第3話
「…楽園」
ジャックはスピーカーから聞こえてきた楽園という単語が耳に残り、つい呟いてしまう。
横にいる柄の悪い男はジャックの呟きが聞こえると、忌々しげに舌打ちをした。
「奴にとってのな。俺らが地獄なのは変わりない」
「若いの、お主はわからんがも知れんがワシの経験から言わせればこの声の主は本物じゃ」
「…外の奴等は体が腐ってるが、ジジィは脳味噌が腐ってるようだな。ハハハッ、上手いこと言った」
「威勢のいいことじゃ。嫌いじゃない。
若くて怖い物知らず、懐かしいのぉ。戦場にもお主のような者は掃いて捨てるほどいた。
そして、掃いて捨てるように死んでいったの」
柄の悪い男がケネスを睨みつけるが、ケネスは特に気にした様子はなく、柄の悪い男に笑顔を向けていた。
それが、柄の悪い男の癪に障ったのか、柄の悪い男が今にも殴りかかりそうなぐらい力強く握り拳を作っていた。
『まず、協力してくれた者には礼を言おう。ありがとう』
スピーカから流れた音声が崩れかけていた柄の悪い男の自制心を何とか繋ぎ止めた。
『だが、残念なお知らせもある。
今回、協力してくれた30代ほどの男性。彼は二の腕をゾンビに噛まれた事を隠している。
東エリア3階、ウォッチタウンという時計屋に身を隠している、白いシャツにジーンズを履いた、髭面の白人だ。発見次第、殺すように』
まるで定時連絡でもするかのような軽さで物騒な内容を言うスピーカーの男にジャックは驚愕するが、周囲の反応は薄い。
自分がおかしいのではとマイアの顔を見てみると、マイアもジャックと同じように驚いていた。
「ほぉ、あやつ噛まれとったか」
「そういや、爺さんもゾンビ退治に行ってたな」
「例の男はワシの後ろにいたんじゃが、気づかなかったの」
「ん?ってことはその時計屋は近いのか?」
「あぁ、ちょうどそこの階段を登ったあたりじゃな」
ケネスが指差す先には1つの階段があり、ジャック達がちょうど階段の方を見た時に階段の上から1人の男が慌てた様子で下りてきた。
特徴からして、この男がゾンビに噛まれた人物だろう。
男はそのまま1階に下りようとしたが、何かに気付くと階段を降りるのを諦めてジャック達の方に向かって来た。
血走った目で走ってくる男にジャックは怖じけ付き道を空けるように動くが、ケネスは逆に男の道を塞ぐような位置に移動する。
男はケネスに道を塞がれてしまったため、足を止め後ろを振り返るが、後ろは3階と1階から押し寄せてきた鎌や鍬などの本来の用途とは異なるが十分の殺傷能力を誇る武器を持った群集が「殺せ!」「逃すな!」などの穏やかではない言葉を喚き散らしながら押し寄せてきている。
あの数に対処するのは不可能だと判断したのか再びケネスの方を男が向くが、ケネスは男に銃口を向けており、それが男の足を竦ませる。
群集は今にも男を嬲り殺そうと迫ってくるが、それをケネスが手で制した。
「ケ、ケネスさん!頼む、助けてくれ!短い間だったとはいえ、一緒に行動した仲間じゃないか」
「そんなことより、お主は本当に噛まれたのか?」
「あ、あぁ。確かに噛まれたさ!だけども、かすり傷程度だ!
傷口見るか!?紙で薄く切ったのと大差ない!
だいたい噛まれたら感染するっていうのは映画やゲームの話だろ!?
ここは現実だ!あいつらがゾンビだっていう証拠あんのか!?
ウイルスが原因だって証拠あんのか!?
そんな曖昧なことで俺を殺すッ」
ケネスは男の言葉を最後まで聞くことなく、男の頭を正確に撃ち抜いた。
ジャックはケネスの躊躇の無さに背筋が凍るような悪寒に襲われるが、ジャックとは対称的に集まっていた群集は興奮したような歓声を上げる。
ケネスは死体のすぐ傍まで近寄ると、死体を見下ろしながら口を開いた。
「そんなことはここにいる全員わかっておるわ。
だがな、あれらはワシらが知っているゾンビに酷似しとるからワシらが知っているゾンビであるという仮定で動いてる。
貴様を使って噛まれたらゾンビ化するかを確かめるのも1つの手だが、そんなことしたら感染が広がってしまう恐れがある。
ワシらができることは常に最悪のケースを想定して、それを回避するように尽力することだけなんじゃよ」
ケネスはそれだけ言うと満足したのか群集に死体を窓から外に捨てるように指示を出した。
群集の中からやってきた数人の男は何の疑問も持たず、死体を持ち上げ外に放り捨ててしまった。
一連の流れるような動きはとても初めてとは思えない。恐らく、今までにも似たようなことが何度もあったのだろう。
ジャックがそんなことを考えていると、群集の中からやたら露出度の高い格好をした若い女がジャックの方に笑顔で向かって来た。
「ヘイヘイ、ニコル!たっだいまぁ!」
「ケイティ!遅かったな!」
女は無駄に高いテンションでそう言いながら向かってくると柄の悪い男が応対した。
どうやら、柄の悪い男がニコルと言うらしくこのケイティという女はニコルの彼女か何かなんだろうとジャックはあたりをつけた。
「で、どうだった?食料と武器の調達をするとかいってたけど」
「それがね、聞いてよ聞いてよ!武器庫も食料庫も入れないのよ!」
「入れないってどういうことだよ?」
「ここバカみたいにデカイ食料庫があるんだけど、そこの扉が電子ロックされてんのよ!
従業員がカードで開けようとしてたけどそれもムリ!カード解錠もロックされてんのよ、もう最悪!」
「食料品店とかは?」
「同じ!電子ロックはないけどシャッターが下りてる!」
「シャッターなら何とか破壊できるんじゃないか?」
「それが、ガーディアンがいるのよ」
「ガーディアン?」
「壊そうとする連中からシャッターを守ってるんだけど、割と過激な連中でね。何人か殺されてるよ」
「はぁ?何だよそいつら?スピーカーの仲間か?」
「わかんない。
でも、どっちかって言うとスピーカーの演説を真に受けたところだと思う」
「チッ、狂信者的なのが出てくるのはお約束だが、早いだろ」
ニコルとケイティの話を近くで聞き耳をたてていたジャックは抱きついてくるソフィの手の力が強くなってることに気づいてなかった。
ソフィの不安を感じたマイアがジャックにしがみついてるソフィの頭を撫でるとソフィはジャックに埋めていた顔を上げた。
その顔は涙でグチャグチャで、マイアが優しく微笑みかけると今度はマイアに抱きついて来た。
ソフィが自分から離れたところでようやくジャックもソフィの様子に気がついた。
「いろいろあってこんがらがってると思うけど、家族を、ソフィのことだけは忘れちゃダメよ」
ジャックは即座に忘れるわけないと返そうとした。
だが、その言葉をいくら捻り出そうとしても何故か口から出てくることはなかった。
困惑しているジャックに追い打ちをかけるように再びスピーカーから男の声が流れ始める。
『ありがとう。おかげで危機を脱することができた。
そして、朗報がある。
今のでこの楽園内のゾンビは地下駐車場を含めて全て排除できた。
次の指示を出そうと思うがその前に新たに楽園に来た者に少し話をしよう。
私が指示を出すことを不満に思う者もいるだろう。
だが、全ての現状を把握し指示を出す者は必要だ。もし、無作為にショッピングモール内のゾンビを退治しようとしても無用な混乱を生むだけだ。
勘違いしないでほしい。
私はここを支配したいわけではない。
独裁者になる気もない。
ここにいる全員に平和と安全を提供することを約束しよう。
だが、それは私に協力してくれたらだ。
強奪、略奪を行う者が多くいたらこの楽園は成立しない。
もし、平和を望むなら私に協力して、これらの罪人を断罪してほしい。
本来なら更生を期待すべくなのだろうが、今は緊急時だ。全て極刑。情け容赦はこの楽園が崩壊するきっかけだ。
だが、今一度言おう。
私は独裁者ではない。これも全てより多くの生存者の平和を願ってのことだ。
今は実感がわからないかもしれないが、私に協力すればいずれここが楽園になると約束しよう。
秩序があってこその楽園だ。皆が理解し協力してくれることを期待している』