第3章 ④
「この者達がしたことは許されないが、すべてワシのためにしたこと。許して欲しい」
それは、レクスに怒鳴られていた中年男の言葉だった。
名前はラングレと言うらしい。
なかば強制的にカルラによって錠剤を飲まされた椎菜は、言葉の内容よりも、言葉が通じることの方に驚いていた。本当に世の中には魔法、信じられないことが起こることだ。
もちろん、意味は分かるが、理解は出来ない。
椎菜は、目の前に立っているラングレを見た。
よく見れば精悍な顔立ちをしていた。褐色の肌に逞しい体躯。それにフィットした漆黒のマントと厚手のチュニック。口髭を蓄え、堂々としている。体育会系のオジサマな印象だ。
レクスの前では頭ばかりを下げていたので、これほどまでに迫力のある男だとは思ってもいなかった。……更に、そのおじさん一人でも恐ろしいのに、彼の背後には、椎菜を浚った従者達を始め、屈強な男達が揃って控えていた。みな、恐ろしいほど椎菜を凝視している。
そんなに椎菜が珍しいのか?
理由も分からず、衆目を集めるというのは余り良い気持ちではない。心なしか殺気も感じる。
(このまま集団リンチの流れでしょうか?)
この先に起こるだろう、あらゆるマイナスなことを想定しつつ、椎菜がぼうっとしてると。
「このような手荒な真似をしたのに、王子を説得して欲しいなどというのも酷い話だが」
ラングレが突然頭を下げ、それに倣うように周囲の男達が一斉に折り目正しく頭を下げた。
「おっ、お辞儀の文化……!?」
外人のお辞儀は、ダイナミックだった。変なところが日本っぽい。
だから、これは椎菜の夢なのではないかと疑いたくなるのだ。
「あんた、まだ言葉が通じていないの?」
呆然としている椎菜をうながすように、カルラが肘で突く。
「いや、そうじゃないんだけど……。意味が理解できないっていうか……」
「王子を説得しろって言っているのよ。反乱の御旗になって欲しいって。分かってるの!?」
「……そんな無茶な」
何がどうなって、そんなことを椎菜がしなければならないのか……。
「私には無理です」
勢いのまま、きっぱり告げると、即座に周囲の空気がどよめきから殺意に変わった。
(やっぱり、殺される!?)
「…………えーっと、一応、聞くだけのことはしてみますけど……ね?」
椎菜は保身のために、懸命に舌を動かした。
あからさまに腰の剣に手をかける若い従者を、ラングレは片手で制した。
「そうだな。無理強いはしたくない。王子にはご自身の判断で決起して頂くのが宜しいからな。……しかし、聞いた話では、王子の側で補佐官以外に王子に物を言える人物は貴方以外にいないという。それがワシには不思議なんだ」
「私は、ただ王子の……」
――女嫌いを直すためだけに、異世界から召喚されてしまったのです。
――私はただ掃除機を売りたかっただけです。
なんて、言ったところで信用してもらえるのだろうか……。いや、もらえるはずがない。
椎菜だって得心がいかないのだから……。
「じゃあ、娘さん。あんたは一体何者なんだ? 誰かの間者なのか?」
「違う、違いますって!?」
暗殺者から、今度はスパイか? 何処をどうしたら、椎菜のような平均的に普通の小娘がそんな大層なものになれるのだろうか……。
椎菜が慌てていると、カルラが椎菜の言葉を代弁するように言った。
「残念ながら、私にはこの娘がそうは見えないのです。ただのアホにしか……」
「……ただのアホってね」
酷い扱いだ。けれども、腹は立たなかった。
カルラの一言で場の空気が和やかになったからだ。
ラングレは肩を竦めた。
「……疑ってすまない。しかし、ワシは王子のことが心配で仕方ないのだ。利発でお優しい方だ。このまま、政治の暗いところに飲み込まれてしまってはいけないだろう」
「……イグリードのことですか?」
「そうだ。丁度、イズク様の存在が王宮内で噂になったのと同時に現われた。不思議な男よの」
ラングレは、にやりと笑った。何か知っているらしい。だが、それが何なのか教えてくれそうな気配はない。証拠にさっさと会話は進んでいた。
「あの者が聖術を使うのは恐ろしいが、まあ恐れるには及ばない」
やけに自信満々のラングレに、椎菜は眉を顰めた。
「王子には、聖術がある。それも王子の聖術は三百年前、最強の誉れが高い国王と同じではないかという話だ」
「……えっーと。それは」
とっくにそのイグリードに封じられていて、あの人には何の力もありませんとは、口が裂けても言えなかった。
「おや、どうなされた? 何かワシに言いたいことがあるようだが?」
「い、いえ別に!」
「本当に?」
「いい加減にしろ!」
びくっと椎菜の方が震え上がった。驚きと衝撃と共に、その声が誰のものか分かった。
余りにも鋭い声音だったから、一瞬誰だか分からなかった。……レクスではないか。
「―――お、王子」
「将軍。いい加減にしろ。シーナが困っているじゃないか」
圧倒的な存在感と、毅然とした声音に椎菜の背筋も伸びた。
白い男が悠然と部屋の後ろに佇んでいる。その場にいる全員が振り返り、目を凝らした。
……ふわりと。陽だまりの中、きらきらと神々しく……。
レクスは後ろの扉から入ったのだろう。何処から会話を聞いていたのか……。
――それにしても。
「将軍って誰?」
椎菜は首をひねった。
「バカね。ラングレ将軍よ。リムブール国軍の最高責任者だった御方よ。ちゃんと名乗ってらっしゃったでしょ。聞いてなかったの?」
「はあ、そうなんだ」
「何、その薄い反応は?」
「カルラ」
「王子!?」
カルラがびくっと、背筋を伸ばした。頬を赤らめて青春している。
「お、王子は私の名前を知ってらっしゃったんですか?」
「カルラ。私はお前を信頼して、シーナを託したんだ。外に連れ出してよいとは言ってないぞ」
「あ。……も、申し訳ございません。今回のことはあくまで私の独断で、将軍は……」
カルラの声は掠れて、末尾は言葉になっていなかった。被害者は椎菜なはずなのに、なんだか見ていられない。
「レクス様。今回のことは、その……。カルラさんも色々と必死だったみたいだし……」
「何だ。シーナ。この女を庇うのか?」
庇われたということに、カチンときたのかカルラが声を張り上げた。
「王子! 私は自分の願望を叶えたい一心で、シーナをこちらに連れ出しました。もちろん仕事は辞めさせていただきます!」
「別に、辞めろと言っているわけではない。見たところシーナも無事だったようだし、元々私がラングレ将軍に反乱の意思がないことを、きちんと話していなかったのが悪いのだからな」
「……王子」
ゆるゆると顔を上げたカルラは複雑な顔をしていた。責めを負わされなかったことは有難いが、レクスが反乱などする気がないことも分かって悲しかったのだろう。
「シーナ。すまない。将軍は私が成人するまで武芸の指導をしてくれた師なのだ。他の者なら会いもしないんだが、将軍には居留守が通用しなくてな。時々会って話を聞いているのだ」
「王子……」
ラングレが傅きながらも、レクスをじろりと一瞥した。
「ワシはもう将軍ではないんですよ。地位も領地もすべて陛下に返上しました。貴方が王にならない限り、ただの老人なんですよ」
「それでも、貴方は私の師だ。呼び捨てにはできない」
「そんなにワシのことを思って下さるのなら、殿下のお考えを聞かせて下さい。殿下は王位を継ぎたくないのですか?」
「さあな。私にも分からん。今まで当然のように王になるべく育てられていた。それが、突然この地に追いやられた。だが、不思議と悪い気はしない。意外に都からも近いしな」
「殿下、そういう問題ではありませんぞ」
「仕方ないじゃないか。それが父上の意思なのだから。イグリードは気になるが、私が即位しなくても、国が富むなら良いだろう。次代の国王は、母上の弟君が即位すれば良い。母上の父君はずっと王になりたかったんだから」
「しかし。次代はイズク様……かもしれませんよ」
「将軍」
じろっと、レクスがラングレを睨んだ。
そうだ。イズクはレクスの兄だ。王位に就こうと思えばできないことはない。
「イズクがやりたいというのなら、私は止めないし、支持をする。だが、私からイズクをイグリードに売るような真似はしない。次代の国王は激務だ。父上がさぼった分のつけが回ってくるだろう。そんな苦労を好んで兄にはさせたくはない」
「…………王子」
がっかりしたような、安堵したような、不思議な表情を浮かべたラングレは溜息を吐いた。それを見計らうように、この話はこれまでと言わんばかりにレクスが手を叩いた。
「……とにかく、将軍。シーナに何を言っても無駄だぞ。この娘は仕事でたまたま私の所に来ているだけだからな」
呆然としている一堂の中を空気のようにすり抜けて、レクスはそそくさと椎菜のもとまでやって来た。
「この娘は行商人だ。話が愉快で、不思議なものを持っている。面白くて、つい屋敷にとどめてしまっただけのこと」
「王子。たとえ行商人とはいえ、この者は異国の娘。何故、この緊急時にこんな娘などに興味を持ったのです?」
ラングレの鋭い眼光を受け流したのは、レクスの簡潔な答えだった。
「――現実逃避……かな」
「…………とうひ?」
その意味を咀嚼しようと、口の中で繰り返すラングレを置き去りにして、レクスは椎菜の袖をひいた。すぐ隣にいたカルラさえも気付かないほどの早業だった。
その場を一気に走り抜ける。
「ちょっ……」
ヒールが高いせいで椎菜は走れないのだ。ドレスの裾がさばけないのも問題だった。
「無理、無理、無理……」
「今度捕まったら、私まで面倒だ。死ぬ気で走れ」
「いやっ。こんなことで死ぬ気になれない!」
「……たく。力さえあれば、こんなまどろっこしいことしなくて済むのに……」
(そんなこと言われてもね……)
椎菜はその奇跡の業とやらを目にしたことがないので、レクスが言い訳を呟いているようにしか思えない。
「ああっ。もう……」
じれったく思ったのか、レクスはがしっと椎菜の手を掴んだ。いつも滞在している白亜の屋敷とは違う。青みがかった石の床を、踵から刻みつけるようにして駆けていく。
来た時よりも広く感じるのは、レクスと二人でいるせいだろう。
――二人きり。 ――手を握る?
「あれ?」
「大丈夫だ。私はこの屋敷には詳しいぞ。ここは将軍の別荘だ。小さい時、何度も来たんだ。お前を連れ去ったのが将軍であれば、ここ以外考えられなかったからな。将軍もそのつもりだったのだろうし。あの人は私と話がしたいがために、お前を連れて行ったのだ。まったく、まどろっこしい」
「いや、あの……」
「何だ?」
面倒そうに振り返ったレクスの顔が思いの他近くにあって、椎菜は困惑した。
「レクス様は、女嫌いなんじゃ?」
「………………あ」
レクスは顔を真っ青にして、椎菜の手を振りほどいた。




