2 接触
毒原真弓が働く喫茶店は、古風な雰囲気を漂わせつつもどこかお洒落で、それなりに繁盛しているようだった。
醜悪こと憐治は、砂糖もミルクも入っていないホットコーヒーをゆっくりすすりながら、気付かれないように標的を観察する。
整った顔立ちに、気品のある茶色のロング、綺麗なメリハリが保たれた体。これなら大抵の男は彼女に好印象を持つことだろう。結婚詐欺を行った彼女にとって十二分に武器となるであろう要素の数々、憐治はそれらを目に焼き付けた。
「外見はわかった」
憐治は誰にも聞こえない音量の声で呟くと、毒原が近くを通る時を見計らって、偶然落としてしまったかのように財布を転がした。
「わ、っと……どうぞっ」
毒原は当然の如く財布を拾い上げ、憐治に手渡す。満面の笑顔が見えたと同時に、可愛らしくちらりと八重歯が顔を出した。
「どうも。すいませんね」
憐治の方も慣れた作り笑顔で対応し、とりあえず最初の接触を終えた。これで彼の持つ情報に、笑顔と声色、あまり重要視されないが八重歯が生えている事も追加された。
会計を済ませて、喫茶店を出る。去り際に店内を覗いた憐治が見たのは、彼の方を見て微笑む毒原の姿。好印象を持たれたのか、誰にでもこういう事をしているのか、定かではない。
彼は二週間、毎日その喫茶店を訪れた。そのうち毒原に会えたのは九回で、彼女は基本午後二時から十時までのシフトらしかった。時間をずらして通った事で勤務時間は把握出来たが、会えなかった日が休みだとは断定出来ない。
そして醜悪としての仕事は、そろそろ次の段階へ向かおうとしていた。
「あ、いらっしゃい吉良さん! 今日もいつものホットコーヒーで良いんですかっ?」
クスクスと笑って接客する毒原。吉良というのは憐治が用いた今回の偽名で、殺人者だからというつまらないギャグだ。問いかけに対して憐治が静かに頷くと、ウェイターの毒原は女の顔を垣間見せつつ席を離れた。
憐治は元々格好良い部類に入るのだ。長すぎない黒髪に、はっきりとした目。背は百八十センチ手前程あり、痩せすぎてもいない。道を歩いていて女性から声をかけられた事も、両手では数えられない回数ある。
「お待たせしました! ホットコーヒーですっ」
「ああ。ありがとう……それと」
小声で呟くと、毒原はそっと憐治に近付く。彼はにっこり笑って小さな紙切れを机に滑らす。自身の連絡先を書いたその紙を、指輪の一つもつけていない左手で滑らせたのだ。静かに攻めるのも彼の掟に含まれている。
「よかったら、また後で」
「……」
毒原の返答は無かったものの、表情が嬉しさを物語っていた。パタパタと駆けて行く彼女を表面上だけでは微笑んで見送る憐治の脳内では、淡々と作戦をこなす事しか考えられていなかった。
ホットコーヒーを飲み干し、会計を済ませて店を出る殺し屋を、珍しく標的は見ていなかった。
時刻は午後十時二十分。
『早速かけちゃったけど、こんな時間に迷惑でした……よね?』
「いや、大丈夫ですよ。お仕事お疲れ様です」
憐治と毒原が周りを気にせずにしっかりと会話をするのは今回で二度目だ。一度目は今ぐらいの時間に憐治が偶然例の喫茶店の前を通りがかったタイミングで、ちょうど店から出て来た毒原と出くわした時だった。
* * * * *
「あ、最近の常連さん、じゃないですか? ホットコーヒーをよく頼まれる方……」
「そうです。ここのウェイターさんですね。お疲れ様です」
「今さっき片付けと着替えを終えたんですよ。あ、ワタシは毒原真弓っていいます。苗字があまり好きではないので、名前で呼んでくれると嬉しいですっ」
「わかりました。毒原さん」
「話聞いてました!? まぁいいや……何歳なんですか?」
「聞いてましたよ? 僕は二十五歳です。おいくつですか?」
「……女性に聞かないでくださいよー! 年上とだけ、言っておきますっ」
落ち込んだ表情をする毒原に、子供っぽい一面を見た。話し方や仕事外での雰囲気も知れて、憐治は少し得をした気分になる。しばらく会話が途絶えたが、分かれ道に差し掛かったところで毒原の方がわざとらしく大声を上げた。
「あ! まだお名前聞いてなかったね……教えてくれる?」
年下だと分かった憐治を見て、彼女は気兼ねの無い感じで首をこてんと傾けて尋ねた。憐治は一瞬で思考回路を働かせて、作った笑顔を浮かべる。
「僕は、吉良です。さよなら、真弓さん」
手を軽く振って右に曲がった。毒原は喜びに浸るように笑うと、「また来てね!」という言葉と共に左へ消えていった。
* * * * *
『今日は何で、ワタシに電話番号を……?」』
「ええと、気紛れですかね? そろそろ寝ます。また、明日」
そっけなく終わりを告げた憐治は本当に寝る事は無く、作戦を次の段階に移すための手立てを頭の中で練り上げていく。毒原が今の対応をどう思おうが、今のところは彼にとってどうでもいい事だ。