4 発熱
「おはよう。吉良くん」
「おはようございます……真弓さん」
翌日の毒原の声は落ち着いていた。未だ布団に寝転がる憐治を見て、優しく微笑んでいる。良い大人なのだから、事後である事は容易に理解できているだろうし、相手も一目瞭然だ。しかし、彼女に慌てた様子は一切無かった。
「すぐ、帰ります……あれ?」
起き上がろうとした憐治は上手く力を入れられなかった。体がだるくて頭が重く感じる事から、なんとなく理解をした。彼は情けない顔を毒原に向ける。
「はいはい。三十七度八分も熱がある人が動かないの。今日の仕事はお休み貰ったから看病してあげるけど、熱が全然下がらなかったらすぐ病院連れて行くからね? お願いだから安静にしてて?」
朝食の準備をしながら憐治に声をかける。病院に行くレベルと捉えてもいい高熱だが、どうやら彼女は看病がしたいようだった。動く事もままならない憐治は仕方なく言う通りにし、白塗りの天井をぼおっと見つめる。
「ふふ、昨日張り切り過ぎちゃったのかな?」
「寒空の下。三十分」
冗談っぽく言ってからかう毒原に、短く反撃してみせた憐治はうとうとし始める。そんな彼の口に多少冷まされたお粥が入れられた。半分無意識に数度咀嚼して、ゆっくり飲み込む。毒原は愛おしむように彼を見て微笑んでいた。
「か、あさ……ん」
憐治はかなりぼやけた視界で捉えた姿にそう言うと、深い眠りに落ちた――。
「失礼な……って、寝たのね。――さて、と」
* * * * *
ぴぴぴぴ。ぴぴぴぴ。ぴぴぴぴ。
すぐ傍で鳴っている機械音で憐治は目を覚ました。額には何かが当たっていて、目の前には最近で一番見覚えのある顔が迫っている。毒原真弓が自身の額と憐治のとを合わせるために近付き、ついでに唇を重ねようとしているのだ。
「あ……もう起きちゃった? 熱も少しは下がったかな。良い感じねっ」
「ご迷惑かけて……すみません」
少し楽になった体で遠ざかった額を追いかけ、唇でそっと触れる。まだ少しだるそうな顔に微笑みを上手く張り付けると、再びベッドに倒れた。ちょっとした可愛げを見せた憐治の頭を撫でる毒原も、にっこりと喜んでいた。
「……ワタシ、どうだった? 下手じゃなかった?」
「聞かなくていいでしょ、そんな事。それより、結婚とかはしてないの?」
ピリッと空気が張りつめた。原因はもちろん『結婚』というワード。数秒黙ってしまった毒原だが、すぐに通常を取り戻した。憐治の横に寝転がって、寄り添うようにしてから耳元で囁くように言う。
「してたらこんな事しないよ……吉良くんが貰ってくれる?」
「…………どうでしょうね」
憐治は強引にはぐらかすと、そっぽを向くように毒原とは反対側に寝返りを打つ。だだをこねるように体ごと追って来る彼女を、うざったそうに押しのける。そうしないと不味い事になると、自分自身がはっきり分かっていたのだ。
このままいくと、毒原真弓に魅了されてしまう事を。
観察を行うにあたって、同時に彼女の良い所も発見してしまう事に悩み、殺すべきなのかも悩んでしまう。憐治は初めての感情に、酷く混乱していたのだ。一人の女性にまでも、お熱らしい。
――なんて、情けないんだ。
「あ、ワタシちょっと買い物行って来るね! このまま夕飯も食べていくしかないでしょ? 精がつくもの作ってあげるから!」
唐突な上に慌ただしく、毒原は外へ出て行った。取り残された憐治は、これからの事を思考する。しかし何を考えても、重要となってくるのはあの部屋。唯一鍵がかけられている部屋だなんて誰が見ても怪しく思うだろう。
回復した体力を使い切る勢いで家の中を探し回る。どこかに鍵があるはずのだが、昨夜もそんなもの見つからなかった。捜索に時間を割きすぎる訳にもいかず、十五分程探すたところで諦めた。
「くそ、こうなれば……っ」
開かない扉に向かう。ノブを掴んでガタガタと鳴らすも、開く気配は全く無い。体調の悪さも相まってあろう事か憐治は、そのままノブを壊そうと無茶苦茶に扱った。左右に捻りまくったり、上下に動かしてみたり――。
「あ、開いた!?」
乱暴に持ち上げたノブと共に開かなかった扉も少しだけ持ち上がる。仕組みを理解した憐治はすぐさまベッドに戻って枕とクッションを二つずつ手にすると、再びドアの前に向かった。
少し持ち上げてから足で枕やクッションを押して挟み込む。右端と左端に挟み込む事で生まれた空間に、無駄な肉の少ない体を通してなんとか中に入った。この時点で毒原が買い物に向かってから三十分以上が経過している。
――急がないと。
また探り回らないといけない、という憐治の予想は嬉しくも外れた。ようやく入れた部屋の中には、ぽつんと小さな段ボール箱が置かれているだけだったのだ。憐治は迷いもせず、箱の中を覗く。
中に入っていたのは、いくつもの、束になっている紙幣だった。