第36話
「じゃ、じゃあブライは…助からないってことですか?」
デニスとカーソンに呼び出されたシノアが聞かされた話はシノアにとっていい話ではなかった。
ブライはこのままだと意識を取り戻さないかもしれないと言われ、シノアは唇をワナワナと震わせながら問う。
デニスはそんなシノアを安心させるために笑顔を顔に貼り付けて答えた。
「助からないわけではない。ただ、このままだと意識を取り戻さない、と」
「そ、それは助からないと同義じゃないんですか?」
「今から説明するから落ち着いて。このままだと意識を取り戻さないって言ったが、意識を覚まさせる方法がないわけじゃない」
「…その方法っていうのは?」
「ちゃんとした医者とちゃんとした設備があれば治すのはそう難しいことではないらしい。
医者の方はカーソンがいるから問題ない。あぁ、見えて有名な医者なんだ。
問題は設備の方だ」
「設備?確か病院がありましたよね?」
「病院って言っても小さい診療所でしかない。この病院は重傷患者を運び込まれることを想定されてないんだよ」
「………実質、助ける方法はないってことですか?」
「いや、設備がないというのはこのエリアでの話だ。
このショッピングモールは数多のニーズに答えてるのか知らないが様々な店が入ってる。
別のエリアには医療免許がなければ扱えない品が豊富にある薬局や医療機材も扱う家電店などがある」
すると、安心させるために笑顔を作っていたデニスの表情が急に引き締まり、真剣な物になった。
急に変わったデニスの表情にシノアは驚きつつも、しっかりとデニスの顔を注視する。
そうしないと、デニスの後ろに黙って立っているカーソンと目が合いそうになるからだ。
カーソンは常に無表情にたたずんでるだけだが、その目を最初に見た時にシノアは何やら寒気のようなものを感じた。
舐めまわすように見るという表現は色々な所で聞くが、シノアは初めてそれがどの様な視線なのか実感し、その視線から逃げるようにデニスを見ていたのだ。
「俺にとっては今からが話の本題だ。君にとってはさっきまでが本題だと思うし、あまりいい話でもないが聞いて欲しい」
デニスは後ろにいるカーソンの様子に気がついてないのか、真剣な眼差しで語りかけてくる。
シノアはカーソンに嫌悪感を抱くが、どうやらデニスが嘘を付いているとも思えなかった。
カーソンが医療界では有名な医者で現状においてブライを助けられのはカーソンだけというのは恐らく事実なのだろう。
頼りたくはないが、この男を頼らざるえない。
「俺はスピーカーの支配を終わらせたいと考え、準備をしている。
もし、成功すればこのエリア制度もなくなりブライを万全な治療を施すことができる。
このエリアだけではどうしても延命措置のようなことしかできないんだ。
そこで1つ提案がある………人質を取るようであまり気は進まないのたが、ブライを助けるために力を貸してくれないか?」
「………私が?」
「あぁ、人手が足りなくてな。危険な事を頼むかもしれない。
それでも、ブライを救う方法はそれしかない。
………協力、してくれないか?」
「断ったら…どうする気?」
「その時は悪いが、ブライの延命措置を止めることになる。
薬品類は貴重品なのに助かる見込みのない人間に投与し続けることはできない。
勘違いしないでほしいのは、俺だって彼を助けないんだ。
ただ、これでも集団のリーダーだ。無償で薬品を分け与えるわけにはいかない」
「そう、ですよね」
「それで改めて聞くが、協力してくれるか?
急かすようで悪いが、ブライの事もあるからこの場で返事が欲しい」
返事を渋るシノアだったが、シノアはデニスに協力することに渋ってるわけではない。
この世界で意識を覚まさないとわかっている1人の人間に薬を投与し続けることが無茶な要求だってことはシノアも理解している。
だが、シノアにとって気がかりなのは今もまだ絡みつくような視線を向けてくるカーソンの存在だった。
「………わかりました」
シノアは必死にカーソンのことを意識から外し、ブライを助けるためだと自分に言い聞かせながら声を絞り出した。
「そうか、そうか!協力してくれるんだな!細かいことはまた後日にでも話そう。
君も本当はブライの看病をしたいだろうに下らない話に付き合わせてすまない。
だが、協力してくれると言った以上ブライのことは安心してくれ。
今日はありがとう。俺はやる事があるから後は自由にしてくれ」
デニスはそう言うと満足そうにその場を立ち去ろうとシノアに背中を向けて歩き出した。
だが、デニスの後ろにピタリとくっ付いて離れなかったカーソンは動くことなく、それがシノアの不安を煽る。
それどころか、逆にシノアに近付くように歩み寄ってきた。
逃げ出したくなる気持ちを必死に抑えてその場に留まる。
シノアとカーソンは初対面で、もしかしたら普段からこんな目をしている人で、今もブライの様態を説明するために近付いているだけかもしれない。
そんなシノアの思いを裏切るように耳元に顔を近付けたカーソンが小声で話しかけてきた。
「ひどいよねぇ、デニスさん。延命措置も治療も僕がするのに、勝手に交換条件にして。
僕、まだやるって言ってないよ」
「………やってくれないんですか?」
「そうは言ってないよ。たださ、この話って僕にメリットがないと思わない?
デニスさんは真剣に打倒スピーカーを掲げてるけど僕は面白そうだから協力してるだけだもん。
治療って疲れるんだよ。今まではお金のためだと思えば頑張れたんだけど、流石に無償でやる気は起きないな」
「………お金、ですか?」
「バカ言うなよ。金なんてもう何も役に立たないってのに。
なぁ…わかってんだろ?わかるようにはしてたんだが」
シノアもカーソンが言いたいことはとっくにわかっていた。
現に今もカーソンはいやらしい手付きで弄るようにシノアの体を触っている。
シノアは離れていくデニスの背中に救いを求めるような視線を向けるが、デニスは気付かずに去っていく。
「逃げようとか考えない方がいいぞ。医者は僕だけなんだ。
ブライを生かすも殺すも全て僕次第ってこと。
僕を怒らせると、彼…碌な死に方しないよ。
まぁ、こんな世界でちゃんと死ねる奴なんてほとんどいないだろうけど」
「………約束して」
「ん?」
「デニスの目的が達せられたら必ずブライを助けるって約束して」
「あぁ、なるほど。もちろん、約束しよう。
他エリアに行けるようになったら必ず治療をする。僕と君の関係もそこまでだ。
だけど、それまでは僕には逆らわないこと。いいね?」
カーソンは耳元に近づけていた顔を離して、シノアの顔が見える位置に顔を動かした。
その顔は先程まで目だけで物語っていたことを全体で物語るようにひどくにやけている。
こんな男に好き勝手にされるなんてシノアは嫌だったが、成り代わる事を提案した罪悪感やブライを死なせたくないという想いから小さく頷いてしまう。
シノアの反応にカーソンはより一層顔を崩して、嫌らしい笑い声を上げる。
「じゃあ…また夜に、ね」
シノアの心に暗い何かが込み上げてくるが、それを取り払ってくれる人物は今も意識を失ったままだ。
シノアはその場に膝を着くように崩れ落ち、これからのことを考えてん表情を暗くする。
そして、悪魔に身を売ってでも幼なじみを救い出すと心に誓う。




