第3章 ③
――カルラとシーナが揃っていなくなった。
報告を聞いたイズクは、今更ながら、自分の判断を責めていた。
この時期での失踪。
カルラという娘がこれほどまでに行動力抜群だとは思いもよらなかった。
しかもイズクの不在を狙って……だ。
女官達の中で、カルラ以外は、シーナの世話をやりたがらなかった。
異国の少女の世話係など怖いだろうし、心の声を通訳する薬だって、万能なわけではない。王族が作り出した奇跡の尊い錠剤ではあるが、通常国民に融通されるものでもないし、副作用がないとも限らない。
皆、そんな薬をありがたいともらったとしても、飲みたいとは思わないだろう。
もしも、そうすることがレクスのためであれば、皆こぞって志願しただろうが、シーナに関しては、レクスを誘惑しに来た悪い女だと勘違いしている者が圧倒的に多い。
だからといって、シーナのことを、イグリード暗殺のために召喚した殺し屋だとは話すことは出来なかった。
……シーナにそんな力はない。
それは召喚したイズクが一番よく知っている。
「まったく……」
(少し、時間稼ぎをしてくれるだけで良かったのに……)
イズクの準備が整うまで時間稼ぎをして欲しかった……。
物珍しい人間をあてがえば、レクスの目がそちらに向くと思った。
どうせ召喚するなら、年の近い少女が良い。レクスとは縁もゆかりもない、レクスの地位や権力についてまったく無関係な普通の少女だ。女嫌いも治れば幸いだった。
(それだけだったのに……)
大体、カルラは、どういう意図でこんなことをしたのか?
シーナを人質にするつもりなのか。けれども、そんなことをしてもシーナを救わなければならない義理などこちらにはないのだ。まったく意味がない。
(本当に、面倒なことばかり……)
「イズク。いるのか?」
ノックもなしに、イズクの部屋を開けられる人物は一人しかいなかった。
「殿下?」
レクスは相変わらず、その場の光源をすべて自分に集めたような煌びやかな装いだった。
「どうしたんです。そんなに慌てて?」
わざとらしく、驚いたふりをした。――用件は、分かっていた。
「シーナがいないんだが?」
「女中のカルラもいないようですけど?」
「そうなのか?」
カルラのことは、知らないらしい。
子供のような洞察力の弟に対して、イズクは諭すように話した。
「二人で何か話しでもしているのでしょう。シーナもカルラと打ち解けたんじゃないですか」
「しかし、シーナは私と話す予約をしていたのだ」
「どんな?」
「暗殺計画を……だ」
むっとした顔つきで、レクスは言い放った。
「大切な話じゃないか。シーナがすっぽかすわけがない」
「さあ。彼女は暗殺者ですから。誰かと相談して決めるのは性に合わないのかもしれませんよ」
「ふむ……」
宙を仰いだところで、レクスはイズクの前の椅子にどかっと腰をかけた。
「何を隠しているんだ。イズク?」
「隠すって?」
さすがに、イズクも慌てた。しかし、レクスはもったいぶっているだけで、きっと何も考えていないのだと自分の気持ちを落ち着けた。
「俺が何を、どんな理由で隠さなければならないんですか?」
「さあ。それが分かっていたら単刀直入になど聞いてはいない」
レクスは腕を組んで、イズクの挙動をじっと眺めている。
(まさか、気づかれたわけではあるまい……)
しかし、たとえ気付かれていたとしても、ここで告白するつもりもない。
「とにかく、シーナは取り戻すぞ」
「取り戻すって、大げさな。彼女は暗殺者でしょう?」
「そういう話だったかな」
レクスは頬杖をついて微笑する。ただ単に訳知り顔を気取りたいだけだ。……きっと。
「私は今朝、将軍に会った。そして、毎度おなじみの進言をされ、厳しく断った。大方、それ絡みだろう?」
「ちょっと待ってください」
ぞっと寒気がした。
「ラングレ将軍が……?」
「知らなかったのか? まあ、人払いしていたから当然といえばそうか……」
……では、カルラはラングレと繋がっていたのか?
レクスの言う通り、それが一番怪しかった。イズクはラングレのことをよく知っていた。
気まぐれで、将軍職を辞し、この別荘の近くに居を構えている変人だ。
……しかし、いまだ力は絶大である。軍は国王ではなく彼の一言で動く。もっとも、国王に睨まれないために、レクス同様家臣をほとんど連れてきていないらしいが……。
ともかく、今まで力のない国王に仕えていたのが不思議なくらいの大物だった。
「そういえば、お前という兄弟の存在を幼い私に教えてくれたのもラングレだったかな?」
「…………そうなんですか?」
「どうした。目の色が変わったぞ」
「いえ……」
イズクは彼を侮っていたらしい。馬鹿なのか鈍いのか、単純に人の言うことを真に受けてしまう人間だと思っていたが、重要なところはちゃんと見ているらしい。
イズクの動揺はよそに、レクスは悠然とあくびをしていた。
「うかつな行動を取るなと言いたいようだが……。まあ確かに今の私には力がない。しかも家臣は私が無能だということを知らないときている。うかつな行動は命取りに違いない。だが、シーナが異国の他人だから見殺しにしろというのは、随分な話ではないか。イズク?」
「異国の他人に、随分な肩の入れようではないですか?」
「お前が彼女を選んだんだぞ」
「殿下」
一体、レクスはどこまでイズクの思惑に気付いているのだろうか……。
「レクスと呼べと言っているはずだがな……。言葉遣いもせめて二人の時は崩してくれて構わないと言っているだろう。弟が呼び捨てで兄が丁寧語なんておかしいじゃないか?」
レクスは寂しげな微笑を浮かべると、席を立った。
「話を、つけてくる」
イズクの返答を待たずに、レクスは部屋を出て行く。
誰もいなくなった部屋で、イズクは溜息混じりに言った。
「…………レクス」
本人の前では一度も口に出さずにいた名前だった。
『私のたった一人の兄なのだから、遠慮はいらない。私のことはレクスと呼んでくれ』
いきなり現われたレクスが、最初にイズクに投げかけてきた言葉はこれだった。
イズクが幼いときに、両親は流行り病で死んだはずだった。
レクスが何処の誰かも分からなかったので、当時、変質者に絡まれたとしか思っていなかった。イズクにはしばらくの間、信じられなかった。
……しかし、事情が分かるにつれて、レクスがイズクを兄として招こうとしたことがいかに無謀で危険であったことかを思い知った。
王宮にはレクスの母、王后もいるのだ。イズクの存在を快く思うはずがない。イズクは戸籍上、王室とは何の関係ない。
……庶子だ。
レクスとは天地の差ほどに身分が隔たる。
母方の祖母と二人。貧乏と戦いながら暮らしていたのに、レクスの手によっていきなり王宮に引っ張り上げられた。あの境遇からしたら、奇跡的な大出世といって間違いない。
レクスには、感謝をしている。もしも、レクスがイズクを認めてくれなければ、イズクは病気を抱える祖母の薬代も稼ぐことは出来なかっただろう。表向きには、町で知り合った有能なイズクという少年を、レクスが補佐官に任命したことになっている。
だが、レクスはイズクが兄であることを隠そうとはしなかった。
そういうところがレクスは抜けている。イズクは黙っていた。……ずっと。
髪色まで染めて他人と装っていた。別に、レクスを弟と呼びたくなかったわけではない。
呼びたくても呼べなかったのだ。
イズクがレクスを弟と呼ぶことによって、敵の数が増えていくことを警戒した。――それに。
……本当にレクスは、イズクの弟なのか?
(わざわざ、火種に着火することはないじゃないか)
……それでも。どんな真相が隠されていようが、イズクにとってレクスは弟だ。
たった一人の弟を救わなければならない。
イズクは重い腰を上げた。




