第49話
「………あれは…エミルか?」
カーソンは銃声を掻き消す程の音量で響き渡った叫び声に驚き、その音がした方向に目をやれば、さらに驚いたことに見覚えのある人物が堂々とした態度で立っていた。
少し前まで辺りから絶え間なくなっていた銃声がピタリと止み、この一角にだけ久々な静寂が訪れる。
シノアも一度チラリと見た程度だったが、記憶には強く残っているエミルがとった奇行にカーソンと同じく驚き、呆然としている。
『なぜ無駄な争いをしている?今すべきことは状況を打開すべく手を取り合うことだ!
………と言っても、それが難しいことはわかる。全員がデニスとスピーカーのどちらに従うかを一致させない限り、協力はありえない。だが、このままどっちつかずのままだと東エリアを巻き込んで全滅する』
2人して固まっていると、視線の先にいるエミルが声を大にして熱弁を振るい始め、その声を聴いてシノアは宛が外れたように深くため息を吐いた。
「はぁー、くだらない。また無駄な事を」
シノアが愚痴のような独り言を呟き、すぐ隣にいたカーソンは先程までの静寂とは打って変わり周囲がザワついているにも関わらず、その独り言をしっかりと聞いた。
「………無駄な事?」
「説得してこの争いを止めようとしてるんでしょ。でも、どうせ無駄に終わる。
そんなことより、周りの意識があいつに向いてる間にとっとと逃げ」
『もちろん。わざわざ現状を語るために君達の注目を集めたわけではない。
打開策………いや、状況を打開するわけではないな。正確に表現するなら妥協策といったところか?』
この隙に南エリアの病院まで行くことを提案しようとしたシノアの声は、エミルの発言が予想外の方向に進み、ついその声をつぐんでしまう。
「………妥協策?命に繋がるような事柄を妥協させる…そんな策があるわけない」
「な、なぁ、シノア?どういうこと?」
『そうだ、妥協策だ。全員がデニスとスピーカーに付かない限り全滅するというのが極端すぎる。なら、現状維持しようと思うのは自然なことだろう』
「確かにそうだけど………それができないからこんな事態に」
「シ、シノア?」
『考えてもみろ。慎重に行動するスピーカーが我々の監視を音の聞こえない監視カメラだけで満足するわけがないだろ。
スピーカーはある手段を用いてい内部の情報を得ていたのだ』
「スパイでもいると?そういうのがいればデニスが見逃すはずが………カーソン、1ついい?」
「あ、うん。どうした?」
「デニスからスパイがいるって話は聞いたことある?」
「え?いや、ない…はず」
「………あのエミルって男…カーソンのことを恨んでるよね?」
「そうっぽいね」
シノアは顎に手を当てて何事かを深く考え始めると同時に、視線を向けていたエミルの指がゆっくりとこちらを、正確にはシノアの横にいるカーソンを指差した。
そのエミルの行動にシノアは外れて欲しいと願っていた予想が当たってしまったことに気づき、慌てながらカーソンに怒鳴るように声をかける。
「カーソン!ここから急い」
『あの2人だ!それに女の方はスピーカーの愛人!騒ぎに乗じてこっそりと中央エリアに避難するつもりだ!
スピーカーはあの女がいる限りはゾンビを投入するようなことはしない!生け捕りにしてスピーカーへの交渉材料にしろ!男の方は殺せ!』
「チッ、クソが!」
苛立ったように汚い言葉を吐いたシノアはカーソンの腕を強引に掴み、それを引っ張りその場から逃げる様に立ち去ろうとする。
だが、殺せとまで言われてるはずのカーソンが事の重大性に気づいてないのかよたよたとついてくるだけだった。
「そんなに慌てなくても証拠もないんだ。誰も信じない」
それどころか呑気にそんなことを口に出し始め、それがシノアをより苛立たせる。
「そんなわけないじゃない!いい、あいつらは本気であんたを殺そうとする!だから逃げる!」
シノアは前を走るためカーソンから顔を見る事はできないが、シノアの聞いたことないような真意な声にカーソンもようやく自分の置かれた状況を理解した。
だからといって置かれている状況が好転するわけもなく、逃げる2人をさっきまで殺し合っていた群衆が足並み揃えて追いかけてくる。
シノアを生け捕りにするためか、銃を使ってこないのは不幸中の幸いだろう。だが、このままだと追いつかれるのは時間の問題だ。
「クソッ、ダメ!カーソン!あなた一人で逃げなさい!」
「え?え、え?どういうことだよ?僕に死ねって言うの?」
「違う!いい、エミルはあなたを殺すために私達を内通者とした!
で、その話に信憑性を持たせるために私を生け捕りにするように言った!全員殺したら交渉できないから!
でも、そうなるとあいつらにとっての狙いはどっちになる!?」
「………シノア」
「そう、奴らの狙いは私!だから私がここで足止めする!その間に逃げろって言ってんの!このままだと共倒れになる!」
「いや、でもそうすると…味方がいなくなる」
「ブライを!ブライを治して事情を説明しなさい!それに私は死ぬ気はないから!もし、あんたがブライを治さずに逃げたら地獄の果てまで追いかけるつもりだから、絶対にブライを治しなさいよ!」
「でも、でも…」
「でもじゃない!いいから行け!」
そう言うとシノアはカーソンの手を離して、カーソンと群がる群衆の間に立ち塞がる。
咄嗟にシノアの方に手が伸びたカーソンだったが、シノアの背中越しに見える群衆を見て、その手が止まった。
自分がいると足手まといになる、そう自分に言い聞かせたカーソンはいそいそと逃げようと足をシノアがいる方向とは逆に向ける。
「絶対にブライを助けないさいよ」
いざ逃げようとしたカーソンの耳にそんなシノアの声が聞こえ、カーソンはバッと振り返る。
そこには顔だけカーソンの方を向けたシノアがいた。
「………最後になるかもしれない言葉がそれか」
「1番重要なことじゃない。それに最後にするつもりはないよ。
必ず生き延びてブライの顔を見て、あんたの顔を殴るまでは死ぬ気はない」
「………ハハッ、そうだな。じゃあ、行くよ。また会おう」
そう言うとカーソンは返事も聞かずにその場を立ち去った。
カーソンにとってシノアは便利な女で、どうなろうが気にも止めるはずはない、そのはずだったに逃げるカーソンの心には何故か悲しみに襲われている。
「あっ、おい!男が逃げるぞ!」
「とうでもいい!重要なのはあの女だ!」
そんな声が背中から聞こえながらもカーソンは一心不乱に走り続け、カーソンはそのシノアを狙う声に苛立ちも覚えていた。
カーソンは長い間ずっと一緒に行動していて情が移ったのではと思ったが、その考えを否定するように首を振る。
「ハァ、ハァ。ブ、ブライなら。牧場を生き延びたブライならシノアを助けられる」
そんなことを呟きながらカーソンは一心不乱に南エリア病院に向けて走り続ける。




