十七
「で、その手に持っているものは何かしら?」
「いや……これは、あの……」
「はっきり言いなさい!私一昨日も貴方を見たのですよ。言い逃れはできませんわ!」
ふわふわとした栗毛色の長い髪が揺れる。眉を吊り上げて千樹に詰め寄っているのは、麗千だった。
麗千は寝る直前だったのだろう、寝間着に肩掛け一枚という恰好だ。見る人が見れば、天女が舞い降りてきたような姿だが、麗千のまとう雰囲気は天女のそれとは程遠い。澄んだ瞳に映るのは、地獄の最果てを思わせる怒気だった。
「明燕は私の親友です。たとえ貴方といえど、明燕を害そうとしているのなら許しません」
「誤解だよ、麗千。俺はそういうんじゃなくて……」
「まさか夜這いですか!?明燕に相手にされないからそんな愚行に走ったのですね!!!千峰おじい様にお伝えしなければなりませんわね!」
「そっち!?いやいやいや、ちょっと落ち着いてくれよ。とりあえず声を落として!」
「落ち着くですって!?こんな夜更けに、女子寮の側をうろつく、それも身内を見てしまったのですよ!落ちついていられると思って!?」
千樹の言葉に夜中だということを思い出した麗千は、声を低くしつつも信じられないといった顔をして目の前の男を睨みつけた。
「俺は、ただの使いっぱしりだよ!文を届けにきただけ!」
「……貴方を使いに出した方は随分と非常識な方なのですわね。文ならば昼間のうちに文使いに託すべきです。……それとも、人に知られては不味いような事情があるのですか?」
探るような麗千の目に、千樹は困ったように笑って頭をかいた。
「ほんと、麗千にはかなわないな……」
千樹は麗千に一歩近づくと、いっそう声を落として言う。
「主の……使いなんだよ」
「ふん、主だかなんだか知らないですが時間を考慮すべきですわ」
軽蔑の眼差しを千樹を超えて、その主まで向けたところで、麗千はふと思案顔になる。
「貴方の主って…」
「……知ってるだろ。この国の帝さ。蒼止水だよ」
やれやれと肩をすくめてみせる千樹とは反対に、麗千の大きな目は、驚愕でこれでもかという程に開かれた。ここに明燕がいたならば、その目が落ちてしまうのではないかと心配したに違いない。
「な、今は隠さずを得ないだろう?」
「あの子が……」
帝が妃を迎え入れない理由は、世間一般に噂される男色ではなく、一途に懸想している相手がいるらしいと、いつぞやに祖父から聞いたことがあった。ーだから、帝を好きになっても諦めなさい、と。その頃自分には既に想い人がいたのだから的を射ない忠告ではあったのだが。
それにしても、その話を聞いた時に麗千はなんとなく敵国の美姫や他国の王の妻なのだろうと想像した覚えがある。しかし実際は、とんでもなく自分と近い人だったらしい。
「明燕が最近よく欠伸をするのは、貴方の主のせいだったのですね」
想像以上の驚きで、逆に肩の力が抜けてしまった。麗千はほうっとため息をつく。
「信じてくれるだろ、麗千」
「……ええ。時に貴方、いつもこのようなやり方で文を届けているのですか?」
「ああ、まだ明燕様の存在、…それも帝の寵愛を受けてるってのはできるだけ知られたくないからな。どれだけ陛下の力になろうとしている人間でも、陛下の寵愛を受ける娘を疎ましく思うってことはありうるだろ?明燕様の後ろ盾か正式な婚姻が決まるまでは公にはしないつもりさ。」
「……止水様ならそれぐらい簡単にできそうですのに。っそれに、千峰おじい様が明燕の後援になればよいのですわ!」
簡単に解決できる妙案に、麗千の顔が輝いた。対する千樹は、困ったように眉根をよせた。
「それは簡単ではないな。正式な婚姻には、まだ明燕様は問題を抱えていらっしゃるからな。ちなみに解決の糸口は掴めたぞ。……それに、千峰様はお前は溺愛してるから知らないだろうけど……やはり一族の娘を嫁がせたいと思っていらっしゃる。あの狸じじい」
「で、でも私には陛下は諦めろ、と」
千樹は麗千の頭に手を置き、ぽんぽんと数回叩く。
「それはお前だからだよ。溺愛する孫娘を、心に別の女が住んでいる男にやりたくはないさ」
……分かっている。自分の祖父が必ずしも慈愛だけで動いているわけではないことを。しかし利益のために、自分と同じ年頃の女の子を代わりに据えようとする祖父を信じたくはなかった。涙が滲みそうになるところをぐっとこらえる。ここで泣いても何にもならないことは、自分がよく知っている。
「宮中は、そういう所さ。」
でも、と千樹が続ける。
「麗千はそうならなければいい。それだけだよ。簡単だろ?」
汚いところは全部自分が背負うから、とさらに心の中で続けた。しかし、麗千はその言葉に頭をふる。
「いいえ、私にもいつしか絶対そうしなければならない選択の時が来るはずです。国を背負う一人なのですから、なおさら。……いつかは目を向けなければいけなかったこと。ありがとうございます、千樹兄様」
懐かしい呼び名に、思わず千樹の頬が綻んだ。昔は自分に負けては泣いていたのに、強くなったものだとしみじみと感心する。
「でも一言言わせてもらいますわ。」
千樹がなごやかだった昔の生活に想いを馳せていたところ、鋭い麗千の声が遮った。強い目の光に体が固まる。
「この方法は危険すぎます。貴方が文を投げ入れるところを見られたらどうするおつもりなのです?私だからよかったものを……」
うっ、と千樹がつまる。千樹自身もその自覚はあったのだ。
「帝ほどではないにしろ、私たちの一族はそれに準ずる権力を持っているのですわ。よくない噂が流れるのは避けられません。」
「その通りだよ……」
ハハ、と乾いた笑みがこぼれた。もちろんその可能性はあったし考慮していた。しかし他の手段によって起こりうる可能性よりは幾分かましだったのである。
「でも、今は私がいます。私に今の話したということは、私を信頼してくださっているということ。私を利用してもよくてよ?」
いとこの素っ頓狂な提案に、千樹は首を傾げた。何を言っているのか、さすがの千樹にも理解できない。その様子を見て、麗千は呆れた顔をする。
「貴方、武術にばっかり現をぬかすから、頭の回転が遅くなったのではないかしら?」
歯に衣着せぬ物言いである。本当のことでもあるので下手に言い返すこともできなくて、曖昧に笑っておくことにした。
「私に文を届けなさいってことですわ。私と貴方は親戚ですし、文のやりとりをしたっておかしくありませんもの。それを私が明燕に渡します。文使いも仕事が与えられますし、貴方も時間の短縮になるでしょう。私もそれを口実に明燕とお話できますし。」
「……なるほど、それはいい提案だな……。」
誰にも不利益はない。むしろ誰にとっても好都合である。千樹はあらゆる可能性をざっと網羅すると、その提案に乗ることにした。
「麗千が、そこまで明燕を大事に思っていたなんて知らなかったよ」
「あら、心外ですわ。貴方が主である帝を守ろうとするのと一緒。私、友達は全力で守る性質ですの。」
美しい顔に、不適な笑みが浮かんだ。亡き祖母を彷彿とさせる女傑のオーラに、目を細める。祖父が溺愛するのも、分からないでもない。
「よろしく、麗千。」
「ええ。」
二人はお互いの大切な人を守るため、固く握手を交わした。




