第3章 ②
カルラの瞳の色は青みがかった灰色だったらしい……。
椎菜は、ここにきて初めてカルラの目の色に気付いた。
メイドのキャップを取れば、紺色の髪だということもよく分かる。
五日身近にいたカルラのことを、椎菜はよく知らなかった。
会えば文句ばかりが口から吐き出される。極力、目を合わせたくなかったのだ。
(貴方の方が殺し屋に相応しいんじゃないの?)
カルラはまるでプロレスラーのような体格をしている。背も高い。下手したら、イズクと同じくらいだ。レクスの方が彼女に比べてやや身長が高い気もするが、もしこれで踵の高い靴でも履いたら同じくらいになってしまうかもしれない。並みの男よりも大柄の女性に、顔を貸せと凄まれたのだ。無視したらこちらの身が危ない。
(一体、どうなるんだろう……)
お腹がすいていたが、ここでそれを訴えたら首をしめられそうで言い出せなかった。
それだけぴんと張り詰めた緊張感のようなものをカルラに感じていた。
はらはらしながら、椎菜はカルラの後に続く。
屋敷の人間は、椎菜が異国人ということが伝わったらしく、言葉が通じないことを知っているのか、椎菜の行動にはあえて無視を貫いている。
……誰も止めてくれない。
レクスは部屋だろうし、イズクはここ数日忙しいのか椎菜の前に現れなかった。
(どうしよう……)
カルラは屋敷を出て、まるで森のように木々の生い茂った道を真っ直ぐ進んだ。
「屋敷の庭よ。ここを抜ければ大通りに出るわ。抜け道ね」
真っ直ぐ前を見据えたまま、カルラは言った。
「あのー、カルラさん。その大通りに出て、一体いずこに……?」
「ねえ」
「はいっ?」
「あんた、レクス様にお仕えしている侍女を見て、どう思った?」
「どうって?」
「女よ」
「沢山働いていると思いましたけど?」
「馬鹿ね。違うわよ。見て分からなかったの。皆、年のいったおばさんばっかりだったでしょ?」
……そうだっただろうか。正直、覚えていなかった。
まともに椎菜が話したことがあるのは、カルラ以外いないからだ。他のメイドまで観察してなどいない。
「はあ。それが……?」
「本当、あんたって腹が立つわね」
「ごめんなさい」
何が不快だったのか分からないが、とりあえず謝っておく。
カルラはまだ何か言いたげだったが、鼻を鳴らして前を向いた。
「私、これでも若いのよ。多分年としてはあんたと同じくらい。補佐官は若い女性は雇わない主義だったの」
「補佐官?」
「貴方がイズクと気安く呼んでいらっしゃるお方よ」
……そうなのか。まったく知らなかった。
「私が雇われたのは、とても簡単な理由。王子が怖がらない女だと補佐官に判断されたから」
「怖がらない?」
「何度も言わせないで頂戴。王子は女性が苦手だって言ったでしょ。つまり私は女と判断されないということ。規格外! 別にいいのよ。ずっとバケモノって呼ばれてたし、女扱いされないことには慣れていたから……」
(……それって)
椎菜は何と声をかけて良いか分からなかった。
自分がもしもカルラの立場だったら、決して気持ちの良い採用理由ではない。
「いいの。別に憐れんでもらおうなんて思ってもいないわ。異国人のあんたなんかにね。あんたの容姿がリムブール人に近いものでも、中身がどうかまでは分からないんだから」
それに関しては、是非椎菜も知りたいところだった。
リムブール人こそ、地球人に近い容姿をしているが、蓋を開けてみたら尻尾が生えているとかいうオチはないのだろうか。しかし、今は喧嘩のような問答をしていても仕方ない。
椎菜の言葉が返ってこないことを確認してから、カルラはぽつりと呟いた。
「だけどね。王子は私に言ってくれたのよ。『お前は仕事が早いし、丁寧だな。イズクがお前を雇った理由がよく分かった』って……」
「そう……か」
いかにも、レクスが言いそうだった。五日しか付き合いのない椎菜にも分かる。
彼はそういう人だった。空気を読んでいるのか、読んでいないのか、適当に話しているようで、絶妙なタイミングでフォローを入れてくるようなタイプだ。
「下手に気を遣って女扱いされるより、嬉しかった。王子は私の仕事を認めてくれたの。容姿なんか関係ないって言ってくれているようだった。だから、私は仕事を頑張ることが出来た」
「カルラさん」
椎菜の位置からは、カルラの後ろ姿しか見えなかったが、カルラが泣いているのが分かった。並々ならぬ思いをレクスに抱いているのだろう。
カルラはきっとレクスを見ているだけでよかったのだ。なのに、どういうわけか段階を越えて余所者の椎菜がやって来た。それは腹も立つことだろう。椎菜は少し同情した。
「そんなお優しい王子が実の父親とおかしな覆面男によって、王宮から追放されてしまったのよ。理由も何もなく唐突に。半年近くもこんな所でお過ごしになられて……」
「半年って、一ヶ月三十日ちょいが六ヶ月の?」
「……何言っているの? 他にどんな半年があるのよ」
日にちの感覚は、日本と一緒のようだ。
「……半年、か」
その年月は長いのか、短いのか……。判断の基準に手間取っていると、カルラが急に立ち止まった。そのせいで、椎菜はおもいっきり彼女の大きな背中に顔をぶつけてしまう。
「いたっ。ちょっと、カルラさん?」
しかし、振り返ったカルラは、椎菜に顔を近づけて一言、呪文のように告げた。
「決起するしかないのよ」
「…………えっ?」
ぴりぴりとしたオーラを、カルラが発していた。柔らかく吹いていた風もぴたりと止まる。
――内乱になる。
それはレクスが話してくれたことだ。だから、イグリードの暗殺しかないのだと……。
「悪いけど、来てもらうわよ」
カルラが足を止めた先には、ついさっき、レクスに怒鳴りつけられていた男の従者が立っていた。そして、若い男の後ろには黒塗りの馬車が止まっている。
馬車がこの世界にあることに、椎菜が目をみはっていると……
「これを……」
カルラはポケットから、白い包みを取り出した。中を開いて椎菜にみせつける。存在感を放っているのは、紅色の錠剤。先日イズクが持っていたものだ。
「「エグラムの智慧」よ」
(何だ。そりゃ?)
椎菜にとっては、紅色のマーブルチョコレートにしか見えない。
「凄い名前ですね。イズクさんは何も言ってなかったですけど」
「「さん」じゃないでしょう」
「……様」
不承不承言い換えると、カルラはあからさまに椎菜を見下すように説明した。
「エグラムは先代国王陛下の御名よ」
「ああ、レクス様のお祖父さん……じゃなくて、お祖父様の名前ですか」
「そう。優秀だったけど、かなり頑固な王様だったわね。その国王陛下の智慧が詰まった薬という意味なのよ。分かる?」
「分かるも、何も……」
そんなことは、どうだって良いのだが……。
「貴方もこれを飲めば、こちらの声が聞こえるようになるでしょ、もっとも、異国人にどう作用するのかは分からないけど?」
「私が飲むんですか!?」
「今までの流れで、分からなかったの?」
「……だってこれは?」
貴重な物なのだろう? ……と、言いかけた椎菜に、カルラは口を挟んできた。
「私、余分に貰っていたのよ。薬が効きにくい性分だとわがままを補佐官に言ってね」
強引に掌の中に握らされて、椎菜は困惑した。
「一体、私に何をやらせようというんですか?」
「来れば、分かるわ。警戒しないで頂戴」
しかし、椎菜の質問に答えるまでもなく、がしっと腕を掴んだカルラは、強引に引っ張った。
(逃げられない)
椎菜の背後を数人の男達が取り囲んでいるのを知って、益々そう思った。
ここには、脅しに最適の掃除機もないし、走るにはヒールの踵が高すぎる。
こんなことされて、警戒しない人間がいるのか?
(帰るのに……。あと二日で日本に)
男が軽く頭を下げて、馬車の扉を開く。
椎菜は悲鳴の上げ方も分からないまま、その場から連れ出されてしまった。




