパから電話があってね。嘘だと思って帰りに寄ってみたら、そんな感じよ』
母は淡々と説明した。
『ほらパパって社長さんでしょ』
「たった一人の社員を兼務しているけどね」
この小さなアパートが父の会社だった。
卸売りの仕事をしていたのは椎菜も知っている。
外国製品やら、アイデア製品やら、ジャンル問わず仕入れていたのだが、何処の小売店にも置いてもらえず、返品の山に埋もれている場面を何度か目にしてきた。
こんな会社とっとと畳んで、少しでもまともな収入が見込める会社にちゃんと就職して欲しいというのが椎菜の切なる願いだった。
『パパが経営に行き詰っていたっていうのは、椎菜も知っているでしょ?』
「行き詰っていたというより、倒産すべきところを意地になってたとしか思えなかったけど?」
『そうね。仕方ないわ。パパにはこの会社しかなかったんだから。意地にもなるでしょう』
変に大人ぶった言い方はやめてもらいたい。
その意地のせいで、家族は大変な窮状となっているのだ。
「……で、ママ。その意地の塊は、ママに「とんずらする」って言って消えたっていうわけ?」
『要約するとね。パパ疲れちゃったんでしょうね。沢山品物を仕入れちゃったけど、置いてくれる所もなくて返品もできず、かといって叩き売りしちゃったら、今度こそ倒産。それを避けるために行方をくらますとか、何とか』
「ママ~」
椎菜は、息を吐くのと同時に言葉を搾り出した。
「……私、とうとうママの旧姓を名乗るときがきたみたい」
『それはまだ早いわ』
「だって何このダンボールの山。これ全部売れっていうことでしょう!?」
『ダンボールじゃないわ。ソーラー掃除機。一つ、二十万五千円(税別)』
「誰が二十万も出して、掃除機を買うのよ!」
『環境に優しい、太陽電池が内臓されているみたい』
「知らないわよ!」
『パパ、その掃除機買うために借金してて……』
「いやーっ! 聞きたくない。どうせ保証人がママとか、ママの親戚になっているんでしょ?」
『よく分かったわね』
(さよなら。学生生活……)
いっそ泣いてしまいたかった。
今までだって底辺の生活を送っていたのだ。想像しなかったわけではない。学校を辞め、働いて家族を養う自分を……。それでも、まだちゃんと学生をやっていたかった。
やりたいことが沢山あったのだ。
『……売りましょう。掃除機を』
母が痛いくらいに、あっさりと言った。
『幸い、期日まで時間があるわ。足掻けば少しでも売れるかもしれない』
「売れるわけないよ。二十万よ……」
『やってみなくちゃ分からないじゃない。ママも仕事がないときは頑張るから』
それでも大部分を頑張らなければならないのは、椎菜だ。
何をどうやって頑張ればいいのか……?
「私、親戚と友達とは末永く付き合いたかったわ」
『どうせ、椎菜は友達少ないじゃない』
酷い言われようだ。図星だから言い返すことも出来ない。
(すべて投げ出して、私だって逃げたいわよ)
だが、父のようにはなりたくなかった。こんなことで、家族ほったらかして逃げてたまるか。
「ちなみに、パパはどうやって売ろうとしていたの?」
「そうね。以前買って頂いた客に当たってみるって言って、電話料金が異常に高かったけど?」
「電話……?」
……と、椎菜の視線の先に小さな金庫があった。
父は、重要な書類はすべてここに仕舞っている。
導かれるように、父が言っていた暗証番号を入力して、開錠する。
――すると、金庫の中には父の商売道具の顧客名簿と、問題の掃除機のカタログがあった。
「テレアポ……か」
二十万もする掃除機を売るのに、こんな方法で売れるはずがない。
下手したら訴えられるだろう。しかし、高校生の椎菜に訪問販売は無理だ。毎回迷惑をかけている親戚にも頼めない。
椎菜は暮れて行く夕日を背に、溜息交じりに名簿を開いた。




