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バイトからファンタジー  作者: 森戸玲有
第2章 殺し屋ってファンタジー
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第2章 ④

 初めてまともな部屋に案内されたような気がした。

 まとも……というのは、椎菜の常識の範囲の広さにある部屋だ。

 この部屋は八畳程度しかない。椎菜にとって自宅の居間程度の広さだ。

 もっとも、居間は物で溢れかえっているので実際は二畳くらいしかないだろう。

 ここだって十分に広い。けれどまだ普通だ。視界の範囲に部屋の隅をとらえることができる。アンティックの机と飾り気のない椅子が二脚、無機質に置かれていた。


「どういうことですか?」


 椎菜は詰め寄った。聞き逃すわけがない。

 イズクは、椎菜が殺し屋なんかじゃないことにとっくに気付いていたのだ。

 しかし、イズクは椅子に腰かけると椎菜が小脇に抱えているドレスを指差した。


「今日はもう遅いですし、朝にでもカルラを行かせます。一人では着られないでしょう?」


 その発言は火に油を注ぐようなものだった。椎菜は震える声で言った。


「その必要はないです。分かってるんなら、今すぐ私を返してください!」

「それは駄目です」

「駄目って……」


 誘拐犯が開き直った。椎菜は頭が真っ白で、二の句が継げない。


「貴方には、お金を渡したでしょう?」

「お金じゃなくて、宝石でしたけど?」

「あれだけの宝石が安く取り引きされるはずがありません。いや、もしかしたら、貴方の国では石ころ同然の価値だったかもしれません。ですが、貴方の反応を見る限り、安物だったとは思えません。ならば、貴方に支払っただけの仕事はしてもらわなければ困る」

「仕事って言ったって、私は人殺しなんかできませんし……」

「知っています。俺だってそんな条件で召喚術をしていません」

「はっ?」


 ……今、なんと言った?


「俺は端から、暗殺者など召喚していません」


 椎菜の頭の中に刻みつけるように、イズクは念を押した。


「どういうことですか?」

「俺が召喚術を行なう上で念頭にあったのは、異国の貧しい十代の未婚女性です。ついでに言うなら多少見目が良いほうが良かったのですが、まあ贅沢はいえません。とりあえず人型の女がきただけでもよしとしましょう」

「失礼じゃないですか」

「別に俺は事実を言っているだけです。貴方、一応は女でしょう?」


 イズクに一瞥された椎菜はとっさに胸元を隠した。一応制服は着ているのだが……。


「もっとも異国とは思っていましたが、ニホンなんて聞いたこともない国の娘がやってくるとは、さすがに俺も想像していませんでしたが」


 異国というよりは、異世界のような気もしないでもないが、そんなことを口にしても仕方ない。運が良いのか悪いのか……。椎菜が選ばれてしまったわけだ。


「それで、そんなことして貴方は何がしたかったんですか?」

「貴方も話を聞いての通り、イグリードが台頭しています。……とはいえ、幸いにして、まだイグリードが悪政をしているわけではありません。むしろ政治に感心のない王に変わって、政治をこなしていると言ったほうが良いかもしれません」

「前置きはいいです」


 さすがに椎菜も苛々していた。別世界の政治などどうだっていい。


「これは重要なことなのです。民というより反発しているのは殿下を推す家臣の方です。この屋敷の者達のレクス様に対する服従は半端ないでしょう?」

「よく分かりません」


 そう返答したものの、椎菜には屋敷の者達の気持ちが分からなくもなかった。

 この国がどの程度大きなものかは不明だが、レクスは王位継承権一位の王子様らしい。

 ちょっと傲慢な部分もあるが、先ほどのやりとりを鑑みるに、良いヤツだ。


 ――純粋で素直。

 それは、ちょっと会っただけの椎菜にも分かる。


 ならば、生まれた時から一緒の家臣たちには堪らない魅力かもしれない。


「彼らは殿下を王に据えたいのです。たとえ武力行使となったとしても……」

「それが……?」


 一体、椎菜とどんな関係があるというのだろうか?


「彼らに切実に言い寄られたら、殿下がどうなると思います」

「……武力行使?」

「しちゃうかもしれません。自分の感情を殺して。だから……」


 イズクは足を組んで、溜息を吐いた。


「とりあえず、暗殺という餌でも与えておいて、自分は真面目に取り組んでいるという意識を持たせておけば、無駄に責任は感じないだろうと」

「そのために、私が?」

「貴方はくだらないと言いたいんでしょう。事実、俺も貴方を一度召喚した時、稚拙に感じて、一度元の世界に戻ってもらった。でも、殿下が貴方を呼べとゴネたんです。あれでいて、殿下も変に勘が良い時があるんですよ。俺は貴方をもう一度呼ばなければ、殿下が納得しないと思ったわけです。――まあ、もっとも、正直俺としては反乱になったって構わないんですけどね」

「はあっ?」

「それで、殿下の正当性が認められるのなら……ですが」

「そうですか……」


 聞いていて、げっそりしてきた。血生臭い。……が、事態は椎菜が考えているよりは単純なもののようだ。


「じゃあ、とっとと反乱でも何でもして私を元の場所に戻してくれれば……」

「殿下は、女嫌いなんです」

「それは、……知っています」


 先ほどの態度を見て、とても女好きとは思えない。

 肉親は信用しているし、周囲にいる人間は大切にする主義だが、基本的に誰かに好意を寄せるということをしたことがないのではないか? まさか、恋もしたことがない……とか?

 さすがにそれを訊くのは野暮かと、自省した椎菜だったが、次の瞬間「残念ながら、初恋もまだなんです」とイズクがあっさり告げた。


「……あの。イズクさん?」


 咎めるような響きを察知したのか、イズクは先回りで答えた。


「仕方ないでしょう。事実です」


(レクス王子……。かわいそうに)


 まさか、こんなところでそんなことが暴露されているとは思ってもいないだろう。

 イズクは天井を仰ぎながら、独り言のように語った。


「しかし、殿下は王子です。あのお方の子供が次代の国王です。女嫌いでは困ってしまいます」

「まさか、女嫌いを治すためも兼ねて……?」

「そうです」

「…………本気ですか?」


 しんと、部屋の中が静かになった。

 ――完全なる静寂。

 イズクの黒髪が洋灯(ランプ)の明かりの中で、仄かに橙色に染まっていた。

 この世界にも、ランプが存在しているのには驚きだったが、淡い光に映し出されたイズクの横顔は疲れていた。

 レクスの兄で年上だというのに、ただ母親の身分が低いだけで弟に丁寧語で接しなければならないのだ。ストレスもあるのかもしれない。―――それは分かるが……。


「私は、女嫌いを女好きにする技術なんか持ってません」

「何も色仕掛けをしろと言っているわけではありませんし、貴方にはそんなこと無理でしょう」

「無理ですけど」


 分かってはいるが、そう断言されると、心が痛い。


「貴方なら都合が良いんです。殿下は自分の権威につき従う輩を嫌悪します。対等の付き合いを望んでいます。貴方は異国の、異世界の人間。殿下の地位も権威も関係ないでしよう。そして、帰るべき場所がある。後腐れがない」


 ……椎菜にとっては、後腐れありまくりだ。

 働く際には、雇用主と労働者の事前の合意というものが必要なのだ。

 しかし、そう言い出したところで、日本の法律がここで通用するはずがない。

椎菜が忸怩たる思いで唇を噛み締めていると、イズクが頬杖をついて椎菜を見上げた。


「何が不満なんです? 俺は何も難しいことを頼んではいません。誘惑をして欲しいといっているわけではない。王子と友人になって欲しいんです。適当に暗殺話を聞き流しながら、女性が怖いものではないと分からせてくれればそれでいいんです」

「それは構いません。別にレクスさ……王子様は悪い人じゃなさそうだし、お金を受け取ってしまったのも事実ですし。だけど、私にだって帰るところがあるんです。また来いと言われれば必ず応じますから、ひとまず家族の所に返してください」

「――だから、それは駄目です」


 イズクの返答は早かったが、真摯さはなかった。欠伸を押し殺しているのは眠いせいだろう。


「……というより、無理なんです。そうほいほいと召喚術を行なうことはできないんです。俺は立て続けに二回も貴方を召喚したんですよ」

「たった二回じゃないんですか」

「……二回も行なっているんです。特に二回目は、空間を歪めて、特定の人物を召喚させています。こんなに疲れることはない」

「そうですか」


 有無をも言わさない迫力に、うなずくしかない。


「まあ、立て続けに行なったことで、貴方の位置を把握して同一人物を召喚することが可能でしたが、あれから少し時間が経ってしまいましたしね。再び術を行なっても、正確に貴方の家族のもとに返せるかどうか怪しい」


「はあっ!?」


 殴りたい衝動にかられて、椎菜は持っていたドレスをばさっとその場に落とした。


「そのドレス、高いんですよ」


 イズクは無意識だろうが、椎菜にとってはその一言が許せなかった。


「いい加減にして下さい。私にだって生活が……。母も弟も妹も待っているんです。それに学校もあるし、テストだって近いんです。こんな所にいる暇はないんですよ!」

「お父様の名前がないようでしたが?」

「とにかくっ! 返して下さい」


 堪らなくなってイズクに近づきつつ、拳を振り上げた椎菜だったが、しかしイズクが視線を逸らしていないことに躊躇した。


「言われなくとも返しますよ。情が移りすぎても困りますから。でも、少し待ってください」

「待つって、どのくらい?」

「早くて七日くらいでしょうか」

「七日……?」


 唖然となった。そんなに留守してたら警察に届けられてしまう。

 先日の金で借金はどうにかなったとしても、椎菜の日常の何もかもがこなせない。


「こちらにも、色々と準備がいるんですよ。召喚術だけにも構ってられませんし」

「私にも都合があるんです!」


 拳を震わせながら、椎菜が怒鳴りつけると、問答無用で扉が開いた。


「何事だ?」


 レクスだった。

 着替えたのだろう。簡易な装いは寝間着のようだが、相変わらず真っ白だ。

 光沢のある白いナイトガウンに、はっとするほど明るい金髪が揺れていた。


「様子が変だと思って来てみたが、どうした? 椎菜、何か契約に不満があるのか?」


 あまりにも、場の空気を読んでいない。平然としたレクスの物言いに、椎菜は拳をだらりと下ろした。口をぱくぱくとさせて、酸欠の魚のようになりながら、しかし告白は諦める。――言えなかった。

 それがどうしてなのか、椎菜にも分からなかった。

 だが、レクスの無垢な瞳に見つめられると、どうしても「あんたの女嫌いを治せって言うんだよ。困ったもんだよ」なんて言い出せなかった。むしろ後ろめたい気持ちを抱いてしまう。


「やはり、ドレスが気に入らなかったのか。確かに、お前にはお前の国の衣装があるんだものな。私が押し付けるのもおかしな話だ。そうイズクにも言ったんだがな」


 ……イズク。

 このドレスもイズクの指示らしい。なんと抜け目のない。

 横目でイズクをぬめつけながら、椎菜は慌ててドレスを拾った。


「大変、アリガタイデス」


 棒読みで戸惑いを伝えてみたが、レクスには通用しなかった。


「そうか」


 ぱっと顔を明るくさせた。女嫌いのくせに、女心をくすぐる才能はあるようだ。


(くそぅ……)


 椎菜は力なく口元に笑みを浮かべながら、泣きそうになった。


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