第61話
ゾンビが現れまだ間もない頃。
世間に起きた異変にいち早く気付いた者がいた。
アメリカでも有数の規模を誇る巨大ショッピングモールのオーナーである男は職場であるショッピングモールに向かうついでに幼い息子と娘を学校に送り届けることを日課としている。
だが、その道中にゾンビの存在に他の人々よりいち早く気が付くと、彼は迷うことなく子供達を引き連れ、自らがオーナーを勤めるショッピングモールへと急いだ。
運転する車の後部座席に座る子供達は自分達を下ろすことなく学校から離れていくことに気が付いたようだが、何故か静かにその事実を受け入れている。
前々から手のかからない子供で父親としてはもう少しわがままというか子供らしさが欲しいと思っていたが、現状ではありがたいことだ。
彼がオーナーを勤めるショッピングモールは全てのシステムを中央エリアを起点とするような構造をとっている。
そのため、中央エリア自身のセキュリティはショッピングモールで最も堅固な造りになっていた。
中央エリアに入ることができるのも彼が認めた人間のみで、ごく一部を除き信用できる人間にしか許可は出していない。
ゾンビが現れて恐ろしいのはゾンビだけではなく、混乱に乗じて人間同士の争いが起こることもあり、オーナーの考えではその未来がやって来るのはほぼ確実だった。
いずれ訪れるであろうそんな未来に信用できる人間しか入ることができない、万全なセキュリティが施された空間は大きなアドバンテージとなる。
そんな考えを元に意気揚々と、テクテクと付いて来る子供達を引き連れて中央エリアへと足を踏み入れたオーナーだったが、中央エリアで待ち構えていた人物に早くも出鼻を挫かれてしまう。
「………なぜ貴様がここにいる?」
忌々しいという感情を含ませながらオーナーがそう言うと待ち構えていた人物は同じく忌々しいという感情を剥き出しに応対する。
「なぜって…俺もここに入る権利を持っているからだよ、弟よ」
中央エリアで待ち構えていた人物はオーナーの実の兄でオーナーにとっては重いだけで何の価値もない荷物だった。
昔から問題ばかり起こして、大学まで高い学費を親に払わせて通った末に働きもせず家で偉そうに威張り散らすような男だ。
優秀を絵に書くような人生を歩んできたオーナーにとってはまさに目の上のタンコブだった。
できれば放置しておきたいと思っていたがアメリカ有数のショッピングモールを経営する身ではある程度の世間体を気にする必要がある。
苦肉の策として兄をこのショッピングモールの警備長に任命したのであった。
もちろん、それは名前だけだ。
名目上だけで仕事をしたことなど殆どないし、ショッピングモールに来たことすら殆どなく、実際に警備を仕切っているのは別の人物でもある。
だが、名目上とはいえ警備長が警備の柱である中央エリアに入れないのはおかしいと考え、中央エリアへ入る許可を与えたのが運のツキだった。
(………いけ好かない奴だが、この状況下では流石に身を弁えるだろう)
オーナーは目の前にいる厄介の存在を一旦意識から外して、ショッピングモールを管理しているメインコンピューターに足を進める。
今の段階で最も優先すべき事項は今後をどう乗り越えるかだ。
この騒ぎがいつ収まるのか、ゾンビに詳しくないオーナーには検討も付かない。そもそも、ゾンビなどという非常識な存在の動向を素人に予測しろというのが無理な話だ。
なら、想定すべくは最悪の事態。今回の場合ならこの騒ぎは収まることなく半永久的に続くという事態だ。
長期的にこのショッピングモールで安全に生きていくのは簡単なことではないが、既にオーナーにそれ以外の選択肢はない。
「なぁ、どうする気だ?」
作業に取り掛かろうとした矢先に兄にそんな間抜けな質問をされ、オーナーは思わず舌打ちをする。
「………おい、無視すんなよ」
「チッ、うるさいな。決まってるだろう、まずはショッピングモールの安全を確保する。ショッピングモール内にもゾンビは入り込んでいる、それを減らしつつこれ以上ゾンビを中に入れない。まずはそこだ」
「おいおい、ここにいれば安全だろう。外の事は放っておけよ」
「………クソッ、これだからバカは。いいか、よく考えろ?ゾンビがどういう存在がわからない以上は楽観的な考えは捨てろ。この辺り、いやアメリカ全土もしくは世界全体の社会は機能しなくなるという最悪の事態を想定して行動する。なら、このショッピングモールで生きていくにはここに小さな社会を作り出すべきだ。そのために人手と安全がいる、わかったか?」
「あぁ、なるほど。つまりここはその小さな社会の政府になるわけだ」
「そうだ。いずれここにはゾンビと言えばショッピングモールと安直に考えた連中が押し寄せてくる。それらを受け入れつつゾンビを入れずに、さらには中のゾンビを排除していくことが当面の課題だな」
「ふうん…それで政府とやらはどう運用するんだ?選挙で選ばれたわけでもないのに言う事を聞いてくれんのか?脅すのか?」
「これだから短絡バカは…いいか恐怖による支配は必ず破綻する。今までの社会と同じく、働いて報酬をもらい生活する。それをこのショッピングモール内で再現するんだよ」
「再現って…簡単に言うが具体的には?」
「それは…後の課題だ。今は目先の事を解決することを優先しなくては」
「あぁ、まだ理想ってだけか。なるほど」
「………さっきからなんなんだ、偉そうに」
「あ?」
「お前は役立たずのクズなんだ。俺のやることに疑問を持たず口出しもせず、黙って隅っこで丸まってろ。目障りなのは百歩譲って許してやるから邪魔だけはするな」
「………」
「だいたいお前は昔から何も考えてない。遊び呆けて聞いたこともないような大学に通って今は親の脛を齧ってる。お前がバカやってる間に俺は努力をし、その努力は結果として形にした。
わかるか?今はお前を世話してくれる親も政府もない。強くて賢いものが生き残る。お前のようの弱いバカは何も考えずに従ってればいいんだよ」
オーナーが捲し立てるようにそう言うと兄は静かに立ち竦むだけでなんの反応も示さない。
そんな兄の様子にオーナーは少しバツが悪い思いに駆られた。
つい、いつもの鬱憤を吐き散らしてしまったが、今後はこの中央エリアで協力して生きていかなければならず、関係が悪くなるのは好ましくない。
だが、今後もことあるごとに口を挟まれるのは厄介であるし、何よりこの兄に謝るというのはオーナーのプライドが許さなかった。
オーナーはそんな気まずさから逃げるように兄に背中を向けてメインコンピューターを操作し始める。
「………なぁ」
「なんだよ。口出しするなッツゥ」
オーナーの背中に兄から声をかけられ、オーナーがついキツく返事をしようとすると同時に、オーナーの側頭部に衝撃と鈍い痛みが襲った。
オーナーはその衝撃でその場に倒れ込み、衝撃に襲われた位置を見上げるとそこには血の付いたバッドを持った兄の姿がある。
「な、何すんだよ!」
「お前…俺がなんの努力もしてないと思ったのか?」
「は?」
「必死に勉強をした。俺にはお世辞にも才能はない。親は才能のあるお前に金を使うから、俺は塾になど通えない。独学で必死に勉強してようやくあの大学に入った。それをお前は聞いたことのない大学と嘲笑いやがる」
「………ま、待て。大学をバカにしたことは謝る」
「それだけじゃない!あの高い学費を親が払ったと思ってるのか!?あの親はお前に金を使うのは惜しまなかったから、知らないだろうな!俺はバイトして学費を稼いだ!そして、必死に就活して給料はよくないが仕事にもついた!」
「え、いや、お前は無職なんじゃ」
「あの親がそう言ったのか!?そうだよな、俺はお前の中では出来損ないのクズだと思われた方が都合がいいもんな!俺は遊び呆けてたわけじゃなくて毎日汗水垂らして働いてたんだよ!そんな時にお前にここの警備長に任命された時………俺は憎悪しか感じなかった」
「いや、その、知らなかったんだ」
「このゾンビ騒動は俺に与えられた復讐のチャンスだと思った。もうあの親は殺した。ここで待ってればお前が来ると思ったらノコノコとやって来てくれたよ」
「あ、謝る!悪かった!すまなかった!反省してる!だから許してくれ!」
「うるせぇ、もう殺るって決めたんだよ」
オーナーの命乞いを聞かず、兄は有無を言わさずに取り出した拳銃でオーナーの頭を撃ち抜いた。
頭は撃たれたオーナーはあっさりと絶命し、劣等感の塊だった弟が自分に命乞いをしてあっさりと殺されるというのはかなり気分が良かった。
だが、親をそうしたように本来はバッドで痛めつけるはずだったのはあっさりと殺したのは本人ですら理由がわからずにいる。
爽快感と一抹の口惜しさを感じていた兄は部屋の隅で父親が殺される一部始終を無表情に、目を逸らすことなく見ている存在にしばらく気づくことはなかった。




