第37話
デニスは背中に突き刺さるシノアの救いを求める視線に気が付かないフリをして足早に去って行く。
デニスにとってカーソンの言動には都合のいいことが多かったので、デニスはわざとカーソンを放置したのだ。
その代償にシノアという1人の女性が犠牲になるが、デニスからしたらシノアが最低限の働きさえしてくれればどうなっても構わない。
むしろ、シノアを犠牲にすることで医者というアドバンテージを確実に手元に置けることになり、結果的にデニスは満足していた。
最初はシノアがスピーカーに自分達の情報を売り渡すことを心配していたが、それもカーソンのおかげで杞憂に終わった。
どう言葉を言い繕うっても、ブライを人質にしていることは変わらず、初対面の人間に人質を取られて協力を強要されて不信感を抱かないわけがない。
普通に考えればシノアからのデニスの評価は最悪になるはずだ。
そうなると、シノアは自然とデニスに警戒を抱くことになり、それはデニスにとって何かと都合が悪い。
だが、今回はカーソンというわかりやすい信用できない人間がデニスの後ろにいた。
デニスはあらかじめ、カーソンにあからさまな態度をとるように指示し、カーソンの行動は独断であり、デニスは関与していない体にするようにも指示をしていた。
そうすることで、本来デニスに向けるべき警戒心をカーソンに向け、対比的にデニスへの警戒が薄れる。
カーソンへの疑念が増すことにより、シノアが協力を断る可能性もあるが、それで断られるようならカーソンのいるいない関係なく協力はしてくれなかっただろう。
シノアが味方に付くかどうかはシノアとブライの関係性がどれほど厚いかにかかっており完全に運任せだった。
重要なのはどっちに転んでもシノアがデニスを敵対視しないこと。
懐疑心を持った味方など信用できないし、味方でないなら尚更だ。
いざとなればカーソンに全てを擦り付ければいい。
都合のいいことにシノアはブライの事をかなり大切に思っているようで身を売ってでも助け出す方を選択した。
ブライを拾ったことは大失敗であることは変わりないが、シノアとカーソンという確実な手駒を手に入れることができた。
シノアは身を犠牲にするほどブライを大切に思っているので裏切ることはまずないだろう。
カーソンは最初期からの仲間とはいえ、遊び半分で付き合っている節があり、縛り付ける要素ができたことはデニスにとって喜ばしいことだ。
結果的に牧場の失敗を挽回とまではいかなくても、ある程度の穴埋めはできただろう。
(だが………少し結果を急ぎ過ぎたか。結果は悪くないものにはなったが、シノアとブライの関係を下調べしてからでも遅くはなかった。
牧場の失敗で焦っていたのか?どこでスピーカーに足元をすくわれるかわかったもんじゃない。慎重にいくべきだ)
そんなことを考えながら歩いていると、デニスの名前を呼びながら後ろから小走りで駆け寄ってくる者がいた。
「デ、デニスさん!ちょ、待っ!」
デニスが後ろを振り返ると、一人の男が何やら雑誌らしき物を抱えながら乱れた息を整えている姿があった。
「………どうした、エミル?」
エミルはカーソンと同じく牧場に行くことなくショッピングモールに残った2人の内の1人だ。
エミルは息を整え終わると、顔を上げてグイと顔を近付けてくる。
「カーソンは?あの変態医師はどこにいますか?」
やけに真剣に尋ねてくるエミルをデニスは煩わしく思いながらも答えた。
「………牧場から連れ帰った怪我人の治療をしてるよ」
「そうだ、デニスさん!見てくださいよ、これ!」
そう言ったエミルは持っていた雑誌をあるページを開き、デニスの顔の前に付き出した。
デニスはいきなり叫ぶエミルに対してうるさそうに顔をしかめるながら、突き出された雑誌を仕方なく目を通す。
どうやら、胡散臭いゴシップが載っている雑誌のようで開かれたページには大きく医療界に蔓延る闇と書かれている。
記事の殆どは下らない話で信憑性に欠けるものばかりだが、デニスはその下らない話の1つが目についた。
代々医師を輩出し続けている医療界では有名な医師の家系の話だ。
記事によると、その家系のとある男が患者やその家族・友人などの女性を手当り次第に脅迫しては暴行しているとのことだ。
その男の両親は革命といえる程の治療術を生み出す程の腕を持ち、医療界における権力は計り知れない。
そのため、一人息子である男には期待の声は大きかったが男の腕は中の上がいいところ。
だが、両親は一人息子ということもありその男を溺愛し、散々に甘やかせて育てていた。
男の不祥事も全て両親が揉み消していたが、その話は医者同士のネットワークを通してどんどん広まり、次第に男は医療界では知らぬ者がいないぐらいの問題児になっていた。
そんな時、男が患者の女の子を暴行した後に死なせてしまう。
両親が男を庇いきれなくなるのは時間の問題だろう、その言葉で記事は言い締められていた。
(………有名ってのはあながち嘘じゃなかったのか)
デニスはそんなことを考えながら読み終わった雑誌をエミルに押し返した。
「で、これが何だって言うんだ?」
「これ、この記事!デニスさん、読みました?
カーソン、自分は医者の家系の一人息子だって言ってたんですよ。両親も凄い人だとも。
この記事の男って絶対カーソンのことですよ!」
「あのな、エミル。俺は医者界隈のことはよく知らんが、医者の家系ってのは1つや2つじゃないだろ、多分。
それに、これが事実なら普通は捕まるだろ。いくら親が権力者とはいえ、これはやり過ぎだ」
「………それは、そうですけど」
「こんな雑誌の書いてることを真に受けるな。
だいたい、もしこの男ってのがカーソンのことだとしたらどうする気なんだ?
ここには警察も裁判所もないんだぞ」
「いえ、わかってます。ただ、男として許せない行為だったので」
「………確証もないのにあまり仲間を疑うな」
エミルはデニスの言葉にこくこくと頷くが、その顔を見れば納得していないことは明白だった。
デニスはエミルのことを面倒くさい男だと思いながらもそれをおくびにも出さないで軽く挨拶をしてからその場を去る。
エミルは不満気だったが、デニスはあまりあの男と関わりたくないと考えており、さっさと逃げていく。




