第4章 ④
回廊を右折してしばらく歩いた。てっきりレクスのもとに連れて行ってくれると思ったが、そうではなかった。青い花柄の壁紙が爽やかな部屋に通された椎菜は、部屋の中心を占拠しているソファーに座るよう勧められた。
「ここで少し休んでて」
男は楽しそうに椎菜の隣に座った。足を組んで、居座る気満々である。椎菜は何気無いのを装って、掃除機を男との間に置いた。
「取次ぎは?」
「ちゃんと伝えてある。大丈夫だ」
「大丈夫?」
(……本当かな?)
まずいのにひっかかってしまったかもしれない。座らなければ良かったと今更後悔しても仕方ない。身を小さくして沈黙しているが、正直男の興味むき出しの視線が気味悪かった。
「……で、君いくつ?」
「はっ?」
「君、可愛いね……」
「えっ?」
「王子は、こういう娘が好きなのか……?」
「はあっ?」
椎菜が困惑しているのを、確実に無視して男は頭の後ろで手を組んだ。
「大の女嫌いと聞いていたが……。王子もとうとう」
「違います」
椎菜は席を立って、声を荒げた。
「私はレクス様の従者だと言って!」
「王子が娘を従者で連れてくるはずがないじゃないか」
「えっ?」
レクスの知り合いだろうか。レクスの女嫌いを知っているのは、イズクと、あの屋敷で奉公している使用人くらいじゃないのか?
「貴方はもしかして……、レクス様の……兄?」
「父だよ」
あっさり男は名乗った。
「ちょっと、冗談はやめて」
「嘘をつくなら、兄だっていうことにしておくけどね」
そうかもしれない。だけど、父親だとすると、相当に若い。幼く見える。
「えっ。ちょっと待ってください。……ということは、貴方は?」
「名前はオーディン=リムブール=フィルロネラ=アイルという。まあ、君の場合王子のことを名前で呼んでいるんだ。余のこともアイルでいいさ」
「いや、名前の問題じゃなくて、貴方が国王陛下じゃないかという疑いが?」
「そうだよ」
さらっと肯定した国王は、子供のように大きく欠伸をしている。
この男に比べたら、レクスの方が数段大人っぽく見える。もっと早くこの男の正体に気付くべきだった。しかし、中庭で国王が一人で、ほっつき歩いているなんておかしいだろう。
今も、誰も人がいやしない。本当にこの男、偉いのか……?
「じゃあ、君は王子にとってただの従者だと?」
「従者よりも、もっと格下かもしれませんよ。捜してももらえないし」
「なるほど。住んでいる世界が違うが、その覚悟はあるのかとか、父親として聞かなきゃならないかって気を揉んでいたのだが、それなら良かった」
「一体、何が良かったんですか?」
椎菜は、思いっきり顔を歪めた。
国王・アイルはさりげなく、掃除機を下にどけて椎菜との距離を詰めた。
……顔が近い。
レクスの父親だけあって綺麗な顔立ちをしていたが、別に椎菜はおじさん趣味ではないのだ。迫ってこられても困る。
「余は君に興味があるということだよ。話が聞きたい。そうだな。どういうところで生まれ育ったのかとか、王子とは、どういう形で知り合ったのか……とか?」
「話しても良いですけど……」
椎菜は肩に乗っている手を振りほどいた。
「こういうのは嫌いです」
「これも友愛のつもりなんだけどね」
再び、肩に手を回されそうになったので、椎菜は焦ってソファーの下の掃除機に手をかけた。
「……それ、何?」
今更、掃除機の存在に気付いたらしい。
(この掃除機、異様なくらい大きいのに……)
この男、今まで一体、何を見ていたのか。
「さすが、噂に聞いただけあってスケベなおっさんだわ」
「…………おっさん?」
アイルが目をぱちくりさせている。
「刺激的な一言だな。国王になってから一度も言われたことがない。益々君に興味を持ったよ」
……そうだろう。椎菜は部外者だからこそ言えるのだ。
物珍しいおもちゃを見た子供のような顔つきで、アイルが近づいてきた。
今まで、年相応の男子にすらもてたこともない椎菜だ。ただでさえ、免疫がないのに、子持ちの年上男性に、興味を持たれてしまっても、嫌悪感しかわいてこない。
「ち、近づかないでよ……」
「近づくくらい良いじゃないか。君、本当可愛いね?」
ブチっと、椎菜の堪忍袋の緒と、掃除機の電源を押した音が重なった。
いつも窓の近くに放置したまま使っていなかったから、ソーラーエネルギーも豊富だ。
…………ぶぉーーん。
最先端の技術を持ってしても、防げなかった凄まじい音が部屋中に響き渡る。
「おおっ! な、何だ。それで何をしようというんだ?」
アイルは、レクスと同じような大仰な反応をした。さすが親子だ。
「100%充電してたから、パワーも豊富だわ。はははっ」
しかし、悪役のような高笑いは、長続きしなかった。
「あれ?」
椎菜はまたしてもスイッチを「強」にしてしまったのだ。威嚇のつもりで動かしたのに、完全に吸引力に翻弄されてしまっている。
……そして、案の定――
「…………あ」
「―――あああっっ!!」
どういうわけか、掃除機のノズルがアイルの方に吸い寄せられる。この親子は掃除機を吸い寄せる磁石でも、体の何処かに内蔵しているのではないだろうか。しかも、アイルが避けるべく身を小さくしたために、椎菜の掃除機は、益々的確にアイルの肩口を攻めた。
「げっ」
アイルの髪を見事なまでに吸い込んでいる。
「髪がっ! 私の髪があっっっ!!」
「わっわっわっ」
二回目だ。毎回こんなパターンだ。
このままでは日本に帰る前に、死刑になりそうだ。
「ひーっ! ハゲる。ハゲる!」
(気にするところ、そこなの?)
「スイッチ、スイッチ……」
言いながら持ち手付近にあるスイッチに指を這わせる。
その時だった。掃除機とは違う微風が椎菜の頬を掠めた。
直後に椎菜の手元を中心に、閃光が迸った。
「何?」
外は晴れている。雷ではないだろう。……じゃあ、何故?
「あれ?」
掃除機の電源が切れた。アイルの髪も乱れまくっているが、まだハゲてはいないようだ。
ほっと一息つくと、いつの間にか椎菜の傍らには黒い……。
「誰っ!?」
思わず椎菜が飛び退くほど、怪しい人間だった。白い仮面と頭からすっぽり被っている魔術師のようなローブ、左耳にだけ金色のイヤリングが光っていた。体格からして、男のようだが。
動揺のあまり、椎菜は掃除機のノズルを手放してしまった。いつの間に部屋に入ったのだろうか。そして、いつ電源をオフにしてくたれたのだろうか? まったく気配がなかった。
「もしかして?」
「イグリードじゃないか……。君が止めてくれたのか」
アイルが言う。そうか……。イグリードだったのか。
(…………これが聖術っていうヤツ?)
椎菜は魔法のような聖術は、イズクの召喚術以外を見たことがないが、これが聖術というものなのだろうか。アイルは、いかにもまずいものを見られてしまったという表情をしていた。
「あはは。余はそなたに礼を言うべきだな」
「…………」
イグリードは無言。怪しいと評判だが、本当に怪しかった。
こんなのがいたら、確かに国王の評判も落ちるかもしれない。
「いや、別に職務をさぼって女の子と遊んでなんてないよ。少ししたら仕事に戻るから。さっ?」
イグリードが何か喋っているわけでもないのに、アイルは必死に繕う。
(本当に、国王なのだろうか……)
偉そうには見えない。これでは、ちょっと身形の良いただのおっさんだ。
――そうして。
「父上!!」
問答無用で扉が開いた。




