第51話
エミルは目の前で一心不乱にメスを振り下ろすブライの背中を前にして戸惑い、足を竦ませていた。
思惑通りにブライとシノアを分断させることに成功したブライはカーソンが向かうであろう南エリア病院にやって来てこの光景を目撃してしまったのだ。
(………どういう状況だよ)
カーソンは多方面に恨みを買ってそうだが、目の前でメスを振り下ろす男のそれは尋常ではない。
できれば関わり合いになりたくないが、このまま放っておくわけにもいかず、エミルは勇気を振り絞ってブライに声をかけた。
「………お、おい?」
だが、それでもブライは止まることなくメスを振り下ろし続ける。
埒が明かないと判断したエミルはブライの肩に手を置いてみると、ブライは鬼の様な形相でこちらを振り返った。
「………誰だ?」
「いや、それこっちの…セリフ」
「待て、落ち着け。こんな所で時間を潰してる場合じゃない。深呼吸、1回深呼吸しよう。ふぅ、よし。落ち着いた。俺は冷静だ、冷静になった」
「な、何言ってるんだ?」
「………すまん。ちょっと我を見失ってた。
あんたが誰か気になるし、あんたも俺が誰か気になるだろうが、悪いが無駄な時間を使っちゃって急いでるんだ。お互い知らぬままということで」
「あ、あぁ、そうだな。その前に1つだけいいか?」
「何だ?急ぐんだが?」
「………あれ、カーソンか?」
エミルが恐る恐るといった風に顔面をメスでめった刺しにされた死体を指差しながら尋ねた。
背格好はエミルの知るカーソンのものと一致するが、顔がわからないため確信が持てないのだ。
そして、何より死ねばいいと思っていた相手とはいえ、この死に方には不憫さを感じてしまう。
対するブライはゴミを見るような目でカーソンの死体をチラリと見てから、エミルの問いに頷いて肯定すると、銃を拾い上げてから足早に去って行く。
残されたエミルはカーソンを断罪するという野望が思わぬ形で叶い、言い様のない喪失感に襲われ、ボスンと近くにあったベッドに腰を下ろした。
(あれが本当にカーソンなら、あの男は相当な恨みを抱いていた。理由は知らないが相当な恨みだ。
なら、むしろこれは本来あるべき復讐が果たされただけ。俺や外の暴徒共が殺すよりかはよっぽどいい結末だろう)
いくらエミルが自分に言い訳しても心にポッカリと空いた喪失感という穴は塞がらない。
いつまでも続く喪失感にようやくエミルはある事に気がついた。
自分は正義感を言い訳に生きがいを作っていたのだと。このショッピングモールではスピーカーから与えられた僅かな仕事をこなしていけば生活には困らない。
ただただ何となく生きる日々というのは想像以上に辛いものだ。
以前までと違い趣味を作ることもできず、呆然と時が流れるのを待って、与えられた食事を食べる。
そんな日々を繰り返し、生きている意味を徐々に感じられなくなっていったその時に、偶然見つけたカーソンのことに書かれた記事にエミルはようやく生きる意味を見出したのだ。
いや、正確には無理やり生きる意味を作り出したが近い。
虚しく生きる日々をカーソンに向ける正義感に無理に奮い立たせ、自分は充実した生活を送っている、そう思いたかったのだ。
それゆえ、エミルにはカーソンの死と同時に生きる意味を失ったといえる状態に陥ってしまう。
「ああーちくしょう。これからどうしよう?」
そんなことを口にしても誰も答えるわけがなく、その事実を認識するとより喪失感が増してしまう。
エミルはどうすることもできず、ベッドに腰掛けて時が流れるのを感じながらも、その時を無意味に過ごすことしかできなかった。
「………化け物かよ」
男は目の前に立つ女に畏怖と僅かながらの尊敬を込めて化け物と呼んだ。
男は恐怖のあまり周囲の人々を無差別に殺し回る殺人鬼と化していたが、突如として現れた男によって示された助かる可能性、その可能性に賭けることを決めたのだ。
相手は1人で、しかも女だ。生け捕りというハンデはあるものの数でも力でも圧倒的に勝る男達にとってこの可能性に賭けることは悪い話ではない。
だが、目の前で今も捕まることなく、自分の力で立つ女性は強かった。
四方八方から襲いかかる群衆をいなし、持っていた銃で反撃する。銃弾が尽きると死体から銃を毟り取りまた再び反撃する。
味方など誰もおらず、まさに孤軍奮闘の活躍を魅せる女性に男は見惚れてしまっていた。
周囲は生きるために命を犠牲にしてでも女性に襲いかかるが、それも無駄に終わる。
そして、いつしかこの場にはボロボロの女性と立ち竦む男の2人だけとなった。
「………あなたは来ないの?」
「1つ聞かせてくれ?」
「何?」
「あの男が言っていたことは本当か?スピーカーの愛人っていう話は?」
「そんなわけないじゃない。全部あいつの作り話よ」
「そうか」
男はそれを聞くとゆっくりと女性の元に歩き出し、女性はその男の行動に身構えるが、男は何もせずに女性の横を通り過ぎた。
横を通り過ぎた男が振り返ると、そこには女性の背中があり、女性はボロボロの体を壁に手を付き、前にゆっくりとだが必死に進んでいる姿がある。
その先には見知らぬ男が満面の笑みでこちらに、いや女性の元に走って向かっていた。
その光景を見た瞬間、男は理解した。目の前の女性の表情を見ることはできないが、恐らく同じく満面の笑みだろう。
そして、それはこの2人が特別な関係であることを意味している。
そして同時に男が抱いていた女性への神聖の存在としての讃美の心が粉々に砕け散ってしまった。
この腐った世界で美しく戦う姿はヴァルキリーの名に相応しいとまで思い至った心が簡単に壊れてしまったのだ。
(あぁ………そうか。こいつも結局は…色恋に溺れる下賎な人間なのか)
そう思うと、男は自然と体が動き、女性の背中にありったけの銃弾を撃ち込んだのだった。




